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聖痕の守護者 第11話 歪んだ心

 カロンが所属するジャスティス従属部隊の訓練場はロムルス王国の施設。二百名が定員の従属部隊だが、それは戦場に出る場合の人数。死傷者が出た場合などに備えて予備兵として、さらに二百名がいて、一緒に訓練を行っている。同数の二百名は死傷者に備えてだけであれば、やや多い人数ではあるが、全体訓練を行うには対戦相手が必要となるので倍の人数を揃えているのだ。これはロムルス王国だけではない。他国も同じだ。
 それだけの人数が一堂に会して訓練が出来る施設は広大なもの。さらにメインの屋外訓練場だけでなく屋内にも、さすがに規模はかなり異なるが、訓練場がある。
 その屋内訓練場に普段は顔を見せることのない人々が集まっている。ジャスティスのメンバーと聖剣士ディオス。それに元聖槍士であるローグだ。
 ディオスはなんとかローグの説得に成功した。協力しなければ元守護戦士としてローグが得ている恩給を停止するという脅しを使ってだ。実際にはディオスにそんな権限はなく、最終的にローグをその気にさせたのはカロンの「お酒を買えなくなりますね」という一言だとしても、一応はテルースとの約束を守った形だ。

「……では、始めます」

 緊張した面持ちのバックス。ローグに教わることが出来るのはありがたいが、ただ喜ぶだけではいられない。自分の実力がローグにどう評価されるか、かなり不安を感じている。
 一度、大きく深呼吸をしてから構えを取るバックス。

「……はっ! はぁー、はっ! はっ!」

 力強く足を踏み出し、槍を前に突き出すバックス。その後も次々と型を変化させていく。その様子をローグはジッと見つめている。
 さらにバックスの動きは激しさを増す。地面を踏みしめる低い音と槍が空を切る高音だけが訓練場に広がっていく。

「はあっ!!」

 最後に力強く突きを放つと、バックスは構えを解いて、その場に直立した。その視線はまっすぐにローグに向けられている。

「……悪くない。引き戻しのタイミングや、踏み込んだ時の体のバランスなど修正すべき点はいくつかあるが、大きな問題にはならないだろう」

「あっ、ありがとうございます」

 まさかの好評価にバックスの顔に笑みが浮かんだ。

「ひとつひとつの動きをゆっくりと丁寧に。そういう訓練を日々繰り返せば良い。それでかなり良くなるはずだ」

「はい」

「以上だ」

「えっ……?」

 好評価はありがたいが、まだ何も教わっていないに等しい。これで終わりにされてはバックスは困ってしまう。

「ローグ。きちんと教える約束だ」

 ローグの隣にいたディオスが、きちんと指導するようにと文句を言ってきた。なんとか説得して、ここに連れてきたのだ。ディオスとしてもこれで終わられては困る。

「必要なことは教えた。まずはそれをやってみることだ」

「他にも何かあるだろう?」

「それは今言った点を直してからだ。それとも何か? 彼は一度にいくつもの修正が出来るのか?」

「それは……それでも立ち合いを行うとかあるだろう?」

 一度に何カ所も動きを変える。それはディオスも勧められない。マルスにもそれは行わせていない。

「彼が俺と? 冗談だろ?」

「冗談のつもりはない。お前は彼の指導者なのだから立ち合いの相手をするのは当たり前のことだ」

「彼に立ち合いをさせたいのであればカロンを連れてこい。それが一番だ」

「彼には彼の訓練がある。それの邪魔をするわけにはいかない」

 バックスとカロンを立ち合わせるつもりはディオスにはない。この場所を選んだのは他国の守護戦士候補生にローグが指導しているところを見られたくないからであって、カロンが近くにいるからではない。他に場所があれば、そちらを選んでいた。

「従属部隊は守護戦士の支援役。鍛錬を支援するのも仕事だ」

「戦場における支援が仕事だ。従属部隊には従属部隊に必要な訓練がある。それを怠って、戦場で問題が起きては困る」

「……お前、役人のようだな?」

「なんだと……」

 いきなり役人のようだと言われたディオス。何故、ローグがそんなことを言ったのかは分かっている。一戦士の立場であれば、より強い者を守護戦士候補にするべきと考える。だがディオスは実力を試す為のカロンとバックスの立ち合いを阻止しようとしているのだ。

「別に立ち合い相手はお前でも良い。ただジャスティスを本気で強くしたいのであれば、カロンに相手をさせるべきだ」

「……何故、カロンなのだ?」

 ローグが何故、カロンと立ち合わせることに拘るのか。ディオスはそれが気になった。ジャスティスを強くする為とローグが本気で思っているのだとすれば、聞かないままではいられない。

「お前では力の差があり過ぎる。そうなると今この場にいる中ではマルスになるが、それこそ彼には彼の鍛錬がある」

「俺はお前に相手をしろと言っているのだ」

「槍を使う魔人と戦う予定でもあるのか?」

「そんな予定はない」

 そもそも魔人の武器が何かなど分からない。聖光教会の情報組織は、今のところは、魔人の所在を調べるまでで、それ以上の詳しい情報を得られるまでの力はないのだ。

「では俺では駄目だ。俺は槍しか使えない」

「それはカロンも同じだ」

「カロンに槍を持たせるつもりはない。必要なのはあいつの動きだ。立ち合いはあくまでも彼を鍛える為のものだからな」

「カロンの動きとは?」

 槍を持たせないというのは良いことだ。だが、槍を持たないカロンが必要だという意味がディオスは分からない。

「しつこいな。それは立ち合わせてみれば分かる」

 ディオスの問いにローグはウンザリ顔だ。

「カロンを連れてきました!」

「なっ?」

 まだディオスはカロンとバックスの立ち合いを認めていない。そうであるのに勝手にカロンを連れてきてしまったのはヒューイだ。彼はローグが「カロンを連れてこい」と言った時点で動いていた。その後のディオスとの揉め事など知らないのだ。

「……何か用ですか?」

 連れてこられたカロンは迷惑そうだ。ローグとディオスがいるこの場所になど出来れば来たくない。言葉にはしないが、その気持ちが表情に出ている。

「そこの彼と立ち合え」

 ローグはカロンがどう思っているかなど気にしない。考えていたようにバックスとカロンを立ち合わせようとする。

「ローグ」

 ディオスはまだ立ち合わせることに抵抗を感じている。何故、ローグがここまでカロンとバックスを立ち合わせることに拘るかが分からない。何かあるのではないかと不安なのだ。

「武器は持つな」

「はい?」

 ローグはもうディオスの言葉に耳を貸すことなどしない。カロンに向かって、立ち合いの指示を出している。

「魔人戦を想定した立ち合いだ。槍は不要」

「素手で聖槍士候補と立ち合えと?」

 それに何の意味があるのかカロンには分からない。

「魔人や亜人の多くは素手だ。爪代わりに短剣を持つのは許す。ただ刃引きした短剣などあるか?」

「刃引き、ですか?」

「訓練で怪我するようなことがあっては困るだろ?」

「はあ……」

 まさかこの言葉がローグの口から出てくるとは。ただこれを口にしてはローグを怒らせるだけなので、カロンは心の中に留めておいた。

「仕方がない。爪の代わりとしては長いが剣を持て。鍛錬用の剣なら腐るほどあるだろ?」

「はい……」

 模擬剣は腐らない、なんて余計なこともカロンは口にしない。
 確かに模擬剣は沢山あるが、カロンの手元にあるわけではない。備品が収められている倉庫に向かって、カロンは駆け出していく。たまに使っている場所だ。在処に迷うことはない。

「……剣の鍛錬もしているのか?」

「いや。俺は槍しか教えられない。あいつが勝手に鍛錬しているのも見たことがない」

「そうか……」

 渋い顔のディオス。結局まだローグの意図が掴めていない。嫌な予感が消えないのだ。
 だが立ち合いは止まらない。カロンは模擬剣を持って戻ってきた。さっさと立ち合いを終わらせてしまいたいカロンは、すぐに立ち合いの準備に入る。といっても少し離れた場所に立つだけだが。
 それを見てバックスも、彼は槍を持って進み出る。向かい合う二人。

「カロン。いつも戦っている相手の動きだ」

「えっ?」

「槍の鍛錬の時にイメージしている敵の動きをしろ。対戦相手として同じ動きをするべきだろ?」

「……はい」

 戸惑いを残した表情のまま、バックスと向かい合うカロン。

「良いのか?」

 そんなカロンにバックスが声をかけてきた。立ち合いを始められる状態なのか心配になったのだ。

「あっ、大丈夫です。やったことのないことをやれと言われたので、ちょっと困っているだけですから」

「……では、始めるか」

「どうぞ」

 槍を構えるバックス。一方のカロンは剣を持ってはいるが、構えらしい構えを取っていない。

「……それで良いのか?」

「ち、ちょっと待って下さい……亜人って……でも剣……」

 カロンは亜人として立ち合い、それでいて普段、対戦相手としてイメージしている動きをなぞらなければならない。それがどういうものなのか頭の中が整理出来ていなかった。

「……普通の構えで良いですか?」

「それは、もちろん」

 普通でない構えとは何なのかと思ったが、それを聞くことに意味はないとバックスはすぐ気付いた。カロンはそれが分からなくて、戸惑っているのだ。

「では、今度こそ」

「ああ、行くぞ」

 改めて、それぞれ構えを取って向かい合う二人。
 先手を取ったのはバックスだ。鋭い突きを放つ。それをカロンは大きく後ろに跳んで躱した。だがバックスの攻めはそれだけでは止まらない。槍を引くと同時に足を踏み出して、カロンとの間合いを詰めて、また突きを放つ。それを体を捻って躱すカロン。そのカロンに向けて、バックスは槍を横になぐ。
 槍と剣が打ち合う音が訓練場に響いた。

「……やるな」

 カロンに間合いを詰める隙を与えることなく、大きく後ろに跳んで距離を空けたバックス。その顔には満足げな笑みが浮かんでいる。

「……どうも」

 カロンのほうは浮かない顔だ。
 槍を構え直すバックス。その体が深く沈んだ、と見えた瞬間、ドンッという衝撃音と共に前に跳んだ。カロンに向かって真っ直ぐに伸びる槍の柄。それをぎりぎり横に躱したカロン。さらに引き戻された槍がまっすぐにカロンの腹部に伸びていく。それを後ろに下がって避けるカロン。今度は引き戻される槍と共に前に出た。
 だが、バックスの槍の動きがわずかに速く、再度突き出された槍がカロンの腹のわずか手前で止まる。バックスの勝ち、そのはずなのだが。

「この馬鹿が!」

 真横から伸ばされてきたローグの蹴りを受けて、カロンは吹き飛んだ。

「俺はお前がいつも対峙している相手の動きをしろと言った! 今のがそれか!?」

 床に倒れているカロンに向かって、さらに蹴りを放つローグ。その度にカロンは大きく床を転がっている。

「止めて! なんてことをするの!?」

 そのローグを止めたのはテルースだ。床に倒れているカロンの前に座り込みローグを睨み付けている。

「……サボり癖を叱っているだけだ。それは対戦相手にも失礼だろ?」

「だからって暴力を振るうのは間違っているわ! カロン、大丈夫!?」

 ローグに背を向けて、心配そうにカロンに声をかけるテルース。

「……暴力にはなっていない。そいつはわざと大袈裟に跳んで、蹴りの勢いを殺している。痛みなんてほとんどない。自分で跳んで床にぶつけた体のほうが痛いくらいだ」

「えっ? そうなの?」

「……肯定出来るはずないだろ?」

 ローグに聞こえないように小声で答えるカロン。つまり、そういうことだ。

「…………」

 それを聞いて無言のまま立ち上がるテルース。その足がカロンの頭に向かって放たれた。

「痛っ!」

「……痛くないくせに。えいっ! えいっ!」

 さらにカロンの頭を、さすがに軽く小突く程度だが、何度も蹴り続けるテルース。

「痛い! 痛いから! 蹴られて痛くないはずないだろ!?」

「止めて欲しければ、ごめんなさいと言いなさい! ほら、謝れ! 今すぐ土下座しろ!」

「なんで!?」

 何故、自分が蹴られなければならないのかカロンはまったく分かっていない。

「過保護なのかなんなのか……まあ、仲良しなのは良いことだね?」

 そんな二人をヒューイは少し呆れた様子で見ている。

「これのどこが仲良し? 一方的な暴力を振るわれているだけだ。っていうか止めろよ」

「これは躾。出来の悪い弟……元弟を優しい元姉が躾けてあげているのよ」

「なんだそれ?」

 元姉弟のじゃれ合い。それを見る父、元養父の表情は苦い。二人がじゃれ合っているからではない。ディオスが苦い顔をしているのはカロンとバックスの立ち合いが原因だ。
 立ち合いはバックスの勝ち。だがそれはカロンが動きを途中で緩めたから。バックスの懐に飛び込めたはずなのに、自らそれを止めたからだ。ディオスの目にははっきりとそれが見えていた。

「……何を考えている?」

 二人から離れて戻ってきたローグに、ディオスは問い掛ける。

「頼まれた仕事をしただけだ」

「あれのどこがそうなのだ?」

 カロンの強さを自分に見せつけただけ。ディオスはそう考えている。

「俺はジャスティスを本気で強くしたいのであれば、カロンに相手をさせろと言ったはずだ」

「だから何だ?」

「少なくとも、あの二人はこれまで以上に真剣に鍛錬に取り組むはずだ。強くなるだろ?」

 ローグが指し示したのはカロンと立ち合ったバックス、そしてマルスの二人だ。二人はカロンとテルースの悪ふざけを気にすることなく、自分の鍛錬を始めていた。

「…………」

「ジャスティスは優秀だ。立ち合っていたバックスは当然だが、マルスもカロンの動きを捉えていた。見れていなかったのは……恐らくテルースくらいか。それも能力の問題ではないな」

 一瞬であるが、バックスを超える動きを見せたカロン。その実力をジャスティスのメンバーは聖剣士であるディオス同様に見極めていた。テルースも感情が邪魔しただけ。冷静に見ていれば他のメンバーと同じように動きを捉えられたはずだ。

「……わざと負けると分かっていたのか?」

「アイツだからあり得るとは思っていたが、別に勝っても同じだ。より強い守護戦士候補がジャスティスに加わるだけだろ?」

「お前はそれを望んでいたのだな?」

 ローグはカロンを守護戦士候補にしようとしていた。今の話からディオスはそう考えた。

「……強く求めてはいない。ただ面白いとは思うな」

「面白いだと?」

「面白いだろ? 世間から忘れられた元聖槍士の弟子が守護戦士候補になる。しかもそいつは現役の聖剣士が実力を見極められなくて放り出した子だ」

「ローグ……」

 ローグが自分に向ける悪意。その存在をディオスは初めて知った。

「戦いで怪我を負わなかった。持っていた運のおかげか逃げていたからか知らないが、それでお前は今も聖剣士様として周りから尊敬されている。一方、必死で戦った結果、右腕を失った俺は誰からも見向きもされない。共に戦った仲間たちからも」

「…………」

「久しぶりに連絡が来たと思ったら、いらなくなった子を引き取ってくれだ。無用の存在となった俺に、無用になった養子の面倒を見させる。面白い冗談を考えたものだな?」

「……そんなことは考えていない」

「そうだろな。お前は俺の気持ちなんて考えたこともない。そういう奴だ」

「…………」

 ローグの言葉をディオスは否定出来ない。悪気があったわけではない。だがローグがどう思うか、何を思って日々を過ごしているかなど考えていなかったのは事実だ。

「俺はお前の気持ちを考えていた。考えてどうしても分からないことがあるので教えてもらえるか?」

「……なんだ?」

「ヴォーグは死んだ。ミリオンは戦う心を失い、俺はこの有様だ。守護戦士になって得たものは一時の栄光と金。あとは失うばかりだった。そう思わないか?」

「……そうかもしれない」

 仲間たちは命を、心を、腕をそれぞれ失っている。そんなことはないとディオスは言えなかった。今もディオスはローグの気持ちを考えていない。何故、ローグがこんなことを言ったのかを考えるべきだった。

「なのに何故、お前は自分の子供を守護戦士にしようとする?」

「なっ……?」

「不幸になる道を進ませようとする? 俺には理解出来ない。もしかするとお前は俺たちとは違って失ったものはないのかもしれないが、子供たちが俺たちと同じになるとは思わないのか?」

「…………」

 ローグはディオスが答えを返す前に、この場を離れようと歩き出す。答えなど求めていない。ローグが放った言葉は問いではなく批判、嫌がらせと言っても良いようなものなのだ。
 その背中を呆然と見送るディオス。自分を見つめているジャスティスのメンバーの視線に、彼は気づいていない。

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