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戦艦探偵・金剛~呪いの娘~④

 芳江に連れられて、五月雨と源蔵は海女に砂浜へ辿り着く。さきほど五月雨が通った時には何もないように思えたが、大きな岩の裏側が抉れてちょっとした屋根を作っていて、たくさんの海女がたき火を焚いて体を温めているのが見えた。
「一体、何があったのです?」
 五月雨がたずねると、海女の一人が、
「海に潜っていたら、か、怪物が!」
 と、芳江と同じことを答える。震えているのは、寒いせいばかりではないのだろう。
「あっちです! さぁ、早く!」
 芳江はそう言って、源蔵の手を引っ張って海岸を指さす。五月雨もそれについていくと、浜に打ち上げられた数隻の小さな木造船の傍で、数人の海女が海に呼びかけを行っていた。
「頑張ってぇ!」
「もうすぐ助けが来るわぁ!」
 よく見ると海の向こうでは、沈みかけた船の舳先にしがみ付く、まだ十二、三歳くらいの海女の姿があった。
「一体、どうしたんだ? どうして誰も助けに行かん?」
「怪物が近くにいて、とても近寄れないんですよ。ちょうどあの子の乗った船だけ乗り遅れる格好になってしまって。あんまり怖いもんだから、年長の人も慌てて置いてきてしまったのですよ」
 芳江が説明する。すると少女の乗った船の近くで波が盛り上がった。
「ほら! あれ!」
 波が盛り上がり切ると、一本の赤く太い体が船を揺すった。
「何だありゃ!」
 源蔵も驚きを隠せない。五月雨も言葉を飲んでしまった。
「早くしないと、船が沈んでしまいます」
 芳江が必死な様子で源蔵に言った。浜辺から少女の船まで五百メートル以上はあるだろうか。船から落ちれば怪物に食べられてしまうかもしれないし、そうでなくとも、あの少女が独力で五百メートルの距離を泳ぎ切るのは難しいだろう。
「そんなこといったって、一体どうすりゃいいんだ。漁師の連中なら、あと三十分ばかりで戻ってくるが………」
「そんなに待てませんよぉ。あの子の船が沈んじまいます」
「ええい、畜生! 俺が何とか船を漕いでみよう!」
 そう言って源蔵が船に乗り込もうとしたとき、
「私が行きます!」
 と、五月雨が海へ飛び出していった。
「あっ! あんた何をする!」
 源蔵と海女たちが驚きの声をあげる。五月雨は海面へ着地すると、白い飛沫を両足の踵から上げて、水の上を滑る様に素早く走り出したのだった。
 たちまち海女の中から声が上がる。
「天狗だ!」
「仙女だ!」
「いや、違う!」
 源蔵が言った。
「艦娘だ!」
 五月雨はそのまま全速力で少女の船へ突き進んだ。
 問題ない、私の速力は三十四ノット(時速約六十三キロメートル)。加速にかかる時間を考慮しても、五百メートル程度なら二分以内で往復出来る!
「た、助けてぇ!」
 とうとう少女の声が聞こえる距離にまで接近した。恐怖に引き攣った表情で、五月雨の方を見ている。
 一方、五月雨は怪物が潜む海の方を注視していた。海上への出航能力はあるものの、五月雨の武装は終戦と同時に取り外されて無くなっていた。つまり今は丸腰である。もしも怪物に捕まったら、とても太刀打ちは出来ない。
 いよいよ少女の船まで目と鼻の先まで来た時、
「うっ!」
 五月雨は足元に、まるでクジラの様な、巨大な赤い影を見た。しかし影は五月雨が近づくと、そのままスーッ、と海の底へ潜るように姿を消した。
 隠れた? それとも逃げた?
 いずれにせよ、少女を助けるなら今がチャンスだった。
「ほら、こっちにおいで」
 五月雨は船の舳先から少女を抱え上げた。少女はグズグスと五月雨の胸の中で泣いている。
「よしよし、怖かったねぇ」
 五月雨は回頭し、再び怪物が来ない内に砂浜へと向けて加速を始めた。

「本当にありがとうございました」
 頭を下げて礼を言う芳江に、
「いえいえ、当然のことをしたまでです」
 と、五月雨は照れたように両手を振る。
「お礼にこれを………」
 芳江は網一杯の牡蠣を差し出すが、
「すいません、私、これから用事があって色々回らなければならないので」
「だったら、宿の方へ届ければいいさ。五月雨さん、あんた、どこに泊まってるんだい?」
 源蔵がたずねると、五月雨は思わず、
「檸檬です」
 と、答える。
「ああ、やっぱりあそこか。じゃあ、芳江さん、牡蠣は千鶴さんのところへ届けりゃいいよ。俺は五月雨さんを磯崎んところへ案内しなけりゃならん」
「磯崎さんですか?」
 芳江が顔をしかめた。
「ああ、五月雨さんは探偵さんをやっててな。例の人影のことを調査しに来てんのさ」
「はぁ」
 納得がいかないような表情をする芳江を他所に、源蔵は五月雨と共に砂浜を後にした。
「しかし、人は見かけによりませんな。あなたが艦娘だったとは」
 源蔵が感心したように言った。
「正確にはもう艦娘じゃありません。武装と船籍を返上したので、立場上は一般市民と変わりありませんよ」
「それで探偵、ですか。他の艦娘の方々はどうしているんだい?」
「お嫁に行ったり、学校へ行ったり、仕事をしたりですね。そのまま海軍に残りたいって子もいましたけれど、ワシントン海軍条約で禁止されて、海上保安庁へ移った子も多いです。漁船で働いたり、船員として働く子もいますけど。私も、大戦後はしばらく船員として働いていたんです。だけど、職場でちょっと色々ありまして、それで探偵をしている金剛に引き取られたんです」
「なるほど、そうか。あんたらもやっぱり、苦労してるんだな。おお、ちょうどみんな戻ったようだな」
 源蔵と五月雨が港へ戻ると、さっきまでは無かった船が港へ出現していた。それぞれが収穫した魚を船から降ろしている。
「おーい、磯崎! いるかぁ!」
 源蔵が作業している漁師たちに向かって大声で叫ぶと、漁師たちは一瞬、源蔵と五月雨の方を向いた後に、
「おい、磯崎、呼んでるぞ」
 と、誰ともなしに口伝えに磯崎を呼びあった末に、一人の男がおずおずと二人の前に現れた。
 磯崎辰雄は二十代前半くらいの短髪の男で、肌は日焼けしていて浅黒く、引き締まった体をしていた。顔つきは鋭く、一見女受けしそうにも見える。しかし全体的な雰囲気がどことなく冴えない感じで、それがかえって近づきがたいような雰囲気を緩和していた。
「ああ、源さん。呼びましたか?」
「おう。この人が、お前さんに話を聞きたいそうだ」
 磯崎は五月雨へ視線を向けると、途端に鼻の下を伸ばして、
「へぇ、俺にですか?」
「コラッ」
 すると磯崎の背後から、彼の頭に軽く手刀を振るうものが現れた。悟郎だった。
「何だお前、またナンパか! まだ仕事が残ってるだろ!」
 悟郎が言うと、磯崎は、
「何だよ、お前に関係ないだろ!」
「関係なくは無い! この人は千鶴さんの所のお客さんだ。何かあったら俺が許さん」
「全然関係ないじゃねぇか」
 一連のやり取りが終わった後で、源蔵は笑いながら、
「ああ、違う違う。俺が呼んだんだ。この人は東京から来た探偵さんでな。例の人影の調査をしてらっしゃるんだ」
「なんだ、そうだったんですか。疑ってスマン、磯崎」
 悟郎が頭を下げると、
「いや、いいよ。普段の俺を見てればそう思うのも仕方ないし………」
 と、磯崎が言った。どうやら二人は友人同士で、磯崎は女癖が悪いようだった。芳江という人が磯崎の名前を聞いて顔をしかめたのも、五月雨には分かる気がした。
「ええと、それで人影の話だったな」
「はい。人影を見たときの日にちと時間、場所を出来るだけ詳しく教えてください」
 五月雨はポケットから手帳とペンを出す。

 磯崎の目撃証言を要約すると以下の通りになる。
 彼が目撃したのは半年前の秋ごろだった。仕事を終えて仲間と一杯ひっかけた後、女性を口説くことに失敗して酒で火照った体を冷ますために東から西へ海岸線を散歩していたのだ。
 時刻は午後七時を回っていて、街灯の設置されていない海岸線沿いの道は真っ暗になっていた。磯崎は居酒屋から借りた提灯を片手にブラブラと歩いていた。
 すると道の向こう側から、自分と同じように提灯を持って歩いてくるのが見えた。提灯の明かりでは、それを持っている人の姿までは見えない。
 磯崎は、
「こんばんわー。あんたも散歩かー?」
 と呼びかけるが返事が無い。
 何だ返事もしないのか。失礼な奴だな。
 そう思った磯崎は、あの提灯の光がこちらへ近づいたときに『せめて挨拶ぐらいしろ』と声をかけようと考えた。するとあちらでも磯崎の提灯に気が付いたのか、道の真ん中で動きが止まった。
 一体どうしたのだろう、と磯崎が近づくと提灯の方も離れていって、やがて見えなくなってしまったという。

「まぁ、それだけの話なんだけどよ」
 磯崎が話し終えると、五月雨が地図を広げて、
「それはこの地図で言うと、どのあたりですか?」
「そうだな。確か、この辺りだったと思う」
 そう言って磯崎は海岸線の道を指さした。それは渚が人影を見た場所よりやや東寄りの所だったが、一本道だからほとんど同じだと言っても差し支えは無いだろう。
「お話、ありがとうございました」
 そう言って五月雨が頭を下げると、
「なーに、いいってことよ。そうだ、よかったらお昼、一緒に食事でも―――」
 どうかな? と言い終える前に、再び悟郎が磯崎の頭に手刀を食らわせた。

 次に五月雨が向かったのは、常田昭平が経営するという食堂『南風』であった。
「南風は、ここ北に延びた道を真っ直ぐ歩いた場所にあるから。俺も一緒に行ってやりてぇが、いい加減、畑を手伝わないと母ちゃんがうるさいんでな」
 と言って源蔵は去り、磯崎と悟郎も再び仕事へ戻った。五月雨の持っている地図はそこまで細かくは無いので、現像の言葉を頼りにたよりなく、港町の道を歩くしかなかった。
 やがて五月雨は赤くくすんだ看板に、黒く太い文字で『南風』と書かれた迫力のある看板を見つけた。どうやらここがそうらしい。
 入口の、すりガラスが嵌った引き戸には『準備中』という看板が下がっていた。しかし五月雨が試しに取っ手に手をかけると、鍵はかかっていないようで、引き戸はガラガラと開いた。
 店内はテーブルの上に椅子が上がっていて、がらんとしていた。赤いカーテン越しに窓から光が差し込んで、部屋はどぎつい紅色に染まっていた。人の姿は見えないが、奥の厨房からは食器をカチャカチャと動かす音が聞こえていた。
「ごめんください」
 五月雨が厨房の方へ声をかけるが、誰も出てこない。声が小さいと思って、息を吸ったとき、厨房から十五歳くらいの女の子が出てきた。
 女の子は五月雨を見てひどく驚いたようで、口を押さえて小さく、
「きゃっ!」
 悲鳴を上げた。
「だっ、だっ、誰ですか?」
 どもりながら女の子が言うと、五月雨は、
「えーと、私―――」
 すると厨房の方からガチャーンという音がして、
「どうした鮎美!」
 無精ひげを生やしたいかつい顔の男が厨房から姿を現した。そして五月雨をキッと睨むと、
「貴様! 鮎美に何をした!」
「別に何もしてませんよ!」
 慌てて五月雨が抗弁すると、男はあっさり、
「そうか」
 と、納得した。あまりの豹変ぶりに面食らう五月雨をよそに男は続ける。
「悪いがうちはまだ準備中だ。また後で来てくれ」
「ご飯を食べに来たんじゃありません。常田昭平という方からお話を伺いに来たんです」
「常田昭平は俺だ。何だ話ってのは。早く話せ」
「お忙しいのなら、ご都合の良い時間にまた来ますが………」
「大丈夫だ。仕込みもだいたい終わったところだし、あとは朝の掃き掃除をしてテーブルから椅子を下ろすだけだ」
「じゃあ、なんでそんなに、せかせかとしてるんです?」
「俺は無駄なことが大っ嫌いなんだ!」
 昭平が大声で言うと、五月雨は、
 何だこの人。
 と思わずにはいられなかった。しかし気を取り直して、
「私は東京から来た私立探偵助手の五月雨と申します。ある人の依頼で、最近、ここいらで現れる人影を調査しています」
「なるほど、それで俺から人影の話を聞きたいということだな」
「はい」
 五月雨はポケットから手帳とペンを出す。

 あれは去年の八月だったか。店を終えた俺は、趣味でやっている、発明の実験を公園で行っていた。すると後ろから視線を感じて振り返った。すると白い頭巾を被って、同じく白いワンピースを着た女の子が立っていた。
 年齢はそこにいる鮎美より一つ、二つ下って感じだった。白い頭巾に隠れて顔は良く見えなかった。あたりは真っ暗で、時間も午後九時ぐらいだった。
 こんな時間に娘を一人で公園に行かせるなんてどんな親だろうと思ったが、そのときの俺は新発明のからくり歩行機械の実験に夢中で、女の子に構っている余裕は無かった。からくりのゼンマイを巻いて、バランスを調整し、歩かせてみたが歩行機械は三歩歩いて倒れた。
 俺は思わず、
「やったぞ!」
 と、叫んだ。今までは二歩目で倒れていて、半年ぶりの進捗だったからだ。
 俺はあの白い頭巾をかぶった女の子を見た。この喜びを分かち合いたかったからだ。すると女の子は何故か悲鳴を上げて、提灯を持って走り去ってしまった。

 そりゃあ、そうでしょうよ。
 という言葉が五月雨の喉に出掛かったが、面倒なことになりそうなのでグッとそれを飲み込み、
「どうしてそれが例の人影だと思ったんですか?」
「ああ、あのあと町中の、それらしい年頃の娘さんたちに、その日の夜に公園にいなかったか、片っ端から聞いて回ったんだ。すると全員『そんなの知りません』って言うんだ。しまいには警察を呼ばれたよ。厳重注意で済んだがな!」
「はぁ………」
 本当に何なんだこの人。
 そう思いつつ、五月雨は地図を広げて、
「その公園ってどの辺りにあります?」
「ここだな」
 昭平は神社の、道路を挟んですぐ隣のところを指さした。五月雨はそこを丸で囲って、『常田昭平、目撃地点』と書き込む。
「ご協力ありがとうございました」
 五月雨が頭を下げると、
「出て行け」
 表情も変えずに昭平が言った。
「へ?」
「用は済んだろう。さっさと出て行け!」
「は、はい」
 言われるがまま、五月雨は玄関を開けながら、
 本当に何なんだこの人は。
 と、思うのであった。
 外に出たところで五月雨は、この店で金剛と待ち合わせをしていたことを思い出す。
 でもあの人のことだから、ここでずっと立っていたらまた何か言われそうで嫌だなぁ。
 そう考えると、
「あの~」
 後ろから声をかけられた。そこには常田鮎美がすまなそうな表情で立っている。
「父が申し訳ありません。普段からあんな性格なんです。決して悪気があるわけではないので、その、許して貰えませんか?」
 明るい場所でマジマジと見ると、鮎美は東京の女優にも引けを取らない美女であった。垂れ目がちな目元には、庇護欲を誘う雰囲気があり、五月雨も思わず、
「え、ええ」
 と彼女の言葉に同意してしまった。
「よかった!」
 鮎美が無邪気な笑顔を見せる。すると五月雨は思いついて、
「あの、鮎美さん。もしかすると、後でここに金剛っていう女の人が私をたずねてくるかもしれません。その時は、先に旅館の方へ帰っていると伝えて貰えませんか?」
「わかりました」
 鮎美の明るい返事を聞くと、五月雨も気持ちが軽くなった。そして挨拶もそこそこに、そそくさと旅館への道を戻るのだった。

 旅館へ戻ると、ちょうと玄関先で千鶴が掃き掃除をしているところだった。五月雨に気が付くと、千鶴は気さくに笑って、
「あら、おかえりなさい。調査の方はどうかしら?」
「まだ、何とも言えません」
 そう言って、五月雨が苦笑いと共に返す。
「そういえば、海女の芳江さんが、ホタテや牡蠣をたくさん持って来てくれたわよ。何でも大活躍だったそうじゃない。さすが、名探偵の助手ね」
「いやぁ」
 五月雨が顔を赤くして照れる。
「ところで、金剛さんはどちらにいらっしゃるのかしら? 一緒じゃないの?」
「先生は海野家と田辺家の方へ行っています。挨拶がてら、色々と聞きたいことがあるようなので。私は先生が帰って来るまで部屋で待つつもりです」
「そうなの。それじゃお昼は?」
 お昼と聞いて五月雨の顔が引きつった。
「朝食を食べ過ぎてしまったので―――」
「なら、お昼は簡単なものがいいわね」
「え、あの」
「出来たら栄子が渚に運ばせるわ」
 と、千鶴は有無を言わせぬやり取りの後、掃き掃除に戻った。五月雨は観念して、二階の部屋へと引き上げた。
 部屋は布団が片づけられて、机の位置も元に戻っていた。改めて窓の外をみると、二階から見える景色は絶景と言って差し支えなかった。港から歩いているときは坂が緩やかで気づかなかったが、旅館『檸檬』は平坦な地形をしている竜巻市の中でも小高いところに建っていた。
 窓を開けると、磯の臭いと共に、海の水蒸気を含んだ、暖かく柔らかな風が入り込んできた。窓辺から下を覗いてみると、かなりの高さがあって、岸壁と岸壁の間に挟まれて小さな砂浜が見える。
「ん?」
 ふと、五月雨は砂浜に赤い何かを見つける。それはどうやら子供の使うボールのようであった。
 あの砂浜って、降りれるのかな? それとも、どこかから流れ着いたのかな?
 よく確認したいところだったが、あんまり身を乗り出すと落ちそうでやめた。
 あとで千鶴さんか誰かにきいてみよう。
 と、荷物から本を取り出して時間を潰すことにした。
 その内、渚が皿一杯のおにぎりと、卵焼き、それから魚の塩焼きを持って部屋に入ってきた。
 卵焼きと魚はともかくとして、
「このおにぎりはちょっと作り過ぎじゃないですかぁ?」
 と五月雨が言うと、渚は笑ってハンカチの様な布を置いて、
「半分は金剛さんの分だそうです。適当に残して、この布をかけて下さい」
「はぁ………」
「それでは」
 渚が部屋から出た後で、五月雨は仕方なくおにぎりに手を付ける。まだ朝食が胃に残っているような感覚がする。しかし口に運ぶと塩味がきいていて、一個、二個と食べきれてしまう。結局、卵焼きと魚とおにぎりの半分を平らげた五月雨は、満腹感と共に睡魔に襲われた。そして丸めた座布団を枕にして、潮風を布団に昼寝をはじめるのだった。

「さ~み~だ~れ~、さ~み~だ~れ~」
 井戸の底から響く呪詛の様な声で、五月雨が極めて不快な起こされ方をした。傍らには金剛が、耳に、
「さ~み~だ~れ~」 
 と、吹き込んでいる。
「先生?」
「私が一生懸命に仕事をしているというのに、お前はこんなところで昼寝かネ。まったく助手の風上にもおけない奴デース!」
 そういう金剛の顔色は少し青く、心なしか息も苦しそうだった。一体、どうしたのかときいてみると、おおよそ次の通りである。


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