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できることならスティードで Trip11「パリ」/加藤シゲアキ (読書感想文)

今回のエッセイも
とても濃厚でした。

ノートルダム大聖堂の火災の話から始まり
日本の元号が令和に改元された話
パリに行った2011年の出来事
スリランカの同時多発テロの話
などを中心に
シゲちゃんの思いが
ぎゅっと凝縮されていた。

私の思考が別のものに移り
検索したりしてしまったせいなのか
写経のように
書き写すページが多かったからか
いつもより3倍くらい
読むのに時間がかかってしまった。
メモしたページもいつもの2.5倍くらいに
なってしまっていた。

エッセイのページ数は変わらないのに。
エッセイを読んで
私は旅に出てしまったようだ。

ノートルダム大聖堂の火災の時
(2019年4月15日)
テレビで流れる映像を見て
私が海外旅行をできないでいる内に
形が変わってしまったと思った。
もうあの頃のノートルダム大聖堂は
見ることができないのだなと思った。

エッセイを読みながら
首里城の火災を思い出した。
(2019年10月31日)

その日は眠れずに
なんとなく起きていて
なんとなくテレビをつけていた。
すると
突然首里城が燃えている映像が
目に飛び込んできた。

好きなアーティストさんが
沖縄に縁がある人なので
何度か沖縄に足を運んでいて
何度か首里城にも行っていた。

なので自分が知ってる場所が燃えている映像を見ながら
現実だけれど
どこか現実じゃないものを見てるような気持ちになっていた。

あれ?首里城燃えてる。。。
あれ?これ現実?
現実だよな?。。。
本当に?
いや、、、燃えてるし。
みたいな、、、
燃えてて悲しいとか辛いとかいうより
虚無だった。
あぁ燃えてるな。。。だった。

どうしよ。と思ったけど
何もできなかった。
ただなぜかずっと見てた。

あまり悲しい現実の映像は
じっと見ていたくないのだけど
なぜかじっと見てしまっていたことを覚えている。

首里城には3度訪れた記憶があるけれど
有料の場所はいつも見ていなかった。
3度目に行った時に
何気なく入ってみようと思い
展示されているものを見てまわった。
(2015年5月。沖縄旅は5月23日~25日かな?。。。)

エッセイの中でも
『今となればもっとありがたがっておくべきだったのだろうけれど、
 往々にしてこういうことは機を失ってから気づく。』
と書かれてあったが
最後に首里城に訪れた時に
中に入って見ておいて良かったと思ったのです。
ひとつひとつ記憶に残っているわけではないけれど
あの時私はあの建物の中に保存されていたものを
見たのだという証人のひとりになれた気がしたし
あの時見られたものが
もう二度と見られないからです。

頭に浮かんだものは
できる限り
取り組んでみるのがいいと思います。
いつまでもそれが
できる環境が続くとは限らないから。


パリの旅の話。

シゲちゃんは自分のラジオ番組で
写真部を作り
リスナーからの写真を募集し
選び掲載するくらい
カメラに詳しい。
シゲちゃん自身
カメラが好きで写真が好きで
いろんな場所での写真を撮っている。
フィルムの現像は自分でしてしまうくらい
知識もある。
何よりステキな写真を撮るのです。
この『できることならスティードで』に
掲載されてる写真もシゲちゃんが撮影したもの。
文庫本の表紙の写真もシゲちゃんの写真だ。
私ももっと撮って
技術とセンスを深めたいところだ。
しかし今手にしてるのは
ピンホールカメラとホルガとスマホという
遠くを撮るには心もとないので
久しぶりにデジカメも欲しいところ。。。

そんなシゲちゃんがパリの旅で
いちばん最初に撮影したのが
ノートルダム大聖堂だったらしい。

カメラロールにある写真について
文字で伝えてくれている。

ノートルダム大聖堂の中の
ステンドグラスやピエタやキャンドルの描写。
見たわけではないのに
美しさが伝わってくる。

知人から教えてもらった
ボリス・ヴィアンから
セルジュ・ゲンスプールに辿り着き
音楽だけでなく
生き様や人間性に心酔し
2人を生んだパリに興味を持ったと
書かれていた。

その部分を読んだ時に
私の脳内に浮かんだ文章がコチラ↓だった。

「知る」と思いが沸き上がり
世界が広がる。
その世界が広すぎて
私には手に負えない気がして
これ以上知ることに
少し躊躇してしまう。


最近体力がないこともあり
少し弱気になってるというか
元気がないと
動きにくいなと実感している。
とりあえず元気でいれば
何かしら挑戦できるのに
うまく動けない自分が歯がゆい。

とは、いうものの
こうやって文字を記したりは
まだできるので
できることを続けていこうとは思っている。

そして、まだ
諦めていなくて
また元気になると思っていたりもするので
結果的にいろんな知識は
蓄えていくことになるのだろうなと思う。


ゲンスブール邸に向かう途中にあった彫刻。
台座に『VEGETABLES』と書いてあり
その彫刻はアーティチョークだと気付いたシゲちゃん。
フランスで代表的な野菜が
アーティチョークなら
日本ならば一体なんだろう
と、シゲちゃんが導きだしたのは『ワサビ』だった。

私もシゲちゃんの答えを見る前に
想像してみた。
脳内に浮かんだのは
細い方を下にした1本の大根だった。
白くてまっすぐのびる大根が
誇らし気に立っていた。

ゲンスブール邸の壁は
スプレーでメッセージやイラストが描かれているらしい。
多くのファンが敬愛を込めて描いているらしい。
ヒットソングの
「ジュ・テーム・モア・ノン・プリュ」にかけて
ジュ・テームが多く並んでいたらしい。

それを見たシゲちゃんは
『その官能的なフレーズの色気と滑稽さが
 無秩序にちりばめられるさまは、
 なんだかゲンスブール的だと思う。」と
表現していた。

私はその部分を読みながら
ペン売り場などに置かれている
試し書きの紙を
なぜか思い浮かべていた。

試し書きの紙は
いろんなひとがいろんな文字や絵を描いている。
それを見ていくと
アートを感じると
テレビで誰かが言っていた。

無秩序さとアートであることが
私の脳裏に浮かべさせたのかもしれない。


『それからランチで寄った店で
 注文の仕方や会計の仕方がわからず、
 混乱した挙句に鼻血を出してしまったことや、
 サクレ・クール寺院の前で
 うっかり知らない男にミサンガを結ばれ、
 財布の全金額出せと脅される海外トラブルあるあるを
 初めて経験し、しかたなく適当な額を払って
 逃げたもののかなり落ち込んだことなど、
 めくるめくパリの思い出が頭に浮かんでくる。』

この1文はとてもとても
シゲちゃんぽいなと思う。
切なさと情けなさを描いていて
でも何か美しい。
そんな気がする。
そして続く文章がまた
上の文章を引き立てる。

『スマホのカメラロールに収められた
 パリ旅行の最後の写真は、エッフェル塔の先端だった。
 それは空に向かって指を差しているようにも見え、
 心なしか励まされて、僕は全てのパリの写真を見終えた。』


その後シゲちゃんにとって
2011年は激動の年だったという話に続く。
パリに向かうきっかけになった出来事などが
書かれている。
そして、パリの旅が節目であったことも。

また、スリランカでの同時多発テロの話。
このエッセイでも書かれていた通り
テロの半年前にシゲちゃんは
スリランカの旅をしていた。
大きな爆発があった場所の前で昼食をとったらしい。

『この頃、絶対と断言できることなどないのだ、
 と痛感することばかりだ。」と
〆ていた。

この言葉の中にやるせなさを感じた。
でも、それでも、、、
という気持ちも読み取れた。
(ような気がする。)


ノートルダム大聖堂の火災が起こった頃
日本では元号が変わった。
元号の変化について
シゲちゃんは冒頭と後半2度触れていた。

『改元後に期待ばかりしているのも都合がいいように思えてしまい、
 節目はただの節目でしかないだろう、とシニカルになっていく
 自分の可愛げのなさもまた鬱陶しく思う。』

私自身は元号が変わるのを2回体験した。
昭和から平成、平成から令和。
昭和に生まれて価値観も昭和に作られたと思うけれども
実は平成をいちばん長く生きていたりする。
昭和から平成になった時は
世の中的に改元の期待や盛り上がりというよりは
突然やってきて喪に服す感じだった。

そんなことを思い浮かべていると
レピッシュの「Time Slip」という曲を思い出した。
学校に入学するのが1年遅れた僕の
クラスメイトは生まれた年の元号が違って
「Time Slip Boy」とからかわれるという
ざっくりといえばこういう曲だ。

アルバムには「Time Slip」とクレジットされているが
元々の曲名は「昭和生まれ」だった。
元号が変わる前に作られた曲。

曲名変わってびっくりしたなぁ。。。というのと
初めての渋谷公会堂でのライブが
中止になったんだったなぁ。。。というのを
思い出す。(後に渋谷公会堂のライブは行われたみたいだけれども。)

私自身も
元号が変わること自体に
特に変化を感じるということもなく
節目は節目でしかなく
変化という意味では
世代が変わったんだなぁと思うくらいかもしれない。

平成から令和への変化は
予め日付も決まっていたし
喪に服すわけではないから
ある意味「日常」を続けられる日ではあった気がする。

改元について
後半ではこう書かれていた。

『令和になる瞬間、日本はお祭りムードだった。
 そんな改元があってもいい、と思うと同時に、
 それでも区切ってくれるな、という思いが頭から離れない。
 区切ってしまったら、今と地続きにある過去が
 完全に過去のうちに閉じ込められてしまうような気がするのだ。』

『区切ってくれるな』
この部分を読んでたら
過去にラジオでシゲちゃんが言っていた言葉を思い出した。

「メンバー愛ですね」って言われることについて
 「"愛だね"って言われるとそんな簡単な言葉で…
 俺が言葉に出来ない感情を勝手に言葉にするなよ!!
 五十音の最初の2文字で俺の気持ちを矮小化するなよ!!と思う」
 と言っていた。

『五十音の最初の2文字で俺の気持ちを矮小化するな』
ってなんかすごくないですか?(笑)

ただでさえ
思いを言葉にすると
こう、ニュアンスが違うんだよな。。。とか
そんな簡単なシンプルな言葉じゃないのよ。。。
ってなるわけで、、、
勝手に文字にしないでみたいな気持ちは
みんなあると思うんですよね。。。

私の気持ちを
文字に言葉にしてくれたという場合もあると思うけども。

『五十音の最初の2文字で俺の気持ちを矮小化するな』
何度読んでもなんかいいですよね。(笑)

『愛』という言葉が壮大で
人によって思い浮かべるものが違ってるし
明確にこれ!っていう共通点もないから
そんな簡単に表さないでって気持ちよくわかります。

『愛』には違いないけど
『愛』だけじゃないんだよ。。。
みたいな。。。
いや、『愛』だけどさぁ。。。みたいな。
自分以外の人に言われたくないみたいな。。。

なんか、そういうとこ
好きだなぁと思ったんですよね。。。
『区切ってくれるな』も
近いものがある気がしました。
勝手に決めないでほしいという思いというか、、、ね。。。

五十音の話で
思い出したのが
野田秀樹さんのエッセイに書かれていた五十音。
いつかそのエッセイ手に入れるぞと思いつつ
まだ手にしてないんですけど。
本屋でちらっと見たその五十音の話が
手元にないにも関わらず
覚えているのです。
うろ覚えのところもあるけれど、、、。

五十音は『あい(愛)』から始まっていて
『いう(言う)』の横には
『きく(聞く)』があって
『いき(生き)』の近くには
『しす(死す)』がある。

五十音って奥深い!!!
って思った記憶
今でも残っています。
他にもいろいろと書かれてた気がするので
もう1度読んでみたいのだけれど。。。


こんな感じで
私の旅はあっちへ行き
こっちへ行き
とっ散らかってしまったわけだ。

このエッセイの最後の辺りは
『時空』の時と同じテーマのことを
書かれている気がした。

過去の自分と
現在の自分は
地続きで繋がっている。
『時空』の時は成功体験の話だったけれども。
過去に起こった悲しい出来事も
手を取って今の時代を生きていこうぜという気概を感じた。

過去の自分や出来事をなかったことにしないで
その存在や感情や経験を経て
得たものを手に持って
『現在』を生きていこう。
そう言われてる気持ちになったのでした。


さて、
私が現在(いま)できることは何だろう?


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