住の充実が心も充実させるとは限らない
実技の時間。ベリアルは鍛錬場のあちこちで行われている立ち合いの様子を熱心に見ている。いつもであればアイアスが放っておいてくれないのだが、今、彼はいない。それはそうだ。ベリアルが見ているのは自分のクラスの授業ではない。彼は授業をサボって、三学年の授業を見学しているのだ。
(……思っていたよりも強いな)
一学年違うだけで生徒の実力にはかなり差がある。まだ一度も実戦を経験したことがない二学年の生徒と、何度かそれを経験した三学年とではやはり違うのだ。
(毎年こんな感じなのか……そうだとすれば……)
勇者養成学校の講義内容について馬鹿にしていたベリアルであったが、考えを改める必要があると思った。学校にはここまで生徒を鍛え上げる力がある。同級生たちも一年後には今見ている三年生と同等か、それ以上に強くなる可能性があるのだ。
(……この世代が特別ってことはないよな?)
ベリアルは別の可能性も考えた。この世代に特別優秀な生徒が集中している可能性だ。もしそうであれば戦況を変えられる可能性がある。
(……見学している生徒はいないな……弱い奴は全員魔法を使えると考えれば良いのか……)
剣の実力がないのに勇者養成学校に入学出来た。それはコリンと同じように別の能力があるからだ。そういった生徒の全てが魔法を使えるのか。これについては、まだベリアルには分かっていない。
(……どこまで分かっているのだろう?)
ベリアルには分からなくても、事実を知っている人はいる。それがどこまでの範囲であるのか。これも今は分かることではない。
「意外と勉強熱心なのね?」
いきなり掛けられた声。
「実戦が近いですから」
その声に振り向くこともなく、ベリアルは応えた。
「……少しは驚きなさいよ」
思っていたような反応を見せないベリアルに不満そうなクレタ王女。本人は驚かせるつもりだったのだ。
「驚いています。王女殿下は何故この場にいるのだろうと」
「私も見学。三学年は一年多く学んでいる分、実戦的な戦い方を知っているわ」
「わざわざ見学などしなくても、王女殿下であればその戦い方を知ることが出来るのではないですか?」
三学年に教えているのは、この学校の教師たち。つまりオルディネ王国の臣下たちだ。クレタ王女が命じれば情報は入手出来るはずだとベリアルは考えた。
「そしてそれをアイアスに教えるの? 二つの理由で無理よ」
「……卑怯だと?」
「そう。アイアスはそう言うわ。そしてアイアスを敵視している生徒たちも」
真面目なアイアスは受け入れないという理由だけでなく、周囲の生徒たちがその事実を知れば依怙贔屓だと非難されることになる。アイアスに悪感情を持っている者たちに攻撃の材料を与えるべきではないという考えだ。
「彼だけに伝えるからです。他の生徒にも教えてやれば良い。それとも本当に依怙贔屓をするつもりですか?」
「……だとしたら?」
「必要性が分かりません。放っておいても実力では奴が一番です」
余計なことをしなくてもアイアスの実力は学年で一番だ。クレタ王女が特別扱いすることは、逆に評価を落とすことになるとベリアルは思う。
「……策士かと思えば真面目。貴方は分かりづらいわね?」
「どういう意味ですか?」
「ただ強いだけでは勇者にはなれない。勇者争いは貴方が思うような単純なものではないの」
「……足を引っ張る奴がいるということですか?」
これについてはベリアルも少し知っている。同級生のニールから、アイアスから離れて自分に付けと言われたことがあるのだ。
「そうよ。アイアスは目立つから。彼の邪魔をしようとする生徒は少なくないわ」
「……疑問なのですが、頼もしい味方がいるとどうして考えられないのですか?」
いざ実戦に出る時が来れば、アイアスは味方にとって頼もしい存在になれるはずだとベリアルは思う。性格面は別にして。
「それは……勇者とそうでない人では、まったく待遇が違うからよ」
「贅沢な暮らしがしたいという欲求ですか……でもそれは一人にしなければ良いのでは? 実力を認められた生徒は皆、同じ待遇が受けられるようにすれば良い」
「王国にはそんな余裕はないわ」
「……そうですか?」
クレタ王女の表情の変化を探るベリアル。
「田舎育ちでもさすがに王国の貧しさは知っているでしょ? 何人もの勇者に贅沢させるなんて出来ないわよ」
だがベリアルが求める変化は、クレタ王女の顔には表れなかった。
「……贅沢させなくても、生徒は戦いを拒否出来ませんか。それでも足を引っ張るのはどうかと思いますけど」
「死にたくないから」
「……分かりません。勇者になれると死ななくて済むのですか?」
一番強者である勇者はもっとも危険な戦いに赴くことになる。ベリアルはこう考えている。死にもっとも近い場所に置かれるはずだと。
「こんなことも知らないの? 勇者は切り札。その切り札を決戦の場に送り込む為に、他の戦士は命を捨てて戦うのよ。全ての戦いでそうだとは言わないけど、勇者一人が生き残れば良いという考えなの」
「……そういうことですか」
魔人族に比べて弱者である人間は、多くの犠牲を払うことで互角に戦ってきた。そういう形が長く続くと、こんな歪な考えになるのかとベリアルは呆れた。
「勇者、勇者のパーティー、その他。生き延びられる可能性が高いのはこの順ね。もちろん不測のケースはこれまで何度もあったみたいだけど」
「…………」
足を引っ張ることを肯定したくない。だがクレタ王女の話を聞くと気持ちは分かると思ってしまう。やはり、この学校は駄目だとベリアルは思った。
「私はアイアスに死んで欲しくない。だから強力な仲間が必要なの」
「……それを言われて、俺がどう思うかは考えないのですか?」
クレタ王女が求めているのはアイアスの為に捨て石になる存在。その立場を強いられているベリアルにとっては、気分が悪くなる話だ。
「その他大勢よりは良いと思うけど?」
「本当にそうなのですか? 実際には変わらないのでは?」
「……何故、そう思うの?」
「……戦争はまだ続いています」
クレタ王女が何故、これを尋ねてきたのかベリアルには分からない。可能性は思い浮かんでも確信はない。そうであれば答えは真実からは外れることになる。
「私たちの世代で終わるわ。私たちが、ナイツ・オブ・ドーンが戦争を終わらせるの」
「……何気に気に入っていますね?」
「ええ。悪くない名だわ」
話を逸らしたベリアルに、クレタ王女は話を合わせてきた。意識してのことかどうかは分からない。彼女と話をすると、いつもベリアルは疑心暗鬼に陥ってしまう。
暁の騎士団=ナイツ・オブ・ドーンの一員となっている自分であるが、クレタ王女を仲間だと思えることはないのだろうとベリアルは思う。彼もまた、彼女に偽りの自分を見せているのだ。それも当然だろう。
◆◆◆
ベリアルの自宅は外観と一階こそ、貧民街に建っているに相応しくかなり痛んだ様子だが、二階に上がると表通りの住居に優るとも劣らないしっかりとした造りになっている。かつてここをアジトとして使っていた犯罪組織によってそのように造られたのだ。
ベリアルが生活していたのは当然、その二階部分。家具も良い物が置かれており、それなりに快適な空間であったのだが、今日から場所を移動することになった。建物内での引っ越しだ。
「……やり過ぎだろ?」
目に映る部屋の内装は、まるで王城の一室であるかのような豪華さ。こんな部屋をベリアスは求めていない。
「そうですか? それほど贅を尽くしたつもりははないのですが」
アモンの感覚はベリアルとは違っている。その彼に任せっきりにしたベリアルの失敗だ。
「……この家具はどうやって持ち込んだ?」
「夜中にひっそりと」
「目立つような真似をするな」
「ですから夜中にひっそりと運び込みました。気付いた者などおりません」
気付かれない自信がアモンにはあった。仮に誰かに見られるようなことがあったとしても、必要な措置をとるだけだ。
「……部屋は他にもあるのか?」
「もちろん。私の部屋も造らせて頂きました。あとは使用人の部屋をいくつかと食堂、それと浴室です。浴室はさすがに苦労しましたが、まあ、なんとかギリギリ満足出来るものにはなったと思います」
「……それを全部地下に?」
今、ベリアルたちがいるのは建物の地下室だ。アモンが話しただけの部屋を造るなど、簡単に出来ることではない。
「ええ。ですから苦労しました」
「……アモンが一人で造ったわけではないだろ?」
「それはそうです。私はそういった仕事を得手としておりません」
「…………」
それが出来るだけの人数を、ベリアルが知らないうちに投入していたのだ。主であるベリアルが求めてもいないのに。
「ちゃんと仕事はしております。お聞きになりますか?」
「……聞こう」
部屋に置かれていた丸テーブルの椅子に座るベリアル。アモンのほうは立ったまま、仕事の成果を話し始めた。
「まずは遠足で向かわれるプローヴァ山ですね。もう何十年も前から魔物が住み着いているようです。実数は把握出来ておりませんが、それほど多くはないでしょう」
「何故、そう思う?」
「毎年、遠足という名の討伐で、かなりの数が討たれています。それに万の群れとなっていれば、討たれることになるのは生徒側のほうです」
遠足の行事はずっと続いてきた。大きな事件が起こらなかったから続いてきたのだと考えれば、生徒の訓練に適した数しかいないはずだ。ただこの考えはアモンに言われる前から、ベリアルの頭にあった。彼が求めているのは別の可能性を示す情報なのだ。
「……関わっている可能性は?」
「それはあるかもしれません。ただ現時点では確認出来ていません」
「……調べられないのか?」
調べられないはずはない。必ず事実を知っている人がいるはずなのだ。
「結果がまだ届いていないということです」
「そうか……」
「危険はないと思います」
「そんなことは心配していない。油断さえしなければ魔物相手に不覚などとらない。油断することも絶対にない」
それこそ万の大軍に襲われるのでなければ、魔物との戦いに危険など感じない。ベリアル個人としてだけでなく、同級生たちも問題なく戦えるはずなのだ。
「それでは何を気にしているのですか?」
「……生徒たちは思っていた以上に強い。同級生の馬鹿が特別なのだと思っていたが、上の学年の奴等もかなり強かった。それは今回のような訓練を行っているからだと思う」
「そうですか……実戦経験というのは戦士を成長させるものですからね」
ベリアルが何を気にしているアモンにも分かった。分かったのだが、あえてズレた答えを返している。
「それが分かっているのなら、どうして……これも仕方のないことなのか?」
「まだ関わっているとは決まっていません。ですが……恐らくはそうなのでしょう」
「……三学年にも魔法を使える生徒が結構いる」
実際のところ、ベリアルにも正確なところは分かっていないのだが、アモンに向けてはこういう言い方をしてみせる。
「そうだとしても……何も変わらないのではないですか?」
「変わらない……そうか。変わらないか」
変わらないという言葉はベリアルの心に残る傷を刺激する。
「それでも変えたいと思うのであれば、まず自分が変わる必要があるのではないでしょうか?」
ベリアルの心の傷をアモンは知っている。知っていて、あえてこれを告げた。求める答えはきっと返ってこないと思っていても。
「……思っていない」
「そうですか……私のほうは少し変えておきました」
「変えすぎだ。これは部屋の模様替えとは言わない。改装……増築? とにかくやり過ぎだ」
「部屋の話ではありません。先日、この辺りに暮らす者と揉め事を起こしませんでしたか?」
アモンが言う揉め事は、路地の奥でベリアルが貧民街の悪党を一方的に叩きのめしたことだ。
「……起こしていない」
これは惚けているのではない。ベリアルには本当に心当たりがないのだ。
「相手はそう思っていなかったようです。仕返しをしようとしておりましたので、処理しておきました」
「処理?」
「仕返しだけでなく他のことも考える必要のないようにしておきました」
「おい?」
自分の記憶にも残っていないような揉め事で殺されるのは可哀想だとベリアルは思った。本気で同情しているわけではない。過激な手段を採ったアモンに呆れているのだ。
「周りで騒がれては面倒ではないですか?」
「それはそうだが……そいつら何者だった?」
「犯罪集団の一員です。悪人を消したのですから正義は我に有りです」
「……まあ、いいけど。目立たなければ」
「目立たない為に他もなんとかしたほうが良いでしょうか?」
貧民街に悪党は腐るほどいる。いくつもの犯罪者集団が存在しているのだ。貧民街そのものには何の利もなく、ただ隠れ処として利用しているだけなので組織同士が対立することは、何か別の理由で揉め事が起こらないことがない限りないので、数が増えていったのだ。
「止めておけ。ここには同級生が住んでいる。騒動に俺が関わっているなんて知られるわけにはいかない」
「承知しました。早速、お風呂を楽しまれますか?」
「……今日はもう休む」
疲れているわけではない。話は、おそらくはアモンが意識的にそうしたことにより、逸れたが、それでもベリアルの気持ちは引っ掛かったまま。変わらなければならない。でも変われない。どう変わるべきかも分からない。それを考えることが苦痛だった。そうだからこそ、気持ちを晴らす為に風呂に入って、さっぱりするという気にもなれない。
心に焼き付いている無残な死体の記憶。こんな贅沢な暮らしをしていて良いのかという思いが湧いてきてしまうのだ。貧民街はベリアルにとって不快であるからこそ、暮らすに良い場所だった。だが、今日、それが少し変わってしまった。
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