中学のときの同調圧力

中学生のとき、すごく嫌なことがあった。
担任の先生と噂を立てられたのだ。

私は成績がよく先生たちに好かれていた。
それで疎まれていたのかもしれない。

もう一つ思い当たる理由がある。

クラスに、知恵遅れの子がいた。
通常なら特殊学級に入るところだが、親御さんの意向で普通のクラスに配属になったのだ。

クラスの子たちは、その子をよくからかっていた。
でも私はいっさいその雰囲気には関知せず、その子と一緒にお弁当を食べてたりした。
私だけではなく、もう2人仲のいいクラスメイトがいたのでその子たちと4人で机を寄せ、お弁当を食べていた。

断っておくが私がいい人だと言いたいのではない。
その子のことを何とも思ってなかった。
クラスの子たちにからかわれていても、かばったこともなかった。
つまり、なーんも考えてなかった。

「その子をからかう」という同調圧力を無視していたのだ。
というか、気がついてなかった。

それに、弱い者いじめってカッコ悪い。
ええカッコしいの私には、そんなダサいことはできなかった。

そして仲の良かった3人のうち、私だけがターゲットにされた。
担任は部活の顧問でもあったので、私には親しげだったのも一因だったと思う。

たいてい、いじめみたいなことをする人間は、下っ端だ。
スケバンみたいな存在の子もクラスにいたが、そういう子たちは決して私を揶揄したりはしなかった。
私は自分でも気づかず、その下っ端のやつらを見下していたのだと思う。
それが無意識下でやつらに伝わったのかもしれない。

もちろん思春期にそんな噂を立てられ、私は深く傷ついた。
それからしばらくは人間恐怖に陥り、友だちができなかった。

偏差値は70くらいあったので、私は地元の進学校に入学した。
そこには、いじめのようなヒマなことをする人間はいなかった。
でもやはりそこでも友だちができなかった。
人との距離の取り方がわからなくなっていたのだ。

というか、もともとオタク気質だったので、人付き合いが下手だった。
クラスメイトとも合わず、居づらいクラスだった。
同じ部活で、同じくクラスからはみ出していた女と一緒に行動せざると得なかったが、その女の性格も私には苦痛だった。

高校のクラスは2年まで持ち上がりだったので、居づらいクラスのまま我慢し、3年になっても嫌な女と同じクラスになり、やはり私は浮いていた。
昼休みに話す相手がいないので、図書室に行って時間をつぶしたりしていた。

14~17歳までの、一番多感な時期を私は棒に振ったのだった。
もちろん私も悪い。
あまりに無知だったし、社交辞令も言えず、処世術がわかってなかった。

おかげで「10代のころはよかった」という感覚がない。
本当に楽しくなったのは三十路近くになってからだ。
それからは必死に青春を取り戻した。

でも、本物の青春期に楽しめなかったので、いくら取り戻そうとしても足りない。
というわけで青春ゾンビのモラトリアムおばさんができあがってしまった。

話がそれまくってしまったが、団体生活において、日本古来の文化「同調圧力」を無視して手痛いペナルティを受けてしまったということだ。

なので、私のような人間は、そういう圧力がある場には行かないことが一番だ。
これからも家で楽しく、一人で仕事をしようと思う。



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