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真影の月 真影の刻:第163話 まさかこんな手に出るとは思っていなかった

 新しい目的に向かって動き出したレイモンドたち、といっても本気でそう思っているのはレイモンドとクレア、それと最後の最後で合流したグリフレットくらい。
 レイモンドを除いた元『グリム・リーパー』のメンバー、そしてそれ以外にもレイモンドに個人的に信頼もしくは忠誠心を向けていた人たちは、ようやく望んでいた方向に事が動き出したと喜んでいる。
 ただ、だからといってすぐに動けるわけではなかった。本格的に動き出す前にまだまだやるべきことがあるのだ。

「アイル王国に残っている馬鹿の軍勢は一万。それをどうするかだな」

 アイル王国には三万のブリトニア王国軍が展開していた。そのうちアルスターを攻めていた二万は武装解除を行っているが、まだ一万が残っているのだ。

「馬鹿の軍勢とは限らないわ。ブリトニア王国に忠誠を誓っている人たちだって多いでしょ?」

 三万の軍勢全員がアーサーに忠誠心を向けているわけではない。そのほとんどはただ指揮官の指示に従っているだけだ。それがブリトニア王国の為だと信じて戦っていただけだ。

「それだって同じこと。こちらの味方ではない」

 アーサー個人とブリトニア王国、どちらに忠誠心が向いていても同じこと。レイモンドはそう考えている。

「そうとは限りません。今、拘束している二万を味方に出来れば話は変わってきます」

 レイモンドの発言に異を唱えてきたのはトリスタン。補給の妨害に動いていたトリスタンとレインウォーター伯爵領軍もアルスターの戦いが終わったと知って、合流していた。

「……どうしてお前がここにいる?」

「兄上のお手伝いをしようと思いまして」

「……そういうことじゃない。お前はレアと一緒に投降した騎士たちの説得に当たらないのか?」

 何よりも重要なのは投降した二万の軍勢を少しでも多く味方につけること。今のレイモンドたちはアーサーやハートランド侯爵家と戦うには圧倒的に戦力が不足している。アルスターで使った奇襲が何度も通用すると思うほどレイモンドたちは楽観的ではない。

「説得は義姉上だけで十分だと思います」

「そんな簡単に説得出来るならとっくに味方になっている。ある伝手は少しでも使うべきだ」

 投降したその日のうちに騎士たちには味方になるように伝えている。だがそれは上手くいっていない。裏切りを是としない騎士が多いのだ。そういう騎士だから殺さなかったのであり、味方にしようとしているのだが。

「一応、義姉上には説得する為の策のようなものを伝えました。それでも駄目なら私も説得にあたります」

「その策ってなんだ?」

「秘密です」

「何だと?」

「今はまだ話せません。今日の説得の結果次第で義姉上からお話があるでしょう」

 今レイモンドに話すわけにはいかない。説得を邪魔しないまでも必ず怒らせる。そういう情報なのだ。

「……じゃあ、いい。レアに聞く」

「はい。説得が終わった後で」

「……それで何故、お前はここにいる?」

 情報について聞き出すのは無理。それが分かったレイモンドはまた同じ質問を繰り返した。

「さっき言いました。兄上のお手伝いをしようと思いまして」

「どうしてそんなことを考えた?」

 トリスタンに自分を手伝う動機はない。レイモンドはそう思っている。

「兄弟だからです……と言っても兄上には信じて頂けないでしょうから、一つだけ理由を教えます」

「その理由というのは?」

「母に会って頂きたいと思っています」

「……何だって?」

 ますますレイモンドはトリスタンの気持ちが分からなくなった。トリスタンの母は自分を嫌っていた。もちろんレイモンドも嫌いだ。そんな相手が会いたいと思うはずがない。

「お礼とお詫びを申し上げたいそうです」

「必要ない」

「お借りしたお金も返さないと」

「それも必要ない」

 トリスタンの母との面会を拒否するレイモンド。

「あら。それは必要よ」

 ドロシーはそれを許さない。ドロシーにもトリスタンの母がレイモンドに会おうとしている気持ちは分からないが、本当にお礼とお詫びであれば会うべきだと思っている。それがレイモンドの過去に経験した嫌な思いを少しでも和らげることに繋がればと思っている。

「……じゃあ、金だけ返せ」

「そのお金は母が持っています。さすがにここまで持って来られませんので、会うのもお金をお返しするのもまだ先になります」

「お前の母は今どこにいる?」

「ロンメルスにいます」

 トリスタンの母はアイル王国との国境にある城塞都市ロンメルスにいる。隠れ家としてそこを選んだのだ。

「……そういえばロンメルスって?」

 ロンメルスの名が出たところでレイモンドは問いをドロシーに向けた。

「転移魔道装置封鎖の指示は出したわ。ただ指示通りに動いてくれるかは分からない。駐留軍の味方は一部でしかないし、なによりマグダレンを信用出来ない」

 領主、そして領主の娘であるマグダレンにとってレイモンドは命の恩人と言える存在のはずだが、問題は相手がどう思っているかだ。ロンメルス反乱鎮圧の過程でレイモンドが行ったことを恨んでいないとも言えないのだ。

「こちらに従わなければ情報が知られるな」

 アルスターでの戦いの結果を知ればアーサーがどう動くか。まだレイモンドたちは戦う準備が出来ていない。あくまでも軍事的に戦う準備ではあるが。

「封鎖が出来なくても知られるわ。だから同じ」

 そもそもロンメルスを封鎖しようと考えたのはブリトニア王国軍をアイル王国内に閉じ込めて、情報がブリトニア王国に流れるのを遅らせる為だ。封鎖に動かなければやはり情報はすぐに漏れる。

「それもそうか。それに相手の動きに合わせてなんて状況じゃないしな」

「そうよ。今の優先課題は二万の捕虜を味方にすること。そしてアイル王国との協力態勢を作ること。相手がどうだろうとこれは急がなければならないわ」

 ブリトニア王国軍二万が武装解除されたと知れば、アイル王国は拠点奪回に動き出す可能性がある。それはいい。だがレイモンドたちまで排除しようと考えられると面倒なことになる。そうならないようにアイル王国との協力態勢を急ぎ構築しなければならない。

「後者の状況は?」

「アボット子爵は了承してくれたわ。あとは王家、そして他の臣下たちがアボット子爵にお願いした説得をどう受け取るかね。馬鹿な考えは起こさないで欲しいけど」

 アイル王国の説得はアボット子爵に頼んだ。お願いした内容は最低でも敵対関係にはならないこと。出来れば共闘関係を結ぶこと。

「アイル王国が敵対しようとしたら捕虜にしているブリトニア王国軍を自由にする」

「それだと戦う為の軍勢を失うわ」

「その時はその時。また考えればいい」

 正面から戦うだけの軍勢を揃えられないのであれば、違った方法で攻めればいい。

「そうだけど上手くいったほうがいいでしょ?」

 進む道が定まったのだからこれ以上足踏みはしたくないとドロシーは考えている。そうならない為には一気にある程度の軍事力を手に入れることだ。

「それはそうだけど相手があることだからな」

「レイと一緒に来た人たちは? 援軍とか呼べないのかしら?」

「ああ……どうだろうな。彼らも一つにまとまったばかりで、これから本格的な国造りに取り掛かろうかというところだ。他国の為に人手は割きたくないだろうな」

 レイモンドは一つ一つ、交渉であったり力づくであったりで説得して海洋族をまとめた。それを一つの国の形に整え、国力を増やし、大陸に攻め込む力をつけようとしていたところ。その力をレイモンドはハイランド統一に使うつもりはない。もともとハイランドで失敗したときの為の力なのだ。

「……彼らとレイの関係ってどういうものなの?」

「俺? 族長たちのまとめ役かな?」

 レイモンドが彼らを一つにまとめ、国の形にしようとしている。ただのまとめ役とは相手のほうは思っていない。

「国が出来たら?」

「きちんと決めてない。出来ればレアを彼らの王にしたいけどな。いや大陸に進出する予定だからそこで国を造って、その国の王でもいいか」

「……そうね」

 きっと彼らはレイモンドが今話したようなことは考えていない。それは間違いないとドロシーには分かった。彼らはレイモンドの下で国造り、さらに征服事業に乗り出そうとしているのだから。

「そういえば物資の調達はいけるか?」

「さすがに厳しくなってきたわ。どの国にも物がなくなってきているらしいから」

「じゃあ、それを頼むか。交易は彼らの主要財源の一つだからな。仕入れ先には困らないはずだ」

「それは助かるわね。アンドリューに伝えておくわ」

 ワイバーの港で物資を陸揚げし、あとは転移魔道装置で輸送する。アイル王国が協力してくれるかによるが、それが一番効率的だ。

「あとは……」

「アレクシスにも動いてもらうわ」

「はっ? どうして?」

 アレクシスは引退。ハンシス商会の一員としての協力は頼んでも戦場に立たせるつもりはレイモンドにはなかった。

「効率的だから」

「そうかもしれないけど……結婚したんだろ?」

「関係ないから。それにこちらが何も言わなくてもアレクシスは行動するわ。そうであるならきちんと指示を出したほうがいい」

「……分かった」

 本格的に動き出すまでにはまだまだやることがある。だがそのやることは迅速に確実にこなされていく。今、ハイランド大陸に存在するいくつもの勢力の中で、単純な数は別にして個々の質がもっとも高いのはレイモンドたちだ。それは軍事でも、後方支援でも、そして謀略においてもそう。

◇◇◇

 レイモンドたちに足りないもの。その中で一番明確なのは兵の数。アーサー自称国王軍、そしてシャロン女王軍に対抗出来る数が必要なのだ。さらに二勢力に勝てばそれで終わりというものではない。そこで大きく戦力を損なうことになれば、アイル王国やスコット王国が黙っていない。ブリトニア王国は他国の侵略を受ける側に回ることになる。
 この問題のもっとも有効な解決策は捕虜にしている二万を含めて、アイル王国に残留しているブリトニア王国軍を吸収すること。その為の説得をクレアは行っていた。

「もう一度お願いするわ。私たちに味方してくれませんか?」

 捕虜の二万を味方にするにはそれを指揮する騎士たちを説得すること。もちろん、直接兵士を説得することも考えてはいるが、二万の軍勢を動かすとなるとかなりの数の指揮官、騎士が必要になるのだ。

「……クレア様には感謝しております。この気持ちは変わりません。しかし国を裏切る行為は騎士である自分には出来ません」

「それについては前にもお話しましたわ。アーサーは国を裏切っていた。そのアーサーの指示に貴方たちは従っていたのですよ?」

 シャロン女王の生存は既に騎士たちに伝えている。アーサーの裏切りを教える為であるが、それだけではない。全てを知った上で味方してもらいたいという、少々甘くもあるが、クレアの思いからだ。

「それについては不覚としか申し上げられません。しかし女王陛下のご存命を知って、それでブリトニア王国に剣を向けることは出来ないのです」

「そのシャロン女王は貴方たちが忠誠を向けるべき相手でしょうか?」

「それは……我が国の王でありますから、忠誠を向けるのが当然です」

 シャロン女王の資質。それについて今はまだ否定する材料はない。それでも騎士は少し答えに戸惑った。

「彼女は今、ハートランド侯爵家と手を結んでいるわ。その彼女を変わらず支援するというのですか?」

 騎士の躊躇いの理由をクレアは知っている。シャロン女王を支持し、それに味方することはハートランド侯爵家に味方することになる。それに疑問を感じているのだ。

「……自分たちはブリトニア王国の騎士。女王陛下に仕えるのがその責務です」

 騎士であるからシャロン女王の為に働く。これは個人としての感情はそうではないと認めているようにも聞こえるが、そこを突いても意味はない。彼らはブリトニア王国の騎士なのだから。

「彼女は確かにブリトニア王国の王。でもそれに正統性はあるのでしょうか?」

 クレアも個人的にはシャロン女王への攻撃は行いたくない。だが騎士たちを説得するにはそうするしかないと諦めた。

「正統性……ですか? 女王陛下はブリトニア王家の血筋。正統性に問題があるとは思えません」

「ええ。私もその点を否定するつもりはありませんわ。ですが彼女が即位した経緯には疑問を感じます」

「即位の経緯……」

 全く頭の中になかったこと。どうしてクレアがこのようなことを言い出したのか騎士は考えている。それは周囲の騎士も同じ。
 ほぼ全員がクレアの話を頭から拒否するのではなく、聞く姿勢を持った。そう判断したところでクレアは説明を始めた。

「シャロン女王はアーサーとハートランド侯爵によって王の座に据えられました。どちらもブリトニア王家を思ってのことではなく、私利私欲の為です」

「それは……」

「私の言っていることは間違いですか?」

「……いえ、正しいと思います」

 クレアの言っていることは正しい。それはこの場にいる全員が分かっている。

「百歩譲って動機についてはいいと思います。もちろん私利私欲の為に自国の王を利用するような真似は決して許せませんが、それは王になったシャロン女王に非があることではありません」

「…………」

 クレアの言い方は別のことではシャロン女王に非があるような言い方だ。それが何なのか。また騎士たちは考え始めた。

「ブリトニア王国において女王が立ったのは史上初。これも結構です。女王であることが悪いわけではありません。私が疑問に思うのは、即位の前にそれについて何の議論も行われなかったことです」

「議論……ですか?」

「過去においても同じようなことがありました。男子が生まれることなく、王太子を選定出来なかったのです」

「……そのようなことが」

 これは騎士たちには分からないこと。過去の王家の歴史についてなど貴族家、それもそれなりに勉強している貴族でないと知らないのだ。

「男子がいない状況で次代の王をどうすべきかという議論が行われました。その結果は……」

「結果は?」

「お分かりでしょう? 女王が立つのはシャロン女王が初めてなのですよ」

「あっ……そうでした」

 王女が王太子に、女王になったのではない。王家の血を引く男子の誰かが次代の王になったのだ。

「エバートが簒奪者として処分された当時、王女であったシャロン女王しか前王の御子はいなかった。そうであれば別に王家に繋がる家の男性を王位に就けるという議論があって当然とは思いませんか?」

「それはそうかもしれませんが……」

「その議論がない。そもそもシャロン女王を王と誰がどのような権限をもって決めたのでしょうか?」 

「…………」

 アーサーにそんな権限はない。そして大貴族であっても官職を持たないハートランド侯爵にもその権限はない。それくらいのことは騎士たちにも分かる。

「王家の血を引いている。これだけで王になって良いものではありません。そもそも王女であったシャロン女王に王位継承権は与えられていたのでしょうか? 私は疑っています」

「そうなるとどうなるのですか?」

「改めてブリトニア王国の玉座に就くべき人は誰かを議論すべきだと私は思いますわ。でも、それをアーサーもハートランド侯爵も、もちろんシャロン女王も受け入れないでしょう。ですから私たちは力でそれを正すしかないのです」

 この説明には少し嘘がある。エバートが即位する前の王位継承権。前王が定めた王位継承順位にはエバートに次ぐ人物がいたはずだ。ハートランド侯爵家も無視した継承権者が。
 それに従うという考えもある。だがいくら誠実なクレアでも説得の邪魔になるこの話をする気にはならない。

「……つまり、こういうことですか? 新たな王を、それも正統である王を擁立すると?」

「正統かどうかは、まず正統ではない王を退けて、それから議論すべきことですわ」

「その為に力を貸せと」

「ええ。ブリトニア王家の血を引く方が正しいことを為そうというのです。ブリトニア王国の騎士である貴方たちにはそれに協力する義務があると思いませんか?」

「ブリトニア王家の血を引く方、ですか?」

 そのような存在については今初めて耳にした。それが誰であるのか騎士は尋ねた。

「レイモンド・ザトクリフ」

「えっ?」

 クレアはあえてブリトニア王国の時の姓を使った。騎士たちにレイモンドはブリトニア王国の人間と思わせたいからだ。

「レイの御母様は遡れば王家に連なるノーザンランド公爵家のお生まれ。レイはブリトニア王家の血を引いているわ」

「なんと!?」

 王家の血を引く人間はまさかのレイモンド。それを聞いた騎士たちから小さなどよめき声があがる。
 全員が頑なにレイモンドに従うことを拒絶しているわけではない。自分だけが裏切り者の汚名を着るのが嫌で、そう言われない為の口実を求めていた騎士もいた。そういった騎士たちにとって、これは格好の情報だ。

「もちろんレイよりもずっと血が濃い方はいらっしゃるわ。でもその方たちには力がない。そうであれば力のあるレイが代表して動くしかない。簒奪者や正統性のない人を排除してから、ブリトニア王国の玉座に座るのに相応しい人を選べば良いのです」

 さらにクレアはこの場でレイモンドを王として認めろと言っているわけではないと説明する。これで騎士たちの心の中にあったハードルは更に低くなる。

「……そうなりますか」

 そうはならないはずだ。それは話を聞いた全員が分かっている。
 もしレイモンドがアーサーやハートランド侯爵、そしてシャロン女王を退けることが出来たとすれば、その後にレイモンドに対抗しようなんて人物は出てこないだろう。そんな力はないのだ。だから今もただ黙って争いを見ているだけなのだ。

「どうですか? 貴方たちが私たちと共に戦う理由、正統性はあると思いませんか? ブリトニア王国の玉座を正統な王に返そうというのが目的なのですから」

「……承知しました。我が命、我が忠誠はブリトニア王国にあります。国の為に戦うことは我が使命。喜んでご協力いたしましょう」

 この言葉の全てが本心ではない。レイモンドに従う理由、それも他者を納得させられる正統な理由が得られた、ということを自らの口で訴えているのだ。
 騎士としての在り方を否定することなく、さらに成功すればブリトニア王国の玉座を得ることに協力した忠臣という栄誉まで与えられる。これを拒否出来る人は少ない。
 もちろん勝算があればの話だが、その勝算は十分にある。戦略、戦術、謀略におけるレイモンド、そしてその仲間たちの実力は何度も思い知らされている。味方として、そして敵として。敵ではなく味方でありたいと思うのは当然だ。
 これで騎士たちの説得は成功。そして騎士たちから兵士たちにレイモンドがブリトニア王家の血を引く人物であること、ブリトニア王国を正す為に立ち上がることが伝えられ、二万の軍勢全てがレイモンドに従うことになった。正統ブリトニア王国軍として。

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