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繋ぐもの

 橋の上では川のせせらぎが耳に心地よく、美しい新緑に癒されていた私のそばで、父上は意を決したように私の名を呼んだ。
「これをお前にわたす時が来た」
 私が振り向くと、父上は懐から細長い藍色の箱を取り出した。そばに立っていた家来がすかさず父上のそばに歩み寄る。彼は父上から藍色の箱を受け取り、私に中身が見えるように開けた。
 私は息を呑んだ。それは我々王族に代々受け継がれる翡翠の首飾りだった。
「父上、これは」
「そろそろだと思っていたのだ」
 いつかやってくるこのときを、私は待っていた。
「次期、王になるお前に、これを受け取ってほしい」
 覚悟は決まっている。
「はい、父上」
 父上は翡翠の首飾りを私の首に掛けてくれた。自然と身が引き締まる。翡翠に触れてみると、つるっとしていて、ひんやりする。掌の熱を冷ましてくれているかのようだ。
 首飾りを身に着けた私を見て、父上は満足そうに微笑んだ。
「あとは、お前を支えてくれる娘だな」
「それなら、おります」
 父は私の言葉に目を丸くした。
「飛鳥姫です」
 飛鳥姫は父上と面識があり、とても心根の優しい姫だ。父上も納得してくれるだろうと思ったが、父上はかぶりを振った。
「飛鳥姫は身体が弱い。それではお前を支えられんだろう」
「そんなことはありません。私はあの方がいてくれるだけで……」
 それでも父上は首を縦に振らなかった。

 縁側で隣に座る飛鳥姫は、鳥のさえずりに耳を澄ませていた。その彼女に、私が父上から受け取った翡翠の首飾りを見せると喜んでくれた。
「良かったですね、大和様。とても綺麗な柔らかい翠色ですね」
 私は何とも言えない複雑な思いで、頷くことしかできなかった。
 どうすれば父上に飛鳥姫を認めてもらえるのだろうか。
 私が考えに沈みかけたとき、飛鳥姫が突然咳き込んだ。
「姫、大丈夫ですか!?」
「申し訳ございません、大和様」
 彼女は苦しそうに言った。彼女の黒髪が風で不安げに揺れる。
「このままではいけない。横になりましょう」
 飛鳥姫の顔色が悪くなってきたようだった。私は彼女を支えて移動し、敷き布団の上に仰向けにさせ、掛け布団をそっと掛けてあげた。
「せっかくいらして下さったのに……。今日はあまり良くないみたいです」
「私のことなら気にしないで下さい。あまり無理をしてはいけませんから、今日はこれでお暇します。また伺いますよ」
 飛鳥姫は私の袖をつかんだ。
「調子が良くなったら、また一緒に外を歩きたいです」
「ええ、ぜひ行きましょう」
 私は袖をつかむ彼女の手を優しく握った。離れがたかったが、彼女を休ませなければならない。私は飛鳥姫の手を置いて立った。

 飛鳥姫のご両親に声を掛けてから、彼女の屋敷を出た。
 飛鳥姫の体調は不安定で波がある。ひとまず彼女のために健康祈願でもしてみようか。
「それなら、まずは我らの力を貸しましょう」
 私はどこからか聞こえた、その澄んだ声に足を止めた。辺りを見渡したが誰もいない。
「ここですよ、ここ」
 私の胸元に目を向けると、父上から授かった翡翠が淡く光っているように見えた。見間違いかと思い、私は目を瞬いた。触れてみると、少し熱を帯びているように感じる。
「こんにちは、新しい旦那様」
「えっ!?」
 突如、翡翠の光が強くなったかと思うと、目の前に翠色の髪と目をした青年が現れた。
「うわっ!」
「あの姫のことでお悩みのようですね」
 私は驚いたのに、青年は涼しい顔をしていた。
「何だ、君は……?」
「申し遅れました、わたしはリョク。あなたが首に掛けられている翡翠です」
 私は何も言えなかった。今、何が起きているのか、理解できていなかったのだ。
 すると、リョクはため息を吐いた。
「先代の王達も皆、今のあなたと同様に、わたしと初対面のときはそういうポカーンとした顔をされる。驚きすぎて、思考が追いつかないのでしょう。まぁ、無理もありませんが」
「えっと……君はつまり、この翡翠の精霊のようなものなのか?」
「はい。わたしはつねに王のそばに置かれていました。そのためか、王者の証と言われ、代々受け継がれてきているのです。今は、次期、王となるあなたのもとにいる」
「そうだったのか。それじゃ、力を貸すというのは……」
「あの姫は病弱なのでございますね。我ら翡翠は魔を払う力を持ちます。実際に克服できるかは持ち主の気持ち次第なのですが、翡翠が病魔を払う手助けになりましょう」
「そうか! では、飛鳥姫に翡翠を贈ろう。私は彼女がいなければ、王にはなれない」
 私はリョクの助言を受けて同じ糸魚川の翡翠を用意した。私とは色違いで、勾玉の白い翡翠だ。飛鳥姫の健康を願い、これを首飾りにした。
 首飾りが完成した翌日に、私はこれを飛鳥姫に届けた。彼女は顔をほころばせた。
「これを私に? ありがとうございます! 大和様」
 私は白い翡翠を飛鳥姫の首に掛けてあげた。
「大和様とお揃いなんて、嬉しいです」
「喜んでもらえてよかった。すぐにとはいかないだろうが、姫の体調が優れるまで私は待つよ。私の妻になる人は、あなた以外に考えられないから」
「大和様……」
 飛鳥姫は白い翡翠をぎゅっと握った。
「私、大和様のおそばにいられるよう、もっと強くなります」
 彼女の瞳は決意に満ちていた。

 それから徐々に、飛鳥姫の体調が良くなっていった。彼女は片時も白い翡翠を手放さなかった。
 父上も現在の彼女の状態と決意、そして私の意志を受け止めてくれ、私は王になる際に飛鳥姫を妻として迎えることが出来た。
「良かったですね、旦那様」
 リョクは私と飛鳥姫を祝福してくれた。翡翠は、共にいたいという私達を繋ぐ意思の表れなのだ。


 僕と同じ四十代くらいと思われる目の前の女性客は、開いていた小さな冊子を閉じた。
「へぇ、面白いですね」
「これがこの地域に伝わる翡翠の民話なんです」
「素敵なお話ですね」
「そうですよね。この民話に出てくる白い翡翠がこちらです」
 僕が女性客にいくつかの商品を紹介すると、彼女は白い翡翠のピアスを買っていってくれた。
「ありがとうございます」
 この女性客は数少ない常連客だった。毎回買ってくれるというわけではなないが、石が好きなんだろう。結婚して二十年になる妻の明日香と始めたパワーストーンの店は、こういうお客様がいてこそ成り立っている。特に今日のような雨の日は尚更、それを痛感する。
 窓の外がますます暗くなってきた。もうすぐ営業時間が終わるため、一人で閉店作業を始める。本来なら明日香も一緒にいるはずだが、昨日から僕一人だ。一昨日、突然、明日香が倒れたからだった。
 朝、開店しようとしていたときだった。急遽、救急車で病院に連れて行った。検査結果はガンだった。その日は店を休んで、明日香のそばにずっといた。
 医者にガンと通告されたとき、私は受け入れられなかった。手術が必要なのだと言われても、私はしばらく思考が停止していた。しかし、明日香が目を覚ましたとき、動揺しないようにと必死だった。そんな私の様子に明日香は気付いたようで、
「正直に言って。私、何の病気?」
と訊いてきた。真剣な明日香に、私は医者から聞いたことをそのまま告げた。彼女は目を伏せて少し間をおいてから、ただ静かに
「そう」
と言った。彼女の葛藤を思うと、僕は泣きたくなった。でも、僕はそれをこらえて彼女を抱きしめた。
「大丈夫。一緒に乗り越えよう」
 それしか言えなかった。僕の腕の中で彼女は小さく頷いた。泣き言は全くなかった。
「ただいま」
娘の一花が店に顔を出した。病院から帰ってきたのだ。今日は一花が明日香のそばについていてくれたおかげで開店できた。一花も明日香の病状を知ったときはショックを受けていたが、
「お母さんが一番つらいと思うから」
と言って気丈だった。母娘だなと感じた。
「お母さん、お父さんのこと心配してたよ。お店、一人で大丈夫かなって」
「そうか。店は大丈夫だよ」
「だよね」
 一花は家の中へ戻っていった。
 明日香は僕のことを心配している場合じゃないのに。娘の前だということもあるかもしれないが、それがまた、彼女らしい。
レジを締めると、そのそばにある丸玉の翡翠に目がいった。これは売り物ではなく、置物として置いている。
若い頃に明日香と出会ったとき、お互いに翡翠を身に着けていた。それがあって、開店前日にここに置くのは翡翠にしようと、明日香と相談して決めたのだ。
ふと、民話のことを思い出す。あの民話は、明日香も知っている。現実はそれほど簡単じゃないが、これになぞらえてみたら、明日香は笑うだろうか。
そんなことを考えていたら、何故か丸玉の翡翠が一瞬ほのかに光って見えた。

翌日の空は、しばらく降っていた雨が止み、雲間から日の光が差し込んでいた。
僕は面会時間に合わせて明日香の病室へ行った。
「今日の調子はどう?」
「まぁまぁかな」
「そうか」
「明日、手術だからね。……終わったら、きっとすぐ退院出来るわ」
 呟いた言葉は、自分に言い聞かせているようだった。
「明日香、これ」
 僕は、包装された小さな長方形のギフトをわたした。明日香は目を見開いた。
「えっ、何?」
「お守りだよ。開けてみて」
 明日香は言われるままに、赤いリボンのついた緑色の包装紙を剥がした。そして、その中の白い箱を開けた。
「あっ」
 白い翡翠のペンダントだ。
「これって……」
「うん、そう。同じ名前だからさ、あやかってみたよ」
 そう言うと、明日香は笑った。やっぱり、おかしかったか。
 でも、笑ってくれるなら、それでもいいか。
「ありがとう、大和」
 明日香はペンダントを手に取って、それを身につけた。
「これで飛鳥姫みたいに元気になれそうね」
 彼女は微笑んで言った。首元にある白い翡翠が淡く光った気がした。


                            ー完ー


※「翡翠」をテーマにした作品です

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