見出し画像

【短編小説】ココアとビスケット

少し寒くなってきた頃だった。
恋人から別れを告げられたのは。

ある日のある夜、突然のメッセージ。
「きっと会わない方がよかった。見当違いだった。にべもない言い方でごめん。げんきで。ろくなことにならない。」

返事をしようにも、もう送信できない状態になっていた。
どうして。なぜ。何があなたをそんなにも苦しめていたのか。教えてほしかった。

寄り添ってきたつもりだった。一緒に楽しく笑っていたはずだった。一体何が、だめだったのだろう。

突然の別れに暫く唖然とし、泣き暮らし、しばらく食事も喉を通らず、おかゆも作るだけ作って、食べられずにいる。数少ない友人がたまたま連絡をくれて、今日は気分転換に外出することにした。

集合場所は、個人でやっている、こぢんまりとしたカフェ。ジャズが静かに流れ、植物にあふれかえっている。席数は10席程度で、豆を煎る香りが漂っている。マスターともうひとりの店員さんはにこにことして、なにも遮ってこない不思議な間ががある。落ち着く店だ。
冷え切った指をこすりながら店に入ると、向こうの席から手を振る影がある。

「なんか、大変だったね。」
友人は苦い笑みを浮かべながら肩をすくめると、座るよう促し、流れるようにココアをふたつ頼んだ。

「どう、少しは落ち着いた?」
「……どうかな。でも当時よりは、ずっと。」
そっか、と安堵の表情を浮かべて、肩を遠慮なく音を立てて叩く。
「人の気持ちを踏みにじるようなことするクソ、別れられて正解だよ。そらね、楽しいことの記憶が濃厚なのもわかるよ。でもさ、それが本性だったってことでしょ。」
「そう、かもね。そうだったのかも。付き合ってるときは全然わからなかったけど……。」

ちょうど会話が一瞬沈黙に落ちた時、店員さんがカップをふたつ持って現れた。
「お待ちどう様。これ、よかったら召し上がって。マスターからのサービスよ。」
そう言ってココアと、バスケットに入ったビスケットを置き、ウインクして厨房へ戻っていった。
サービスという割にはたくさん入ったビスケットを手に取る。温かい。焼きたてのようだ。
「悲しいことの後には、こんな感じであったかいこともあるってことだ。」
「そうだね。」
笑いあって、ビスケットを齧る。香ばしく焼しめられたバターの風味が口に広がる。甘すぎず、ザクザクした触感が心地いい。
ココアをすすると、優しい苦みと甘さ、温かさが沁みる。ビスケットとの相性がたまらない。

気づくと、あっという間に平らげてしまっていた。あんなに食事が喉を通らなかったのがうそのようだ。満腹になると、身も心も満たされる。

帰りがけに、ごちそうさまでしたと笑ってカフェを出た。
気分はすっかり晴れていた。


翌日、友人の電話で目が覚めた。
「大変だよ!ニュース見て!今すぐ!」

追い立てられるようにテレビをつけ、ニュース番組に切り替えると、思い出したくもない見知った顔が映っていた。

頭部だけ発見されたというニュースだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?