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戦艦探偵・金剛~シルバー事件23区~ TRANSMITTER #1 MOON RIVER④

 ナナミケイの教室は二階、一年一組だった。スミオと龍田は茜色に染まった教室の扉を開く。夕日が今まさに山の向こうへ落ちようとしていた。
 教室の床はワックスが新しい。歩くとスリッパの裏側がペタペタした。きっと夏休み前に生徒の手で行われたのだろう。よく見ないと気づかない程度だが、所々にムラがあった。
「ナナミさんの机はあそこです。机の一番奥の、真ん中」
 龍田が指さす。
「ありがとうございます」
 スミオは礼を言って、ナナミの机の中を調べた。
 そこには何も入っていなかった。
 まぁ、期待はしていなかったけど。
 ため息をついて、スミオはナナミの机の椅子へ腰かけた。
 家を当たってみるか。被害者の遺族だ、事情を話せば簡単に調べさせてくれるだろう。
「何もありませんでした?」
「うん」
 龍田の問いにスミオは首肯する。
「そんなものよ」
「うん?」
「人生なんて」
 そう言って龍田はスミオの左隣の席へ座った。
「あなたはどうして教師になったんです?」
 何となしにスミオが訊ねた。
 龍田の姿は夕日に照らされて、完全な黒一色のシルエットと化していた。フワフワとした髪型のせいで、横を向いているのかスミオの方を向いているのか判断が付かなった。頭の上の輪っかは相変わらずフワフワと浮いていた。どうやって浮いているのか分からないけれど、少なくとも糸で釣ったり棒で支えているわけではないらしい。
「私、艦娘でしょう?」
「はい」
「だから学校なんて行ったことが無くて。興味があったの。鎮守府での教練で中学卒の資格は持っていたから、戦争が終わった後はアルバイトしながら夜間学校に通って、大学へ通って、教員免許を取ったのよ」
「そりゃすごい」
 スミオは嘆息した。
「本当に?」
「すごいと思います。俺、高卒のノンキャリなんで」
「ありがとうございます。スミオさんはどうして刑事に?」
「言うと引くと思うんで、言いたくありません」
「そう言われると聞きたくなるんだけど」
「申し訳ない」
「許さないわ」
「そう言われても………」
 龍田が何かをスミオに差し出す。名刺だった。
「何か思い出したらここへ電話してください」
「それはあなたじゃなくて、こっちの台詞ですよ」
 スミオは龍田の名刺を受け取った。

九月一日 午後四時二十分 八王子警察署 刑事課

 ナナミケイは同人雑誌を愛読していた。雑誌の名前はカムイネット。これが事件に繋がらないはずはない。
 それに手ぶらで戻ったんじゃ格好がつかない。スミオにとっては、事件解決に役立つか立たないかよりも、手掛かりらしきものを掴めてホッとしたというのが実際のところだった。
 そんなスミオが刑事課のオフィスへ戻ると、
「よぉ、タイミングよく来たな! 行くぞスミオ!」
 鼻息を荒くしたクサビがジャケットを肩にかけてオフィスを出るところだった。
「何か進展が?」
「進展も何もあるか! 奴め、またやりやがった!」
「また?」
「二人目だ!」

九月一日 午後四時三十三分 東京都八王子市 ひよどり山

 スミオとクサビが現場へ辿り着くころには、日はほとんど山の向こうに没し、空は紺色に変わっていた。完全に日没とまではいかないものの、足元は完全に闇に飲まれて歩くのにも慎重になった。ひぐらしがカナカナと鳴いている。
 ひよどり山は警察署から来るまで十分ほどのところにある丘陵だった。雑木林の森が生い茂り、谷戸や水源涵養林があって、この風景だけを切り取るとどこかの田舎のようだった。当然、街灯なんてものもないために、制服警官たちがそれぞれ懐中電灯でお互いや周囲を照らし合っていた。
「テツさん」
 モリカワが暗闇の中からぬっと姿を現した。この男は夜でもサングラスを外さない。
「ホトケは?」
 クサビが訊ねると、
「アレです」
 モリカワが懐中電灯を上へ向けた。
 そこには大きなゴミがあった。最初にスミオはそう思った。しかしよく見てみると、それは吊るされた少女の遺体だった。少女と思ったのは、高校の制服を着ていたからだ。右足首に麻縄が巻かれ、地面から十メートルほどの高さで木に吊るされていた。スカートは重力に従って、下へめくれあがって白い下着が無残にさらけ出されている。吊るされていないもう一方の足はあさっての方向へ曲がっていた。スミオが最初に遺体をゴミか何かだと認識したのは、全体の姿が壊れた傘のように見えたからだった。
 だらりと下がった顔や手は血に塗れているようだった。制服が紺色だし、距離もあるから傷の程度は判別できないが、相当深いようで、指先から未だに血が滴り落ちていた。
「一体どうやってあの高さまで吊るしたんだか・・・・・・・・・」
「早く降ろしてやれないんですか。鑑識は? スチールはまだですか?」
 スミオが言った。
「スチールはとっくに終わってる。今、消防車がこっちに向かってる」
 と、モリカワ。
「消防車?」
「はしご車のはしごで遺体を木に吊るしてる縄を何とかするそうだ。この暗さとあの高さだ。我々にはどうにも出来んよ」
 モリカワが言った傍からはしご車のヘッドライトが彼らを照らした。奥には救急車も見える。
 はしご車は少女の遺体が吊るされている木まで車体は入り込めなかったが、位置と角度を合わせて器用にはしごを伸ばして少女の遺体へはしごを伸ばした。警官と消防隊員が遺体の下でマットを広げ、警官の一人がはしごへ飛び乗って少女の遺体の縄を切った。
 刹那、少女の遺体はまるでマネキンのように宙に浮かんで、ストンとマットへ落下した。付近の警官が押し殺したような歓声を上げた。
 スミオは額の汗を掌で拭った。残暑の残る夜だ、汗が出るほど蒸し暑いはずなのに不思議と暑いとは思わなかった。
 鑑識係がハゲタカのように遺体の写真を撮影する。その様子を遠くからぼんやりと見ながら、スミオは、
「カムイにしては雑だな」
 と、クサビが小さく呟くのを聞いた。

 鑑識係が現場を調べている間、モリカワは警官の指揮、手持無沙汰になったクサビとスミオは周辺を見て回ることにした。既に辺りは完全に夜に没し、懐中電灯で辺りを見て回る様子は捜査と言うより肝試しのようだった。
 スミオの脳裏には、先ほどの吊るされた遺体が残像のようにチラついている。どうして犯人は木に遺体を吊るしたのか。どうやって吊るしたのか。どう考えても犯人は異常だ。やはり犯人はカムイなのか。
「テツさんはどう思います?」
「あ?」
「今回の事件、本当にカムイの仕業でしょうか?」
「何でそう思う?」
「だって木のあんな高いところに遺体を吊るすなんて」
 スミオがそう言うと、クサビは笑って、
「だから何だ。カムイは人間だ。天狗みたいな、そんな大層な奴じゃない。怪力だとか、ヘルパーだとか、そういうおとぎ話に出てくるような存在じゃないんだ」
「ヘルパーって何ですか?」
「知らんのか? ほら、手を使わずに物を動かすあれだよ」
「エスパーですか」
「ああ、それだ。結局のところ、そんなもんは存在しねぇんだ。あの木に吊るしたのだって、デカい梯子を使ったか、木に登って先に縄をひっかければ済む話じゃねぇか」
「だとしても、しかし、何でそんなことを?」
「わからんか、スミオ」
 クサビは立ち止まって、スミオの顔に懐中電灯の光を当てた。
「全てはめくらましなんだよ。全ては目の前にある」
「鑑識係が証拠の採取を終えました!」
 警官が報告に来る。クサビとスミオは再び少女の遺体の下へ戻った。そばにはモリカワとカワバタもいた。
「何か分かったか?」
 クサビは遺体のそばにしゃがみ込む。少女の遺体は、今では服も整えられて青いシートの上に寝かされていた。目も閉じられていて、心なしか先ほどよりも落ち着いた印象を与える。だが上から下まで血まみれのその姿は、その最後がいかに凄惨だったかをありありと物語っていた。
「被害者の名前はソノダユリコ。雛代高校の二年生です。上衣のポケットに生徒手帳が入っていました」
 モリカワが言った。
「死亡推定時刻は今からおおよそ八時間から三時間。死因は胸部への一撃です。詳しいことは解剖しなければ分かりませんが、おそらくはナナミケイ殺害に使われたものと同様の凶器を用いたのでしょう」
 カワバタが説明すた。
「死亡推定時刻に開きがあるように思えますが」
 スミオが言う。
「九月とはいえ、まだまだ残暑が厳しい。また、死後硬直は筋肉量にもよりますので、彼女の様な筋肉量の少ない十代の少女では、硬直の進行から死亡推定時刻を断定することが難しくなります。食べ物の消化状況を調べれば、まだましな結論が出ると思います」
「なるほど」
 スミオは納得して、
「被害者はここで殺されたのでしょうか?」
「お前はどう思う?」
 と、クサビ。
「傷の割に周囲に飛び散っている血痕の量が少ない。別な場所で殺された後でここに運び込まれた?」
「ナナミケイと状況が同じだな」
 モリカワがそう言って腕を組む。
「吊るしたのにはどういう意味が?」
「意味なんざねぇさ。たぶんな」
 クサビが立ち上がる。
「そういえばモリカワさん、公安にあるっているカムイの資料はどうなったんです?」
 スミオが訊ねると、モリカワは口元に苦い笑みを浮かべて、
「あれか―――」
「ねぇんだとよ」
 代わりにクサビが答えた。
「無い?」
「資料は紛失。それが公安の答えだ」
「公式の回答ですか?」
「ナカ経由だ」
 モリカワが言う。
「コネ伝いの非公式回答だ。しかし、だからこそ信用できる」
「確かにそうですね・・・・・・・・・」
 気だるい沈黙が流れる。すると今まで忘れていた暑さが全身をむっと包んだ。Yシャツの下は汗でびちゃびちゃに濡れていた。
「でも、今更カムイの記録を調べたところで有効かどうか。少女が二人、こんな殺され方をすれば警視庁が捜査本部を設置するはず」
 捜査本部が設置されれば、警官が数十人単位で動員される。連続殺人事件は数多くの証拠を残す。加えて今回の事件には被害者に法則性がある。十代の少女に、同じ高校、例え犯人がカムイでなくても捕まるのは時間の問題だろう。
 ところが。
「警視庁は捜査本部を設置しない」
 モリカワが言った。
「え?」
「重大には値しないそうだ」
 クサビも言う。
「しかし、人が殺されているんですよ。これでもう二人目だ。れで重大事件で無かったら何が重大事件なんです? マスコミだって黙ってないでしょう」
「この事件に関する情報は一切封止。情報はマスコミに流れない。八王子警察署だけで対処に当たれと通達が来た」
 と、モリカワ。
「そんな、どうして」
「そりゃこっちが訊きたいねぇ」
 クサビがぼやくと、救急車のサイレンが遠くから聞こえてきた。ソノダユリコの遺体を搬送するためだ。
「スミオ、今日は帰って休め。この事件、どうもこれで終わらんぞ」
 クサビはそう言って、Yシャツの胸ポケットから煙草を取り出し、火を点けた。吐き出された紫煙は、無風の中で真っ直ぐ空へ立ち上った。空に月光は無い。明日の天気予報は曇り時々雨だった。

 クサビの指示に従って、昨夜、スミオは早めに自宅へ帰り床へ着いた。
 布団へ入ったのは十時頃だったが、ふと電気を付けて枕元の目覚まし時計を見るといつの間にか十二時になっていた。
 眠れなかった。まぶたを閉じると、木に吊り下げられたソノダユリコの姿が浮かんだ。
 それでもウトウトとしてくると、今度は夢を見た。スミオは何故か月面に立っていて、月には川が流れていた。その川を一隻のボートが下ってくる。ボートはスミオの足元で座礁し、中には血まみれになったナナミケイの死体があった。
「一体誰にやられたの?」
 スミオが問うと、死んだはずのナナミケイはパクパクと口を動かしてスミオに犯人の名を告げた。
「大変だ! テツさんに知らせないと!」
 そう思うスミオだったが、どうやって地球に帰ればいいのか分からなかった。あの満点の星空のどれが地球なのだろうか。地球から月が見えるのだから、月から見た地球も大きく見えるはずだった。
 だが地球は見つからなかった。きっとここは月の裏側なのだろう。
 月の裏側を見た人間は誰もいない。同じく地球の姿を宇宙から見た人間もいなかった。もしかすると、これから先、誰も見ることが無いのかもしれない。いつも足で踏みつけているのに、一生自分が地球の姿すら知らないと思うとスミオは何だか怖くなった。どんなに駆けずり回って証拠や証人を洗っても、犯人に辿り着くことが奇跡のように思えてきた。それでもスミオは誰もいない月面に、クサビの姿を目指して走った。
 クサビはいなかった。辿り着いたクレーターの中央には龍田がいた。スミオは安堵して龍田を抱きしめた。
「犯人はわかりましたか?」
 赤ん坊をあやすような口調で龍田が言った。
 そこでスミオは目が覚めた。
 もう朝だった。犯人の名前は覚えていなかった。

九月二日 午前九時 八王子警察署 会議室

「では、捜査会議を始める」
 コトブキ本部長の一声で捜査会議は始まった。小さな会議室には刑事課、五人全員が顔を揃えている。
「ナカ、事件の説明を頼む」
「はい。では私から説明させて頂きます。手元の資料を参照しながら聞いて下さい」
 ナカテガワが仏頂面で淡々と説明を始める。
「最初に本事件の戒名は『八王子少女連続殺人事件』となりました。少女を女子高生とすべきか迷いましたが、字数の短さを優先してこうなりました」
「そんなことはどうでもいい。さっさと本題へ入ろうや」
 と、クサビが野次をいれる。
「分かりました。本件は八月三十日、多摩川の河川敷で男性がボートに乗せられた少女の全裸死体を発見。クサビ・コダイ両巡査部長が身元を調べた結果、市内の高校へ通学するナナミケイであることが判明。ナナミケイは八月二十八日の午後に母親と口論になって家出。最後の服装は学校の制服だったそうです。次に検死解剖の結果ですが、銛の様なもので後ろから胸部を貫かれたのが致命傷です。抵抗の痕跡は無し。不意打ちだったのでしょう。死亡推定時刻は二十八日の午後から二十九日の午前にかけて。出血の状況からして、ボートには死後、乗せられたとみられます。また、被害者の乗せられたボートの所有者ですがこれも現在のところ以前として不明。被害者が外出時に着ていたと見られる制服も同様に発見されておりません。ではみなさん、次の資料に移って下さい」
 スミオは言われるままに次の資料へと移る。
「昨日、午後三時。市内の中学生が二人、帰宅途中にひよどり山の中を通ったところ、木に吊るされたソノダユリコの死体を発見。制服と付近に落ちていた鞄の学生手帳から、彼女もソノダユリコと同じ高校へ通う高校生と判明。検死解剖の結果、ソノダユリコはナナミケイと同一の凶器によって殺されたことが確定しました。死亡推定時刻は昨日の午後一時から二時頃だと見られます。ソノダユリコは正午に自宅で昼食を食べ、それから制服に着替えて出かけています」
「どうして制服なんだ? 学校は休みだろう?」
 コトブキが口を挟んだ。
「あ、いえ、本部長。それは」
 珍しくナカテガワが焦ると、
「多感な時期なんですよ、ボス」
 モリカワが助け舟を出す。
「………話の腰を折ってすまん。続けてくれ」
 コトブキがそう言うと、ナカテガワは「ゴホン」と、咳ばらいをして、
「続けます。死亡推定時刻は体内に残った昼食の消化状況から判明しました。更に解剖の結果、ソノダユリコは妊娠していたことが判明しました」
「そんなに腹が出てるようには見えなかったが………」
 と、クサビ。
「カワバタ医師の見解では三ヵ月目だそうです」
 ナカテガワが説明した。
「まだお腹が大きくなる前の段階ね」
 ハチスカがため息をつく。
「父親は?」
 スミオが訊ねた。そのことは資料に書いていない。
「両親に伺いましたが恋人はおろか娘が妊娠していることにも気が付かなかったそうです。ひょっとすると、本人も気づいていていなかったのかもしれません」
「お前親に聞いたのか?」
 モリカワが呆れたように言うと、
「はい。私が事情聴取を行いました」
「公安出身は血も涙も無いねぇ」
「いずれ知ることです」
「言い切ったよ………チズル、女性を代表してなんとか言ってやれ」
「あら? 私はナカテガワさんと同意見よ。隠してもしょうがないわ。いずれ好奇心旺盛な記者たちがあることないこと書き立てるんだから」
「マスコミの方はどうなっているんです? 情報を封止していると聞きましたが、本当にそんなこと出来るんですか?」
「出来ます」
 ナカテガワはそう断言した後で、
「ただし、記者クラブに加入している大手のマスコミに限ります。スポーツ紙、週刊誌、その他カストリ雑誌の類にはあまり効果が無いでしょう」
「じゃあ、何のための情報封止だ?」
 と、モリカワ。それに対してモリカワはあっさりと降参のポーズを取った。
「さぁ? 正直、警視庁の指示は私には分かりかねます。実際、広報部は猛抗議を受けていることでしょう。三流雑誌の記者だけが記事をかけるんですからね。ただ、やはり三流雑誌だけあって、マスコミの報道が無い以上は世論も半信半疑と言ったところではないしょうか」
「捜査本部が設置されないのも何か関係が?」
 スミオが訊ねると、やはりナカテガワは首を横に振って、
「これも私にはさっぱり」
「それについて己も本庁の知り合いに当たってみるつもりだ」
 コトブキが言った。
「状況は理不尽、かつ、こちらが圧倒的に不利な状況だ。しかし貴様たちなら必ずホシを挙げてくれると信じている。経った今を持って、八王子警察署刑事課の全総力をこの事件へ集中させる。ナカ、お前は署内で現場のバックアップだ」
「了解しました」
「モリカワとチヅルは昨日の殺害現場周辺の聞き込み」
「はい」
「テツとスミオは被害者の交友関係について洗え」
「分かりました」
 と、クサビが言ってから、
「スミオ」
 コトブキが言う。
「貴様が昨日、報告した『カムイネット』。どうも気になる。必ず探し出せ」
「了解」
「以上、捜査会議を終わりにする。解散」

 カムイはまたしても雛代高校の女子高生を殺した。どうしてだろう?
 スミオは自分のデスクでソノダユリコの両親の調書を読みながら嘆息した。調書はナナミケイと同じく、ハチスカが両親へ事情聴取を行って、書いたものだった。
 内容は先ほどナカテガワが捜査会議で話したものと同じだ。しかし調書に書かれた言葉は小学生が書いたように単純で、途切れ途切れだった。そこからスミオは聴取の状況を想像して再び嘆息した。やりきれない。
 机にはハチスカの作成した調書の他に、ナナミケイの家から持ってきたカムイネットがあった。娘の遺品でもあったが、犯人逮捕のためなら、と両親が快く押収を許可してくれたものだった。
 サイズはA4版、ページ数はせいぜい十六ページしかない薄いものだ。表紙は………なんというか前衛的で説明しにくい。紫色を基調とした色彩に、手や目のイメージが連なっている。そこに『カムイネット』という文字だけが大きく印刷されていた。予算の無い自費出版だからだろうか、安っぽいインクと印刷が妙にマッチしていた。
 本の中身は更に興味深い。カムイネットというタイトルだけあって、頭から尻尾まで徹底的にカムイのことばかり書いてある。
 先日、コトブキとクサビがスミオに語ってくれた内容はもとより、カムイの出生地が北海道の神威岬であることや、生年月日、『過去を殺せ』というキャッチフレーズまで書かれていた。
 警察に資料がない以上、これらの情報に裏付けはない。だがもし本当なら、この本を書いた人物は相当カムイないし、カムイの起こした事件に近しい人物なのではないか?
 そう思ったスミオの期待は、後半へ進むにつれて裏切られて行く事になる。
 例えばどうしてウエハラカムイが、警察に追われつつあれだけの事件を起こせたのかと言う点について、カムイネットでは『犯罪力』という言葉が言及されていた。犯罪力とは人間を犯罪に駆り立てる思念ということらしい。
 意味が分からん。
 そもそも犯罪とは法律に違反することだ。法律は国会で審議され、新しく作られたり、変わったり、無くなったりするものだ。つまりコロコロと変わるものなのだから、人間を犯罪に駆り立てるということは犯罪力を持った瞬間にその時代、様々な法律を勉強せずとも認識し、それを破ろうとするのだろうか。だとしたら法学部の学生は必死になって犯罪力を上げるべきだ。
 などと考えていると、執筆者もそう思ったのか、直後の分でこういった説明があった。
『賢明なる読者諸氏は犯罪の定義が時代によって変わるだろうということは知っておられよう。ここに記す犯罪力の、犯罪なるものはこと、殺人を示すものである。何故なら古今東西、殺人は絶対的に禁じられるるものであるからだ。』
 だったら殺人力でいいだろ。
 スミオのこの突っ込みに対する答えは無かった。その後に続く説明と言えば、犯罪力は周囲の人間に伝播するだとか、文章、写真、無線放送で拡散していくだとか書かれてある。極めつけに『この文章を読んでいる諸氏も、このカムイネットを通じて高い犯罪力が蓄積されていることだろう』と締めくくられていた。これには思わずスミオも、
「はん」
 と、鼻で笑ってしまった。
 それ以降は、政府が戦時中に文章を検閲したのは国家批判、戦争批判を防ぐためでなく戦時下における犯罪力のコントロールのためだとか、艦娘には高い犯罪力が備わっているだとか、犯罪力のコントロール実験の結果生まれたのがカムイだとか、深海棲艦の爆撃から身を守る防空壕の中には、子供たちだけを集めてカムイの精神的コピーを生み出す実験施設として作られたものがあるだとか、眉唾なんてもんじゃない空想めいたことばかりが書かれてあった。
 最後に奥付に出る。普通の本なら作者ないし編集者の名前や、出版社、印刷所の名前が書かれているはずが、何も書かれていない。この本だけで、何か手掛かりを掴むのは難しそうだった。
 スミオは期待を大きく裏切られた気持ちで本を置いた。
 連続殺人事件は犯人を特定するのが難しい。犯人と被害者の接点が通常の事件に比べて希薄だからだ。
 しかし幸い(と言っていいのかどうかは分からないが)、今回の事件には一定のパターンが存在する。特に被害者、犯行には共通点が多い。
 まず被害者は同じ雛代高校の女子生徒で、殺され方も共通している。だから順当に考えれば次の被害者も雛代高校の女子生徒であると推定できる。
 だがそれだけではまだ範囲が大きすぎる。いくら何でも雛代高校の女子生徒全員に制服警官を張り付けて護衛するわけには行かないからだ。
 その範囲を狭める鍵がこの、カムイネットにあるとスミオは思ったのだが………。
 あとはソノダユリコの部屋にこの本があるかどうかだな。
 手早くソノダユリコの住所だけメモすると、スミオは車を回すために席を立った。あらためて被害者の家族に事情聴取を行い、あわよくば部屋にナナミケイと同様、カムイネットがあるか調べる算段だ。もしかしたらそのカムイネットには、カムイネットを出版した人間の情報が載っているかもしれない。
 スミオはクサビのデスクの方を見た。クサビはいたが、あちらの方でも雑務があるらしく、せっせと書き物をしている。声をかけようとすると、それより先に声をかけるものがあった。
「テツさん、ちょっと」
 モリカワだった。資料室の扉の隙間から笑顔でおいでおいでしている。クサビは気だるそうに立ち上がると、資料室へと向かう。
 何か情報を掴んだのだろうか。
 取り合えずスミオはデスクでクサビを待つことにした。クサビとモリカワはすぐに資料室から出てきて、お互い一言二言小声で何かを言い合ったのち、クサビがスミオの所へ来た。
「スミオ、悪いが車回しといてくれ。すぐ行くからよ」
「………モリカワさんと何を話してたんです?」
「何でもいいだろ。まずナナミケイの家でカムイネット探しがてら聞き込み。それからソノダユリコの家で、次にこれだ」
 そう言ってクサビは封筒を差し出す。事務で使う茶封筒ではなく、ピンク色で、封にハートのシールが貼られていた。一見してラブレターにしか見えない。
「何ですかこれ? 気持ち悪いっすね」
 封筒を受け取るスミオに、
「まぁな」
 と、クサビが笑って同意した。中を開けてみるとやはり女の子が使うような便せんに、千代田区神田神保町の住所が書かれていた。
「神保町? 何故?」
「行けば分かる」

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