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【怪談実話89】見守り

前話に引き続き、獣医師Nさんから聞いた話。

彼が獣医になって2年目の6月、勤務していた動物病院にチワワが救急搬送されてきた。高齢の雄だ。時刻は20時ごろだった。

速やかに診察・検査したところ、肺水腫と判明した。心機能の低下に伴って肺に水が溜まり、呼吸困難に陥る疾患である。即入院となり、飼い主さんには事情を説明して帰宅してもらった。

「入院して数時間後、チワワの容態が悪化したんです。心拍が低下して、チアノーゼ(舌色が紫に変色:危険な徴候)を呈してました。重篤な状態のため、夜の2時ごろでしたが、飼い主さんに連絡して来院してもらうことになりました」

容態は悪化の一途をたどり、飼い主さんが到着する前に心停止した。チワワを処置室の処置台に横向きに寝かせ、人工呼吸と心臓マッサージを施した。

通常、心臓マッサージを20分間行い、それでも蘇生しない場合は、そこで終了となる。Nさんが心臓マッサージを施し、動物看護師が補助する。

マッサージを開始して10分経過しても、依然として蘇生しない。そのとき、処置台を挟んでNさんの反対側に人影が見えた。

「70代くらいのお爺さんが、立ってました。顔は、白髪でおっとりしてる目つきで優しい雰囲気です。突然、目の前に現れたので、びっくりしました。半透明だったので、生きている人でないことはわかりました。そんな僕の様子に気づいて、看護師は(どうかしたんですか)という視線を向けてきました」

その高齢男性は、チワワとNさんを交互に眺める様子だったという。処置の一挙手一投足を前方から監視されており、若干やりづらかったそうだ。看護師には見えていないようだった。

「心マ(心臓マッサージ)やめたら怒られるんじゃないか、と思って。看護師に『20分続けて蘇生しなかったら、やめようね』と確認をとるふりをして、そのお爺さんにも聞こえるように声に出しました」

心臓マッサージが最長20分間であることは看護師も熟知しており、通常はNさんはわざわざそんな発言をしない。そのため、看護師は(え、なに当たり前のこといってんの)とでも言いたげな怪訝そうな表情を浮かべていた。

懸命の処置にもかかわらず、チワワが蘇生することはなかった。
その光景を見届けると、高齢男性は姿を消した。つまり、その男性は約10分間にわたり処置台の傍に立っていたことになる。

飼い主さんが来院したのは、その後だった。処置室に案内し、まだチワワの身体が温もりを帯びていたので、最後に抱いてもらった。

次いで、処置室で看護師がチワワにコットンで詰め物をしたり、身体を清浄する作業を行った。その間、Nさんは飼い主さんを診察室に案内し、入院から死亡に至るまでの詳細な経緯を説明した。

一通り説明を終えた後、Nさんは気になっていたことを飼い主さんに尋ねてみた。

「チワワちゃんを大切に飼ってた方っていらっしゃいますか。例えば、ご家族にお祖父さんがいるとか」
「は……はい。いたのですが、3年前に亡くなりました。散歩に連れて行ってたり、ご飯をあげたり、家族の中でいちばん面倒を見てました。チワワのために自分も生きるんだと言って、90代まで生きました」

Nさんはこの発言を受け、心臓マッサージの最中に現れた高齢男性は、そのお祖父さんだと確信した。

「もしかして、白髪で目がおっとりして優しい雰囲気のおじいさんでしたか」
「そうですよ。けど……、どうしてわかるんですか」
「こういう話、信じてもらえるかわからないのですが……。さっき心臓マッサージしてたら、そのお祖父さんが迎えに来てくれてましたよ」

その場で、飼い主さんは大号泣したそうだ。

「お祖父さんも自分のいない3年間、ご家族が可愛がって世話してくれたのを理解してくれているでしょうし、チワワちゃんもご家族に感謝していると思いますので、胸張って供養してあげてください」

Nさんは最後にこう伝えて、飼い主さんとチワワを見送った。

ちなみに、看護師には後で全て説明して、理解を得られたそうだ。


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