見出し画像

プッシュプルポット

このバンド名を知っている方は何人いるだろうか。


まだ、世間に知れ渡るほど有名ではないので
知らない人の方が多いのは当たり前だろう。



プッシュプルポットは、石川県金沢発のロックバンド。


4人構成で、

Vo.ぐっちさん
Gt.拓也さん
Ba.かずのりさん
Dr.明神さん

激しめギターロック、好きな人はすき。


金沢の規模では、いちばん有名なバンドであると思う

それでも、ずっと規模は小さかった。

プッシュプルポットといえば「笑って」。

(良ければこの先の記事は↑の動画を再生しながら読んでください。)



わたしが大学生のとき、
彼らは近隣大学で学生バンドとして活動していた。

Vo.とDr.と仲の良かったわたしは、カメラマンとしてライブを撮らせて貰えることもあった。


友人として、リスナーとして、
駆け出しのフリーランスカメラマンとして
ライブを撮らせてもらえる経験は大きな自信になった。

当時のわたしのInstagramのストーリーズより。


演者からのお下がりやプレゼントではなく、
初めてスタッフとしてpassを貰えた。


Vo.ぐっち
「だから ねぇ、笑って欲しいのです」
開演前 オフショット


社会人になり、コロナが蔓延し
ライブに行かなくなってしまったわたし。

バンドも聴かなくなってしまった。



たくさんのバンドが、解散してしまった。

それを、SNS越しでただ見ていた。


そんな中、プッシュプルポットだけは
勢い衰えることなく 大きなバンドになっている。

ツアー、ライブ、フェス。満員御礼。

大物バンドとも肩を並べるようになってきた。
同じ土俵に立っている。


学生の頃、地元バンドの大きさくらいのときから
「プッシュプルポットは売れる」と確信していた。


チケットノルマが達成できなくて、悩んでた日々
ギリギリの金、かかる金、スタジオ代。
レンタルDVDのバイト、居酒屋の掛け持ち
リスナーを繋ぎ止めるのに必死だった、深夜のインスタライブ。

全て見ていた。


ただのギリギリの大学生。
でもステージの上で彼らは、間違いなくプロだった。

熱量が違う。地元バンドではない。
「売れるバンド」の頭角を現していた。



メンバーが就活を始めるタイミングでVo.に会って聞いた。


「ぐっちさん就活どうするの?」

「んー、しない」

「バンドするの?」

「んー。(笑)好きだからねぇ〜」

「プッシュ、デカくなるよ。たぶん」

「まじ?期待しといて。てかマネージャーほしいんだけどやらない?」

「んー。(笑)わたしは就活するからなぁ。やらない」

「そっか〜。良くも悪くも、俺らのバンドのファンじゃない子がいいんだよね。適切な距離感わかってる子がいいんよ」

「あ〜そやね。ファンをマネージャーにしたら後々大変そう」

「そ。やらないかーー。そっかー。」

「誰か向いてる子いたら連絡するよ。」

「うん。頼む」




プッシュプルポット、

初めて出会ったのは他大学合同の軽音楽部ライブ。

「え、すげ」が正直な感想だった。



ブルーハーツのような、ハルカミライのような熱量を感じて、元気がもらえるバンドだけれど

たまに、切ない曲を歌う。



もうライブでは歌わないだろうけど

切ないラブソングがあった。


その曲を聴いた時、「応援したいバンド」ではなくて
「知りたいバンド」になってしまった。


どんな人を想って書いたのか、
どんな恋愛をしてきたのか、
愛は、どのようにして伝えるのか、
恋人はいるのか、
じゃあどうしてPeaceの煙草、お揃いにしたのか
深夜に電話越しで、切ないあのラブソングをわたしだけの為に弾き語りしてくれたのは なぜなのか。


公私混同を避けるために、なるべく業務連絡以外は控えて

ライブにも行って、写真を撮った。

彼らにとってとても「いい人」だったわたしは
全然いい人なんかではなくて、誰よりも水面下で彼らを知ろうとしていた。


そんなわたしにマネージャーなんて任せたら
バンド終わるよ、って思った。


またとない機会。
大好きなバンドと全国ツアー。
カメラマン。
全部夢だった。

今まで抱いたことのない夢だった。憧れ。痺れた。



でも断った。

苦渋の決断だったにも関わらず
案外一瞬で答えが出ていた自分に驚いた。

やらないという選択肢しか、
もはや残されてはいなかった。


なぜならわたしが一番、
あなたたちのバンドを愛していたから。


今年のJAPAN JAM5日目に出演。
行く機会のある方は是非、見てください。


この記事が参加している募集

スキしてみて

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?