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聖痕の守護者 第10話 心の内

 離れの寝室のベッドでカロンは横になっている。怪我が完治するまでは安静にしている、のではない。ほぼ完治しているのはもう分かった。義理の父であるローグのおかげで。
 ローグは、任務で大怪我を負ったカロンを労るどころか、その未熟さを責めてきた。亜人ごときに不覚を取るとは何事か、というところだ。実際は逃がしたことを疑われないようにわざと攻撃を受けたのだが、そんなことをローグに話せるはずがない。話せばもっと酷い目に遭わされるだけだ。
 未熟者に対してローグが何を求めるか。鍛錬しかない。カロンは怪我が完治しているか分からない状態で、ローグの厳しいしごきを受けることになった。
 結果、それに最後まで耐えられた、気絶するまでしごかれたことを耐えたというかは微妙だが、ことが完治した証になったということだ。新しい怪我を負うことにはなったが。

「……ああ、ありがとう」

 顔に当てられた冷たい感触。ミーヤが用意してくれた濡れタオルだ。彼女はローグのしごきでボロボロになったカロンの世話をしてくれている。これまで何もかも一人で行うしかなかったカロンにとってはありがたいことだ。

「でも、あまり動き回らないように。離れに来ることはまずないだろうけど、万一があるから」

 面倒をみてもらえるのはありがたいが、それに甘えてはいられない。ローグにミーヤの存在を知られれば、ただでは済まない。下手をすれば、その場で殺される可能性もある。彼にとって亜人は、自分の右腕を奪った憎くいラミアの僕なのだ。

「自分の出身地がどこか分からないか?」

 ローグがいる以上は、ずっとこの場所に匿っておくことは出来ない。だがどこに送り届ければ良いのかが分からない。分かったからといって、簡単には動けないが。

「……分からない」

「方角は? 北東か北西か」

 一般的に亜人が暮らしている場所は大陸北部の山脈地帯とその裾に広がる大森林地帯。『アネクメネ』と呼ばれている、ロマヌス人にとっては未開の地だ。一方でロマヌス人が住む大陸中央と南部は『エクメーネ』と呼ばれている。

「……ここがどこか分からない」

「ああ、ここは聖光教皇国。大陸のほぼ中央に位置する」

「……東?」

 かろうじて東の方角であることは分かった。これだけでは何の解決にもならないが。

「東か……アレク、そういうことだ」

「どういうことだよ? まさか俺に大陸の東全てを調べろって言っているのか?」

「別にお前自身が探すわけじゃないだろ?」

 アレクが持つ情報網。カロンはそれを利用しろと言っている。ヤヌスに伝えている情報はこの情報網からもたらされているのだ。

「……子猫の親を探すのに、仲間に協力させろって? 無茶言うなよ」

「無茶じゃないだろ? 仲間がどこで暮らしているかを聞くだけだ」

「ウエアキャットが仲間とは限らない」

 獣人族の全てが仲間と言える相手ではない。冥星教団に元から関わりを持たなかった人もそうだが、それよりも魔人に従うことを選んだ元仲間のほうが問題だ。そういった人々はアレクにとって、カロンにとっても敵なのだ。

「じゃあ、敵か味方かをまず調べろよ」

「……簡単に言うなよな」

 かつての仲間たちがどうなっているのかは、アレクだって知りたい。だがそれを調べるのは簡単ではない。仲間たちは皆、聖光教会の激しい弾圧から逃れる為に隠れ住んでいる。他の種族、部族との連絡も絶って。生き残る為に魔人に従うことを選んだ集団もいる。そういった人たちに居場所を知られたくないからだ。
 アレクが繋がりを持っているのは彼と同じウエアマウスがほとんど。体が小さく、本物の鼠と見間違うような彼等は都会でも隠れて暮らせる。他の種族に比べれば遙かに自由に動けるのだ。

「ずっとここには置けないだろ? 絶対に安全と言える場所じゃない」

「この世界のどこに、俺たちにとって絶対に安全な場所なんてある?」

「それはそうだけど……」

 冥星教団に所属していたかどうかに関わらず、獣人族の人々は聖光教会に狙われる。ロマヌス人にとって、亜人とひとくくりに呼ぶ存在は全て敵なのだ。

「なんて話をしていても何も解決しないか……分かったよ。頼んではみる。でも期待するなよ?」

 アレクの依頼を全て引き受けてくれるわけではない。そんな権限は彼にはない。子供のカロンとずっと一緒にいられたアレクだ。冥星教団においては何の地位も得ていなかった。
 それでも仲間たちが情報収集に協力するのは、その先にある奇跡を願っているから。追い詰められている彼等は、奇跡と表現するようなわずかな可能性であっても、それに期待するしかないのだ。
 
◆◆◆

 剣を構えたまま目を閉じる。閉ざされた視界の先に、いるはずのない存在を作り出す。決して小さくないマルスでも肩までしか届かない程の巨体。腕の太さはテルースの胴回りほどもある。
 その太く、そして長い腕が届かない間合いに立っているマルス。体から立ち昇る闘気が彼の周りの空気を揺らしている。
 わずかに沈んだと見えた彼の体。次の瞬間、それは閃光に変わり、彼が作りあげた存在を真っ二つに断ち切った。

「……ふぅうううう」

 大きく息を吐くマルス。すでに開いている両眼に敵の姿は映らない。想像の産物だ。見えるはずがない。

「ふむ……中々の動きだ。悪くない」

 少し離れた位置でそれを見ていたディオスが感想を口にした。

「そうですか」

 マルスの顔は無表情のまま。それをつまり、彼がディオスの言葉を褒め言葉と受け取っていないということだ。褒められたとしてもあからさまな笑みを浮かべる性格のマルスではないが、それでも今の様に、怒りを隠す為に表情を消し去ることはないはずだ。

「自分で気になっているところはあるか?」

「……もっと速くしたいとは思っています」

「それは動き出しを? それとも動いてからか?」

「両方です」

 マルスは自分の技にまったく満足していない。気になるところは何かと聞かれれば、「全て」というのが本当の答えだ。

「……欲張りだな。全体の速さと勢いを高めようと思えば、最初の踏み込みを強くすることだ。だがそれには溜めが必要だ。動き出しは遅れることになる」

 両立は難しい。ディオスはそう伝えたのだが。

「私の技はどちらかでも父上に並びましたか?」

 マルスは納得しない。技を教わるにあたって見せられたディオスの動きに、自分のそれは及んでいないことを分かっている。それに並ぶ、ではなく超えなければ彼が納得することはない。

「……そうだな。踏み込みをさらに強く、それでいて今以上に速く。力だけでは無理だ。タイミングを合わせるのだ」

「タイミングですか?」

「そうだ。全身の動きを前に出る動きに集中させる。全ての力を、体を前に押し出すことに使うのだ。その為には体の動きの全てを把握することだな」

 踏み込む力。逆の足で蹴り出す力。足の動きだけではない。全身の動きを体を前に送るという一点に集中させる。これがこの技の極意だ。

「……ひとつひとつの動きを確かめていては、逆にバラバラになりませんか?」

「頭で考えていてはそうなる。初めは頭で考えても良いが、それを感覚として体に染みこませなければならない」

「感覚ですか……」

 ディオスの言葉は今ひとつマルスには伝わっていない。言葉の意味は分かるのだが、それこそ感覚が理解出来ないのだ。

「いきなり全てをやり直そうなんて思うな。すでに戦いは始まっている。実戦に影響を与えないように、少しずつ変えていくしかない」

 下手に動きを変えては、せっかく身につけたものが台無しになってしまうかもしれない。すでに守護戦士候補として魔人と戦っている状況で、それを行うのはリスクがあり過ぎるとディオスは考えた。

「……分かりました。では、踏み込む力を強くすることから始めます」

「ああ、それが良い。それを試みることによって全身の動きも連動するようになる。結果として、目的は達せられるはずだ」

「はい」

 ディオスから距離を取り、剣を構えて、気持ちを集中させるマルス。力強い踏み込みが地面を抉る。そこからわずかに体を傾けて前に一歩踏み出す。そしてまた踏み込み。技を身につけるのに必要な基礎練習だ。
 これまでも続けてきたその基礎練習をマルスは始めた。中庭の端から端まで、何往復も。

「相変わらずの馬鹿真面目」

 いつの間にか現れたテルースが、マルスを揶揄するような言葉を吐いた。

「テルース。そういう言い方は止めなさい」 

「事実だわ。それにこれでも褒めているつもりよ。兄上はいつもああやって地道な努力を厭わない。これがカロンだったら、言われたことだけチャチャッと終わらせて、すぐにサボるか別のことを始めるところだわ」

「……彼と比較する必要もない」

 テルースの言う通りなのだ。カロンであれば感覚でディオスの言葉を理解して、すぐにやってみせた。ただサボるというのは間違い。マルスが出来るようになるまで、ディオスがそれ以上、何も教えなかっただけだ。正確にはマルスが出来るようになり、さらにカロンを超えるまで。

「そういえば、この間、カロンと何を話したの?」

「この間?」

「聖女様と一緒にカロンと話したのでしょ? わざわざ彼を呼び出して何を話していたの?」

 わざわざ従属部隊の陣地から連れ出してまで話すこと。それが何かテルースは気になっていた。

「……あれは聖騎士としての話し合いだ。お前に話せることではない」

「ふうん。従属部隊の一兵士と聖騎士として話したの。しかも聖女まで同席して」

 誤魔化す為の言葉が、逆にテルースの興味を引くことになった。

「……たいした話ではない。彼女のほうがカロンのことを気にしているのだ」

「聖女が何を気にしているの?」

「だから、それは話せん。ただ……おそらく教会はまだ疑いを解いていないのだ。そういうことなのだと思う」

 教会は、少なくともマイアはカロンの実力を高く評価している。現守護戦士候補と比べても。それについて話したくないディオスは、わずかな真実をテルースに教えることにした。結果として真実を話したということだが。

「……あんなに必死に戦っているのに?」

 ディオスの話にテルースはまんまと食いついた。カロンが教会に危険視されているということは、テルースにとっては重要なことであり、納得いかないものなのだ。

「慎重なだけだ。本気で疑っているのであれば、今のように自由ではいられない」

「ふうん……そういえば父上から見て、カロンはどうだった?」

「どうだったとは?」

「強かった?」

「……何故、そんなことを聞く?」

 話を逸らすことが出来たはずが、テルースはよりストレートにカロンの実力を尋ねてきた。その意図が分からず、ディオスは問いに問いで返した。

「バックスが落ち込んでいるの、いえ、今は落ち込んではいないのだけど、気にしていて。カロンが強いことは素直に認めることにしたのだけど、ではローグおじさんはどれだけ強いのかって」

「……分からん。彼は何を気にしているのだ?」

「前聖槍士であったローグおじさんと自分の実力差よ。カロンには負けられないと頑張ることにしたのは良いのだけど、目指す場所がすごく遠のいた気持ちになったみたいで」

 カロンの強さを素直に認めることにしたバックスだが、聖槍士候補である彼が到達しなければならないのはそのカロンの師匠であるローグの強さ。それも全盛期の強さだ。はたしてそれはどれほどの高みなのか。それが気になっているのだ。

「ローグか……なるほどな」

 テルースが知りたいのはローグの全盛期の強さ。それも聖槍士候補であるバックスの為だと知って、少し気が楽になったディアス。

「父上は知っているわよね? ローグおじさんは今のカロンと比べて、どれくらいの強さだったの?」

「……どれくらいと聞かれてもな。私はカロンが魔獣にやられそうになるのを見ただけだ。あれとローグでは、比べものにならないくらいの実力差があるな」

 これは嘘だ。戦闘ではないが、カロンが木を槍で突く様子をディオスは見ている。見て、その力に驚いている。

「……それはバックスには言えない。彼は自分とカロンは同列か、下手すれば自分のほうが下だと思っているもの」

「それは……いや、それはない。聖槍士候補に選ばれるには当たり前だが、それに相応しい実力がなければならない」

「……じゃあ、カロンの実力が聖槍士候補に近いってことかしら?」

 ディオスがずっと避けようとしていた話。その核心にテルースは、無意識のうちに届いてしまった。

「……見た限り、それはないと思うな。カロンの何を見て、バックスが自分と同等と考えたのかは知らないが、とにかく勘違いだ」

「そう……まあ、それは良いわ。勘違いかどうかは、すぐに分かるから。それよりもローグおじさんの実力ね……これもカロンに聞けば良いか。うん、そうする」

 自分で勝手に納得した様子のテルース。あとはもう用はないと、この場から去ろうとしたのだが。

「ちょっと待て。すぐに分かるとはどういうことだ?」

 ディオスにはテルースの言葉の中にとても気になるものがあった。

「カロンに練習相手を頼むことにしたの。立ち合えば、どちらが上かはすぐに分かるでしょ? その上でカロンにローグおじさんと比べてどうだったかを聞けば良いと思って」

 テルースはカロンの強さがバックスのそれを超えるとは思っていない。そうであれば聖槍士候補はバックスではなく、カロンであるはずだ。そう考えている。

「……守護戦士候補が従属部隊の兵士と立ち合いを行うというのか?」

 そんなことをされて、カロンのほうが強いとなってしまったらどうなるのか。ディオスは不安になってしまう。

「普通でしょ? まあ、本当の普通は守護戦士候補が鍛えてあげる立場だけど」

「……許可はとっているのか?」

「許可なんていらないわよ。嫌だと言っても、許さないから」

 自分の頼みを拒否する権利はカロンにはない。テルースは勝手にそう思っている。

「カロンではない。軍の許可だ」

「いらないでしょ? 兄上だって、滅多にないけど兵士の相手をしているわ。ヒューイが弓を教えることもある」

「……空いた時間に少し、ということであれば問題ないだろう。だが、一度で済ますつもりはないのだろう?」

 なんとかカロンとバックスの立ち合いを回避しようとするディオス。

「……別に父上には関係ないじゃない」

 それを感じたテルースは一気に不機嫌になった。もともとバックスの為と思って、仕方なく父親と話しているのだ。

「私は今も聖剣士だ。関係ないとは言えない」

「だったらバックスが強くなるのに協力したら? 父上は協力どころか邪魔しているみたい」

 実際に邪魔をしている。バックスが強くなることではなく、バックスとカロンが立ち合うことをだが、今のままでは結果は同じだ。

「……もう一度、ローグに頼んでみよう。それで良いな?」

「引き受けてくれるならね」

 もともとローグに槍を教えてもらおうと考えていたのだ。反対することはない。万が一、ローグが引き受けてしまっては、テルースにとっては少し残念な結果になるが。

「引き受けてもらうさ。だからそれを待て」

「……待つ必要ある?」

「私が待てと言っているのだ!」

「……聖騎士様のご命令とあれば」

 怒鳴られたことで完全に切れたテルースは、嫌味を込めた言葉を残して、足早に去って行ってしまう。その背中を見ながら、ため息をつくディオス。
 何故かいつもこんな風になってしまう。家族の間に出来た溝が埋まることはない。溝が出来た理由も分からない。分からないから妻であるグレースの言う「カロンのせい」に同調したが、そのカロンがいなくなっても何も変わらない。溝は深まったと感じるくらいだ。

「……父上」

「ああ、すまない。テルースと話し込んでしまって、お前の訓練を見ていなかったな」

 声を掛けられてディオスは、マルスの訓練から目を離していたことに気が付いた。

「いえ。見ていて頂かなくても、自分で訓練はきちんと行います。邪魔さえされなければ」

「…………」

 テルースだけではない。マルスとの間にも深い溝がある。何故こうなってしまったのか。それがディオスには分からない。妻と自分は違うはずなのに。そう思ってしまう。

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