初めてDJをした日

2.

大学を辞めた後、ふらふらと長いニート生活をしていた僕に、ある梅雨の夕方、大学時代のバンドをやっている先輩から電話がかかってくる。まだ折りたたみ式の携帯で、当時の僕が住んでいた部屋では電波が途切れそうになるために、外にある駐車場で彼の電話を取った。「なあG、お前さDJやる気ない?」先輩はつづけた。「俺がたまに働いてるとこで、DJ募集しててさ。お前音楽詳しいし、やってみろよ」彼は気が向いたら電話しな、新宿のクラブの電話番号を教えてくれた。数日たって、僕は思い立って、そう僕はいつだって思い立って、風に吹かれてみる、そのクラブに電話した。夕方で、やはり駐車場で、ペンとノートを持って。店長、が電話に出た。すぐに出た。びびっていた僕の早口の自己紹介に、ああ、といって、じゃあさ、6月25日の火曜日、空いてる?と彼はいった。二週間後の火曜日。DUCK ROCKが回すから、オープニングやってよ。彼はそういった。チケット代は2000円に2ドリンクね。ノルマ10人。イベントにタイトルはなかったはずだけれど、彼は落ち着いて、システムと新宿駅からのそのクラブへの行き方を教えてくれた。「初心者なんですが、大丈夫でしょうか?」不安な僕は尋ねた。大丈夫、リハがあるから。8時スタート、7時に来てよ。そういって、めんどくさそうに電話を切った。

ノルマってことは、ひとが来なければ…えっ二万円?二万円も取られるのか!と切った後、駐車場でノートを見ながらびっくりした。でも同時にDUCK ROCKさんの名前にびっくりもしていた。だって、大学時代、コピーバンドでジョンスぺをやった時、ジョンスぺの2 kinda loveをリミックスしたその本人といきなりやるんだ。PEALOUTのYOUのシングル盤に入っているリミックスだって大好きだった。太郎ちゃんに電話しようと思った。大学時代、一年間バンドでドラムを叩いた後、不意に僕は太郎ちゃんに聞いてみる。ねえねえ、太郎ちゃん。拍ってなあに?。お前、そんなことも知らないでドラムを叩いてたのかよ!笑いながら太郎ちゃんは拍ってやつを教えてくれた。その太郎ちゃんに電話して、僕がまずしたことは、二人で下北沢へ行くことだった。CD屋さんに行ったわけではない。二人で半日かけて、6000円したかな?ちょっとロックの入った、シャツを買った。いまはもうないけれど、ずっとお気に入りだった、灰色のかっこいいシャツ。いきなりレコードで、いきなりBPM合わせなきゃいけないわけじゃないよね?僕は何度か不安を口にした。大丈夫だろ?太郎ちゃんはそのたびに笑った。一応、ターンテーブルを持っている後輩にもメールしてみた。何日か経って、DJすんだ?でもタンテ、私以外のひとに触らしたくないなあ。あっさり、断られた。イベントの二日前、改めてクラブに電話して、初心者ですが大丈夫でしょうか?と聞く僕に、店長はめんどくさそうに、リハで触らせるから。そういって電話を切った。

新宿へ向かう電車を待つ暮れていくホームに、僕はそれでもえいや!と買った二万円のヘッドフォンと50枚ほどのCD、それに考え抜いたセットリストの入ったメモ帳を鞄に入れて、立っていた。ぬめっとした汗が身にまとわりつき、乗った電車の冷気がそれを覚ましてくれる。リハの1時間前には新宿に着き、クラブの周りをうろついていた。場所を何度も確認し、それでも人気のないクラブを諦めて、近くの喫茶店に入り、一服した。

7時5分前にはクラブに入った。店長が出てきた。割と背の高い僕よりかなりでかく見えた店長は、オールバックに黒字にピンクのロカビリーシャツ、スキニージーンズは黒、白いラバーソウルで、怖っ!と思った。ちーす!みたいに二人のDJさんがいた。眼鏡の細身のひとと、背は低いB系のひと。DUCK ROCKさんはいなかった。そしてリハーサルはなかった。僕の友達が6人入ってきていた。細身のひととB系のひとのあと、DUCK ROCKさんの前が僕の番。というより、2時間のDUCK ROCKさんのセットの前後に僕は30分、時間を貰った。ひとりだけ女のお客さんが僕が呼んだ以外にいて、フロアの隅で瓶のビールを飲んでいた。クラブは思ったよりだいぶ狭く、またお客さんは僕が呼んだ6人と、彼女しかいなかった。B系の人が最後にPUFFYの曲をかけて、僕は臨んだ。ヘッドフォンをミキサーに差し、どうやらその前にちらっとだけ見せてもらったブースでと、ヘッドフォンを買うときに楽器屋さんで5分だけ触らせて貰ったCD-Jの開いてると思われるほうにCDを入れた。そしてヘッドフォンをして、かける最初の曲を確認しようとしたその時、慌てて二人のDJさんが飛んできた。彼らはDJの後、一人で来ている女性をナンパしていた。それをやめて。そして、ミキサーのメインフェーダーを僕がかけているほうのCD-Jの方向へと押しやった。あいだ、ミラーボールがキラキラと回り、かけるはずの曲が倍速で流れ、同時にPUFFYもかかっている状態で、初めてかあ?と眼鏡のひとにいわれた。B系のひとには、PUFFYの歌が消えた後、ごめんね、設定を戻しとくべきだったね。といわれた。気絶するような冷や汗をかいて、やはり気絶しそうなた立ち眩みの中で、僕のDJは始まった。ミラーボールがずっと白くキラキラと回っていた。DUCK ROCKさんに繋ぐまで、ただわけのわからない精神状態でDJをした。ビートルズをかければ思った以上に早くかかる。ヴェルベッツをかければやけにルー・リードの声がキンキンする。放心状態で、DJを終えた僕の後、DUCK ROCKさんがどう始めたか?覚えていない。最後に予定していた曲より2,3曲多くかけた僕は、最後の1曲を流したあと、すぐにブースを出て、ずっと放心状態で、友達の声すら聞こえなかった。店長がちょっと、といって、隅っこに僕を呼んだ。太郎ちゃんはのちに、二度目のDJは、なしで、と言われてんじゃないか?心配した。そういった。店長はしばらく無言で僕を見降ろした後、ま、がんばれ、といい、ドリンクチケットを二枚僕に渡した。しばらくして、僕はようやくDUCK ROCKさんのDJに気づく。渋いブレイクビーツと流行りかけのエレクトロクラッシュを、レコードで瓶ビール、緑の瓶ビール片手に回すDUCK ROCKさんは、かっこよかった。梅雨の蒸し暑い中でも、トレードマークの帽子とジャージ姿の彼。二度目の出番はちょっとだけ落ち着いて、迎えられた。まずはTHE CLASHのRADIO CLASH。そして、THE POP GROUPのSHE is beyond GOOD and EVIL。あの印象的なイントロの後、マーク・スチュアートが叫んだ瞬間に、DUCK ROCKさんが飛んできた。これ、誰?僕はジャケットを見せた。これ、俺も持ってるけど、しばらく聴いてなかったなあ。これさ、最近出たナンバーガールの曲でパクられてるよね?とCDジャケットを見下ろしながらDUCK ROCKさんはいい、さっきのクラッシュといい、これといい選曲かっこいいね、といった。クールに渋く。だけど暖かく。いま思い出すと何をかけたんだろう?TRICKYののshe makes me wanna die.やDJshadowのsix daysをかけたはずだ。最後に七尾旅人の八月をかけて、横にいる眼鏡のDJさんに、もうおしまいです、といった。眼鏡のDJさんは、これ良い曲だねと呟きながら、自分の準備を始めた。私が死ぬかと思った。僕が呼んだ女の子が笑った。彼女たちにドリンクチケットをあげて、僕は最初で最後になるかもしれない、いやなるだろう、DJとして見るクラブを見渡した。

リュックにCDを詰めて片付け始める僕は、太郎ちゃんと打ち上げに行くという約束をしながら、全部の音が鳴り終わったフロアで、二人のDJさんとDUCK ROCKさんが話しているのを見た。店長に、カウンターに呼ばれて、八千円ね、また機会があればよろしくね、といわれて、八千円を払った。G、話さなくていいの?太郎ちゃんに、また会うでしょ?といって、挨拶だけしてクラブを出た。暑い夏の始まりで、何人かで、目の前の牛丼を僕のおごりで食べて、俺がいちばん死ぬかと思ったよ、むしろ殺されるかと思ったよ!!といって、笑った。それが僕の初めてDJをした日のこと。もう15年以上前の夏の、暑い夏の始まる日。

#小説

#DJ

#音楽

いいなと思ったら応援しよう!