本を読む、音を聴くー未完成4
雨が降り続いている。寒さのあまり、電気ヒーターを出してきた。たまに匂いと煙で布団に穴ぼこを開けるやつ。やかんで安い素麺を茹で、皿などではなく炊飯器のお釜を食器代わりに食べる。どうかしている。明日の入金で水道を支払わなければ、水道が止まる。ガスや電気はたまにあるけれど、水道は初めてだ。苦みを笑う。それでも無料で観られるアンゲロプロスの映画を垂れ流しにしながら、一つの発見をする。映画もまた日々のBGMになるのだ、と。僕はアンゲロプロスを中心に、所謂藝術映画をそれまで避けていた藝術映画を、何度も繰り返しこの安くて小さなパソコンで流しては、止め、再生し、通しても観ながら、僕にとってアンゲロプロスはそのように観るものなんだな、と初めて理解し、ひたすら流し続けている。気が向かなければ止め、また暗闇に戻っていく。そうして近作のホドロフスキーやタルコフスキーを発見した。例えば保坂和志の、佐々木中の、坂口恭平の本を読むときのように。
少しだけ雑記を。
この1週間で決断をいくつかした。
10年以上、DJとして参加していたイベントを離れる決断。
LAZSという個人的にはじめたイベントから派生した、a mystery of the moon.というイベントは続けるけれども、同名バンド自体は僕一人になる。当初あった理念めいたもの…その時々でメンバーは流動的で、最初はマッドハープというブルースハープのおじさんと僕の二人、そこにカホンが加わり、ギタリストとして友達に立ち会ってもらい、マッドハーピストはいまは沈黙しているのだけれど、そこにサックスの吹けないサックス奏者を入れて、ときにはさらに演奏者が参加したければ、勝手にすればいいし、参加したくなければ、勝手にすればいい。ライブもライブハウスだけでなく、公園やひいては路上でのライブを目指していた。僕は90年代初頭のイギリスの、紙の上でしか知らないレイヴパーティー、それもおかみの許可を得ない、レイヴパーティーを少しだけ標榜していた。もっと自由に、もっと勝手に。そこに音楽だけではないアーティストや、ダンサー(それは職業としてのダンサーという意味ではない、ただたまたまそこに居合わせたひとたち)、それぞれの自律性に任せた自由な運動、アクティビストとしての最初の一歩を踏み出しかけて、そして、頓挫した。
しかしここで一旦、だからここで一旦、僕は一人に立ち戻る。いやひとりではもちろんないけれど。
この半年にかけて、なかなかに大変だった。現実逃避のように逃げ込んだDJブースでそれでも、幸せな光景があった。DJブースに駆け込んできて、初めて見るレコードやDJシステムに興奮し、回転しているレコードを触るとメインのスピーカーが面白いように、手で触ったままに音が出て、止まり、逆に回すと奇妙な歌が流れだすことにさらに興奮して、すぐに飽きるまでは触っていた小学生を見て、おお!リアルスクラッチのはじまった現場に立ち会ったぞ、と黙って見ていた。
あるいは、DJをしながら、小さな、2,3歳にも満たない、立つのもやっとの子供たちが、サルサ、ファニアレコードのべたな曲をかけると、泣き止んだり、踊りだしたり、そこにあったボンゴやカホンを叩きだした時。僕はこの先のDJにおける何かしらのヒントを貰った。あの光景もまた、忘れてはならないんだと思う。
このはなしはしばらく書かないつもりだったけれど、ある時期まで、児童の支援をしていた。2年と半月。忘れたふりをして、夢ばかり見て、忘れたふりをしていた。僕は潰れたから。だけれど、もう一度、現場に戻ると決めた。この半年、彼ら彼女らを忘れたことは、なかった。
そしてまた動き出す。歌い出す。レコードが回り出す。踊り出す。
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