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記録(授乳編+α)

あの当時を懐かしく振り返るだけの自己満記録ですw

長女→出産後、実家へ里帰り。私、アラサーで初子。食事の用意や洗濯等、家事などをせず、長女の世話だけに集中できたのは、本当にありがたかった。母は夜中の授乳やおむつ替えを、ほぼ一緒に起きて手伝ってくれた。「あんたはちょっとでも寝ときな」と全部してくれたこともあった。

沐浴係は父。食堂のダイニングテーブルの上に用意したベビーバス。ちっちゃな長女を片手で支えて沐浴してくれてたなあ。長女は嫌がる素振りなくいつも気持ちよさそうだった。

とにもかくにも初めての子。授乳ペースがつかめず、泣く=お腹が減って寝られない?!=お腹いっぱいにしないと(人工乳を足さないと)寝ない という初めてのママにありがちな「授乳あるある」に陥り、毎回足していたら、2300gの小さな子が3か月で6000gに・・・(;'∀')足す必要なしと4か月検診で医者に言われ、その後は完母。育児書通り、5か月きっちりから離乳食開始した。(離乳食の前に果汁もあげていた。最初の果汁は、季節柄、ぶどうwでも、今の授乳事情だと果汁も白湯も必要ないとか)復職予定だったから、卒乳に向けての準備も進めざるを得なかった感じ。そう言えば自宅に戻る直前(1か月検診があるため、戻らざるを得なかった)に乳腺炎で発熱もしたなあ・・・。

長男→5年ぶりの新生児育児。また一から育児書などを買ってやり始めました。長女が混合(母乳+ミルク)で体重急激増加で、その後、3歳児検診あたりまで、毎度、肥満度で引っかかるという事態があったのを反省し(新生児期に急激な体重増加があると太りやすい体質になるとかで、将来、成人病にもなる確率が高いと言われていた)長男の授乳は慎重に行おうと思っていた。なので、目指すは最初から完全母乳。しかしその私の決意を良く思わない方もいらっしゃいました。人工乳を使いなさいとしきりに勧められたなあ。

いうなれば、私は「差し乳」タイプ。簡単に言うと飲まれた分だけ乳が作られるシステムwとにかく飲んでもらうことで哺乳量も増えるといった感じだったので、頻回授乳を心掛けました。母子ともにそのバランスが取れたら、高い人工乳を買う必要もなくなるし(ここが一番のポイントだったかもw)沿い乳(母子ともに寝たままの姿勢で授乳すること)を覚えたのも長男の時だったかな。長男をつぶさないよう気を遣いながらの沿い乳・・・首・肩・腰は常にバッキバキだった。その後生まれた次男が卒乳するまで、約6年、授乳のために細切れ睡眠。でもやりきった感はものすごく、あった。

長男は、保育園入園後、3歳になる直前まで夜のみ授乳を続行。現在の長男、普通体型で特に問題なし。筋肉質でがっちり。あ、ちなみに長女も小さい時はまるまるっとした可愛らしさがありましたがw今は完全に普通体型。長男の時には「もう果汁を早くから飲ませるのは止めましょう」ってなってたな、そういえば。

次男→合併症との兼ね合いからか(この時点でわかっていたのは心雑音と低緊張)哺乳量がもの凄ーく少なかった。授乳室で、他のママさんが赤ちゃんに母乳などを飲ませ終わって部屋へ帰っていくのを毎回最後で見送っていた。次男、20ml飲むのに1時間半とか・・・。哺乳力自体が何とも弱い(ダウン症児あるあるです。)人工乳を足し、それを飲み切らせないと部屋へ戻る許可が(看護師さんから)おりないw 何でこんなに時間がかかるんだろう?3人目なのに・・・?この時、私にとって授乳の時間は正に苦行。飲むのに疲れ、ウトウトし出した次男を起こすかのようにグイグイ哺乳瓶を口に突っ込まなければならないのが、かわいそうで仕方がなかった。(けど飲んでくれないのも困りもの・・・)退院時、産科の師長が、次男のためにと産院用の哺乳瓶+乳首を2セット持たせてくださった。市販のものでは飲みにくいのでは?との心遣いで・・・有難く頂いて帰宅した。帰宅後、しばらく混合授乳を続けた。毎回飲み残す人工乳。半分以上捨てていたんじゃないかなあ・・・。(あ、長男と次男は同じ産院で生みました。師長さんをはじめ顔なじみの看護師さんや助産師さんがいらっしゃったのが心強かった。もちろん主治医も同じですw)

とにかく量を飲ませないと・・・とひっしのパッチwで、長男と同じ作戦(?)を敢行。昼夜問わず、頻回授乳で量を稼いだことにより、何とびっくり、完全母乳に。睡眠不足で常に怠かったけど、私がんばったわー。1か月検診でお世話になった産科へ挨拶に行った時、お世話になった看護師さんにこのことを告げたら、「長男さんの授乳が続いてたおかげで、次男さんが飲みやすい柔らかさの乳首になってたのかも・・・良かったですね~」と言ってもらえたのが嬉しかったなあ。

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