祖父母の話

祖父母同居の家で生まれ育った私。私が生まれたとき、祖母は40代前半。父は19で生んだとかで、そりゃ若いわ(笑)母は私を生んだ後、弟を身籠るまで働いてたので、3・4歳の時、私は保育園に預けられた。送り迎えをしたのは祖母。「母親と間違えられた」こともあったらしい。その話を未だに母はちょっと憎々しげに言う・・・まあ、悔しい気持ちはわからんでもないけど。祖母は年を取ってからも、若見えする人で軽い認知が入るまで、出かける際のお化粧は決して怠らない人だった。祖母が亡くなった後、タンスから質の良いアクセサリーなどがたくさん出てきた。ちゃきちゃき台所仕事をする祖母が土曜日になると作ってくれるチャーハンが美味しかったのを覚えている。そんな祖母は私のことを「賢い子」と褒めてくれることが多かった。幼少期、明るく子どもらしい子どもとして私が振舞っていたからだろうか。祖母に怒られたことは余りない。

祖父は祖母より14歳年上。婿養子として祖母の家に来た。出自は宮城県らしい。お見合い結婚だったと聞く。戦争経験ありだが、戦地には行かず軍需工場で働いていたらしい。戦後、勤めていた会社で片目を怪我し、私が生まれたときは既に失明し義眼が入ってる状態だった。祖父のイメージは無口・夕方になると玄関に座り、煙草を吸いながら行きかう人を眺めている(とにかくヘビースモーカー)・お酒を飲んだら人が変わるの3本だった(笑)毎晩祖父母と父は晩酌をしていた。父と祖母は夕食が終わると食卓から離れそれぞれの部屋に入って過ごす。片づけをしなければならない母が、理不尽なことで酔った祖父に絡まれる・・・それがとても嫌だったと母は言っていた。被害が私たちに及ばないよう、私たちも夕食が済んだらすぐ2回に上がるよう促されていたらしい。私は酔った祖父と閉店間際のスーパーへ買い物に行った記憶がある。だから、孫には甘い祖父だったのかもしれない。そういう優しい感じの祖父は酔った時にしか見られなかったが。

祖父は30年程前に亡くなり、祖母が亡くなったのは昨年。祖父が亡くなってからは、娘たち(私の叔母)と旅行に出かけたり、趣味をしたり、悠々自適な生活を送っていたらしい。母はそんな祖母の自由な生活に対し、ずいぶん反感を持っていた。まあそれもわからんでもないけど。嫁姑問題と言うのは奥が深い。娘の私は調子を合わせて聞くしかないという感じだった。

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