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真影の月 真影の刻:第165話 辛く苦しい経験が人の痛みを教えてくれる

 城塞都市ロンメルスの転移魔道装置は封鎖されている。書き換えられているが正しい。アイル王国内の転移魔道装置との接続は切られており、ロンメルスから転移しようとすればどこか分からない場所に飛ぶことになる。生きていられれば幸運という場所だ。
 マグダレンはレイモンドを裏切ることはしなかった。そもそもそれを悩むことも出来なかった。ロンメルスにおけるレイモンドの影響力は未だに絶大だ。マグダレンが裏切ろうとすれば住民たちの誰かに殺されることになる。普通の住民かその振りをしている何者かに。そのような場所であるからアイル王国の国境というブリトニア王国にとっての重要拠点でありながら、隠れ拠点として利用出来ていたのだ。

「少しは利口になったみたいだな?」

 ロンメルスに到着したレイモンド。城門の前まで出迎えにきていたマグダレンに向けた最初の言葉がこれだ。

「はい。陛下のおかげをもちまして」

 以前であれば不機嫌さを隠すことのなかったマグダレンだが、今は殊勝な態度を見せている。

「陛下って、俺は王じゃない」

「ではなんとお呼びすれば宜しいのですか?」

「……熱でもあるのか?」

 マグダレンはまったく神妙な態度を崩そうとしない。それがレイモンドには不気味だった。

「体調をご心配頂くなど恐れ多いことでございます。体のほうはいたって健康でございます」

「……お前、俺を馬鹿にしているのか?」

「め、滅相もございません。お気に障った点がありましたらお詫びいたします。ですが私には決して、貴方様を怒らせるつもりなどございません」

 跪いて頭を下げるマグダレン。ここまでされるとレイモンドも怒る気にはなれない。ただ何故、マグダレンがこのような態度を見せるのかは分からないままだ。

「お久しぶりでございます。我が主(マイロード)」

 頭を垂れたままのマグダレンに代わって、レイモンドに声を掛けてきたのは元コンラッド伯爵シェーンだ。

「……ああ、えっ? どうしてここに?」

「はっ。参陣のお許しを得ようとここで待っておりました。本来であればもっと早くに合流すべきところ、我らの人数ではアイル王国内での独自活動は厳しく、我が主(マイロード)の到着を待つ形になってしまいました。申し訳ございません」

 シェーンの態度もマクダレンのそれと同じ慇懃なものだ。

「それはいいけど……本当にいいのか?」

 コンラッド伯爵家を維持するだけならレイモンドの味方をするなんて賭けに出る必要はない。シェーンがそんな野心家だとレイモンドは思っていなかった。

「我が主君となるべき方は貴方様しかいない。そう心に決めております。我が主(マイロード)」

「……他にも聞きたい点はあるけど、とりあえず、その我が主(マイロード)って何だ?」

 さきほどからシェーンが自分の呼称として使っている言葉。それがレイモンドは気になって仕方がない。

「ブリトニア王国の王位は正統な手続きを経て決められるべきというのが我が主(マイロード)のお考えとお聞きしましたので、この時点で陛下とお呼びすることは我が主(マイロード)の意に沿わないと考えました」

 この時点で陛下と呼ばせていてはレイモンドの野心を疑われる。それではアーサーやハートランド侯爵家と同一視されてしまう。シェーンはそれを気にしているのだ。

「いや、だからといって我が主(マイロード)って何?」

 陛下と呼ばないのと我が主(マイロード)と呼ぶことは別の話。どうしてそんな呼ばれ方をするのかとレイモンドは不思議に思っているのだが。

「我が主(マイロード)の弟君であるザトクリフ子爵の母上がこう呼んでおりました。それを聞いて、今のお立場を考えると、ぴったりではないかと考えた次第です」

「トリスタンの母親が……」

 答えは思いがけないものだった。それを聞いてレイモンドの顔がわずかに歪む。トリスタンの母に対する嫌悪感がそれをさせていた。

「いいじゃない。海洋族の人たちも龍主(ドラゴンロード)と呼んでいたわ。それと同じよ。ねっ、我が主(マイロード)」

 雰囲気が悪くならないようにと、すかさずクレアが会話に入ってきた。そうなるとレイモンドも不機嫌な顔はしていられなくなる。

「……恥ずかしいだろ?」

「そうかしら? 死神よりはマシだと思うわ」

「……微妙」

 死神の通り名もレイモンドには恥ずかしい。だが我が主(マイロード)もそれに勝るとも劣らない恥ずかしさを感じてしまう。

「じゃあ、ロードだけにする?」

「いや、そもそもどうして……あっ、そうか……」

 そもそもレイモンドに何の官職もないのが悪い。ブリトニア王国においてレイモンドは何の役職も爵位もないただのレイモンドなのだ。もっといえばアイル王国でもない。死んだことになっていたのだから。

「好きに呼んでもらえばいいわ。こんなことに悩んで時間を無駄遣いしても仕方がないでしょ?」

「そうだな。まずは入城が先か」

 レイモンドたちの後ろには万の軍勢が並んだまま。さらに時間が経てば後続の部隊も到着するはずだ。それの受け入れ準備も整えなければならない。のんびりしている時間はないのだ。

「わ、私がご案内します!」

「はい?」

 馬を進めようとしたレイモンドに、うわずった声でマグダレンが案内をすると告げてきた。案内も何もない。城門は目の前。ただくぐるだけだ。それに城塞内についてもレイモンドは良く知っている。

「私が先導いたします」

「……何故?」

「それは……」

 レイモンドの問いにマグダレンは言葉に詰まってしまう。

「彼女はロンメルスの代表者として我が主を迎え入れたいのです。それがお嫌でしたら私が先導役を務めます」

「……そう。良くわからないけど、まあいいや。じゃあ、彼女に案内してもらう」

 何故、先導をしたいのか。その動機は今ひとつ分からないが、それが住民代表の役目であるならマグダレンに任せるしかない。そういう役回りをさせてきたのだ。

「ではご案内いたします!」

 レイモンドの許可を得たマグダレンは、先ほどまでの怯えは何だったのかと思う、はりきった様子で城塞内に向かって歩いて行く。その態度がまたレイモンドの心に疑問を生む。

「さっ、主よ。皆が待っております。先にお進み下さい」

 ヒントはシェーンが与えてくれた。言われた通りに馬を前に進めるレイモンド。城門をくぐった時、シェーンの言葉の意味が分かった。
 通りの両側に起立の姿勢で整列しているのは元コンラッド伯爵家の騎士たち。それだけではない。その先にはロンメルス駐留軍の兵士たちも同じように並んでいる。

「捧げぇええええっ! 剣っ!!」
 
 騎士の一人の号令を受けて、一斉に剣を垂直に立てて目の前で構える騎士たち。兵士たちは兵士たちで槍を両手で持って垂直に立てている。

「これって……」

 騎士や兵士たちの行動に戸惑っているレイモンド。

「皆、歓迎してくれているのよ。さあ、進みましょう。他にも待っていてくれた人たちがいるわ」

 そのレイモンドにクレアは先に進むように言った。待っているのは騎士や兵士だけではない。それが分かったのだ。
 マグダレンの先導でさらに通りを先に進むレイモンド。その耳に聞こえてきたのは。

「レイモンド様だ!」

「間違いない! 本当にレイモンド様だぁ!」

「信じてましたよ! レイモンド様!」

「お帰りなさい! レイモンド様!」

 ロンメルスの住民たちの声。レイモンドが生きていたことを、その到来を喜ぶ人々の歓声だった。

「……どうして?」

 何故、自分がここまで歓迎されるのか。レイモンドにはその理由が分からない。

「……皆、貴方から受けた恩を忘れていないのです。貴方の治政を忘れていないのです。貴方こそ私たちが求める施政者なのです。我が主(マイロード)」

 レイモンドの疑問に答えを返してきたのはマグダレンだった。怯えた様子も、はりきった様子もない。真剣な表情でまっすぐにレイモンドの瞳を見つめている。

「俺の……でも俺がここにいたのは……」

「はい。貴方がロンメルスを治めていた期間はごく短いものでした。ですがそのわずかな時間で貴方はロンメルスを変えてみせた。私たちに希望を与えて下さいました」

「…………」

 そこまでのことをした覚えはレイモンドにはない。マグダレンの話を聞いても戸惑うばかりだ。

「貴方が去り、新たな施政者がロンメルスにやってきました。そのことはさらに私たちに貴方の価値を知らしめたのです。貴方が与えてくれた希望は徐々に薄れ、貴方が敵になった、さらに亡くなったと聞いた時、人々を絶望が襲いました」

「…………」

「でも貴方は生きていた。そして私たちの所に戻ってきてくださった。もう私たちは貴方を失いたくないのです。貴方の施政の下で暮らしたいのです。だから私たちは決めました」

「…………」

「ロンメルスに生きる全ての人々を代表し! レイモンド様に申し上げます! ロンメルスは貴方に従います! ロンメルスは貴方を主君として崇め、貴方だけに忠誠を捧げます! どうか私たちの想いを受け取ってください!」

 片膝をつき両手を組んで、まるで祈るような姿勢でレイモンドに向かって訴えるマグダレン。城塞全体に響いていた住民たちの歓声もいつの間にか止み、今辺りを静寂が包んでいる。

「……俺はそんな」

「レイ」

 レイモンドの言葉を遮ってクレアが名を呼んだ。レイモンドにこのまま話をさせてはいけないと考えたのだ。

「レイ。お願いだから人々の声を、人々の想いを踏みにじるような真似はしないで」

「レア……」

「貴方は弱者の気持ちを知っているはず。貴方は虐げられた人々の苦しみを知っているはず。貴方は生きることの辛さを、苦しみを知っているはず」

 レイモンドはずっと運命に翻弄されてきた。それに負けまいと、血の滲むような努力を重ねて力を手に入れた。それでも悲劇を防ぐことは出来なかった。常に心を傷つけられてきた。

「そんな施政者はいない。人々の苦しみを本当の意味で理解し、それを解決出来る施政者はいないの」

「…………」

 クレアが何を言おうとしているのか。それに自分はどう答えるべきなのか。レイモンドは自分の動悸が早まるのを感じている。

「だからレイ。貴方がなるの。人々が望む施政者に。人々から選ばれた施政者に。お願い、レイ! 貴方を信じる人々の為に! この国を良い国にしてあげて! それが私の願いなの!」

「……俺なんかに出来るだろうか?」

「出来るわ。だってレイには私たちがいる。私たちの為。これを忘れなければ必ず出来る。もし忘れそうになっても私たちが思い出させてあげる。だから大丈夫よ」

 レイモンドには支えてくれる沢山の人々がいる。信頼出来る多くの人々がいる。クレアはそれをレイモンドにもそれを分かってもらいたい。

「……そうか。じゃあ仕方がないな。レアの頼みは断れない」

 さらっと了承を口にしたレイモンド。あっさり過ぎて、人々は何を言ったのかすぐに理解出来なかった。そのせいでわずかに空いた沈黙の間。
 だが次の瞬間――人々の歓声が爆発し、ロンメルス全体が揺れた気がした。

「万歳! 万歳! レイモンド様! 万歳!」

 万歳の声がいつまでも響く。それは新たな王の誕生を告げる声。人々が求める王。厳しくも優しい、自分たちの想いを知る唯一無二の王。それがブリトニア王国の片隅で誕生した瞬間だった。

◇◇◇

 日も暮れて、街の酒場ではまだまだ興奮が治まらない住民たちの語り合いが続いているが、全体的には熱狂は治まっている。日中の出来事はレイモンドにとっては思いがけない展開。冷静になって考えてみると、成り行きでとんでもないことを約束してしまった、なんて思いもあるのだが、それを後悔しても仕方がない。やっぱり嘘ですなんて通用するはずがないのだ。
 レイモンドの覚悟はまだまだ定まっていない。ただこれは仕方がない。人々の人生を背負うようなものだと考えれば、自信満々でいられる方がおかしい。
 それにこの件を今、思い悩んでも意味がない。戦いはまだ始まってもいないのだ。先のことを心配する前に、今やらなければならないことが沢山ある。
 その中の一つ。レイモンド個人としてはまったく必要のないことなのだが、済ませなければならない用事があった。

「大変ご無沙汰しております。我が主(マイロード)」

 城内の一室。そこでレイモンドはトリスタンの母マーガレットと会っていた。

「その我が主(マイロード)。貴女のその呼び方を真似する人がいる」

 まずは文句から。マーガレットに対する悪感情に関係なく、これだけは言っておかなければならない。

「そうなのですか? 私の場合はお父上をそう呼んでいたので」

「……父上を?」

 父親と同じ呼び方。それはレイモンドの嫌悪をますます強めるだけだ。

「はい。なんと申しますか……私は母親ではありませんので、息子のように呼ぶのはおかしい。子爵位はトリスタンが継がせて頂きましたので爵位でも呼べません」

「……だったら主もおかしくないか?」

「そうですね……結局は一番呼びやすいからが理由でしょうか?」

 マーガレットにもレイモンドに対する複雑な思いが残っている。それが何となく名前を呼びことに抵抗を感じさせているのだ。

「じゃあ、いいけど」

 マーガレットと話すことはほとんどない。これが最後である可能性が高い。どう呼ばれるかに拘っても意味はないとレイモンドは考えた。

「では本題に。まずはお礼からですわね。ご援助ありがとうございました。おかげであまり苦労することなく過ごすことが出来ました」

「別にお礼を言われるようなことじゃない」

「我が主にとってはそうであっても私たちには救いでした。感謝の言葉を伝えなければなりません」

「……じゃあ、気持ちは受け取った。話は以上だな?」

 マーガレットとの時間をとっとと終わらせようとするレイモンド。

「レイ……早すぎ」

 だがそれを許さない人、クレアも同席している。そうしないとこの場を持つことさえ、レイモンドはしないに決まっている。 

「……あとは何か?」

「お詫びを申し上げなければなりません」

「お詫びを受けるようなことはしていない」

「我が主(マイロード)、あっ、これはお父上のことです」

「……レイモンド」

「えっ?」

「紛らわしいから俺のことはレイモンドでいい」

 名前で呼ぶことにマーガレットは抵抗があるのだが、それはレイモンドには分からないことだ。

「ではレイモンド様で……お父上とお母上を助けることが出来ませんでした」

「……それは俺がすべきことだった。貴女の責任じゃない」

「いえ、ずっと一緒にいた私の責任ですわ。私がお父上の自害を止めることが出来れば、お母上もあのようなことにはなりませんでした…………いえ、これは私の見栄ですね」

 神妙な表情をしていたマーガレットだが、最後の言葉を発する時になって自虐的な笑みが浮かんだ。

「見栄?」

 何故、今の話が見栄になるのかレイモンドには分からない。

「私にはあの人を止めることは出来なかった。それを最後の最後でキャサリン様に思い知らされたのです」

 「我が主」ではなく「あの人」とマーガレットはレイモンドの父親を呼んでいる。これが本当の呼び方。私的な呼び方なのだとすぐにレイモンドには分かった。

「……母上が何かしたのか?」

「キャサリン様は何も」

「では何だ?」

「あの人がどこで死んだか。それが全てですわ。あの人は死出の旅路の道連れに私ではなくキャサリン様を望んだのです」

「……どうして?」

 マーガレットの言いたいことは分かった。だがレイモンドの父親はマーガレットに愛情を向けていたはず。キャサリンを一人きりにして寂しい思いをさせていたはずだ。

「あの人はキャサリン様を愛していました。それに私はずっと嫉妬していました」

「でも父上はいつも貴女のもとにいて」

「私がトリスタンを利用して引き留めていたの。貴方は怒るでしょうけど、貴方とトリスタンを比べれば、あの人の愛情はトリスタンに向いていたわ」

「……それはいい。だが母上に対してもあの男は冷たい態度を向けていた」

 今更、父親に嫌われていたと聞かされてもなんとも思わない。レイモンドも父親のことは嫌いだ。自分に対する態度だけではなくキャサリンに寂しい思いをさせていたという理由で。

「あの人は小さい男なのよ」

「はっ?」

「嫉妬していたのよ。その嫉妬が本心とは異なる態度をキャサリン様に向けさせていた……私もその嫉妬心をさらに煽るようなことをしていたから」

「……嫉妬って何に対してだ?」

 話を聞いてやはりマーガレットへの悪感情は消せないとレイモンドは思った。だがそれを口にするよりも今は嫉妬の原因が気になる。キャサリンが夫に嫉妬されるような行いをしたはずがないのだ。

「貴方」

「えっ?」

「あの人は息子である貴方に嫉妬していたのよ」

「嘘だろ?」

 確かにキャサリンはレイモンドに対して超過保護。異世界からの転生がなければ絶対に駄目な人間になっていたと思うほどの親馬鹿ぶりをみせていた。だがそれを許していたのは父親なのだ。

「本当よ。とくに貴方が家に寄りつかなくなってからは酷かったわね」

「……分からない。どうして俺がいなくなってから嫉妬が酷くなる?」

「頻繁に手紙を送っていたわよね?」

「ああ、まあ」

 キャサリンに寂しい思いをさせたくない。そんな思いでレイモンドはキャサリンに頻繁に手紙を書いて送っていた。ただ中身は日常の平凡な出来事でしかない。非日常の出来事など書けないので、自然とそうなる。

「キャサリン様はその手紙をいつも待ち焦がれていたわ。まるで恋人からの手紙を待っているみたい」

「えっ……?」

「私も何度か見たわ。届いた手紙を大事そうに胸に抱えて中庭に行って、お茶を楽しみながら嬉しそうに読んでいるの」

「母上がそんなことを……」

「読み終えると少し寂しそうな顔になって、ぼんやりと中庭を見つめていたらしいわ。これは侍女に聞いた話ね。完全に恋する女性の雰囲気で、これは愛人でもいるのかと疑って侍女に調べさせたけど、手紙の相手は貴方だった」

「……それは残念だったな」

 本当に相手が別の男であれば、それを利用して正妻の座に収まろうとしていたに違いない。だからマーガレットは侍女に調べさせたのだ。

「そうでもない。あの人の嫉妬心に火を付けることには成功したわ。心の小さな男だから、それで意地になってキャサリン様に冷たい態度を向けるようになった。そこまでは成功だったわ」

「……そうだな。もっと頑張ってくれていれば母上は死ななくて済んだかもしれない」

「それはないわ。これは私の想像だけどあの人がキャサリン様のところで自害、それも先に死んだのは嫉妬心からじゃないかしら? あの人はキャサリン様の気持ちを試したのよ」

「……何だって?」

「自分の部屋で愛する夫が自分の分の毒も用意して自害した。それに対してキャサリン様はどうするか? 答えは分かっているわ。キャサリン様は夫を一人で死なせられる人ではない。そうであることを試そうとしたのよ。馬鹿よね」

「…………」

 キャサリンの気持ちを確かめる為に父親が死に場所にキャサリンの部屋を選んだのだとしたら。レイモンドの胸に痛みが広がっていく。

「これが私の部屋で自害したのであれば話は違ってくるわ。実際に私は死ぬ気にならなかった。言っておくけど私だってあの人と一緒に死ぬ覚悟くらいはあったのよ。でもあの人は私を選ばなかった。私は捨てられたのよ」

「……つまり……母上が死ぬことになったのは……あの男の俺への嫉妬が原因だと言いたいのか?」

「あっ……ご、ごめんなさい。私、つい調子にのって自分の愚痴を話してしまったわ」

「別にそれはいい」

 レイモンドの顔は気にしていない顔ではない。能面のような表情。感情の全く見えないその表情はマーガレットには恐怖を感じさせるものだった。

「ち、違うの! これは私の勝手な推測で事実とは違うわ! だ、だから……申し訳ございません! どうかお許し下さい!」

 自分の失言に気が付いて焦るマーガレット。だが口に出した失言はもう戻らない。それに焦って謝罪する必要はないのだ。レイモンドはマーガレットを責めているのではない。自分自身を責めているのだから。

「……もういい。出ていってくれ」

「お許し下さい。どうかお許し下さい!」

「そうじゃない。この件で貴女に何かをすることはない。ただ今は一人になりたいだけだ」

「ほ、本当に?」

「俺は出て行けと言っている。それに従わないのであれば、その罪で罰することになるが?」

「わ、わかりました。すぐに出て行きます」

 慌てて席を立つと、かなり急ぎ足で部屋を出て行くマーガレット。

「……レアも。悪いけど一人にしてくれ」

「ねえ、レイ。もしかしてお義母様は……レイが世迷人(よまよいびと)であることを知っていたの?」

「よまよいびと?」

「……別の世界からきた人」

「…………」

「そうだとしたら……いえ、分かったわ。お休みなさい」

 キャサリンの想いなど他人が推測して良いものではない。それが許されるのはただ一人、レイモンドだけだ。そのレイモンドに許されているのもあくまでも推測であって、真実に辿り着くことなど永遠に出来ない。
 レイモンドを一人残して部屋を出るクレア。

「少しだけこの場を外して。私が代わりをするから」

 廊下に立つ騎士に場を離れるように伝える。扉のすぐ近くでは聞かせたくない声が聞こえてしまうかもしれない。そう考えたのだ。

「……承知しました」

 クレアの頼みとあって騎士も細かな理由を聞かずに指示に従った。だがまだ邪魔者はいるのだ。

「二人も部屋に戻って。ここで待っていてもレイは今日はもう出てこないわ」

「……兄上は母について何か?」

 トリスタンとマーガレットの親子が廊下にいる。

「大丈夫よ。貴方の母親はレイに事実を告げただけ。それを聞いて、たとえレイが傷ついても罪には問われないわ」

 クレアはマーガレットの為にこんなことを言っているわけではない。本心でこう思っているのだ。

「そうですか……兄上は大丈夫ですか?」

「レイはこれまでもずっと悩み苦しんできたわ。レイが苦しむのは私も辛いけど、そんなレイだからこそ、人々はレイを求めるのかもしれない。そんな風にも思い始めたわ」

 レイモンドを説得する為に自分が発した言葉。ただ心のままに発した言葉に真実があるのではないかとクレアは思っている。

「……そうかもしれませんね」

 トリスタンもクレアの考えには納得出来る部分がある。試練がレイモンドを特別な存在にしている。きっとそうなのだろうと思う。

「本当に私は大丈夫?」

 マーガレットはまだ自分の処遇についての不安が消えないようで、クレアに念押ししてきた。

「はい。私が保証します。ですから早くこの場を離れて下さい」

「……分かったわ……勝手なお願いだけど、彼に謝罪を伝えてもらえるかしら?」

「謝罪は不要だと思いますわ。でも、そうですね。貴女が心配していたと伝えておきます」

「ありがとう」

 クレアの言葉を聞いて、少し安心した様子でマーガレットはこの場を離れていく。
 トリスタンも、クレアに軽く頭を下げてマーガレットの後を追っていき、ようやく廊下から人の姿が消えた。一人になったところでクレアは呟きを漏らす。

「……お母様が生きていらしたら、私も嫉妬することになったのかしら? ……そうだとしても、生きていて欲しかった……レイの為に」

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