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第44話 女性の強かさに驚くことになった

 アリシアに対する虐めの激しさを知ったレグルスの反応は、彼女が心配した通りであり、それでいて少し異なるものになった。これを彼女が知るのは、ずっと先のこと。その時まで、レグルスが隠し続けていたのだ。実際にはレグルスは、さらに先まで隠し続けた。アリシアが知ったと思った事実は、事実ではなかったのだ。これは先の話だ。

「……少し驚きました。女性はこのような大胆な誘い方をするものなのですね?」

「ち、違います。私は、私は……」

「違う……では、どうして欲しくて、この部屋に来たのですか? いきなり目の前で女性が服を脱ぎ始めれば、普通は誘われていると思いますよね?」

 普通は思わない。本当に目の前で脱ぎ始めれば、その可能性も考えるが、女子学生はレグルスが部屋にいると知らないで着替え始めたのだ。驚くことはあっても、それが自分を誘っているなんて考える男は、よほどの自信家だろう。
 レグルスは自信家ではないがそう思っている、振りをしている。目の前の女性が下着姿でいるのは、レグルスがそうなるように仕向けたからだ。

「ち、違う。本当に違うのです」

「……そう言われても、貴女の魅力が私を狂わせてしまう。貴女の美しさが罪なのです」

 怯えている女子学生に、優しい声で話しかけるレグルス。近づくレグルスを避けて後ずさる女性学生。それでも二人の距離は徐々に近づいている。彼の甘い囁きを受けて、女子学生の緊張は当初とは変わっていた。
 女性学生の背中が壁に当たる。

「レ、レグルス様……私は……そんな……」

「いいえ、貴女は悪い人だ。こんな風に男を狂わせて楽しいですか? きっと楽しいのですね? 貴女の前では全ての男は道化者だ」

「……だ、駄目。これ以上は……」

 壁際に立つ女子学生にさらに近づくレグルス。その両腕が女子学生の逃げ場を防ぐように、壁に押し付けられる。

「誘ったのは貴女だ。貴女のその口がどれだけそれを否定しようと、今の状況がそれを事実だと証明しています」

「レグルス様……そうだとしても……やっぱり、悪いのは貴方だわ」

 女子学生は自分が誘ったと認めた。成り行きであっても確かにそれを認めるような発言をした。あとはこれをネタににして、二度とアリシアにおかしなことをしないように強請るだけ。強請るのはレグルスではなく、偶然その場に居合わせた第三者を装うエモンの仕事。
 策略は成功、と思ったところで。

「…………」

 女子学生の唇が、レグルスのそれと重なった。さらに自分の腕をレグルスの首に回して、しなだれかかる女性学生。これは完全に予定外の反応だ。

「恥ずかしい。女性から、こんな真似をさせる貴方は、罪深い人だわ」

「……二人とも悪い人ですか……そうですね」

 貴族令嬢が、結婚前の貴族令嬢がこのような真似をするものか。内心ではこんな風に思っているレグルスではあるが、そんな思いは一切、表には現れない。これが彼が過去の人生において「女たらし」と評された所以。無意識の口説きなどは、おまけのようなものなのだ。
 自ら女子学生の唇に自分のそれを重ねるレグルス。ファーストキスが、なんて思いはない。そんな純情さは、記憶を失っていても、遥か昔に消えている。目的の為には何でも行う。この想いは今も変わらないのだ。

「……ひとつお願いがある。聞いてもらえるかな?」

 さらにレグルスは作戦を変更することにした。

「何かしら?」

「私の婚約者は知っているね?」

「……ええ、憎らしい人だわ」

「彼女には気を付けて。君と私の関係に気が付かれるような行動はして欲しくない。これからの君と私の為に」

 レグルスは自分の口から直接、アリシアには近づかないように告げることにした。アリシアの為ではなく、女子学生の為と思わせて。

「……私は日陰者ね?」

「その日陰者は、将来の北方辺境伯の物だとしても?」

「まあ、さらに物扱い? 酷いわ」

 酷いと言いながら女子学生は満更でもなさそうな顔をしている。下手な貴族家に嫁ぐよりも、北方辺境伯の第二夫人、第三夫人、場合によってはただの愛人であっても良い待遇が得られる。それを彼女は分かっているのだ。レグルスの挑発に乗ったのも、これが理由だ。

「物は物でも、ただ飾り物として置かれているだけよりはマシだ。違うかな?」

「……そうかもね?」

 ここで欲を出してはいけない。まだ自分の立場は保証されていない。学院時代の遊び、で終わらせないためには長い付き合いが出来る女性と思わせなければならない。そんな計算が彼女には働いている。

「理解のある女性は好きだ」

「……ありがとう」

 契約は成立。それぞれが自分の基準でそう判断した。その証として、また二人の唇が重なる。先の二回よりも長く、激しく。このままこの場で始めてしまうでのはないかと、隠れて見ているエモンが思ってしまうくらいの、熱情を感じる口づけを二人は続けた――

「……やり過ぎです」

 策略としては成功。だが、その方法についてエモンは納得していない。ここまでのことを行う必要性を感じていない。

「流れに乗っかっただけ。ひとつ勉強になったな」

「勉強って……成人したばかりの貴方が学ぶことですか?」

 レグルスはこの世界ではすでに成人。だが年齢としてそうだというだけで、一般には、まだ大人と認められるわけではない。
 かつては違った。十五を超えればもう一人前として扱われ、戦場に出されることもあったのだが、今の時代はそうではない。成人年齢だけが過去のまま残されている、というだけなのだ。

「北方辺境伯家という肩書はああいう女を口説くのにも使えることを学んだ」

「だから」

「遠慮する必要なんてないだろ? それで口説かれる女は俺を見ているのではなく、北方辺境伯という肩書に惹かれているだけ。自分の欲の為だ」

「……そうであるから尚更、こういうことは止めるべきです」

 好きなわけではなく、相手も自分自身を見ていない。そんな女性と接していれば、レグルスのほうが傷つくことになるのではないか。傷つくことはなくても、自分という存在を蔑ろにするのは止めて欲しいとエモンは思う。

「使えるものは何でも使う。そう決めている」

「アリシア様が傷つきます」

「……お前、何を言っている? 俺は……」

 先に続く言葉をレグルスは飲み込んだ。本心を口にすることを避けた。

「まさか、全員に同じ手を使うわけにはいきませんよね?」

「それはそうだ……でも、まあ、主な女を何人か落とせば、他もならうだろ?」

「一番上がいるはずですけど?」

 女子学生を操っている黒幕は、サマンサアン。女子学生の身辺を探るのはさすがに難しく、完璧な証拠は掴めていないが、間違いないとエモンは考えている。完璧な証拠が揃わなくても、エモンの調査結果が出なくても、そうであることはレグルスには分かっているが。

「それを真っ先に落とせれば良いのだけど、出来ないからな」

 サマンサアンを口説き落とすことなど、この段階では出来ない。彼女はジークフリートの婚約者の座を死守したいのだ。その座を脅かす存在として、よほどのことがなければ王子の婚約破棄などあり得ないのだが、アリシアを目の敵にしているのだ。その「よほどのこと」になるリスクを冒すはずがない。
 それで良いとレグルスは思っている。手足がいなければサマンサアンはアリシアを虐めることなど出来ない。サマンサアンの悪行は結果として、止まることになるはずだと考えていた。

◆◆◆

 なんとも不思議、というか異常というか、気味悪い状況。アリシアにとって、今自分を取り巻く環境はそんな風に感じられるものだ。
 嫌がらせは、完全ではないが、かなり減った。数だけでなく、その中身も小さなものだけになった。歩いていると足を引っかけられそうになるとか、教室で配布物を前から回される時に、わざと床に落とされるとか、そんなものばかりだ。
 自分に対する悪意がかなり薄れた、とはアリシアは思わない。全てではないが、向けられる視線は以前よりも強い悪意、どころか敵意とさえ言えるような厳しいものに感じられる。
 敵意が強まったのに、嫌がらせは小粒。それが今のアリシアが置かれている状況だ。彼女としては何故そうなるのか、まったく分からない。
 虐めに関わっている多くの女子学生は、サマンサアンに命じられてそれを行っているだけのはず。悪感情はあっても、敵意まで持たれる理由がない。本当の意味で敵と見ているのはサマンサアンだけのはずなのだ。だが、何人かから感じられるのは、サマンサアン以上の敵意。もしかすると知らないうちに自分は、彼女たちを傷つける何かをしてしまったのではないかとアリシアが考えるほどだ。
 そしてもう一つ思いついたのはレグルスが何かしたこと。だが、これについては、はっきりとレグルスに否定された。なんとかしてやりたいが、女の世界には口出しにくい。そういう暗黙のルールが貴族社会にはあると言われた。
 アリシアはそれに納得してしまった。それが原因を分からなくさせているのだと、気づかないでいる。アリシアに敵意を向けている女子学生は、将来の北方辺境伯の第二夫人、第三夫人、百歩譲って愛人の座を狙っている人たち。レグルスに口説かれ、落ちた女子学生たちなのだ。彼女たちはアリシアへの嫌がらせが自分とレグルスとの関係を気づかせるきっかけになるのを恐れ、サマンサアンの命令を無視、もしくは小さな嫌がらせ程度で終わらせている。だが、感情を押し隠すことまでは出来ず、自然と敵意は強まり、それをアリシアに気づかれているのだ。
 この事実と、小さな嫌がらせを行っている女子学生には、たんに熱烈過ぎるレグルスファンもいるのだと知れば、アリシアはかなり怒るだろう。レグルスにとって幸いにも、自分のファンの存在は本人も知らないが、それが知られることはない。当面は。

「少しは落ち着いたのかな?」

 教室の雰囲気は良くなったとは言えない。それでも、表面上は揉め事は起きているようには見えない。それがジークフリートにこの質問を投げさせた。

「落ち着いて……そうですね、落ち着いて勉強は出来ています」

 感情的には落ち着いていないはず。だが、実害があるかと聞かれると、それはない。今は落ち着いているのだ、という風にアリシアは考えることにした。

「アリシアは凄いね。驚くほどの早さで強くなっている」

「それは褒めすぎです。なかなか上達しないことに焦りを覚えています」

 これはアリシアの本心。確実に成長しているとは思えているが、満足できるレベルにあるかとなると、それは絶対に違う。では、どこまで行けば満足なのか問われても困ってしまうだろうが。

「アリシアは、卒業後はどうするつもりなのかな?」

「せっかく武系コースを選んだのですから、非常勤騎士としてしばらく働くつもりです」

「あっ、そう! そうだよね? それが良いと私も思うよ」

 アリシアの口からジークフリートが求める答えが、予想外のことだったが、出てきた。武系コースで学んだ学生は、数少ない世襲騎士の家の子供と自家を継ぐ予定も他家に養子に出られる見込みのない貴族家の子弟以外は、そのほとんどが騎士団に入るなんてことはなく、自家に戻ることになる。騎士として働くことがないのだ。
 それでは学ばせた意味がない、という理屈は極端だが、一定期間、騎士として働く道が用意されている。そういう道がなければアリシアはレグルスと結婚してしまう。それではゲームは成立しないのだ。

「もしかして、ジークも非常勤騎士の道に進むつもりですか?」

 この問いの答えをアリシアは知っている。ジークだけでなく、守護家出身の人たちも皆、非常勤騎士になる。そうでなければ、せっかくの登場人物が三年で消えてしまうことになるから、ではなく、競争意識が働いた結果ということになっている。

「ああ、そう考えている。せっかく学んだ技だから、人々の為に役立てないと」

「……そうですね」

 その非常勤騎士時代に、様々な任務を経験し、苦境を共に乗り越え、二人は愛を深めていく。一方でレグルスは、同じ非常勤騎士でも私腹を肥やす為に、様々な悪事を働いていく。正反対の方向に進むことになった二人は、やがて決定的な対立の時を迎え、婚約を解消することになるのだ。
 果たして現実はどうなるのか。アリシアの心は不安と、わずかな希望が入り混じっている。

「同じ小隊になれると良いね」

 そうなれば、学院での三年間だけで付き合いは終わらないで済む。ジークフリートはそう考えている。

「……そうですね」

 ジークフリートの期待感を膨らませている様子とは異なり、気のない返事をするアリシア。同じ小隊になることは決まっています。頭に浮かんだこの台詞が、彼女の心を曇らせている。決められている道を進むだけのアリシアとジークフリート。その結果、本当に愛し合えるのか。ジークフリートの想いは本当に本人の心から湧き出る感情なのか。こんな風に思ってしまったのだ。

「……レグルスも、頑張れば一緒にやれるよ」

 アリシアの気持ちが乗らないのは、レグルスを心配しているから。ジークフリートはこう考えた。

「そうなると良いのですが」

 もしレグルスも同じ小隊になれたら。彼の進む道は変わるのだろうかとアリシアは思った、自分が求める、アオならきっと進んでくれると思っていた正しい道を歩んでくれるだろうかと考えた。
 そうなって欲しいとアリシアは思う。何とかしてそうなるように仕向けなければならないと思う。

「……アリシア。怒らないで聞いて欲しい。あくまでも噂、はっきりとしたことは分かっていないから」

「……どのようなお話ですか?」

 ろくな話ではない。ジークフリートの切り出し方はそれを分からせるものだ。覚悟して聞いて欲しいと言われているも同じだ。

「……君に嫌がらせをしていた人たち。命令していたのは、レグルスだという噂がある」

「えっ……?」

 覚悟はしていた。だが、その内容は想定外過ぎて、アリシアは心の動揺を抑え込めない。

「証拠はない。あくまでも噂なんだ。でも、彼と何人かの女子学生が密会していたのを見た人がいる。その女子学生たちが、その……」

「私に嫌がらせをしていた人たちだった?」

「……そう」

 レグルスと女子学生たちが密会していたのは事実。それがジークフリートの耳に入り、それがアリシアに伝わった。それは何故か。レグルスであれば深く追及することになるだろう。だが、アリシアにはその術がない。それをすぐに思いつくこともない。
 アリシアの知るレグルス・ブラックバーンであればあり得る話。それをこうして聞かされたことにアリシアは動揺している。もしかすると、ゲームの強制力が働いているのではないか。こんな考えが頭に浮かんだのだ。
 もしそうであれば、主人公である自分にはどうすることも出来ないかもしれない。自分の無力さを感じて、アリシアの心は深く沈んでしまった。

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