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この世に出たとき

私はいわゆる逆子だった。母にとっては2人目の子。1人目は初期流産(私も初期流産を片手で足りないくらい経験したが、これは遺伝するの?)予定日より5日早く破水→出産となったらしいが、逆子のためか(というか、逆子でも自然分娩になったんや、当時は)お産の進みが良くなく、途中で私の心拍が下がったため、緊急帝王切開になった。心拍低下の理由はへその緒が首に2周半程巻き付いていたことだったらしい。少しだけ保育器に入ったそうだ。昭和40年代のあの頃は産めよ増やせよでベビーラッシュ。母は初産で母乳の出が良くなかったらしく、私は粉ミルクで育ったらしい。おかげさまで順調に体重が増え、小さい時の写真はどれもぷっくぷくの丸い顔w

私の名前を決める時からすでに母と祖母の間で確執があったらしい。祖母にとって私は内孫の初孫。お寺だか神社だかで画数の良い名前を調べてもらい、それにしたいと要望したらしい。でも、母は母で初めての子に対し思い入れのある名前を付けたいと一歩も譲らず、結局は母が決めた名前になった。よく見かける名前だが、読み方を間違われることが多い。濁点が付いてる文字があり、私自身は・・・う~ん・・・申し訳ないが好きでない。小学校の時に名前をもじってからかわれたこともあったしな( ;∀;)

祖父母との同居、しかも母と祖母は20くらいしか違わない。家に主婦が2人いるみたいなもんだな。母は義父母にかなり、いや相当気苦労しながら私を育てたのだろうと思う。イクメンなんて言葉は皆無な時代、亭主関白万歳な時代、父は確かに週末は遊んでくれたりしたけど、諸々お世話の類は一切は母任せだった。(でも、お風呂だけは小3まで父と入ってたな。)父の意にそわない行動を私がすれば、それはだいたい母のせい、お前がちゃんと見てないからだとか何とかかんとか・・・母が父にそうやって言われているシーンの記憶は結構小さいうちからある。

私は常に緊張感を持ちながら生活していた気がする。怒られないように~とか。そのせいか、しょっちゅう体調不良(発熱・嘔吐・頭痛)を起こし、小学校入学前に自律神経失調症と医師に診断されたらしい(母曰く)。前後して小児喘息にもかかり、酷かったのは小2のちょうどこの時期。発作が立て続けに起こり、夜中から明け方まで寝られなかった。母は、そんな私にずっと付き添い背中をさすってくれたりしたが、父は「明日も仕事なのに咳がうるさくて寝られない!!!」と私に怒りをぶつけたことがあった。(父本人はそんなこと覚えてはいないだろうけど)苦しいのに怒られるって・・・そこで私は父に対し怒りの気持ちを持つのではなく、私は自分の力で咳も止めることができない、なんてダメな人間なんだろうって・・・そういう風に思っていた。母はさすがに私の味方?になって、そんなこと言っても仕方ないみたいなことを父に言ってくれてたと思うのけど・・・けど、けど。

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