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聖痕の守護者 第14話 飼いネズミ?

 ジャスティスとその従属部隊が襲撃された地点から、川の上流に向かって十キロメートルほど進んだ場所。そこが元々、ジャスティスが目指していた場所だ。沢山の木々が生い茂る山の中に忽然と現れる建造物。かなり古びた外観の建物がいくつも並んでいるその場所は、かつてこの一帯を支配地としていた山岳民族、ロマヌス人に蛮族と呼ばれている先住民が暮らしていた場所だ。
 ロマヌス人が大陸南部から中央に進出してきた頃に放棄された場所なのだが、今そこに、住処を追われた亜人族が暮らしている。元いた山岳民が故郷に帰ってきたのではない。この場所をアジトと定めた魔人に従う人々が集まっているのだ。
 魔人がいるという情報は確かだった。ただその魔人は、他の魔人と同じように大人しく討たれるのを待つはずがなく、抵抗どころか討ち手を返り討ちにするだけの力を持っていたのだ。

「守護戦士のパーティーにおいて聖女の存在が重要だという情報は間違いではなかったようですね?」

 人族と比べても小柄な体格。長衣を纏い、笑みを浮かべながら丁寧な口調で語っている姿は文官のようであるが、そうではない。彼こそ、この地の主。多くの亜人たちを従えている魔人フルカスだ。

「はい。聖女を除いた守護戦士候補は強くはありましたが、フルカス様が恐れる相手ではございません」

 聖女の役割は味方の支援。支援魔法で仲間の能力を高める能力を持っている。その支援があって他のメンバーは百パーセントを超える力が発揮出来るのだ。

「それだと聖女がいれば、私は恐れなければならないように聞こえますね?」

「も、申し訳ございません。そのようなつもりはなかったのですが……」

 怯えた声で謝罪を口にする部下。フルカスの顔から笑みは消えていない。だからといって油断は出来ない。笑みを浮かべたまま、人を殺すのがフルカスなのだ。

「……まあ、良いでしょう。戦闘開始当初に聖女を他の守護戦士候補から引き離すという策が有効なのは分かりました。ただこれは常に通用する策ではありませんね?」

 今回上手く行ったのは野営中の隙を突けたから。戦場で対峙しているような状況では同じようにはいかない。

「フルカス様の仰る通りであります。聖女は守護戦士たちにとって重要な存在。故に弱点にもなりますが、それをどう活かすかは、もっと考えなければなりません」

「それは私の仕事ですね。貴方たちが為すべきことは別にあります」

「それは……」

 言葉に詰まる部下。フルカスが何を言いたいのかは分かっている。
 作戦通り、奇襲によってジャスティスの部隊に、相手が撤退を決意するほどのダメージを与え、実際に敵は野営地を引き払って来た道を戻っていっている。だが当初の作戦目標は敵の撤退だけではないのだ。

「聖女は死んだのですか?」

 ただ他のメンバーから引き離す為だけにテルースを大勢で襲っていたわけではない。命を奪う為だ。それに部下たちは失敗した。

「……まだ確認出来ておりません」

 ただこの時点では生死不明という状況だ。

「ではすぐに確認しなさい! 確認して、もし生きているようなら必ず息の根を止めるのです! 分かりましたね!?」

「ははっ! 必ずや!」

 フルカスの怒りに身を縮めながら、テルースの殺害を誓う部下。それ以外に彼に許される対応はない。出来ないと言えば、彼の命がこの場で奪われるだけだ。

「捜索に出る! 襲撃部隊は全員、再出動だ!」

 フルカスと直接やり取りが出来る彼は、部下の中でも上位。今回で言えばジャスティスを襲撃した部隊の指揮官だ。その部隊をもう一度率いて、テルースの捜索に取り掛かろうとする指揮官。
 命令を受けた襲撃部隊のメンバーが一斉に動き出した。

「……全員出動か。まずいな」

「失敗は許されないからな」

「どうする?」

「こうなったら、どうしようもない。逆に手柄をあげる為に頑張るさ」

 これでまた聖女殺害に失敗すれば、罪は捜索に関わった全ての人に及ぶかもしれない。殺されることにまでならなくても、他で挽回する時が来るまで、辛い日々を送ることになるかもしれない。

「一緒にいれば、彼も殺されることになる」

「仕方がない。これで殺されるようなことになれば、所詮はそこまでの男だということ。俺たちの希望を託せる相手ではなかったってことさ」

「……そうかもな」

 彼らが望んでいるのは奇跡のような出来事。ここで彼ら相手に殺されるような人物では実現など不可能だ。彼らが従う魔人よりも、さらに強力な魔人を何人も殺すことが最低条件なのだから。

◆◆◆

 魔人の配下に追われているテルース、そしてカロンは、滝壺から下流に五キロほど下った、河原が広がった所にいる。森に入って枯葉や小枝、さらに太い木の枝を集めると、ナイフを使って木を削り、さらに木と木をこすり合わせて火を起こす。その火を大きくして焚き火にしたあとも、濡れた服を乾かしながら、また、今度は太い枝ばかりを集めて何かの作業を始めているカロン。そんなカロンをテルースは焚き火のそばに座って、見つめている。

「器用なものね? そんなのどこで覚えたの?」

「習っていないのか? 俺たちは部隊からはぐれた時の為にって、色々と教わっているけど?」

 万一、部隊からはぐれた時は自分自身でなんとかしろ。従属部隊の隊員の扱いはそんなものだ。一方で守護戦士候補に対しては、そういうわけにはいかない。捜索隊が出るはずだ。といっても守護戦士候補がはぐれる事態は深く考えられていない。戦いに勝って生き延びるか、負けて死ぬか。どちらかという考えだ。

「疲れているくせに働き者ね?」

 カロンは戦いで傷ついた体で、ここまでテルースを背負って来た。かなり疲労しているはずなのだ。

「はあ? そう思うなら少しは手伝えよ」

「嫌。濡れた服で動くと気持ち悪いもの。それとも私もカロンと同じように脱いで乾かせと言うの?」

 カロンは上半身裸。脱いだ服は焚き火のそばで吊るして乾かしている。

「俺の服が乾いたらな。自分のが乾くまで貸してやる」

「貸してやるって、なんか偉そう。バッテンのくせに」

 カロンをからかう為の言葉が不発に終わって、不満そうなテルース。

「バッテンって……子供の頃の話を持ち出すな」

「子供の頃の話じゃない。今もバッテンマークが付いているじゃない」

 立ち上がってカロンに近づいたテルースは、指でカロンの右肩をなぞっている。

「バッテンマークじゃなくて痣だから」

 カロンの右肩にはバツ印の痣がある。小さい頃にそれを見つけたテルースは、しばらくカロンを「バッテン」と呼んで、からかっていたのだ。

「やっぱり、動くと気持ち悪い」

「だったら焚き火のそばを離れるな」

 テルースの手はカロンの肩に置かれたまま。触れ合うその場所が熱を帯びているように感じてカロンは気まずそうだ。

「……ああ、そっか。カロンが背中を向けているのなら、脱いで乾かせるわね。速く乾かしたいからそうしようかな?」

 さらにカロンを動揺させようと試みるテルース。実際に動揺を誘うつもりなのか、同じ誘いでも誘惑のほうなのか。どちらであってもカロンの反応は困惑だ。

「……それとも見たい?」

 さらに直接的な言葉でカロンを挑発するテルース。だがこれは失敗だ。

「どこに姉の裸を見て、喜ぶ弟がいる?」

 カロンの自制心を呼び戻してしまった。

「……いるかもしれないでしょ? それに私はもう、あんたの姉じゃないから」

「そうだとしても同じだ。どうせ、今もペッタンコのガリガリだろ? 見たいなんて思わない」

「失礼ね! バッテンのくせに!」

 カロンの背中を力いっぱいひっぱたいたテルース。ふくれっ面で焚き火の側に戻っていった。

「……いったぁ」

「痛くない。侮辱されて傷ついた私の心の痛みのほうが、遥かに強いわ」

「そんな繊細か」

「なんですって!」

 とりあえず微妙な空気は吹き飛んで、子供の頃と同じ、喧嘩とじゃれ合いが混じり合ったやり取りに変わる。カロンは、そしてテルースも緊張が解けて、ホッとしている。これが、二人にとって慣れ親しんだ居心地の良い状態なのだ。

「結局、カロンは何をしているの?」

「筏を作っている。ちゃんとしたのは作れないから筏もどきか。歩くよりは速いと思う」

「……作っている時間がもったいなくない? 疲れているというなら作業止めて、休めば良いじゃない」

 急ぐのであれば筏を作っていないで、先に進めば良い。疲れていてすぐ動けないなら、作業なんて止めて体を休めるべきだとテルースは思う。

「ここまで来る間で、水に浸かったままだと結構、消耗するのが分かったから」

 滝壺からしばらくは、河原がほとんどなかった為に、カロンは川の中を歩いてきた。どうせ濡れているのだから変わらないと考えていたのだが、たいして冷たく感じなかったはずの水でも、ずっと浸かりっぱなしでいると足の感覚が失われていくのを感じたのだ。

「……私が作る」

「はっ?」

「私が作るからカロンは休んでいなさい!」

 ずっと背負われていたテルースはカロンが味わった辛さを知らなかった。それが悔しかった。

「火にあたったから平気。テルースこそ、まだ安静にしていろよ。溺れ死んだかと思ったんだからな」

「そうだけど……」

 縄をかけられ、体の自由を奪われたまま滝壺に落ちたテルースは、それによるパニックもあって、大量に水を飲んでしまった。カロンが川から引き上げた時は完全に意識を失っていたのだ。

「それと捜索隊が追いついて来てくれないかという期待もある。川を下ればいつか平地に出るはずだけど、何日かかるか分からない。俺たち食料持っていないからな」

 所持品は身につけていたナイフだけ。山の中でも手に入れられる食料はあるだろうが、獣を狩るのに成功する自信はカロンにはない。

「……戦いはどうなったのかしら?」

「さあ? 不意打ちをくらったから犠牲者は出たかもしれないな。それでも追い払うことは出来たと思うけど」

 野営地を襲ったのは亜人。強敵ではあるが、自分でも互角以上に戦え相手だ。ジャスティスのメンバーの実力であれば、撃退することは出来たはずだとカロンは考えている。

「そうね……強力な魔人がいなければね」

「そういう不吉なことは言わない」

 ジャスティスのメンバーでも勝てない魔人があとから現れている可能性。それは否定出来ない。カロンたちは魔人のアジトを攻めようとしていたのだ。

「魔人に負けていたらジャスティスは解散ね」

「テルース。もう止めろ」

 魔人との戦いに敗北していたら。それはジャスティスのメンバーが殺された可能性を語ること。テルースの実の兄であるマルスや幼馴染のヒューイが死んだということ。

「最悪の可能性を想定しておくことは間違いではないわ」

「今はその必要はない。捜索隊をずっと待ち続けるつもりはない。追いついてくれば良し。そうでなければ自力で川を下り、平野まで出る。それだけだ」

 勝っていれば捜索隊が来る。負けえいれば来ない。どちらであってもカロンたちのこの先の行動は変わらない。筏を使って川を下り、山を降りる。それだけだ。

「……その先は?」

 だがテルースが聞きたいのはそういうことではない。

「その先? 街を探して」

 それがカロンには分かっていない。

「そうじゃなくて……私は聖女候補である必要がなくなる」

「それって……」

 テルースが何を話したいのか、カロンにも分かった。ジャスティスが壊滅状態になっていれば、テルースは聖女候補でいる必要がなくなるかもしれない。もちろん、また新たに候補者が選定され、テルースもその一人になる可能性はある。
 だがテルースが言いたいのはそういうことではない。確実に聖女候補から外れる方法があるのだ。

「カロン……私は……」

 だがそれについてテルースははっきりと言葉にできない。カロンに拒絶されることを恐れているのだ。そのカロンは。

「……大丈夫。皆、無事に決まっている」

 テルースの求める答えを口にしなかった。カロンにはやらなければならないことがある。教会と母国にこの戦いで死んだものと思わせて、二人で隠れて生きることなど出来ない。

「……そうね。憎まれっ子、世にはばかると言うものね」

 カロンに躱された。それに内心では傷ついてるテルースではあるが、その思いを表に出すことはしない。無理をして、今の関係を壊したくないのだ。

「それ自分のこと?」

「失礼ね。カロンも大嫌いな男のことよ」

「ああ、まあ……こんなところで死んでくれないだろうな」

 カロンの嫌いな男でこの戦いに参加していたのは二人。バーンズとマルスの二人だ。テルースがバーンズのことを持ち出すはずがないので、マルスということになる。

「言っちゃった。無事に帰れたら、告げ口しよっと」

「別に。もうこれ以上ないほど嫌われているから問題ない。もし文句を言ってきたら、テルースは『カロンも』って言っていたって俺も告げ口する」

 マルスを嫌いなのはテルースも同じ。それが「も」という言い方にさせてしまっていた。

「……告げ口は止めてあげる」

「それが良い。ついでに無駄口も少し止めてもらって良い? 今のペースではいつまで経っても作業が終わらない」

「……分かった。控えてあげる」

 止めるではなく控える。ただ実際にはテルースはそれ以上、カロンの作業を邪魔するような真似はしない。食料を持たずに山中を移動することの危険性をテルースも理解しているのだ。
 会話が減って、作業が進み始めたカロン。だがまた邪魔が入った。テルースではない。はぐれていた同行者、アレクだ。

「……ん?」

 少し先の木の影から現れたアレクは手や足を盛んに動かしている。カロンには何をしているのか、さっぱり分からない。

「……何?」

「何って、何?」

 発した声にテルースが反応してしまった。そうであるからアレクも黙ったままなのだ。

「あっ、何でもない。ただの独り言」

 焦った様子で手足を動かすアレク。だがカロンには一向に意図が伝わらない。苛立った様子を見せ始めたアレクだが、一度大きく深呼吸をして気持ちを落ちるかせると腕を組んで考え始めた。そのアレクに向かってカロンはナイフで削った細い小枝を放り投げる。
 それに怒るアレク。ただカロンが手を動かして書く真似をしたことで、小枝を投げた意図を理解した。投げられた小枝を使って地面に文字を書き始める。

「えっ!?」

「どうしたの?」

「……筏作りは中止」

「どうして?」

「敵の追手だ」

 アレクがカロンに伝えたのは敵の追手が近づいて生きているという事実。

「どこ!?」

「まだ見えない。とにかくここを離れよう」

 乾かしていた服を着て、焚き火を足で消すカロン。そんなことではこの場所にいた痕跡を消すことは出来ないが、遠くから火を見つけられるのを嫌がったのだ。

「……こっちだ」

「え、ええ」

 なんだか分からないまま、とにかくカロンの後について走り出すテルース。カロンが向かった先は下流ではなく、木々が生い茂る山の中だ。

「カロン! こっちで良いの!?」

 川を下る。そういう予定だったはず。違う方向に向かうカロンにテルースは間違っていないのか確認した。

「あ、ああ。こっちで良いはず」

「はず?」

 カロンは確信を持って、この方向に向かってきたのではないと知って、ますますテルースは不安になる。

「大丈夫だから……こっちだ」

 更にカロンは方向を変える。向かう先を決めているのはカロンではない。アレクなのだ。カロンの少し前を駆けているアレク。その足が止まるとカロンの足も止まる。
 何かを探る様子のアレク。しばらくしてまた方向を変えて駆け出した。

「こっちだ」

 アレクを追ってカロンも走り出す。

「ねえ、カロン」

「大丈夫だから」

「でも……そのネズミ、信用して良いの? というかどうして信用出来るの?」

「えっ……?」

 テルースの問いにカロンは思わず足を止めてしまう。

「だって、さっきからそのネズミを追いかけているじゃない。どうして?」

 小さいとはいえ、堂々と姿を見せているアレク。さすがにテルースも前を走るその小動物、と言われるとアレクは怒るだろうが、に気がついた。

「えっと……」

「まさか、そのネズミが敵の場所を知っているなんて言わないわよね?」

 そのまさかなのだ。知っているというより、気配を感じているが正解だが。

「……そのまさか。今まで内緒にしていたけど、これ、俺の……飼いネズミ」

「はい?」

 この先もアレクに行き先を示してもらわなければいけない。存在をしらばっくれるのは不可能だと考えた結果、思いついた嘘がこれだ。

「飼い猫、飼い犬とかいるだろ? 俺はネズミを飼っている」

「どうしてネズミ?」

「えっと……食事代がかからないから。それに猫や犬ではすぐにローグさんに見つかるから」

 我ながらうまい説明を思いついた。そう考えて口元に笑みを浮かべるカロンだが。

「……ネズミって人に懐くの?」

 それだけでテルースが納得するはずがない。ネズミを飼っている人などテルースは会ったことがないのだ。

「……な、懐くさ。見てろ」

 その場にしゃがみこんでアレクに向かって手をのばすカロン。

「お手」

「…………」

 カロンにお手を要求されたアレクは、屈辱で顔を歪めている。テルースに見えないように。

「お手だ、ほら、お手」

 アレクが嫌がることはカロンにも分かっている。この場をごまかすために仕方なくやっているのだ。
 それはアレクにも分かっている。周りに聞こえないような小さな小さな声で「カロン、覚えてろよ」と文句を言いながらも、カロンの手の上に自分の手を置く。

「よし! じゃあ、おかわり!」

 さらにおかわりを要求するカロン。それにもアレクは応えてみせた。

「次は伏せ。良し。じゃあ……回って」

 次々と要求するカロン。アレクは歯ぎしりをしながら、これは意識して音を小さくしなくても聞こえない、カロンの要求に応えていく。

「……凄い。よく、そこまで躾けたわね?」

「ま、まあ。一人でいる時間はいつも一緒だから」

 これは嘘ではない。ディオスの家に引き取られた時からずっと、周りに人がいない時間は二人で過ごしてきたのだ。

「もう良いだろ? 早く逃げよう」

 あまり長くアレクを見られているとネズミとは違うことがバレてしまう。そうでなくても敵が追ってきているのは事実なのだ。

「そうね。行きましょう」

 テルースを納得させたところで、また走り始める二人、ともう一人。頼りはアレク、なのだが追ってきている敵もまた亜人。アレクと同じように匂いや音で遠くの気配を感じ取れる存在なのだ。

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