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できることならスティードで Trip9「スリランカ」/加藤シゲアキ (読書感想文)

このTripから
私は小説TRIPPERに連載されているものを
読み始めた。
なので
これ以降のTripは
掌編小説と未定とあとがき以外は
既に読んでいるものとなる。
この「スリランカ」は連載時に読んだ時
内容的に印象深いものだった。


Harted ceases not heated,but by love.
ー憎しみは憎しみによって止むことはなく、
 愛によって止むー

という言葉が冒頭に記されていた。

これが何を意味するのか
わからないまま読み進めていく。

タイトルの通り
スリランカへの旅のことが
書かれてある。

スリランカの旅のきっかけ
スリランカでの出来事
そして、帰ってきてから知ったことが書かれてあった。

スリランカの旅のきっかけは
旅行好きの友人との何気ない会話だったらしい。
もっともよかった旅行先にスリランカをあげ
ジェフリー・バワの建築が素晴らしかたと答えたらしい。
「スリランカ バワ建築」と検索窓に打ち込んで
調べてみたらしい。

そういえば
前に読んだとき
同じように検索かけてなかったなと思い
今回は私も検索窓に打ち込んでみた。

なるほどなるほど
後に出てくる「ヘリタンスカンダラマ」や
「インフィニティプール」も
写真で説明されている。

紹介される順番が
エッセイの中で紹介される順番と同じなので
ひょっとすると同じページを見てるのか?という気持ちになった。
バワ建築を紹介するには
この順番になりがちなのかもしれないけれど。。。

そのホテルの紹介を見ていると
いつか行ってみたいなぁという気持ちになった。
この「いつか」と言ってる内は
「いつか」はなかなか来ないので
いまのところ未定の旅になりそうだけれど・・・。

このスリランカの旅
シゲちゃんの場合は
友人からスリランカの旅が良かったということを聞き
スリランカのことを調べた結果
シゲちゃんの中にスリランカへのアンテナが立ち
不思議なことにいろんな場所でスリランカの情報が
やたら入ってきたそうだ。

『あぁ、これは呼ばれてるなぁ、そう思った。
 僕はこの感覚が生まれたら旅立つと決めている。』

と書かれてあった。

この感覚はわかる。
距離とか規模とかは全然違うけれども
『ブラジル→京都』の時に書いた
鞍馬に行く気がする。そして行った。という流れと
同じだと思う。

そして、旅好きな人は
その感覚を感じ取って
行動に移している人が多い気がする。

実は私は海外旅行をしたことがない。
言語の不安や、費用の問題が原因のように思われるけれども
総じて熱量の問題かもしれない。
今はそれにプラスして
体力の問題があるから
なかなか実現しそうにないが
まだ諦めてはいない。
「いつか」ではあるけれど
死ぬまでに行かないといけない気がしてる場所はある。

その中のひとつが
ボリビアのウユニ塩湖だ。

旅好きの友達と
密に話をしていた時期があって
その時に本屋さんで
世界中の観光地などを紹介している本が目についた。

「私が行くべき場所はどこですか?」
と聞きながらページを開く。
ちょっとした占いのような感覚だ。

開いたページは
ボリビアの「ウユニ塩湖」の紹介ページだった。
空港の場所が高いところに有るので
今よりは体力あった私だったが
呼吸大丈夫かな?と思った記憶がある。

この本ではボリビアだったけど
この本だったらどこかなぁ?と
別の本を手にし
同じ要領でページを開いた。
するとまたしても
ボリビアの「ウユニ塩湖」の紹介だった。

よっぽど私にウユニ塩湖に行かせようとしてるのか
たまたま同じようなページを開いてしまったのか?
それでも同じ場所を開く確率は
かなりのものだと思うので
ボリビアに行かないといけない気は
今もずっとしています。
あと、スウェーデンも頭をよぎります。。。
どちらも寒そうだなぁ。。。と思うのでした。。。

そこにスリランカの「ヘリタンスカンダラマ」も
追加されました。
こちらは(行く季節にもよると思うけれども)
暑そうだなぁ。。。と思うのでした。。。


シゲちゃんのスリランカの旅。
高倉健さんに憧れて15年日本に居た
流暢な日本語を話す仏教徒のスリランカ人の
ガイドさんに案内してもらったらしい。

そのガイドさんの言葉。

『スリランカ人の仏教は、生まれ変わらないためにあります。
 そしてスリランカ人は五つのことを毎朝誓います。
 それは、『生き物を殺さないこと』『盗まない事』
 『嘘をつかないこと』『酒を飲まないこと』
 『好きになりすぎないこと』です。
 何かを好きになりすぎると別れが辛かったりします。』

その後も最後の『好きになりすぎないこと』についての
説明が続く。

シゲちゃんは
『ガイドが話したのは仏教のいわゆる五戒だ。』と言う。
そして
『しかし最後の『好きになりすぎないこと』は、
 本来は「不邪淫」のはず。
 微妙にニュアンスが違うように思ったが、
 彼なりの解釈なのか、
 それともスリランカでの共通認識なのかはわからない。
 ただ、『好きになりすぎない』というのはある意味で
 物事の核心をついているように思えた。』
と、続く。


この『好きになりすぎないこと』
何かしらの推しを持つ人にとっても
とても身近に感じる言葉のような気がする。
リアルな恋愛や家族愛なんかにおいても
「好き」と感情が溢れるから
「好き」なわけで
「好きになりすぎない」というのは
難しい事のように思える。

それでも
このエッセイを読んでからは
「好きになりすぎない」ようにしようと意識していた。

まぁ、以前から
その界隈のファンの人たちと
同じ熱量、同じペースで一喜一憂していると
疲れてしまうなぁと感じていたので
そういう空気を感じた時は
SNSなどを閉じて
自分の中の世界を楽しむことにしていたので
それなりに「好きになりすぎない」対策はしていたのかもしれない。

「スリランカ」を読み
感想文を書こうと思いながら
Twitterを眺めていたら
ぼる塾の田辺さんのつぶやきが目に入った。
https://twitter.com/chi0314ka/status/1594807497319407616

内容が「好きになりすぎないこと」に
通じるもののような気がして
タイムリーだなぁと思ったのでした。

仏画や仏像を目の前にしての
「良いものだけを選ぶ」ことについてや
瞑想する釈迦像を見て
言われたような気がした言葉も興味深いものだった。


そして、冒頭の言葉の話。

Harted ceases not heated,but by love.
ー憎しみは憎しみによって止むことはなく、
 愛によって止むー

これは1951年サンフランシスコ平和会議で
のちのスリランカ第二代大統領の
ジャヤワルダナの演説の言葉らしい。
この言葉が
日本を分割統治から救ったとも言われているらしい。

この言葉の後に
『自分に悪意の矛先が向けられたとき、
 僕にはいつも思う言葉がある。』
と記されており
その言葉と共に
シゲちゃんの思いが書かれていた。

このシゲちゃんの言葉と思いが
私は大好きで
エッセイを読みながら
写経のようにノートに書き写していた。
(単行本では151ページ。文庫本では159ページです。)

そしてその一文の
最後の『おかげで僕はまだ、どうにか強くいられる気がした。』
がとても愛おしく感じるのでした。

人間誰しも
信念が揺らぐ時がある。
それでも、ぐっと踏ん張って
その信念を自分の中心に持ってくる。
それを後押ししてくれる出来事や言葉があれば
あぁまだ立っていられるという感覚が
私にもある。
こう、自分の中心に戻る感覚が
シゲちゃんにもあるんだなぁと思うと
心強く感じたのかもしれない。

シゲちゃんのソロ曲に「世界」という曲があるのだけれど
その中でもこの一文と同じようなことをうたっている。
それも相まって
『刃を抱く覚悟』というものに
時々思いを馳せている。


このエッセイの最後に
『僕が好きになりすぎないことなどできるのだろうか』
と記されているが

私はどうだろう?
この「スリランカ」に書かれた言葉を
それを書いた加藤シゲアキという人を
好きになりすぎないことなどできるのだろうか。

そんなことを考えている段階で
もう好きになりすぎている気もしなくもないですが。。。

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