日々色々なタスク、情報に触れていると 不器用な私の頭は思考停止する 好きなことまでもするエネルギーすらも残らなくて タスクや情報、自分の頭で繰り広げられるいらないドラマでいっぱいいっぱい 1つずつ向き合っていけばいいのに 後回しにしちゃう私の大人になってからの悪い癖 だけど、そもそも手がつけられないのは何故か考えたら 1番はじめに綴ったタスクと情報といらないドラマのせい これを少しでも無くしていく努力をすれば 頭もフットワークも軽くなっていくって今更気がついた そも
“毎日、目標や叶えることを確認する、イメージする” 私は、もう何年もジャーナルを続けてる 私のジャーナルは本当に自由で、 少しは綺麗に書こうと意識するけど、 それよりも思うままに想いを表現することのほうが大事 だから書き綴ることは毎日それぞれ だけど唯一ずっと続けていることは、毎日綴ることは違っても、 到達する目標や夢は必ず目で見ること 心の中が熱くなるくらい叶えたいと願う夢があるにの、 目の前のマイナスなことに引っ張られて無駄なエネルギーを使ってしまう 夢の軸とズレた
過去の日々や自分を思い返すと苦しくて泣きそうになるの 叫んだ声は声にならなくて 届かないまま空に消えていく ただ、隣で笑っていたかっただけだったけど そこに私の存在はない 小さな幼かった私は、大人になるにつれて もっと小さくなっていった 認めてほしいとか、気づいてほしいとか、わかってほしいとか そんな簡単なことじゃなくて 愛を感じてたかった 過去の私が今の私を作ってる だけど、過去の私と今の私はもう違うの 少しだけ愛を知って大人になれた私が 幼くて寂しがりやで泣き虫
何にもない日々 何でもない日々 進んでほしいことが思うように進んでいかない毎日 きっと、自分の心の中にいるもう1人の私はどうしてなのか気がついている 覚悟しているつもりだったのにできてない? 本当にやりたいこともわかってる そして、そのために動かないといけないことも なのに臆病で怖がりな過去の自分が、今の自分を引き止めるの 叶っていきそうなのに、叶ってしまったら 今度は失うことを考える 確かに前に進むために行動した私がいたのに 変わりたかったから踏み込んだ私がいたのに
1.“ある”という感覚 現在、家がなく住む場所がない私。今は感謝すべきことに、友人の家に居候させて頂いている。 それに加えて仕事も賃貸も探している状態。 居候のタイミングで、お気に入りだった家具も手放し、服や身支度で使うモノ以外はほとんど売ってしまった。 普通に考えてとんでもない状況だし、人生どん底だって思う。 だけど、過去にもっと苦しかったどん底を味わっている私はそうは思わない。 まず、家に泊めてくれた友人がいること。 話を聞いてくれる、寄り添ってくれる人がいること。
マキシマリストだった過去 自分が嫌だった、そんな自分が選んだモノはいらない なにもなくてもいいのかも!? 本当に必要なモノとコトへの取捨選択が極まる モノによって豊かになる、その前にこの心と体の健康 最後に 1.マキシマリストだった過去(18~21歳) 小さい頃から、物が多いお家で育ってきた。だからからか、大学生になっても相変わらずな私で、物について深く考えたり、心地よく暮らすには、なんて考えもしなかった。 全てへの感謝が欠けていた、とても未熟な大学生だった。