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作られた勇者、生み出された悪魔 第1話:交わる運命

 泥に汚れた顔。それ以上に乾いて黒くなった血が彼女の全身を汚している。黒目の大きい可愛らしい瞳は閉じられたまま。もう二度と開くことはないのだ。
 何故こんなことになったのか。彼女には戦う力などなかった。戦場は彼女には縁のない場所のはずだった。

「……これが現実だ。貴様の考えがどれだけ愚かであったか、これで分かっただろう?」

 彼女の亡骸を前に立ち尽くすベリアルに向かって、厳しい言葉が向けられる。

「戦い続けるしかないのだ。それが我等の生きる道なのだ」

 何度も聞かされた言葉。その度に反発していたが、今はそのような気持ちは湧いてこない。自分の考えが誤っていた。そう考える以前に、何が正しく、何が間違っているかもの判断がつかない。

「……自分の責務を果たせ。その為の場を用意しておいた」

 用意された場。それをずっと拒み続けてきた。彼女の為に、仲間たちの為に変えようと思った。だがそれは無理だった。
 従うこと。それが仲間たちの為になること。ベリアルはそう考えた。そう思い込むしかなかった。

◆◆◆

 コンティネンテ大陸西部における最強国と称されるオルディネ王国。その称号に相応しく、周辺国を凌ぐ広大な領土を保有しているのだが、豊かさという点になると西部一と評価されることはない。
 オルディネ王国の国土は広いだけで枯れた土地ばかり、というわけではない。国民の数が少ないわけでもない。税収だけで比べれば、領土の広さ同様に周辺国を大きく上回っている。そうであるのにオルディネ王国を豊かな国と評することが出来ないのは、それ以上に支出が多いからだ。
 オルディネ王国は百年以上、戦争状態にある。侵略戦争ではない。国を守る為の戦いだ。大陸西部で最強と評価されているオルディネ王国が百年戦っても勝利を掴めない存在。それはオルディネ王国の北にある山岳地帯に住む魔人族。オルディネ王国は人為らざる存在と百年以上も戦っているのだ。
 数は少なくても個々の戦闘力では人間を上回る能力を持つ魔人族。オルディネ王国はその脅威から自国を、結果として周辺国も守る為に軍の強化、時期によっては回復を行い続けている。その為に費やされる軍事費が国庫を圧迫し続けているのだ。
 戦況は一進一退。すでに百年を超えているというのに、戦いに終わりは見えない。この先もオルディネ王国の民はずっと苦しい暮らしを続けることになる。という状況をオルディネ王国は許すわけにはいかない。無策なままで民が苦しみに耐え続けられるはずがない。大人しく従い続けるはずがない。
 オルディネ王国は長い戦いを終わらせる為に様々な試みを行っている。その一つが、そして今現在、最も期待されている試みが、対魔人族戦を行う優秀な戦士を育成すること。オルディネ王国騎士団特殊戦士養成学校キンダーガルテン。通称、勇者養成学校がそれだ。
 オルディネ王国の都ペルラ。勇者養成学校キンダーガルテンはその都の中心部。王城に近い王国騎士団施設の敷地内にある。

「今日は新入生を紹介する」

 今日、その勇者養成学校に新たな生徒が加わることになる。オルディネ王国に限らず、周辺国からも素質のある若者が見つかれば、いつでも入学させているので、期の途中で新入生が入学するのは珍しくない。二学年のこのクラスでなければ。
 教師の言葉に生徒たちがわずかにざわめいている。

「静かに。編入試験の結果だ」

 期の途中での入学は珍しくないが、そういう生徒は全て一学年のクラスに編入されるのが普通。しかも期末の試験に合格しなければ、もう一年、同じ学年で学ぶことになる。今回の新入生はその期末試験を免除されたということだ。

「入れ!」

 生徒のざわめきが鎮まったところで、教師は廊下にいる新入生に声をかけた。それに応えて入り口の扉が開く。入ってきたのは黒髪の男子。長く伸びた、ややくせ毛の前髪が瞳を隠していて、表情は良く見えない。

「では自己紹介を」

「…………」

 自己紹介を求められても無言のままの男子生徒。正面を向いたことでクラスの生徒たちの多くは、新入生の感情が分かった。瞳は相変わらず前髪に邪魔されて良く見えないが、への字に曲がった赤い唇が不機嫌さを示しているのだ。

「どうした? 緊張しているのか?」

 横に立つ教師は男子生徒の口元に気が付いていない。

「……ベリアル」

「……それだけか?」

「名前以外に伝えなければいけないことはありません」

 ベリアルと名乗った男子生徒は正面を向いたまま、教師の問いに答えた。

「出身地とかあるだろ?」

「……ノルト」

「ノルト……北部の街だな。それは……まあ、良いか」

 ベリアルが口にしたノルトはオルディネ王国北部の街の名だ。魔人族との戦いの最前線に近い街。これまで数え切れないほど魔人族の襲撃を受け、多くの犠牲者を出していると教師は記憶している。その街の出身者がこの学校に入学してきたことに因縁を感じた教師だが、今この場で口にすることではないと思い直した。

「……もう良いですか?」

「ああ。席は空いているところであればどこでも良いが……そうだな。そこが良いのではないか?」

 教室に空いている席はいくつもある。王国にとって残念なことだが、優れた素質を持った若者は定員が埋まるほどには見つかっていないということだ。

「……後ろのほうにします」

 教師が指差した席は最前列の一番窓側。ベリアルはそこを拒否して、後ろの席を選んだ。

「隣の席にいるニールは優秀な生徒だ。学ぶことは多いと思う」

 教師が最前列の席を勧めたのは、その隣にいるニールという男子生徒が優秀な生徒だからだ。この場合の優秀は、戦闘能力ではなく生徒として優秀という意味。教師からみて真面目な優等生ということだ。

「……必要ありません」

 だがベリアルはニールを一瞥しただけで、後ろの席に向かって歩いて行く。当然、ニールは気分が良くない。顔をしかめているが、ベリアルはまったく気にする様子もなく自分が選んだ席に座った。

「ふう……これはまた問題児が増えたか」

 生徒に聞こえないように黒板に向きながら小さく呟く教師。教師の呟きが示しているのは、このクラスにはすでに問題児が存在するということだ。

◆◆◆

 一時間目の授業が終わり、休憩時間に入った。早速クラスの生徒たちが新入生の席の周りに集まって質問攻め、なんてことにはなっていない。ベリアルの放つ雰囲気が生徒たちを寄せ付けないという理由もあるが、それだけではない。この学校の生徒たちは元々、そんな和気あいあいとした雰囲気を作るような関係性を持っていないのだ。
 勇者養成学校の目的はその通称が示す通り、勇者を養成すること。魔人族を、魔人族の中でも強者である存在を超える力を持つ戦士を育て上げることだ。
 生徒全員がそうなってくれるのが望ましいが、そんな甘いものではない。それだけの成果を学校があげていれば、とっくに魔人族との戦いの決着はついている。オルディネ王国の勝利という形で。
 魔人族の強者と一対一で互角以上に戦える勇者は、これまで数えるほどしか出ていない。この先もその状況が大きく変化することはないと考えられている。そうなると王国としてはその希有な存在である勇者を、その年代の一番の強者を大切にせざるを得ない。つまり、勇者とそれ以外の戦士の待遇は貴族と平民ほど違うのだ。
 生徒にとって同級生はその勇者の座を奪い合う競争相手。仲良く皆で頑張ろうなんて考える生徒は滅多にいない。他者を引きずり降ろしてでも、と考える生徒のほうが多いくらいだ。

「それでベリアルは何が得意なんだ?」

 ただこのクラスには一人、滅多にいない存在がいる。皆で頑張ろう、なんて考える生徒だ。

「…………」

「……あっ、そうか。自己紹介がまだだったね。僕はアイアス」

 ベリアルに積極的に話しかけている生徒はアイアスと名乗った。金髪碧眼で鼻筋の通った、美形と言えないこともない外見の男子生徒だ。

「…………」

「呼び捨てで良いよ。僕と君の仲だからね」

「……どういう仲だ?」

 無視を決め込んでいたベリアルだったが、アイアスの勝手な言い様に我慢が出来なくなってしまった。

「クラスメート。これから卒業まで共に学ぶ友人だ」

「同じクラスで学ぶことと、友人であることは別だ」

 ただ同じ教室で学ぶことになったというだけで友人とは言えない。これはベリアル独自の考えではなく、他の生徒も同じように思っている。それにアイアスはこれまでずっと気付いてこなかったのだ。

「僕にとっては同じだ。もっと言えば、その先は共に命を懸けて戦う戦友になるかもしれない。そうなると長い付き合いだね?」

「初戦で戦死してしまえば短い付き合いで終わる」

 長く戦い続けている戦士が実際にどれだけいるか。若者たちを周辺国からもかき集め、次々と戦場に送り出しているのは多くの戦士が戦死、もしくは戦えなくなるほどの大怪我を負ってきたからだ。

「はっはっはっ。ベリアルは冗談が上手いな」

「これで笑えるお前の存在が冗談だ」

「……今のは、ちょっと分からない。どういうオチ?」

「…………」

 自分にはまったく受入れられないタイプの人間。ベリアルはそう判断した。これも彼だけが感じることではない。

「午後の授業が楽しみだね?」

「何の話だ?」

 いきなりアイアスの話が飛ぶ。ベリアルには何のことか分からない。彼にとっては、学校に楽しみに思えるような授業はないはずなのだ。

「午後は実技の授業がある。ベリアルがどれだけ強いか楽しみだ」

「……残念だったな。俺は強くない」

「そんなことないよね?」

「二学年に編入されたことでそう思っているなら、それは間違い。俺が持つ特殊技能が評価されて二学年からになっただけだ。それが何と聞かれても、今は話せないけどな」

 二学年に編入されたのは特別な能力があるから。ベリアルは自分の強さを否定した。

「いや、君は強いよ。間違いなく」

 つい先ほどまでの惚けた雰囲気を消し去って、真剣な目をベリアルに向けるアイアス。ベリアルの嘘はアイアスに見抜かれている。

「……仮にそうだとしても、お前ほどじゃない」

 嘘を見抜いたアイアスは、それが出来るだけの技量があるということ。惚けた雰囲気に惑わされて、その実力を見誤った自分の未熟さにベリアルは苛立ちを覚えている。

「楽しみだね。ベリアルとはきっと良いライバルになれる。僕には分かるんだ」

「……いや、分かっていないな。俺は勇者にはなれない。俺がこの学校に来たのは勇者の補佐役になる為だ」

 ベリアルの話に、周囲で聞き耳を立てていた生徒たちが反応を見せる。飛び級のような形でクラスに編入されたベリアルは強力な競争相手になる。そう考えて敵意を向けていた生徒も、ベリアルの言っていることが事実となると話は違ってくる。
 勇者の座をかけた競争は個人戦に限ったものではない。団体での競い合いもあるのだ。元々は、個の力では魔人族を超えられないことがほとんどなことから、集団での戦いを身につけさせて魔人族に対抗しようという趣旨の制度なのだが、今は違う意味で利用されている。個の力で劣っていても優秀な補佐役を集めれば学年で一番になれてしまうのだ。
 生徒の中でも周囲から頭一つ抜けている実力者たちは、優れた補佐役を求めている。ベリアルはその有力候補になるかもしれないのだ。

「……そんなの駄目だ!」

「はっ?」

「ベリアルのような力のある奴が勇者にならなくてどうする!?」

 だがアイアスはベリアルが補佐役になることを認めようとしない。

「……俺は勇者になりたいなんて思ってない」

 ベリアルは勇者になりたくてもなれないわけではない。本人も勇者になるつもりはないのだ。

「駄目だ! 駄目だ! 僕は勇者になる! ベリアルも勇者になる! 皆で勇者になって、戦いを終わらせるんだ! それが僕たちの使命じゃないか!」

「戦いを終わらせる……お前、それ本気で言っているのか?」

「本気に決まっている! 誰かが終わらせなくてはならない! だから僕が終わらせる! それが僕の使命だから!」

「……勝手に頑張れ。俺には関係ない」

「ベリアル!」

 席を立って教室を出ようとするベリアルを呼び止めるアイアス。。だがベリアルはその声を無視して、そのまま教室を出て行った。

(……馬鹿が。何も知らないくせに)

 戦争は終わらない。アイアスがどれだけ頑張っても、そんな日は来ない。それをベリアルは知っている。彼は魔人族との戦いを終わらせる為に、学校に入学したのではないのだ。

◆◆◆

 オルディネ王国の都。王城のある、国の中心都市であるペルラだが、その足下にも暗い影が落ちる場所がある。ペルラの中心街、商業地域から少し外れ、入り組んだ路地を奥へと進んだその場所は貧民街。貧しい人々が暮らす場所だ。繁華街のすぐ近くに、そのような場所がある理由は、さらにその奥にゴミの集積場があるから。商業地域の飲食店などから出たゴミは一旦、その集積場に集められ、そこから街の中を流れる水路を使って船で都の外に運び出される。
 そのゴミ集積場に集められる残飯を目当てに、その日の食事にも困る貧しい人々が集まり、そのままその周辺に住み着くようになってしまったのだ。
 その貧民街の路地を、その場所にはそぐわない勇者養成学校の制服を着た男子生徒が歩いている。ベリアルだ。
 ベリアルは貧民街の一角にある古ぼけた建物、建物の形を維持しているだけこの場所ではマシなほうだが、に辿り着くと、躊躇うことなく扉を開けて中に入る。

「おや? 坊ちゃん、ずいぶんとお早いお帰りで」

 中に入ったベリアルは迎えたのは、彼と同じ黒髪を腰まで伸ばした執事服を着た男性。

「……坊ちゃんと呼ぶな」

「では、どうお呼びしましょうか? ああ、若様にしますか?」

「アモン。お前、俺をからかっているだろ?」

「まさか。真面目に考えた結果です。まさか王子殿下と呼ぶわけにはいかないでしょう?」

 ベリアルの素性を隠す呼び方。それを真面目に考えたのだとアモンは言っているが。

「俺は王子なんて身分じゃない。大体がこの場所に若様なんて呼ばれる奴が住んでいるわけがないだろ? まさか、その恰好で外を出歩いていないだろうな?」

 貧民街に坊ちゃんや若様なんて呼ばれる人間が住んでいるはずがない。執事の恰好だってかなり目立つはずだ。素性は隠せても、怪しく思われるのでは意味がない。

「……それくらいは分かっています。ですが、さすがに外の者たちと同じは嫌です」

 貧民街で暮らす人たちの多くは粗末な服、とも言えないような布を纏っている人ばかり。そういった人たちと同じ服装を身につけるのが、アモンは嫌だったのだ。

「全員が全員、貧乏人ってわけじゃない」

「この私に犯罪者と同じ恰好をしろと?」

 貧民街にいるのは貧しい人たちだけではない。犯罪者の隠れ処ともなっているのだ。ベリアルたちがいるこの建物もそういった者たちのアジトであった場所だ。

「この国の奴等にとっては同じようなものだろ?」

「心外です、が相手の見方はそれか、それ以上なのは事実ですね。まあ、外に出る時は考えます。人目につく時間に出歩くことなど滅多にあることでもないですし。それで?」

「何だ?」

「誤魔化さないでください。まだ授業を行っている時間ではないですか?」

 ベリアルの帰りはかなり早い。学校の終業時間はまだ先のはずなのだ。

「……早退してきた」

「初日からサボりですか? いけませんね。真面目に授業を受けろとは言いませんが、まったく周囲に相手にされないのも問題です」

「それなら心配はいらない。早退したのは、過剰に相手をしようとする奴が鬱陶しいからだ」

 アイアスが鬱陶しい。午後の授業ではさらに鬱陶しくなりそうなので、ベリアルは帰ってきたのだ。ただ問題を先送りしただけだ。

「そんな生徒が……どういう生徒なのですか?」

 ベリアルがわざと人を寄せ付けないような態度を見せていたことは、アモンには容易に想像がつく。その状態の彼に近づける生徒がいるとなると興味を引かないはずがない。

「……良く分からないが……強いな」

「ほう……強いですか」

 ベリアルがその強さを認めた相手。人の強弱については冷静な判断を下すベリアルであるが、わずかな時間でその強さを認めるのは普通ではない。

「そういう奴がいないと入学した意味がない」

「そうですね。そうなると仲良くなるのはその相手ですか」

「それはまだ決まっていない。一人、そういう奴がいたというだけだ」

 アイアスとは仲良くなりたいとは思わない。では他の生徒であれば違うのかと聞かれても、そうだとベリアルは言えないが。

「……まあ、良いです。ベリアル様はもっと人を、世の中を知るべきですからね」

「まるで、アモンはそれを知っているような言い方だな?」

「そうですね。私も色々と見聞を広めないとですか。まあ、今日はまだ初日。これからです」

 ベリアルだけでなく、お目付役であるアモンも世間知らずだ。別にそれで困ることはないのだが、こうしてこれまで自分たちが知らなかった世界を知る機会を得たのであれば、それを活かさない手はない。
 これまでとは何もかもが異なる新しい生活が始まったのだ。

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