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真影の月 真影の刻:第166話 ラストシーンの準備は着々と進んでいる

 アイル王国との国境にある城塞都市ロンメルス。レイモンドたちの情報封鎖はただ転移魔道装置を書き換えるというだけではない。転移魔道装置が使えなくても徒歩や馬で移動は出来る。当然それを試みる人々もいるのだ。
 だがそうした人々はロンメルスに辿り着く前に行方不明になることになる。それが千や二千でも同じこと。ロンメルスの手前でその何倍もの軍勢に襲われ、殲滅されるだけだ。
 これによりアイル王国内の情報はブリトニア王国には伝わらなくなっている。だがそうであっても情報が全く入ってこなければそれもまた情報なのだ。

「……まだアイル王国の情報は届かないのか?」

 マーリンはかなり苛立った様子で情報局の担当者に状況を尋ねた。ガウェインと連絡が途絶えてかなりの時が経つ。調査は随分前から行われているはずなのだ。

「国境近辺の情報は少し入っています。特に異常はありません」

「そうじゃなくて私はアルスターの情報を知りたいのだ。アルスターの戦況はどうなっている? それも全く入っていないのか?」

 マーリンが求めているのはアルスターの情報だ。離反したクレアはその後どうなったのか。ガウェインはアルスターを落とすことが出来たのか。

「アルスターからは全く連絡がありません」

「その理由は?」

「ロンメルスの転移魔道装置が故障したことが一つ」

「何だって?」

 マーリンはこの情報を初めて聞いた。かなり重要情報であるはずなのに。

「転移魔道装置が故障して、アイル王国内の拠点との接続が切れました。復旧の目処は立っておりません」

「どうして、その情報が届いていない?」

「そうなのですか? かなり前に届いていたはずなのですが……」

「……アイル王国内への補給はどうしている?」

 転移魔道装置を使えなければ物資の輸送に支障を来す。情報が伝わらなかった理由の追及はあとで行うことにして、マーリンは影響を確認することにした。

「私が知る限り、本国からアイル王国への補給は行われていないはずですが?」

「……そうだった。すまない」

 ブリトニア王国内の物資不足は深刻だ。シャロン女王軍との戦いが行われている今、アイル王国に回す物資などない。アイル王国内での戦いに必要な物資は現地での調達と決めていたことをマーリンは忘れていた。

「大丈夫ですか? 少し休まれたほうが」

 マーリンの体調を心配する情報局員。そうしたくなるくらいマーリンの疲労の色は濃い。

「平気だ。陛下の戦いが終わるまでは休むわけにはいかない」

 実際には終わった後も休むわけにはいかない。シャロン女王そしてハートランド侯爵家を討ち滅ぼしたあとの戦後処理も、かなり大変であることをマーリンは分かっている。

「……そうですか。この後はいかが致しましょうか?」

「特務部隊との連絡はどうなっている?」

 情報遮断の最大の原因は特務部隊と連絡が取れなくなったこと。これがマーリンの気持ちを激しく波立たせている。

「完全に連絡は途絶えております。これについては間違いなく何かがあったのだと思います」

「そうだな。討たれたか、寝返ったか。他の部隊との連絡手段も確保しておくべきだったか。甘かったな」

 特務部隊の窓口は『ドレッド・クラウン』のジェスターだけだった。それに問題があることは分かっていたが、ジェスターが話さない限り、他の部隊がどこにいるか分からない。そしてジェスターはそれを話さなかった。自分の価値を高める為に、とマーリンは思わされていた。

「情報局の人間を送り込むという案もありますが、正直お勧めできません」

「特務部隊には敵わないか?」

 クレアの側には元一桁ナンバーズの特務部隊員がいる。特務部隊の中でも最も優秀であった隊員相手に情報局員が太刀打ち出来るはずがない。

「残念ですがその通りです」

「……ガウェインは負けたのかもしれないな」

 特務部隊が接触を断った。討たれたにしろ寝返ったにしろ、クレアの側が優勢だということだ。ガウェインが指示通りに動いていれば三万でアルスターを攻めたはず。普通に考えれば攻略にここまでかかるはずはない。そうであれば失敗したと考えるべきだとマーリンは思う。

「アイル王国が敵に回りますか?」

「……攻めてこないのであれば、それでもかまわない。だがその保証もないか……ロンメルスの守りは固めておくべきだな」

 アーサーが勝てばそれでブリトニア王国は手に入る。あとは守りを固めて他国の侵攻を防ぎ、なんとか国力を回復させて反攻に出る。厳しいのは分かっているが、それをやるしかないのだ。

「陛下は勝てるのでしょうか?」

「……それを考えても意味はない。負ければ終わり……いや、君たちは終わる必要はない。新しい国王の下でこれまで通り、仕事に励めばいい」

 シャロン女王が勝ってまた国王として王都に戻ってきても、処分される人間は限られている。マーリンは当然真っ先に処分される身だが、一般の官僚はそうではない。官僚を全て処分してしまえば国政が立ちゆかなくなってしまうからだ。

「……そうですね。国王が誰であろうと国の為に働くだけです」

「そうか……君はそういう考え方か」

「官僚とはそういうものではないですか?」

「そうだとすると私は官僚ではないのだな。それはそうか。下積みもなくいきなり局長だ。いや、局長以上の権力を振るっている」

 アーサーに付いてきて今の地位がある。そのアーサーが負ければ、マーリンも地位を、恐らくは命も失う。その覚悟は出来ている。

「……他に何もなければ私はこれで失礼します」

「ああ。そうだな。今は頼むことはないな」

「では失礼します」

 情報局員が部屋を出ようと扉の前に立った時にはもう、マーリンは机の上に山と積まれた書類に集中している。やることは机の上の状態通り、山ほどあるのだ。

「……総務局長」

 そのマーリンの姿を見て、情報局員は部屋を出るのを止めて、声を掛けた。

「どうした? まだ何かあったか?」

「……逃げたほうがいい」

「何だって?」

「もうすぐ王都で反乱が起きます。貴方はそれを起こす反乱勢力にとって最重要の攻撃目標。まず間違いなく殺されます」

「……君は何者だ?」

 情報局員だから知っているとはマーリンは思わない。情報局員として入手した情報であれば、すぐにマーリンの耳に入れるはずだ。だがこの情報局員はそれをせずに、一度部屋を出ようとした。隠そうとしたのだ。

「その反乱を起こす勢力の一員です」

「……そうであってどうして私に情報を漏らす」

 マーリンの想像通り。だが情報を漏らす理由が分からない。

「貴方の仕事ぶりをずっと見ていました。ブリトニア王国の王位を簒奪し、立身出世を果たす。それが目的であるのは確かのようですが、それだけではない」

「それだけではないとは?」

「貴方はこの国の民の暮らしを良くしようとしていた。戦争中にそんなことをしても上手くいくものではないと分かっていても、他に山ほどやることがあっても、それをしていた」

 アーサーを王にする為の謀略。それだけをマーリンは行っていたわけではない。普通に官僚として国政を、それも出来るだけ民の暮らしに役立つような政治を行おうとしていた。それを情報局員は知っている。

「……だから助けると?」

「そうです。殺されてしまうには惜しい。そう思いました」

「殺されるとは限らない。君は私に反乱計画の存在を教えてしまった。それには恩を感じるが、それでも私は反乱を許すわけにはいかない」

 知ったからには全力でそれを防ぎにかかる。当たり前のことだ。

「それは無理だと思います。その反乱に加わるメンバーを見つけ出すことは不可能。調べようにも時間が足りません」

「君がいる。君は知っているはずだ」

「いえ、知りません。これは嘘ではありません。そういう組織なのです」

「……もう一度聞く。君は何者だ?」

 同じ質問だ。そして今回もマーリンには答えの予想がついている。情報局員の話がヒントを与えてくれていた。

「バジリスク。反乱を起こすのはバジリスクです」

「やはりそうか……」

 ブリトニア王国の軍、そして官僚組織に深く根を張っている組織。その全容を知る者は誰もいないとされていた組織だ。その組織が今も活動を続けていて、以前よりも積極的な行動を取ろうとしている。それにマーリンは驚いている。

「誰がバジリスクのメンバーか把握している人は限られています。そしてその人たちは王都にはいません」

「……もしかして反乱時の行動計画も本人しか知らないのか?」

「その通りです。他の人間が何をするのか、誰も知りません」

 誰が何をしようとしているのか。それも分からない。それでは完全に防ぐことは不可能。反乱が起きることは防げない。

「出来ることをするしかないか」

 それでも影響を最小限にすることは出来る。何か起こった時の備えを、考え得る全ての脅威に対して行うだけだ。そうマーリンは考えた。

「それを命じる相手が我々の仲間かもしれないのですよ?」

 だがそれさえも困難だ。だからこそ情報局員は反乱計画をマーリンに話せるのだ。

「……そうだな……失敗したな。どうしてバジリスクを放置していたのか。存在は知っていたはずなのに」

 バジリスクの殲滅に動かなかったことをマーリンは後悔した。官僚組織からハートランド侯爵家の影響力を排除すると同じくらいに重要なことだったのだ。

「それどころではなかったですから」

「それでも私のミスだ」

「いえ、こちらの成功です」

「何?」

「ハートランド侯爵家の息のかかった人間を追い出す。それと入れ替わることでバジリスクはその勢力を広げてきました。それによって以前よりも遙かにバジリスクの国政における影響力は拡大しています」

「……私は利用されていたのか」

 ハートランド侯爵家の影響力の排除。大成功と思っていたその裏で、バジリスクの勢力拡大に協力していた。まさかの自分の失態にマーリンはショックを受けている。

「あまり落ち込まないように。貴方への対応は徹底されていました。行動は監視され、与えられる情報は全て選別されたもの。貴方だけがそれだけのことをされたのです。優秀だと認められていた証拠です」

 警戒すべきはマーリンただ一人。マーリンに対しては、その思考と行動を制限する為に徹底的な情報管理が行われていた。その結果だ。

「そう言われても喜べない」

「そうですか? あの方に認められたのですから喜んでもいいと思いますけど?」

「……あの方?」

 情報局員が、バジリスクのメンバーがあの方と呼ぶ人物は誰なのか。それを思ったマーリンの心に黒い影が広がっていった。

「まだ分かっていない? やはり相当疲れていますね。疲れさせるのもこちらの策なので、少し申し訳ないと思います」

「……レ、レイモンド、か?」

 レイモンドの名を口にするマーリンの声が震えている。そうであって欲しくない。だがそうであるに決まっている。

「はい。バジリスクの一斉反乱なんてバジリスクの総帥であるレイモンド様でなければ起こせません。さて、これで逃げろの本当の意味も分かりましたか?」

「……反乱だけでなく、もうすぐ王都に現れるレイモンドから逃げろというのだな?」

 ガウェインは負けた。恐らくはレイモンドによって。レイモンドが現れたからには、最悪の場合はアイル王国に侵攻していたブリトニア王国軍は全滅しているかもしれない。自分の計画が破綻したことをマーリンは知った。

「レイモンド様の策が我々の反乱単発で終わるはずがない。他にも何か起こるのでしょう。そう思いませんか?」

「…………」

 その通りだとマーリンは思う。だがその何かが何か分からない。結局、自分はレイモンドに一度も勝つことなく終わる。それが悔しくて堪らない。そう思うことは、もう勝てないと諦めていることだと分かっていても、その気持ちをマーリンは抑えられない。

「最後にこれは言っておきます。我々は反乱の為に官僚組織を握ろうとしたわけではありません。私利私欲の為でもありません。我々は元のバジリスクとは違います」

「……では何の為に?」

「良い政治を実現する。その為に我々は組織の中で力を持とうとしたのです」

「…………」

 アーサーが無能であっても官僚組織が優秀であれば国民の暮らしは良く出来る。それが無理なほどであっても悪くすることは防げる。こう考えての策。それを言われてもマーリンはそれを肯定出来ない。

「……今、何を語ってもただの自己弁護にしか聞こえませんか?」

「そうだな……国民の為というなら反乱を起こす動機は? 国王が誰でも同じではないのか?」

 今更これを問うても意味はない。マーリンの最後の意地、というより嫌みだ。だがその嫌みさえも。

「レイモンド様とアーサーを比べて、貴方は同じと言えますか?」

「……そうだな」

 情報局員に問いを返されて、マーリンはその行動を認めることになってしまう。
 マーリンの心を占めるのは敗北感。いや、負ける以前に最初からレイモンドの手の平の上で踊らされていただけだった。キングメーカーは自分ではなくレイモンドだった。そしてそのキングメーカーの手を振り払ったのは作られるはずだった王。
 自分たちは自ら舞台を降板するきっかけを作ったのだとマーリンは知った。

◇◇◇

 ――この日から数日後、王都はレイモンドの手に落ちた。それを知る人間は極一部。王都の住民は誰一人として分かっていない。レイモンドが掌握したのは官僚組織。それだけで王都の攻略は終わったようなものなのだ。

「まずは王都駐留軍への命令書だな。大至急、全軍が馬鹿大将軍に合流するようにという命令書を発行しろ」

「アーサー国王と記すべきですが、それでよろしいですか?」

 馬鹿大将軍では通用しない。書類を作成する軍務局員はアーサーの肩書きを改めることを告げてきた。当たり前だ。正式な命令書を作成しようとしているのだ。

「かまわない。中身はデタラメだ。王と記してもそれもまた嘘。そうでなくても気にしないけどな」

 正式な命令書であるが偽物。これはマーリンが作ってしまった隙だ。国王不在、そういう場合に代行する宰相もいないのに全ての国政機能は変わらず王都にある。そこから出る命令が誰から出たものかなど誰も確かめようとしない。ずっと権限を持たない人物の命令に従ってきたのだから。 

「ではすぐに作成します」

 官僚組織が発行すればそれは正式な命令書になる。バジリスクの反乱はその邪魔をするマーリンを、そのマーリンに忠実な役人を排除することにあった。

「それと入れ替わる帰還軍への命令書。これは命令書だけでいいのか? 他にどういうものが必要だ?」

「アイル王国から帰還して、アーサーの増援に向かう駐留軍と入れ替わるというものですね?」

「そう」

 その帰還する軍はレイモンドに従っている軍。書類だけでレイモンドは王都を占拠しようとしているのだ。

「では、それも普通に命令書です。帰還軍に対する命令書を発行するだけでよろしいかと。ただ引き継ぎを全く行わないというのは怪しまれるかと」

「行えばいい。顔を知っていそうな騎士を選んで、先に帰還させよう」

 元々、正規のブリトニア王国軍だ。駐屯軍の指揮官と顔を合わせても困ることはない。疑うどころか逆に相手は命令書が間違いなく本物だと信じるだろう。

「ただし駐留軍は先に出立させる」

「……説得は試みないのですか?」

 駐留軍二万。それを説得出来れば五万を超える軍勢となる。今後の戦いがかなり有利になる数だ。

「それは戦争を有利に進める為か?」

「……いえ、駐留軍二万。彼らを犠牲にすることには抵抗を感じます」

 少し躊躇って軍務局員は自分の考えを話した。レイモンドはこういう発言を許す人間なのか、接点のほとんどない軍務局員には分からない。発言は勇気のいることだった。

「そうか……気持ちは分かるけど、今回は諦めろ。けりは一気につける。それが結果として犠牲を最小限に押さえることになる。こんなものは犠牲になる人にとっては勝手な言い分だが、罪悪感を薄れさせる役には立つだろ?」

「そういう言い方をされると全く……」

「それもそうか……じゃあ、覚悟を決めろ。完全な正義なんて存在しない。誰かにとっての正義は誰かにとって悪だからな。だから称賛を求めるな。悪評を恐れるな」

「……はい」

 レイモンドの言いように戸惑いを見せる軍務局員。まだレイモンドのことは良く分からない。さらに分からなくなったとも言える。それでも一つだけ、レイモンドが世間の評判を気にしていないことだけは分かった。実際には分かった気になっただけだが。

「無理か?」

「い、いえ。その覚悟は定まっています」

「じゃあ、いい。あとは王都を制圧したあとで国中にばらまく文章だな。そういうの考える人っているのかな?」

「もちろんおります」

「じゃあ、内容の打ち合わせをするからここに呼んでおいてくれ。俺は別件があるから少し席を外す」

「承知しました」

 席を立って部屋の出口に進むレイモンド。ふと気付いたように足を止めて、後ろを振り返った。

「……そういえばマーリンは誰が逃がした?」

 レイモンドのこの問いに会議室が緊張に包まれる。目的の人物を逃がしたのだ。レイモンドに裏切りととらえられてもおかしくない。

「全員の合意ってことか?」

 沈黙する文官たちにレイモンドはさらに問いを発する。

「……い、いえ。私の独断です」

 仲間を巻き込むわけにはいかない。そう考えてマーリンに反乱の事実を話した情報局員は名乗り出た。実際に独断なのだ。

「そうか……お人好しすぎるな。平和な時が来るまでお前の仕事はない。そのつもりでいろ」

「……はい」

「そんなに先の話じゃない。先の話にはしない。俺が、どんな手を使ってでも終わらせる。その後で嫌になるほど働かせてやるからな」

「は、はい!」

 平和的な解決などレイモンドは考えていない。そんなことをしても火種を抱えたままになるだけ。争いを先延ばしにするだけだ。
 今更、悪名など恐れない。自分の手はとっくの昔に血塗られている。そうであれば躊躇うことなく、全ての禍根を容赦なく取り除けばいい。その為に自分は存在するのだ。闇が深ければ深いほど人々は光を求める。この先、世の中を照らす光をより輝かせる為に自分はある。レイモンドはそう考えていた。

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