第13話 イベント:遠足(前半)
学院に来てから、ヴィンセントの評判は良くなるどころか落ちる一方。それも事実とは異なる理不尽な噂によってだ。
噂の出所を突き止めようと、リオンは散々に動き回ったのだが、全く辿り着く事が出来なかった。必ずどこかで「何となく聞いた」という答えが返ってきてしまうのだ。
これだけの虚報が広まるという事は、必ず悪意を持ってそれをしている者が居るはず。何とか、黒幕を突きとめて、止めさせなければならない。そう思いながらも、何も出来ない自分にリオンは苛立っていた。
怪しい者は居る。だが、その者は、推測だけで、どうにかして良い相手ではなかった。どうすれば、証拠を掴むことが出来るのか、それをずっとリオンは考えている。
「……オン。リオン!」
「……はい?」
「何をボケッとしている? 僕が質問しているのだぞ」
「はい。それで……」
「遠足のルートの事だ。どのルートを進むのが良いと思う?」
「えっと……」
秋の行事には遠足がある。遠足といっても、ただ決められた目的地まで歩く訳ではない。出発地から目的地までのルートを決めて、必要な装備を整えるなどの事前準備から自分たちで行うのだ。
行軍訓練を極めて簡単にしたものという位置づけだった。
そして、最大の問題は、途中には魔獣が出没するという事だ。普通の獣に毛が生えた程度の弱い魔獣という事だが、実戦経験がない新入生には、それなりに危険な相手だ。
もちろん、学院側は万一の事がないように、万全の態勢を取っているのだが、それを生徒に教える事はしない。
自分たちの力だけで、目的地に到着しなければならないという気持ちを持たせる為だ。
「皆さんで相談されては?」
「もうした。意見が割れているから、リオンに聞いている」
「では多数決で決めてはいかがですか?」
「多数決が常に正しい選択をするとは限らない。これはリオンが言った事だ」
「……確かに」
ある時に、自分の意見が支持されない事を嘆いたヴィンセントを慰める為に告げた言葉だ。こういう事をヴィンセントは実に良く覚えている。
「多数決で決めるにしても、議論を尽くしてからだ。これも」
「……はい。私が言いました」
これは、ヴィンセントが侯家の威光を使って、意見を押し切ろうとした時に告げた言葉。別の時に、別の意味で伝えた言葉が、ヴィンセントの中では、うまく一つの事柄として整理されていた事に、軽くリオンは驚いた。
「だから議論だ。議論のネタとしてリオンの意見が聞きたい」
「……どのように割れているのですか?」
「何も聞いていなかったのか?」
「申し訳ございません。ちょっと別の事を考えておりました」
「仕方がないな。じゃあ、説明するぞ」
「はい」
「目的地までのルートは三つある。一つは森の北側を回り込むように進むルートだ。山道はきちんと整備されていて、歩きやすいが、距離は一番長い」
こうして、ヴィンセントはリオンに対して、丁寧に説明を始めた。
残りのルートは二つ。もう一つは南側を迂回するルートで、北に比べると道はあまり整備されていないが、距離はずっと近い。
残りの一つは森を突き抜けるようにして、真っ直ぐに目的地に進むルート。当然、距離は一番近いのだが、道はそれほど整備されていない。そして、中央ルートには問題がある。
森の中心部を進む為に、魔獣と遭遇する可能性が、他のルートに比べて、はるかに高いという事だ。
北、南、中央の順で危険になっていくという事だ。
それなら一番安全な北を選べばよい、という風にはならない。遠足となっているが、これは自らを鍛える為の調練なのだ。そして、目的地に早く着いた者の評価は高くなる。
リスクを冒して、最短ルートである中央を進むという選択も十分にあり得る。
「意見は三つに割れているのですか?」
「いや、二つだ」
「北と中央?」
「違う。中央と南だ」
「……どうして南が選択肢の一つになっているのですか?」
「北は楽過ぎる」
「なるほど」
「南は駄目か?」
リオンの聞き方で南を選んだ事に不満なのは分かっている。だが不満に思う理由がヴィンセントには思いつかない。
「駄目とは言いません。ただ中途半端と思っただけです。意見が割れるのは、両極端かなと」
「中途半端か……」
「目的に置き換えてみましょうか。中央を選ぶ場合の目的は?」
「一番に到着する事」
「では、南は?」
「……安全に到着する事」
「それは目的とするには曖昧過ぎます。この場合は、誰も欠けることなく目的地に辿り着く、ではないですか?」
「そんな感じだ」
「そして、目的がこうであると、選択肢は北になります。少しくらい遠くても、歩きやすい道の方が疲れにくいと私は思います」
「……そうだな」
「南は一番にはなれず、おまけに脱落してしまう人が現れるかもしれない。選ぶ理由がないように思います」
「その通りだ」
ヴィンセントに話しながらも、リオンは他の生徒の反応も注意深く見ている。反応は概ね、ヴィンセントと同じ様子だ。
このクラスではヴィンセントがこうすると言えば、逆らう者はまずいない。人望があるからではなく、侯家を恐れての事だ。無理に言う事を聞かせれば、内に不満が溜まる事になる。
ヴィンセントの評判の為に、リオンとしては、何としてもそれを避けたかった。その為に議論を尽くす事が必要と、ヴィンセントには言っている。
「北と中央のどちらかで選択する事にする。異議のあるものは?」
ヴィンセントの問いに、応える者は誰もいない。これは恐れてではなく、同意の意志表示だ。
「そうなると目的か。どちらの目的を選択するべきか?」
「……あの、私ばかりが話をしては」
こんな事にもリオンは気にしなければならない。リオンが出しゃばれば、それは侯家の威光を借りてとなり、それを許すヴィンセントの悪評に繋がると、思っての事だ。
「参考にするだけだ」
「……では。目的となると、今回の遠足の目的とは何でしょうか?」
「遠足の目的?」
「はい」
「……何だ?」
「遠足と呼んでいますが、別の意味があったはずです」
「あっ、行軍訓練か」
「はい。遠足は行軍訓練の真似事です。では行軍の最低限の目的とは?」
「目的地に辿り着く事?」
「決められた時間内に目的地に辿り着く事です」
「ああ、時間な。つまり……北か」
ちょっと考えたがヴィンセントは正しい答えを出した。早くではなく、決められた時間といったリオンの意図を理解していた。
「私が決めるとそうなります。もちろん、早く着いたほうが良いでしょう。ですが遠足は初めての経験です。中央ルートがどれだけ危険か分からない状態で、そこに踏み込む事が正しいとは思いません」
「そうか……そうだな」
結局、このリオンの説明にクラス全員が同意する事になる。Bクラスは北ルートを選択した。
◆◆◆
そして遠足当日。Bクラスの生徒たちは、綺麗に整備された山道を、整列して進んでいた。
北ルートを選んだのはBクラスだけ、他の二クラスは、それぞれ中央と南を進んでいる。一ルートに一クラスと綺麗に分かれる形になった。
「距離と道を完全に把握していれば、走るという手もありますね」
「走ってどうする?」
「頑張れば一番で辿り着けるかもしれません」
「それは……リオンだけだ」
リオンであればそれが出来るだけの体力がある。そして、自分にはない。その事をヴィンセントはよく知っている。
「鍛えればヴィンセント様も平気です」
「……リオンの鍛え方は異常だ。僕はあんな無茶は出来ない」
「続けていれば慣れます」
「慣れる前に死んでしまう」
「そんな事はありません。すぐに慣れますよ」
リオンの話を信じないのはヴィンセントだけでなく、周りで聞き耳を立てている生徒たちやその従者たちも同じだ。彼らもリオンの感覚が、少し人とズレている事が分かってきていた。
実際にリオンは、出発してからずっと、走って先行しては戻ってくる、を何度も何度も繰り返している。それでいて誰よりも疲れを見せていないのだから、かなりの体力である事は、誰だって分かる。
リオンが何故、そんな事を繰り返しているかというと。
「先に見える緩いカーブを越えたら休憩にしましょう。全員が腰を降ろせるくらいの空間があります」
「ああ、分かった」
休憩に適した場所を探す為だ。他に比べれば楽なルートではあるが、それでも、きちんと休憩を取る様にしている。
クラスには、貴族の令嬢である女子生徒もいる。彼女たちの中には、自分の足で歩いて、遠出なんてした事がない者もいるのだ。
リオンはもちろん、ヴィンセントでも楽勝な道であっても、そんな彼女たちにとっては、今まで経験した事のない、大変な運動であったりするのだ。
「エアルもああなのかな?」
ヴィンセントが女子生徒に気付かれないように小声でリオンに聞いてきた。
「……どうでしょう? 体力はかなりあると思いますけど」
「どうしてそう思う?」
「ダンスのレッスンです。何時間も踊っていた事がありました」
「ああ、あれか。でも、あれは意地になっていただけだろ?」
「そうだったのですか? 確かにそんな雰囲気は感じましたけど。でも、何に意地になっていたのでしょう?」
「お前って……」
鈍感という言葉をヴィンセントは飲み込んでおいた。エアリエルが意地になった理由をヴィンセントは知っている。
リオンが自分に向かって何度も尋ねてくる『疲れたでしょう』は、ダンスに付き合うのが嫌で、聞いているのだと思ったからだ。
リオンが心配そうに声を掛ける度にエアリエルの目は釣り上がっていった。そのくせリオンとのダンスが始まると、実に楽しそうにしているのだ。
妹の複雑な女心をヴィンセントが初めて知った出来事だった。
そんな事を話している間に、開けた場所が見えてきた。リオンが言っていた休憩場所だ。
「見張り役は、第三隊。女子生徒たちは中央で休憩を」
生徒たちにヴィンセントの指示が飛ぶ。全体を率いる指揮官はヴィンセントの役目だ。
女子生徒と御付きの侍女を囲むように男子生徒が位置を取る。その更に外側に、見張り役の生徒たちが立って、周囲をうかがっている。
その様子は、動きは拙いながらも、ちゃんと軍に見える。
「ここから先は慎重に行きましょう」
「魔獣か?」
「はい。山道が森に入り込む為に、魔獣が現れる可能性が高くなると資料に書いてあります」
「そうか。では、少し休憩を長めにとって、後は……」
「歩くときの隊列は戦えない人たちを内側にいれる防御陣形で」
「ああ、そうだった」
ヴィンセントが指揮官であれば、リオンは副官だ。副官役の生徒も居るのだが、リオンがうまくやっているので何も言わずに任せている。その生徒にしても身分が高い同級生の副官役など、やらないで済むのであればやりたくない。リオンが居るのは好都合だった。
次の段取りの確認を終えると、ヴィンセントもその場に腰を下ろす。それほど疲れているわけではないが、行程はまだ半ば。休める時には素直に休んでおこうと考えての事だ。
リオンにも休むように言おうとしたヴィンセントだったが、難しい顔をしているリオンを見て、掛ける言葉を変えた。
「何かあったのか?」
「……何だか、騒がしくないですか?」
「騒がしい? 僕は気にならないけどな」
「いえ、皆さんではなく……森が」
「森?」
「……音ではなく」
耳を澄ましているヴィンセントに向かって、リオンはささやくような声で告げた。それで事情が分かったヴィンセントは音ではなく、気持ちを集中させて別の何かを探り始めた。
「……確かに、そんな感じがする」
「離れてはいますが。随分と派手にやっているようです」
「そんなに強い魔獣がいるのか?」
「思っているより、数が多いのかもしれません」
「そうか。僕らも気を付けないとならないな」
「はい」
リオンとヴィンセントが感じ取ったのは、魔法の気配だ。リオンが精霊と認識している存在が活発に動いているのが感じられる。共鳴といわれる感覚だ。
他の生徒の中にも感じ取った者はいて、不安そうな顔をしている。
「念のために、慎重に行きましょう。いえ、きちんと決めた事をやっていきましょう」
「ああ。そうだな」
安全なルートを選んだBクラスだが、計画には良い加減なところがない。行軍訓練であるからには、何もないと分かっていても、戦場に赴くつもりで計画を立てなければならない。
責任感については人の何倍も強いヴィンセントは、他の生徒にこう言って、綿密な計画を立てることにした。そのほとんどをリオンが考えたにしても、Bクラスの行軍計画はそれなりのものになっている。
何があっても大丈夫と自信を持てるくらいのものに。
だが、残念ながらこの自信はもろくも崩れることになる。予想を超える事態に対しては、計画など練られているはずがなかった。
◇◇◇
「女子生徒を中心に固まれ! 男子生徒も前に出るな! とにかく身を守る事だけを考えろ!」
軽鎧を纏った騎士が生徒たちに向かって叫んでいる。
今の状況は、生徒たちはもちろん、護衛役として密かに後を付けていた騎士たちにも予想外の事態だった。
「距離は!?」
「もうすぐ見える! 数は……ざっと百!」
「百だと……」
多数の魔獣の接近を知って、隠れていることを止めて生徒たちの護衛に動いた騎士だったが、その顔には悲壮感が漂っている。
強い魔獣はいないはずだが、何といっても数が多すぎる。護衛役の騎士は二人しかいないのだ。
「雑魚なら百くらいでも何とかなる! とにかく生徒たちに近付けるな!」
「魔法の援護は?」
「……欲しいところだが、ここは逃げることを優先してもらおう」
「生徒たちだけで移動させるのか?」
「仕方がない。こちらは二人しかいないのだ」
これは守りきれないと言っているようなものだ。この言葉を聞いたもう一人の騎士の顔に、絶望の色が広がった。
「……どうして、こうなった!? だから、少なすぎると言ったのに!」
「今更だ! 覚悟を決めろ!」
最も安全なはずの北ルート。他のルートに比べて、護衛についた騎士の数は少ない。そうだとしても二名は、あまりに少なすぎた。
これには理由がある。中央ルートに向かったのはAクラス、アーノルド王太子とランスロット、シャルロットが居るクラスだ。
最も守らなければいけないクラスが、最も危険なルートを選んだ。その為に護衛騎士の人数比率は、中央ルートに片寄ることになった。そして、最も安全なはずの北ルートは、護衛が付いているという体裁を整えるだけの数とされた。
それでも問題はない。本来の北ルートは護衛など必要としない安全なルートなのだ。だが何故か今、多くの魔獣が生徒たちに近付いてきている。
過去に、類を見ない程の大量の魔獣が。
「ヴィンセント様、後退の準備を」
「ああ」
騎士たちの声は生徒たちにもはっきりと聞こえている。かなり深刻な状態であることは全員が分かっている。
「この場を全力で離れる。落ち着いて、あらかじめ決めておいたグループに分かれろ」
ヴィンセントの指示で生徒たちが動きだす。大きく三つに分かれる生徒たち。そこから更に女子生徒や侍女を中心に置いた陣形を組む。
大きく三つの方陣が出来上がったところで、最初のグループが動きだした。
少し間隔を空けて次のグループが続く。そして最後がヴィンセントとリオンが居るグループ。このグループには女子生徒や侍女の姿はない。殿、つまり追ってくる魔獣を食い止める役目のグループだ。
「後退する!」
騎士に向かって、ヴィンセントは叫ぶ。
「急げ! 来るぞ!」
木々の間を駆けてきた幾つもの黒い影が、ついに姿を現した。
漆黒の体躯を持つ魔獣だ。狼のような姿だが、その大きさは騎士たちよりも大きい。獣に毛が生えた程度といえる姿ではない。
「まさか、あれが百?」
「ヴィンセント様、急ぎましょう!」
「あ、ああ、後退する!」
ヴィンセントの号令を受けて先行したグループの後を追う。
「まずは移動を! 状況の確認は私がします!」
魔獣の様子が気になって、ちらちらと後ろを向く生徒たちに向かってリオンが叫ぶ。そのようなことをしていては、魔獣に追いつかれると思ってのことだ。
最後尾に付いたリオンは足を止めて、騎士たちのほうに向きなおる。
現れた魔獣を次々と屠っていく二人の騎士。だが、森の中から現れる魔獣の数は増えるばかり。防ぎ切る事が不可能なのは、リオンの目にも明らかだった。
「……ディーネ」
リオンの呼びかけに応えて、周囲に光が集まってくる。
高く掲げた右手に集中する光。やがてそれは、大きな光の玉になった。
「……貫け!!」
一気に振り下ろした腕の先から放たれた光の玉は宙を飛び、いくつもの透き通る槍に分裂していった。向かう先は騎士に襲いかかっている魔獣たちだ。
十匹を超える魔獣が水の槍に体を貫かれて地面に転がる。それでも一向に減ったようには見えない。わずかな時間を稼いだくらいだ。
それで良い。リオンの目的は騎士を助けることではなく、ヴィンセントが逃げる時間を稼ぐことだ。
未だに戦っている騎士に背を向けて、リオンはヴィンセントの後を追った。その背中に断末魔の叫びが聞こえてきても、リオンは振り返ることをしなかった。
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