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最終回

時を遡る日記の1ページ

令和6年2月15日

春一番が吹いたとニュースで知る。

少し早い桜情報に、出逢いと別れの季節が

足早にせまるように感じた。

自席から右列2番目。

今年の春、1年限りの特別な出逢い。

結局のところ、離れてしまえば、

ほぼ毎日顔を合わせていた日常からは、

誰が何と言おうと忽然と消えてしまう。

その姿を探したところで見つかることはない。

せめて思い出という景色のなかに

収めておきたいと思うのは、

娘を思うような親心。

さみしさを打ち消すように、今はただ

いろんな場面を忘れないように思い返している。

帰宅途中、駅前通りを歩く姿を何度か見かけた。

日の落ちた夕闇の中でさえ、彼女だとわかる。

1年という期間、見守ってきたからこそ、

なんとなくわかるようになった。

脇道から駅前通りへと角を曲がる。

偶然にも信号待ちをする彼女を目の当たりにする時があった。

気付かれないように、歩幅を狭めて距離を取った。

スマホをみる視線の先に何を思い、何を考え歩くのか。

きっと、楽しいことが待っているのだと

父親役としては黙って見守るのだろう。

信号が青に変わり、横断歩道を駆け足で渡って行く。

離れていく距離が、少しさみしくもある。

子離れできない親みないなものかと自らにほくそ笑む。

彼女には彼女の世界がある。

~親の心子知らず~

それが一番自然なことと、静かに見送った。

たくさんの出来事の中で、

最後に送ろうと春から撮りためた、

彼女の写真だけを探し出す。

季節ごとに咲く一輪の花のように思う。

懐かしい歌を口ずさみながら、

さよならの代わりに「ありがとう」と書き綴る。

共に過ごした笑顔の日々を、

たくさんの思い出にして送りたい。

ちょっとしたドラマのような物語は悪くない。

結末を一緒に作る最後の言葉。

どんな返事が来るのか、少し意地悪したくなった。

もし、最後に言葉をくれるなら

『お父さんなら、大嫌い』

と言われたい。

なぜなら私はお父さんではないのだから。

そうだな、あえて言うなら、

年の離れた『友達』がいい。

役割で付き合うほど安っぽい1年間ではなかったはずだ。

『なぁ~今度逢うとき、おれのことをいったいなんて呼ぶんだ?』

困り顔のキミをみて、ボクは言う。

旅立ちや別れのセリフとして最初から用意していた言葉。

それはInstagramに投稿されたいた、

キミの大好きな漫画の名台詞。

『絶対大丈夫だよ』

無敵の呪文を捧げよう。

これからの未来へ贈る言葉。

いつまでもその笑顔を絶やさずに、

しあわせになれ!