第10話 夏休みなんて従者には関係ない
一学期もあっという間に終わり、夏季休暇に入った。
リオンはヴィンセントに少し遅れて、屋敷に戻ることにした。寮の片づけや休暇の間に読みたい本を借りる為など、理由は色々とある。
だが、それは表向きの理由で、実際には纏まった自由な時間が欲しかったからだ。その間にやっておきたいことがリオンにはある。
リオンのやりたいことの多くは、学院ではなく、貧民街にあった。
「状況は?」
「小さな勢力をいくつか吸収しました。ただ問題は相手もそれをしたので、力の差は変わっていません」
「その相手とは?」
「ゴードンの野郎の所です」
「……いたな。そんな奴」
リオンも名前だけは知っている。リオンが住んでいた場所とは別の区域を仕切っている男で、貧民街の中では一、二を争う勢力を誇っている。今となっては、その争う相手はリオンの組織だ。
「こちらとほぼ互角で、どうにも動けません」
「逆に言えば、そこを何とかすれば、一気に制圧出来るのか?」
「まあ」
「正面からやり合うと?」
「勝てるかもしれませんが、こちらの被害も大きくなります。そうなると、他の奴等に付け入る隙を与えます」
「他の奴等?」
ゴードン以外に名の知れた勢力をリオンは知らない。
「貧民街の手前の歓楽街にも、そこを仕切っている奴等がいます。そいつらです」
「中だけを見ている訳にはいかないか。ゴードンを消すと?」
「……どうですかね? あそこにはナンバー2、ナンバー3といますから」
少し考えて、部下は答えを返す。あまり良い返事ではない。
「一時は混乱しても、すぐに別の奴が立つか」
「恐らくは」
「力技は駄目、となると。経済力で押し込むか」
「なんですかそれ?」
経済力なんて言葉は貧民街の悪党には分からない。
「えっと……しのぎ」
それらしい言葉を記憶から探してリオンは口にする。ここで話をする時はいつもこんな感じだ。
「ああ。でもどうやって?」
「それを考える。稼ぎの元は?」
「賭博、売春の斡旋、金貸し、闇市場、後は人には言えねえ仕事です。まあ、殺しですね」
「…………」
男の答えを聞いて、リオンは頭を抱えてしまった。分かっていたことだが、それでもストレートに口にされるとショックを受けてしまう。
「どうしました?」
「俺の中の俺が、ちょっと驚いていて」
「何を今更。大将だってこの街の人間でしょうが」
「だから俺の中の……これは良いか。それで? 一番稼げるのは金貸し?」
「いやあ、ここに金を借りにくる奴等なんて、最後の最後ですからね。そんなに良いもんじゃあありません。金利は他所よりも高く出来ますが、回収がね」
貧民街の悪党に頼るのは、他ではもうどうにもならないから。そんな相手に大金は貸せない。少額に抑えても、取り立てに手間暇がかかってしまう。そういう客がほとんどで、利益を生む客など滅多にお目にかかれないのだ。
「じゃあ、何だ?」
「賭博は安定してます」
「安定ね……」
賭博は胴元が勝つように出来ている。それを男は安定と言っているのだ。だが、賭博なんて、どこの組織でもやっている。他より抜き出る何かが必要だ。
「じゃあ、一つ一つのサービスの質を高めるか」
「サ、サー、何ですか?」
「一発逆転なんてなさそうだから、どの商売でも他よりもうちが良いって、思ってもらうしかないかなって事」
「ああ。でも、どういう事で?」
「賭博は来てくれた人にお茶を出すとか、お菓子を出すとか、そんな小さなことから。綺麗な女性に、ああ、店の女性に接待してもらうか。勝った人に、そのまま金を使わせるようにしたいな」
「なるほど」
プラスアルファのサービスなんて考えはこの世界の商売にはない。こんな些細なアイディアであっても、部下は感心してしまう。
「そうなると、女性たちをもう少しなんとかしないと。身綺麗にさせて、服装もちゃんとして」
貧民街で娼婦をしているような女性たちだ。お世辞にも質が高いとはいえなかった。それではサービスにならない。
「そうですね。あれじゃあ、大将が女装したほうがよっぽど……すみません」
リオンに睨まれて、男の体が小さくなる。
「……まあ、そういうことだ。もう少し質を高めて、客を呼び込まないと。場所も清潔にして、礼儀も教えるか」
「そこまで?」
「他とは違う特別を作る。人材が必要だな。貴族くずれか、良いところのお嬢さんで身を持ち崩したのがいないかな? そういう人に礼儀作法を教えてもらおう」
「探して見ます」
「建物の補修をしたり、道路を綺麗にしたりと、この辺全体に手を入れた方が良いな。必要経費を計算させてくれ」
「……わかりました」
話がどんどん大きくなってきたので、男は戸惑いだしている。ただこれはいつものことだ。
異世界の記憶が含まれる、リオンの発想は、部下たちには驚くことばかり。しかも、一つ何か思いつくと、次から次へと繋がっていく。
それを実現する部下は大変なのだ。
「但し、無駄遣いは駄目。自分達で出来ることは自分達でやれ」
「はい」
「お前らも礼儀作法を覚えるか? お客に対する礼儀ってやつだ」
「……本気で?」
「本気。安いから質が悪いは、もう止めだ。安くても良質のものを提供できるように努力する」
「はあ」
「真面目にやれよ。命の取り合いよりは少しはマシだろ?」
「そうですね」
「次来るまでに色々と考えておいてくれ。俺も考えるし、色々と調達出来ないかやってみる」
「分かりました。皆に伝えておきます」
「じゃあ、よろしく」
これからしばらくして、リオンの支配区域は、貧民街らしくない、活気を帯びることになる。少しずつ街は綺麗になり、そこに住む人たちも変わっていく。
貧民街の住人が初めて知った、未来への期待。それは街を確実に変えていくことになるのだ。
◇◇◇
貧民街での用事を済ませて、リオンはウィンヒール侯爵屋敷に久しぶりに戻った。従者であるリオンの帰宅だ。特別なことは何もない。通用口から敷地に入って、そのまま、自分の部屋に向かう。
ヴィンセントへの帰宅の挨拶は明日の朝の予定だ。今日のところはこのまま休むだけ。そう思っていたリオンだったのだが。
部屋に入ったところで固まってしまった。部屋の中でエアリエルがベッドに腰掛けていたからだ。
「……遅かったわね?」
「あっ、はい。思いの外時間が掛かりました」
「そう。早く外しなさい」
「はい?」
「眼帯」
「あっ、そうですね。ここでは不要でした」
屋敷の中で、オッドアイを隠す必要などない。言われた通りにリオンは眼帯を外した。
「こっちに来て」
「……あの?」
「良いから、目の前に座りなさい」
相変わらずの有無を言わせない口調。リオンはエアリエルの前で、膝を付いた。ベッドに腰掛けるエアリエルを見上げると、リオンの両頬にエアリエルの手が添えられる。
「エアリエル様?」
「じっとして……やっぱり、綺麗。リオンの瞳はとても綺麗だわ」
そう言いながら、リオンの瞳を見詰めるエアリエル。リオンにとっては、自分を見詰めているエアリエルの瞳の方が、よほど美しいと思える。
「それで?」
「はい?」
「この瞳で何人の女を口説いたのかしら?」
「……はい?」
「惚けないで。ちゃんとお兄様から聞いているわ。御付きの侍女から平民の女子生徒まで、手当たり次第に口説いたそうね?」
「いえ、そんなことはしていません」
「嘘を付いたわね?」
優しく添えられていたエアリエルの両手が、今度はリオンの頬をペチペチと叩き始める。
「……嘘では」
「まだ嘘を?」
その手の力が強められる。ペチペチがバチンバチンに変わった。
「う、嘘では……い、痛いです。もう、この辺で」
「駄目、私に嘘をつくのは許さないわ」
「く、口説いた、のでは、なく」
「まだ嘘をつくの?」
「じ、情報を、え、得ようと」
「ん?」
「屋敷でやっていたのと同じです。情報を得ようと思って」
「それで何人もの女と!?」
「していません! そういう関係は一切持っていません! これは事実です」
「……本当?」
「本当です」
「そう。じゃあ、許してあげるわ」
「ありがとうございます」
無実の罪で叩かれたのだから、御礼を言うところではないのだが、こういうことを、リオンは気にしない。
「……でも、どうしてそんな真似を?」
「それが……」
そこからリオンは学院での出来事を、エアリエルに説明した。
ヴィンセントの評判を上げるつもりが、何故か、嘘の噂で下がってしまったこと。それを打ち消し、更に評判を良い方向に変える為には、情報操作が必要だと考えたこと。その為に、侍女や女子生徒との繋がりを広げていたこと等々。
エアリエルは難しい顔をして、リオンの話をじっと聞いていた。
「お役目を果たせずに申し訳ございません」
「……いえ。まだこれからよ。挽回する機会は幾らでもあるはずだわ」
「はい」
「……会った?」
「はい?」
今日のエアリエルは、リオンからすると、少しおかしい。話の流れがころころと変わって、理解が追いつかなかった。
「だから、王太子殿下に会った?」
「ああ。会ったというか、お見かけはしました」
「そう。どう思った?」
「……同年代とは思えないほど、落ち着いた雰囲気で。それくらいです。見たというだけですから」
「そうね」
「お会いしていないのですか?」
今や、エアリエルは王太子の婚約者だ。会う機会が何度もあっておかしくないのだが、エアリエルの話にはそれが感じられなかった。
「……婚約式以来、会っていないわ」
「そんなに?」
「政略結婚だから。王太子殿下は私のことが好きじゃないのよ」
「政略結婚でも、出会った時は好きじゃなくても、良い時を重ねて行けば、好きになります。エアリエル様であれば絶対に」
「……時を重ねて行けば、か」
リオンの励ましの言葉にも、エアリエルは浮かない表情のままだ。王太子との関係がうまく行っていないことがショックなのだと考えて、リオンの気持ちも暗くなる。
「リオンとこんなに長く離れていたのは、出会ってから始めてね」
「そうですね」
「出会ってから二年と少し。これって長いのかしら? 短いのかしら?」
「長いか短いかは、過ぎた年月ではなく、その中身だと思います」
「そうね。リオンにとっては?」
「……かけがえのない時だと思っています。これからの時も、そうなると思います」
「そう……」
「もしかして、離れていて寂しかったですか?」
「なっ?」
リオンの問いは完全に不意を突いたようで、エアリエルは何も言えずに、真っ赤になって固まってしまった。
「大好きなヴィンセント様と離れたのは生まれて初めてでしょうから寂しく思うのは仕方ありませんね?」
「……そうね」
「休暇の間、思いっきり甘えたらどうですか?」
「ええ、そうするわ」
ニッコリと微笑みながら、エアリエルは又、リオンの頬を両手で挟み込む。
今度は最初から容赦はない。バッチン、バッチンと大きな音を立てて、リオンの頬を張っていく。
「あ……あの……い……痛……あっ……」
「一か月間、思いっきり虐めてあげるわ」
「えっ? あっ、いっ、痛い!」
その後、両頬が真っ赤に晴れ上がるまでリオンはエアリエルに叩かれることになった。
◇◇◇
屋敷に戻ってからも、リオンの生活は大きくは変わらない。鍛練と勉強の毎日だ。
暗いうちから体を鍛え、ヴィンセントとエアリエルの補佐という名目で一緒に授業を受け、時にマナーやダンスの練習をし、時に剣を鍛える。
それが終わると魔法の授業の時間だが、リオンはそれには参加しない。エアリエルはそれについて不満そうだが、珍しくリオンはその意向に逆らっている。
それ以外の時間は、文字を書く練習や、学院の図書室から借りてきた本での自習。そして、ヴィンセントとエアリエルにしている数少ない隠し事の中の一つ。貧民街に関わる仕事をしている。
従者らしき仕事は何もしていないのだが、これについても相変わらずだ。
自分は恵まれている。いつもリオンはそう感じている。ヴィンセントとエアリエル以外の人達の態度は相変わらずだが、リオンにとって、そんなのはどうでも良いことなのだ。
物心がついてから、ずっと周りはそうなのだ。もう慣れっこになっている。
唯一、リオンが屋敷での生活に不満を感じているとすれば、それは夜だった。
薄暗い部屋のベッドの上に、ぼんやりと白い肌が浮かんでいる。そこから長く伸びた二本の足はリオンの体に絡みついている。
そんな状態で、ゆっくりと動くリオンの体。その動きに合わせて、女の喘ぎ声が部屋に流れる。
最後に一際大きな喘ぎ声とともに女が力一杯、リオンの体に抱き付いて来た。そこから一気に脱力。荒い息を吐きながら、女はぼんやりと宙を見詰めている。
何度見ても、それが誰であっても、リオンにとっては醜悪としか思えない姿だ。
「……凄いわね」
しばらくは死んだようになっていた女が口を開いた。
「凄い?」
「子供なのに……こんなに夢中にさせるなんて……」
「……そうですか?」
「そうよ」
「私には分かりません」
屋敷に戻ってきたリオンに、この時を待っていたとばかりに、侍女が群がってきた。学院に行く前から関係を持っていた侍女たちだ。
色々な理由をつけて日にちをずらしては、一人ずつ相手をしてきたリオン。それでも関係を持っている相手は五人。ほぼ毎日、誰かの相手をすることになる。
最初は仕方がないと思っていたリオンだったが、侍女たちの欲求が落ち着くことはなく、その次の週も、また、次もと続いている。
そのことにリオンが苛立って、手荒く扱っても、それはそれで満足なようで、通うことを止めようとしない。
一日一日、自分が汚れていくようで、夜になるとリオンは憂鬱な気分になる。
それでも相手をしているのは。
「アクスミア侯家のお茶会に行くことになったわ」
こういった情報を入手する為だ。
「……エルウィン様はいつの間に、アクスミア侯家と繋がりを?」
「どうやら、ウスタイン子爵が動いたみたい。そんな話をウォルが口にしていたわ」
「従属貴族が勝手に?」
「私も驚いたわ。しかも招待を受けるなんて。こんなことが奥方様に知れたら」
嫡子であるヴィンセントを差し置いて、側室の子が他の侯家のお茶会に招待される。そんなことを、ヴィンセントを溺愛している母親が許すはずがない。
それはこの屋敷の者は全員分かっているはずだ。そうであるのにウォルは招待を受け入れた。
自分の居ない間に、事態が悪い方向に進んでいる。そう思って、リオンは胸が痛くなる。
「エルウィン様ご自身は喜んでいるのかな?」
「喜んでいる。私はそう思うわ」
「そうですか……」
これも良い情報ではない。側室の子でありながら嫡子を蔑にすることに何も感じない性格だということだ。
「これは誰にも言わないでね?」
この誰にも言わないでね、が、体を重ねる度に増えてくる。侍女の側からすれば、馴れ合っているということなのだろうが、リオンにはその意識はない。
「もちろんです」
「エルウィン様は、恨んでいるのよ」
「恨んでいる?」
「自分と母親を離れに追いやって、顧みようとしない旦那様を。自分達に辛くあたる奥方様も」
「……あまり身分の高くない方だと聞いていたのですが?」
リオンからしてみれば、離れを与えられた上に専任の使用人に囲まれて、何不自由のない生活を送っている。それで何が不満なのだ、となる。
「そうよ。元は私と同じ侍女で、実家は準男爵家ね」
「一代貴族ですか……それで良く侍女に上がれましたね?」
侯爵家の侍女だ。実家は貴族である者しかいないといって良い。準男爵は、功績があった者に送られる名誉爵位で、世襲は出来ない。本人以外は貴族家の者とは扱われないのだ。
「そう言うということは、リオンは一度も会っていないのね?」
「離れには近づかないようにしています」
「リオンの立場だとそうするわね? 凄く美人なのよ。女の私が見ても驚くくらいに」
「侯爵様は始めから、そのつもりで?」
「違うわ。彼女の実家が金と伝手を使って、送り込んできたの。実家は結構な大商家らしくて、娘を侍女にする為に、かなりの金を使ったって噂があるわ」
「……侯爵家の側室になる足がかりですか」
「断言は出来ないけど、私はそう思っているわ。いくら美人でも、あの旦那様が、何のきっかけもなく手を出すとは思えないもの」
侯爵様は奥方を愛しているが、それと同じくらいに恐れてもいる。これも屋敷で働いている者であれば、誰もが知っている事実で、屋敷に住み始めたばかりのリオンでさえ、側室が居ることにひどく驚いたくらいの常識だ。
「……野心があると考えたほうが良いですね?」
「そうだけど。野心がなくても結果は同じじゃない? リオンも、義理堅いところは立派だと思うけど、少し考えた方が良いかもね?」
「そうでしょうか?」
「そうよ」
「……考えてはみますけど、私はヴィンセント様だから仕えることを許されている訳ですから」
本気で考えるつもりはリオンにはない。侍女はリオンとの火遊びを楽しんでいるだけであって、ヴィンセントの味方という訳ではないのだ。
こういうことを言うからには、どちらかと言えば、エルウィンの方が後継ぎに相応しいと思っているのだろう。こう答えておくほうが無難だった。
「それはあるわね」
「成る様になる、私の立場ではそう考えるしかありません」
「まあ、廃嫡になっても生活に困ることにはならないはずだから」
「……はい」
侯爵家の状況は良くない方向に進んでいる。屋敷に戻ってきたリオンは、情報を入手する度に、そう思わされてしまう。
学院だけでなく、屋敷での工作、もっと言えば、侯爵家外への働きかけも必要なのだろう。だが、分かっていてもリオンはそれが出来る立場ではない。
出来る立場だとしても、リオンの体は一つしかない。自分の無力さを思い知らされるリオンだった。
味方を作らなければならない。協力してくれる味方を。その為には何をしなければならないか。しばらくリオンは、これをひたすら考え続けることになる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?