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真影の月 炎天の刻:第151話 シナリオを無視されると面倒なのだけど

 ブリトニア王国内の政争におけるアーサー大将軍派の優勢は変わらない。勢力拡大においては一時期ほどの勢いはないが、それはハートランド侯爵派の中核にまで誘いの手が伸びているからこそ。もうこれ以上の寝返りは許せないというところまでハートランド侯爵派が追い詰められているということだ。
 こうなった原因はいくつかあるが、もっとも大きな点はアーサー大将軍派が、実際に動いているのはウエストモーランド伯爵を中心とした貴族家連合だが、示す利がハートランド侯爵家のそれを凌いでいるから。逆に言えばハートランド侯爵家がアーサー大将軍派を超えるだけの利を提示出来なくなっているからだ。
 財力という点で優勢だったハートランド侯爵家だが、自家単体の財力には限界がある。その限界を超える分は色々と便宜を図ってきた大商家からの献金などに頼ることになるのだが、その大商家が度重なる盗賊の襲撃を受けて、また今はアーサー大将軍派であることを隠すことのなくなったハンナのハンシス商会、そしてノーズのフェイス商会との価格競争に負け続けていて、献金どころか逆に支援を求めてくる状況になっている。
 そうであれば将来の利、領地の加増を約束しようにも両派閥の領地を比べればハートランド侯爵家のほうが広い領地を有している。お互いに「敵方の貴族家の領地を奪ったあとは」なんて約束をすればアーサー大将軍派のほうがより広く、そして豊かな領地を約束出来てしまうのだ。
 序盤ではある程度、アーサー大将軍派の勢力拡大を許すつもりのハートランド侯爵家だったが、ここまでの劣勢は完全な誤算。なんとか巻き返しが出来ないかと懸命な工作に動いている。

「盗賊など騙りに決まっている! その証拠を何故掴めない!?」

 自家に味方する商家を襲う盗賊。それが策略であることは今となっては明らかだ。そうであればその証拠を見つけ出し、アーサー大将軍派の非を問うことで劣勢を挽回するきっかけを掴めるかもしれない。そう考えているだが。

「証拠を掴もうにも襲われた商家の護衛はほぼ全滅。あとを追うことなど出来ません」

「罠を張れと指示したはずだ。まさかそれも失敗したのか?」

 犠牲を覚悟で商家を襲わせ、密かに後を追ってアジトを突き止める。そんな方法もハートランド侯爵家は考えていた。

「そのまさかです。罠を張ると盗賊は姿を現しません。それどころか離れた場所で見張っている当家の軍勢が襲われる時まであります」

「……こちらの情報が漏れているというのか?」

「そうとしか考えられません」

「……あれだな。裏組織であった特務部隊。それが味方しているのだ」

「恐らくは」

 それだけのことが出来る諜報組織。しかもアーサー大将軍派が使える組織となると元特務部隊くらいしか思い付かない。

「……『グリム・リーパー』の残党の情報は?」

 特務部隊が動いているとなれば『グリム・リーパー』が絡んでいる可能性が高い。それは出来ることなら否定したい可能性だ。

「確認出来ているのは投降したハンシス商会のアレクシスだけです。それ以外の隊員の行方はまったく掴めません。恐らくは国内にいないのではないでしょうか?」

「……アイル王国か」

「はい」

 表向きはブリトニア王国への帰順が許されたのはアレクシスだけで他の『グリム・リーパー』のメンバーはアイル王国に亡命したまま。その拠点はアイル王国にあると考えるのが普通だ。

「そのアレクシスに口を割らせることは出来ないのか?」

「そもそも捕らえることが困難です。さすがと言って良いものか。かなりの手練れのようで、送った刺客は全員が返り討ちになっております。逆にそれこそが罠ではないかと疑っているくらいです」

「罠とは?」

「わざと居場所を明らかにしてこちらを誘っているのではないかと。実際に無視出来ない犠牲が出ております」

「……あの男が考えそうなことだな……首は確かめられたのか?」

 レイモンドの死をハートランド侯爵は疑っている。今、アーサー大将軍派の為に積極的に動いている人物はほぼ全員がレイモンドと何らかの繋がりがある。これで疑うなというのが無理だ。

「レイモンドの首はザトクリフ子爵家に引き取られました。どこかに埋葬されたものと思われますが、それがどこかは分かっておりません」

「……分からん。もし生きているとしてもどうして大将軍の味方をする?」

「大将軍派にはクレア・レインウォーターがおります。黒龍との戦いにおいて共闘していたことから、亡命した後も二人の関係に変化はなかったものと思われます」

「そうだとしてもだ。クレア・レインウォーターの為というのであれば、大将軍から引き離すべきではないか」 

「それはその通りでございます」

 アーサーはクレアとの結婚を諦めていない。そんな男の近くにクレアを置いておく気持ちがハートランド侯爵には分からない。

「……クレア・レインウォーターを味方に出来る可能性は?」

「具体的な検討をしておりませんので今の時点ではなんとも言えません。ただランスロット様との関係はあまり良いものではないのではないかと……」

「私情で動く人間か……」

「いえ、少なくともクレア・レインウォーターはそうではないと思います。ただ、では彼女を何によって動かすのかとなると、すぐには思いつけません」

 ハートランド侯爵家にはクレアとの接点はほとんどない。行動を共にしていたランスロットは接点はあってもそれは良い方向には動かない。

「……では消すことは?」

「出来なくはないでしょう。しかし……それでこちらの劣勢は挽回出来るでしょうか?」

「そうだな……」

 劣勢を挽回出来るどころではない。もしレイモンドが生きていて、それでクレアを暗殺してしまっては強烈な反撃に見舞われることになる。今よりも状況を悪化させるだけだ。

「シャロン女王への接触を試みるべきではないでしょうか?」

「今の段階でか?」

「当初の計画とは異なりますが、結局はシャロン女王を手に入れた側が勝ちなのですから」

「その後の戦いでも勝つことが出来ればの話だ」

「はい……」

 シャロン女王を手に入れてそれで全てが終わるわけではない。敵方を完膚なきまでに叩きのめす、出来れば滅ぼして初めて勝利と言えるのだ。ハートランド侯爵家はそう考えている。

「ハンシス商会に接触を試みろ」

「それは?」

「和解だ。成功を命じることはしない。それがどれだけ難しいか分かっているからな」

 アレクシスに何度も刺客を送り込んでいる。そうでなくてももともとハンナはハートランド侯爵家に恨みを抱いている。和解を申し込むことなど虫の良い話だとハートランド侯爵も分かっている。

「目的はアレクシスの先にいるであろう『グリム・リーパー』との接触ですか?」

「そうだ。我らの推測が間違っていなければ『グリム・リーパー』を大将軍派から引き離せば全てが解決する。その可能性があるのに何もしないわけにはいかない」

「承知しました。すぐに動きます」

 政争の影に潜む『グリム・リーパー』の存在。それをハートランド侯爵家は感じ取った。死んだレイモンドが、生きているかもしれないとハートランド侯爵家は疑っているが、描いたシナリオはまだ終わっていないのだと。
 そのシナリオを何とか自家の勝利で終わらせたい。その為に何か出来ないかとハートランド侯爵家は動き出した。

◇◇◇

 ハートランド侯爵家が新たな動きを始めようとしていた頃。シャロン女王もこれまでとは違う動きを始めようとしていた。バーナード近衛騎士団長を味方に出来たことで、行動範囲を広げようと考えたのだ。

「とにかく城に籠もっているだけでは何も出来ないわ」

「それは分かっております。しかし城を出る口実がありません。それに城を出たからといって自由になれるとは限りません」

 何とか城を出たいと考えているシャロン女王。だがバーナード近衛騎士団長はその考えには否定的だ。

「そこを何とか出来ないのかしら?」

「陛下の護衛は近衛騎士団が務めることになりますので、逃亡をお望みでしたらそれを支援することは出来ます」

「じゃあ、その方法を考えましょう」

「その前に逃亡してどうするかを考えなければなりません。ただ逃げ回っているだけでは意味がありません。それを自由とは言いません」

「そうね……」

 シャロン女王の望みは城から逃げ出すことではない。女王としてブリトニア王国の実権をその手に握ることだ。その為の算段が必要なのだ。

「陛下を支援する貴族家が必要です。しかも軍に攻め込まれることを覚悟して、それが出来る人物です」

「……大将軍はそれを行うと言うの?」

 自分がいる場所を軍に攻めさせる。そんな真似をアーサーが行うとシャロン女王は考えていなかった。

「大将軍は王位を求めております。その為に必要なことを行うでしょう」

「私を軍勢で攻めることが必要なことだと言うの?」

「陛下を攻めるのではなく、陛下を助ける為に軍勢を動かすのです。一応申し上げますとこれは口実。つまり攻める理由などいくらでも作れるということです」

「そうね……」

 バーナード近衛騎士団長を味方につけて、いよいよこれから活動を本格出来ると意気込んでいたシャロン王女だが、思いの外、厳しい意見ばかりを聞かされて落ち込んでしまった。

「慎重に事を進めなければなりません。ブリトニア王家が存続出来るかどうかの瀬戸際なのですから」

「それは分かっているわ」

「恐れながら陛下は本当にお分かりでしょうか? そうであれば選択肢はまだ他にあると私は思います」

「他の選択肢?」

「王家が貴族家と婚姻関係を結ぶのは当たり前のこと。ですが陛下はその当たり前のことを拒否されております」

 バーナード近衛騎士団長の言うとおり、王家と有力貴族家の間の婚姻など当たり前に行われてきたこと。そのほとんどは政略結婚であり、本人たちの意思など関係ない。

「私にハートランド侯爵家を受け入れろと言うの?」

 だがシャロン女王は自分の意思でそれを拒否しようとしている。バーナード近衛将軍が疑問を示しているのはこの点だ。

「王家存続の為に必要であれば。私の進言は間違っておりますか?」

「……いえ、間違いではないわ」

 私情を殺して王家存続の為にハートランド侯爵家との婚姻を受け入れる。これを間違いとはシャロン女王は言えない。私情を優先した結婚が出来た王族などほとんどいない。顔を見たこともない相手に嫁ぐことさえ珍しくないのだ。

「別にハートランド侯爵家との婚姻を強要するつもりは私にはございません。ですがあまりに選択肢を狭めてしまっては目的を果たすことが出来なくなる。それをご理解頂きたいのです」

「そうね……それはその通りだわ」

 バーナード近衛騎士団長の目的は王家の存続。自分の幸せではない。これも当たり前のこと。自分の自覚が足りなかったことをシャロン女王は思い知った。

「思い切って大将軍派の貴族家と結婚するという方法もあります」

「それをするとどうなるの?」

「大将軍派は協力関係にある貴族家のおかげでハートランド侯爵家との政争を優位に進めております。婚姻によってその貴族家を味方に出来れば、もしかすると勢力図を塗り替えられるかもしれません」

「……そういうことね」

「ただ問題が一つ」

「何かしら?」

「軍事力です。今はまだ陛下の伴侶の座を争うという静かな戦いですが、それに勝利出来ないと分かった時。大将軍派は、いえ、ハートランド侯爵家もどう出るか」

 力技で、つまり簒奪という誹りを恐れることなく玉座を争うことになれば、軍事力をほとんど持たないシャロン女王の負けは決定的だ。

「……他国を頼ることも考えているわ」

 軍事力の不足はシャロン女王も分かっている。その為に他国の軍事力を味方にすることを考えていた。シャロン女王本人が思い付いたことではなく、諜報組織の提案ではあるが。

「他国……ですか?」

「そうよ。ある程度の軍事力があれば味方しようと考える貴族家も出てくるはず。それで二派に対抗出来る第三勢力が作れるわ」

「……なるほど。そのようなことをお考えでしたか。しかし、それにはあまり時間が残されておりません」

「時間?」

「はい。頼れるとすればアイル王国かスコット王国のどちらか。しかしその両国共に我が国が侵攻している最中。それが成功し、完全に制圧されてしまえば陛下との共闘など出来なくなります」

 両国の占領は、本来であれば女王であるシャロンの臣下が増えることになるはず。だがバーナード近衛騎士団長はそうは考えていない。制圧した軍が、つまりアーサーとランスロットのそれぞれが自分の力にしようと画策するはずだと思っている。

「……戦争はどこまで進んでいるの?」

「我が国の勝ちは間違いありません。ただ降伏時期がいつかまでは私には分かりません」

「その前になんとか両国との繋ぎをつけなければならないわ」

「はい。しかしどうやって? アイル王国にしてもスコット王国にしても使者を送れば、両派閥にこちらの意図は知られるでしょう」

 使者を送ってもその使者は両国と密談などまず出来ない。アイル王国でもスコット王国でも軍がそれを許すはずがない。

「……密かに送るわ」

「それこそどうやってですか?」

「そういう組織があるの」

「まさか……特務部隊ですか?」

 バーナード近衛騎士団長が知る中でそれを出来るとすれば特務部隊。彼らの隠密性をバーナード近衛騎士団長は嫌になるほど知っている。

「いえ、違うわ。王家にだけ仕える組織よ。その彼らを使うわ」

「そのような組織が……それが使えるのであれば使うべきでしょう」

「ええ。そうするわ。ただ何と伝えれば良いのかしら?」

 シャロン女王は侵略している側の王だ。そのシャロン女王が助けを求めて、相手が本気にするか。

「軍部の独走によって求めていない戦争を行うことになっている。それを何とかしたいので協力を……いえ、協力を求めるのはこの段階では早いですか。とにかく戦争を終わらせたいという気持ちを伝えて……あとは会談の機会を作れると良いのですが……」

「そうね。それが出来れば……それも王都以外で」

「そう上手くいきますか……」

「やってみないと分からないわ。とにかく今は行動あるのみよ」

 バーナード近衛騎士団長に諫められながらも、結局はシャロン女王はすぐに行動を起こすことを選んだ。不安を抱えたまま、じっとしていることに耐えられないのだ。この結果がどう出るか。それは確かにやってみないと分からないことだ。

◇◇◇

 各派がそれぞれの思惑で様々な行動を取り始めている。その全てを把握し、物事が都合の良いほうに進むように働きかけようという人たちにとっては大変な状況だ。

「……なんだか混沌としてきた気がするのは私だけかしら?」

 机の上に山と積まれた報告書を読み終えてドロシーはうんざりとした顔を見せている。

「いや、僕もそう思うよ。流れに身を任せてくれれば、それで進むべき方向に進むというのに。どうして人って我慢出来ないのかな?」

 ドロシーの感想にルークも同意を示す。

「誰にとっての進むべき方向っていうのはあるから。文句を言ったけど仕方がないことだとも思うわ」

「その誰にとっての誰が一番、僕たちの邪魔している気がするけど?」

「いっそのこと教えてあげる? じっとしていれば貴方は王になれるって」

「逆効果だね。そんなことは彼のプライドが許さない。彼は自分の力で王になりたいのさ。少なくとも自分はそう思いたい」

 他人の力で王になることをアーサーは受け入れない。実際には多くの人々の支援があったとしても、それを受けるに相応しい力が自分にはあると思いたいのだ。だからこそ戦場に出ることを望んだ。そんな必要はないと分かっているはずなのに。

「面倒な人。そんな人の為に働くのは馬鹿みたい」

「彼の為に働いているわけじゃない。それは分かっているよね?」

「……ええ。分かっているわ。でも何度も言うけど、彼が王になって本当に平和な世界になるの? 私にはそうは思えない」

 アーサーは大陸は統一して平和な世の中を作る。レイモンドから聞かされた未来図だ。だがたとえそれがレイモンドの言葉であってもドロシーには信じられない。
 
「同感。でもそれはどうでも良いことさ。彼が失敗したほうが僕は良いと思っている。そうすればレイの覚悟は決まる」

「えっ? まだ決まっていないの?」

「だってレイは新世界をバックアップだって言ってた。バックアップって本命が失敗した時の備えって意味らしいから、本命はまだ変わっていないってことだよ」

「本命じゃないのに命を懸けて? まあ、レイらしいわね」

「案外好きでやっているのかもね。困難であればあるほどその状況を楽しんでいる。楽しんでいるという表現はさすがに違うかな? でもレイをずっと見ていて僕はそう思うようになった」

 レイモンドは常に困難な状況を打開しようと頑張り続け、それでも乗り越えられずに何度も辛い経験をしてきている。自分がレイモンドの立場であれば、とても耐えきれないとルークが思うくらいに。楽しむという表現を使うにはそぐわないは辛すぎる時もある。だがそこから逃げだそうと思わない何かがレイモンドにはあるのだ。

「もうそれだけにすれば良いのに」

「嫌な思い出ばかりであっても、生まれ育った世界を離れるのは辛いことらしい。何か支えがないと孤独に耐えられなくなるって」

「レイの場合はその支えがクレアさんだったのね」

「……ごめん。そういう話をするつもりはなかったのだけど」

「そういう気遣いは無用よ」

 ルークを軽く睨むドロシー。本気で怒っているわけではない。

「そうだね」

 それが分かっているルークは笑顔で応えた。ドロシーとのこういうやり取りは慣れたものだ。

「でもレイと違って異世界ってわけじゃないのだから。それに皆一緒なら孤独とは思わないわ」

「じゃあ、もう一つの理由。レアが納得するまで待ち続けている」

「……そうね。クレアさんは他人であっても苦しんでいる人を見捨てられないわね」

「後悔させたくないと思って……いや、勝手な推測は止めておこう。レイの気持ちは他人には分からないからね」

「……ありがとう。頭を使いすぎて目的を見失いかけていたみたい」

「それは良かった」

 誰の為に頑張っているのか。レイモンドの為に決まっている。レイモンドがそれを望んでいるから。そしてレイモンドの望みが叶ったその先には、きっと良い未来が待っていると信じているから。だから頑張れるのだ。

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