見出し画像

クリスマス対サンタクロース

 十二月二十五日の夜八時、都会の摩天楼を飛ぶ影があった。山羊を思わせる二本の角、シカの頭蓋を思わせる頭、筋骨隆々とした黒い体躯、どうみても悪魔としか思えない怪物は自らをクリスマスと名乗っていた。
 クリスマスは毎年クリスマスの時期になると地獄の門(神奈川県川崎市川崎区塩浜三丁目十四の一)からこの世に現れ、荒巻デッドダイブにワインとアマゾンギフトカード三千円分を振る舞うのだ。
「ハハァ! デッドダイブ! どんなに身を隠そうと無駄だ! 悪魔はすべてを見通す!」

(注・一般にはまだ公開されていない荒巻デッドダイブの冒険『緑やしきの話』にて荒巻デッドダイブは事務所を引っ越しました。これはその後の話です。)

 クリスマスがタワーマンションを勢いよく跳躍すると―――その足に銀の鎖が巻き付いた。
「何ッ!」
 クリスマスは五十四階建て、高さ二百四十三メートルの高さからベンチと公衆トイレがあるばかりの公園へ叩きつけられ、深さ一メートルのクレーターを作った。その間にもクリスマスに右足に巻き付いた銀の鎖は、彼の肌を蒸気と共に焼いていた。
「ヌウ! 熱い! 熱いぞ!」
「ただの銀の鎖ではない。聖別された祝福の銀だ。神に見捨てられたその身には熱かろう」
 それは年月に掠れた男の声だった。
「誰だ!」クリスマスが叫ぶ。
「私を忘れたか? ベーレブラ………いや、今はクリスマスと名乗っているらしいな」
 公園の入り口、街頭の下から男は姿を現した。赤い装束に赤い帽子、そして腰まで蓄えられた白いひげ。
「ガヴリィル!」
 クリスマスはかつて、この世の地獄に対峙した男を思い出す。
「今は私もガヴリィルではない。私はサンタ、サンタクロースだ!」
「ウヌウ!」
 やっとのことでクリスマスは足から銀の鎖を解き放つ。彼の足を焼いた鎖は、月光の下でひんやりと光った。右足と両掌の火傷に、クリスマスは平静を保つのがやっとだった。
 そっと冷たい地面に手をついて火傷を冷ましながら「何故、ここが分かった?」
「異なことを。神に仕えるこの身が、悪魔を滅するのに理由があるのか?」
「見つけるには手がかりいるだろ?」
「お前に教えて何の得がある?」そういうサンタクロースだったが「まぁ、慈悲を与えんこともないだろう。タレコミだよ」
「誰からだ?」
「修正局」
 ちっ、とクリスマスは舌打ちした。同時にひそかに向きを調整していた左脚に力をこめる。飛び上がってここを離脱するのだ。クリスマスは戦うためにわざわざこの世に現れたわけではない。
「しゃべりすぎたな! サンタクロース!」
 クリスマスは大地を蹴って飛び上がる。時速百三十キロで宙を移動する彼は、時速百二十キロで見えない壁に激突し、9・8メートル毎秒毎秒の加速度で再び地面に落下した。
「ぐはぁ!」
 四つん這いになってクリスマスは身を起こした。頭の角の右側は、根元から折れて血がにじんだ。
 暗闇から風を切る音。次の瞬間、クリスマスの左脚に矢が突き刺さる。
「ぐっ!」
 ただの矢ではない。この矢じりもまた、聖別された銀で作られていた。
「ぐあああああ!」
「私に何の得があって、お前を見つけたことをしゃべったと思う? 斗仲居トナカイに命じてこの公園一帯に結界を張らせてもらった」
 サンタクロースの手にはいつの間にかボウガンが握られていた。彼はボウガンを丁寧に折りたたんで、傍らの白い袋に仕舞うと、皮鞘に包まれた包丁大の刃物を取り出した。
 まずい。
 クリスマスは息を飲んだ。あれは聖槍の刃を混ぜた鉄で作った―――。
 サンタクロースは皮鞘から刃物を解き放つ。
 悪魔殺しのナイフ!
 いくら悪魔殺しだろうが、神殺しだろうが、刃物を持った人間相手に負けるクリスマスではない。しかし右足を鎖で焼かれ、左脚に銀の矢じりが埋まっている状態では分が悪い。
「うぬう!」
 矢じりを掴んで引き抜こうとするが、抜けない。矢じりの先から銀が溶け出して、クリスマスの怪力を奪っているのだ。
「無に帰れ、クリスマス!」
 もはやこれまでか、そう思ったとき「まぁ、ちょっと待てよ」と声がした。クリスマスが、サンタクロースが、声の方を見た。そこには二十代後半くらいの、背広を着た冴えない風貌の青年がいた。
「何奴!」と、サンタクロース。公園に張った決壊は、普通の人間の意識を逸らすはずだ。それを突破したこの男、一見普通だが普通ではない。
「僕は荒巻デッドダイブ。なんかでっかい地響きをここで感じたもんでね」
「なるほど、お前が」
 サンタクロースが納得した。
「お前もクリスマスを殺しに来たか?」
「いや、逆だよ。助けに来たんだ」
「何故だ? 毎年、地獄のワインで地獄を見せられているというのに」
「ぶっちゃけ、ちょっと迷ったけどさ、でもアマゾンギフトカードもくれるし………はたから見るとなんか可哀そうに思え来たし………。あんたはなんでクリスマス殺すの? サンタでしょ?」
「こいつとクリスマスには何の関わりもない。風評被害だ」
「ほっとけないの?」
「悪魔を殺すのは私の天命だ。二十年前、あの地獄を見たときから、私はデビルハンターとしてサンタクロースとなった。この赤い装束は、虐げられた人々の痛み―――そして泣き叫ぶ悪魔の返り血だ」
「なんだそのセリフ回しは。あんた、おもちゃの配達年齢層は?」
「十歳から十五歳」
「やっぱり! 中二病だ。病院へ行って黒澤映画を処方してもらえ」
「ほざけ。病院へ行くのは貴様だ。初日の出は病室で見ろ」
 サンタクロースの姿が消えた。特殊な身のこなしと視線誘導で、相手の前からどうどうと姿を消す神業である。
 サンタクロースは赤い風となって、荒巻デッドダイブの右斜め後方から襲い掛かる。ナイフを手の中でひっくり返し、柄を後頭部に叩き込むのだ。
 しばらく眠ってもら―――。
 サンタクロースの顔に体重の乗った掌底が沈む。サンタクロースは本能的に太ももの内側を防御した。予想は的中する。デッドダイブのローキックは、サンタクロースの体勢を崩すには不十分だった。
 蹴りが軽い―――。
 後手に回ったと感じた次の瞬間、サンタクロースは地面に叩きつけられ土を噛んでいた。
 土を吐いて、サンタクロースは起き上がる。目の奥がチカチカした。
「荒巻デッドダイブを倒すのは、数学的に不可能とされているが………」
「まだやる?」
「やめておこう」と、サンタクロースは言った。「三角関数で挫折した身としてはな」
 サンタクロースは包丁を仕舞う。
「今日のところは見逃してやる。また会おう、ベーゼブラ」
 そう言ってサンタクロースは袋を担いで背中を向けた。
「デッドダイブ」
「なに?」
「黒澤映画は中二病に効くのか?」
「ああ、少なくとも僕には効いた。泥臭く生きる人間の姿に本当の気高さを学べる。気取った台詞、言葉遊びは面白いけど本質を見失う」
「誰の言葉だ?」
「シルバー事件25区ってゲーム」

 サンタクロースは去った。
「立てるかクリスマス」
「立てると思うか? 左脚の矢を抜いてくれ」
 荒巻デッドダイブは矢を掴むと、それは意外なくらいすんなりと抜けた。
「ありがとう………荒巻デッドダイブ」
 普段とは打って変わって、丁寧な声でクリスマスは礼を言って立ち上がる。

「しかしそれはそれとしてワインを食らえッ!」


「ぐあああああああああああああ!」
 公園に荒巻デッドダイブの叫びが響き渡る。

 クリスマスは今年、二万円分のアマゾンギフトカードをくれた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?