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運転怖い その3 父的指導

大学は実家の隣の県。実家との行き来に車を使いだしたのが、大学4回生になる前の春休みだった。高速道路を使わずに走ると3時間強、ヘビーな山道も通らなければいけなかったけど、当時から高速道路は乗りたくない人だったなー。車線変更とか、合流口とかが来ると、乗せてもらっている状態でさえ、なんかわからんけどドキドキしてたし・・・。

車は実家の知り合いから新古車を購入、父に同乗してもらって、実家近辺で練習した。免許を取って半年もたたないうちだったと思う。その父の指導がね、また厳しくて(;´Д`A ``教習所の指導員より100倍くらい怖かった。特に車庫入れ。実家の車庫が車のサイズぎりぎりで柱と倉庫の間に入れなくちゃいけなくて、しかも車庫の前は割と人通りの激しい生活道路なものだから、もう色々注意しどころ満載で大変。そして横から、「まだ早い!」「あほか!」「何で切り返し方がわからんのや!ようそんなんで卒業できたな!」等々ね、昨日と同じ罵声が飛んでくるわけで。余計焦ってできへんちゅうねん。泣きながら車庫入れしたわ、大学生にもなってるのに(;^ω^)当の父は怒ってるという認識はなかったんだろうけどね。「教えてやっている」的な感じだったんだろう。ちなみに、この父的指導は私だけでなく弟ももれなく受けてるw弟はどう感じてたんだろう、私みたいにあほほど傷ついてはいなかったのかもしれんな。

で、その後、大学に戻る時に車で移動。高速道路にえいやっと乗ったのはいいけれど、料金所で支払いをするときに窓が開かないというハプニングが~!(ETCなんてもちろんない時代でしたから)後続にどんどん車が並ぶし、ほんま焦った。で、結局ドアを開けて支払いして出られたのだけど、まあ、こういうハプニング的なことに、元々ほんまに弱い私であります(;^ω^)

大学卒業後、そのまま隣県で就職した。いわゆる永久就職したということもあった。ところで、「永久就職」って、今の若い世代の人たちにわかるんだろうか???就職先は車ありきが当たり前の場所だったため、そのまま車生活は継続され現在に至っているのだけど。

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