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同期とは、どんなものかしら。

数年働いてきて、同期という存在ができたことがない。

新卒で入社した会社では、新入社員は私1人だけだった。田舎では珍しいことではない。でも仕事を始めたばかりの頃は、同じ目線で語れる相手がいないのが寂しかった。

幸いにも穏やかな上司や先輩に恵まれたこと、そして私自身も年齢を気にしないタイプだったこともあり、辛いことも嬉しいことも包み隠さずたくさん話をした。

そのおかげか、いつのまにか同期に対する想いが消えて、今日まで過ごしてきた。

………

「新しいことに挑戦したくて転職を考えているけど、仲がよい同期のみんなと離れたくない。」

年下の友人から転職の相談を受けたのは数日前のこと。

同じ時期に入社して、同じ苦労を乗り越えた仲間に代わる存在に、今後出会えるか分からない。どんなに調べたって、人間関係はガチャで、自分ではコントロールできない環境面に不安を抱いていた。

身近に心のうちをさらけ出す相手がいなくなる不安は私にもわかる。でも、同期がいない私はいまいちわからなかった。同期と同僚とはどう違うのか、働く環境において同期の存在がそこまで大切なのだろうか、と。

「同じ」であることはコミュケーションをスムーズにする。同い年、同じ時期に同じ研修を受けるから、話題も生まれてコミュケーションが取りやすいのだと思う。

私はどうだっただろう。同僚の年齢は一回りも二回りも違うし、同じ会社で働いている以外の共通点はほぼない。ぶっちゃけ話題に困ることも多かった。

でも会話を重ねるなかで共通点が多いと嬉しくなるし、違いが多いから、もっと話したいし知りたいと思う。

どこに住んでいて、何が好きで、いままでどんな人生を歩んできたのか。家族は何人いて、最近どんなことがあったのか。

人によってはプライベートに立ち入りすぎと思う人もいるのだろうけど、自分をことを知ってくれている人がいるのはすごく心強いことだと私は思う。

結局友人には「同期がいなくても、周りの人とたくさん話をして、心をオープンにしていれば、気持ちを共有できる味方がたくさんできるよ」とだけ伝えて、帰路についた。

ともに働き「いま、この瞬間」を共有している。日常をともに過ごす私たちは同じ船に乗っている味方であることに違いないから。

友人の話す同期はあまりにも眩しかった。桜の季節に1人寂しく帰宅した新入社員だったあの頃をふと思い出して、そんな存在がいればもっと心強かったのかもしれないと想像してため息をついた。