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2020年8月28日(金)

幼い頃の私の夢は「お嫁さんとお母さん」になることだった。さすがに小学校も高学年を過ぎたあたりから、人前でその夢を語るのはやめた。

私が小学生の時は、学校のある日の放課後は、クラスの友だちと遊んでから習い事に行くというのがルーティン。休みの日は学年・男女をこえて、それぞれのきょうだいを交えてたくさんで遊ぶことが多かった。そこでは「学校ごっこ」をしてよく遊んだ。私と1つ学年が上の友だちが先生役、下の子たちはまだ幼稚園とかそこらの子もいたが、みな、児童役(笑)先生役が上手だと友だちや友だちのお母さんに言われ、嬉しかったのを覚えている。

中学校へ進学した後、私は社会科の先生(新任2年目くらいの女性)が大好きになり、先生に褒めてもらおうと一生懸命勉強した。笑顔が素敵な先生だった。憧れが高じて私も将来社会の先生になりたい!と当時真剣に考えた記憶もある。

元来、真面目な性格(たぶんwww)+母が教育熱心だったこともあり、高校はその地域の進学校へ進んだ。入試前日に高熱を出し、当日、保健室で受験か?!とヒヤヒヤな場面もあったが(💦)解熱剤が効いたのか、当日朝には平熱に戻り、普通教室で試験を受けた。これに限らず、私は昔から、大事な日の前日に、発熱・腹痛・喘息の発作等、何かしら体調を崩すことばっかり。そんな私についていた当時の病名は「自律神経失調症」。母は、私がこういう風に体調を崩すことをすごく気にしていた。・・・祖母が「なんで〇ちゃんは大事な時に熱出すんだろうねえ。(母親の管理が悪い)」嫌味めいたことを母にちらちら言っていたせいもある。子どもながらに、ああ、お母さんがそういう風に言われるのは、私のせいかな・・・と受け取っていた。高校生になってからは、あまり体調を崩すことはなくなったけど、プチ拒過食になった。このことはまた別に書こう(;'∀')高2の夏から、部活動の部長になって、30人位をまとめ役になった。気分は小学生の時の「先生役」(笑)

結局、それが夢となり、大学も教育学部を選び、トントン拍子で教員の道に勧めた。のだけど、教員生活を続ければ続けるほど、自分に自信が持てなくなった。同僚全てが素晴らしく見え、私なんかが先生と呼ばれるなんて・・・いいのか?と思いながら仕事をしていた。(だいたい、小学校教員には必須のピアノすらバイエル74番レベルしか弾けなかったので、音楽会などでは肩身が狭かった・・・)体育や図工が飛びぬけてできるとか、話がめっちゃ上手とか、そういうものがないのに、先生をしてる自分が滑稽にすら思えていた。そうは言いながらも、目の前の子どもたちには自分の持てる精いっぱいの力を注いで、日々関わり、教え、諭し・・・そのことは今の私の財産でもあるなとは思う。

幼き夢の「お嫁さんとお母さん」にはなれたが、すでにお嫁さんとしての立場は消えたけど、お母さんとして命ある限り、生きなきゃならんのだな。あ~今日もまとめられない文章・・・(;'∀')おちはないです(笑)

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