見出し画像

戦艦探偵・金剛~蘇る忍者伝説~⑤捜査編

みなさんこんにちわ。事件編に引き続き、前説を担当する五月雨です。
 吹きすさぶ風雨と共に、ついに殺人事件が起きてしまいました。
 地上三階の密室から、犯人はいかにして消えたのでしょうか?
 そして、富士夫さんの口元に括りつけられた三種の神器の一つ、支配の面頬に書かれた『忍殺』の文字は何を意味するのでしょう?
 寿さんが目撃したという忍者も気になります。
 ああ、こんな時に金剛先生がいて下さったら、どんなに心強いことか!
 しかし先生は今頃きっと、益荒田海の正体を確かめに岡山県にいることでしょう。ならば私は、金剛先生の助手として出来ることを、今ここでしっかりとやっておく他ありません。
 捜査編では一見和やかな登場人物たちの、実際には暗い人間関係を垣間見ることが出来ます。
 それでは戦艦探偵・金剛~蘇る忍者伝説~を引き続き、お楽しみください!

 一夜明けて、時計の針が午前七時を指した。夜の風雨は過ぎ去って、濡れた朝日の光が屋敷の中へ差し込んできた。
 男たちは交代で富士夫の発見された部屋の見張りに立ち、その他の人々は食堂で一夜を明かすことになった。富士夫を殺害した犯人が、まだ辺りにいることを懸念したのである。
 寿と健二たちが手伝って、食堂へいくつか長椅子を運び入れ、田子を始めたとした女性陣はそこでシーツに包まり横になったが、あんな事件があった後では誰も眠れるものでは無かった。
 唯一の例外は千波で、彼は母親の膝の上で眠っていた。父親の死も理解できない、そのあどけない寝顔を見ると、五月雨は胸が締め付けられるような思いがした。
 その母親である田子は、一夜で十年ほど年を取ったような顔になって、ときおり体を震わせるものの、涙を見せることなく気丈にふるまっていた。しかしそのような努力は、かえって痛ましさを増長させる結果にしかならなかった。
 しかし、一体、誰が富士夫さんを殺したのだろう?
 五月雨が長椅子の上で考えていると、横に座っている貴子が声を潜めて、
「やっぱり、寿さんが昨日見たという忍者の仕業っすかね」
 と、囁いた。
「うーん、だとしたら動機は何だろう? 泥棒だったら、わざわざ三階まで上がるかなぁ。それに、支配の面頬にどうしてあんな文字を書いたのかな?」
「そっすね。でも動機と言えば、これで相続投票の件はほぼ、藤木戸さんに決まったもどうぜんでしょう。もしかすると、片倉さんを殺したのは藤木戸さんかもしれないっすよ」
 貴子の言葉に、五月雨は強い否定の気持ちを込めて、
「まさか、そんな」
「あくまで可能性の話っす。藤木戸さんなら合鍵を持っていますし、自由自在に片倉さんの部屋に入れるじゃないですか」
「それを言えば、寿さんも同じでしょう。誰かがカギを盗んだ可能性もあります。それに、礼二さんが物音を聞いたって」
「うん、音を聞いた正確な時刻も調べた方がいいっすね。まぁ、その辺りは警察がやるんでしょうけれど。それに可能性って話なら、益荒田さんもありますね。なんてったって、この状況じゃあの人、片倉さんと藤木戸さんが亡くならない限り、遺産を貰えないじゃないですか」
「それは―――」
 確かに説得力のある仮説だった。しかし、益荒田が犯人だとすれば、どうしてあの密室の中で富士夫を殺せたのか謎が残る。
 五月雨がそう考えたとき、食堂のドアが開かれて健二と柴田が入ってきた。
「おはようございますみなさん。夜も開けたし、道も大丈夫そうなので今から私と柴田さんで、麓の警察まで知らせに行って参ります。もうしばらくご辛抱ください」
「旦那様、気を付けておくんなし」
 秋元が言うと、健二は力強く頷いて、
「大丈夫だよ秋元さん。疲れているだろうが、あなたはお客様のために何か食べやすいものを拵えてくれたまえ」
「分かりました」
 そう言うと秋元は頭を下げて食堂を飛び出すように去っていきました。
「さて、では私たちも行きましょうか」
 健二が行こうとすると、
「待ってください」
 と、礼二が止めた。
「一応、龍宮寺にいる由香乃さんにも事件を知らせに行った方がよろしいのではないでしょうか? もし、賊が屋敷の外へ逃げたとすると、彼女の身も心配です。よろしければ様子を見に行きたいのですが」
 礼二の言葉に健二は頷いて、
「確かにそうだね。でも、礼二くん一人では少し不安だな。羅尾本さんに頼んで―――」
「では、私も一緒に行きます。それにもしかすると、電話を借りられるかもしれません」
 五月雨が言うと、健二は少し考えて、
「龍宮寺は電話を置いていないから、連絡は無理だとしても、五月雨さんも一緒に行ってくれるなら大丈夫でしょう。では、由香乃さんのことはよろしくお願いします。でも、くれぐれも気を付けて下さい」
「ウェー、じゃあ屋敷の方は私が目を光らせておくんで」
 貴子の言葉に、
「お願いします」
 と言って五月雨は早速、礼二と共に屋敷を出るのだった。

「あれ? そういえば門はどうやって開けましょう? モーターで駆動するんですよね」
 五月雨が門まで近づいたとき、今更ながらそのことを思い出した。
「ああ、大丈夫ですよ」
 礼二はそう言うと、門に手をかけて、自力でゆっくりと開けていく。
「この門は見かけよりも重くなくて、手でも開けられるんです。ちょっと外出するときなどは、みんなこうして出ていくんですよ。五月雨さんは反対側をお願いします。藤木戸さんの車も来ますので開けておきましょう」
 五月雨は反対側の門へ手をかける。確かに礼二の言う通り、力をかけるとゆっくりではあるが徐々に開いて言った。
「すると、この門は鍵がかからないのですか?」
 五月雨がたずねると、
「はい。ですが、屋敷の玄関や勝手口はちゃんと鍵がかかるようになっているので、大丈夫だと思ったんですが。やはりこういうことが起こった後だと、付けておくべきでしたね」
 門が開く。丁度そこへ、車庫から車に乗って健二と柴田が現れた。
「すまないね、二人とも。龍宮寺の方は任せたよ」
 健二が言うと、
「はい。お二人もお気をつけて!」
 と、礼二が返した。
 車が門を出て、泥をはね上げながら山道へ消えると、五月雨たちも反対方向にある龍宮寺へ向けて出発した。

 龍宮寺へ辿り着くと、ちょうど由香乃が境内の土の上で落ち葉を燃やしているところだった。
 由香乃は五月雨たちを見ると、
「あら、二人ともおはよう。昨日は凄い暴風雨だったわね。屋敷は大丈夫だったかしら?」
「ええ、実は大変なことが起きてしまいまして」
 そう言って礼二が昨夜の出来事を説明すると、由香乃はとても驚いた様子で口を押さえて、
「そ、そんな、恐ろしい」
「はい。脅かすわけじゃありませんが、もしかすると犯人はまだこの辺に潜伏しているかもしれません。由香乃さんも戸締りには気を付けて下さい。なんたって、三階の部屋から忽然と消えるような奴ですから」
「はぁ………」
 由香乃は状況がよく読み込めていないようで、明後日の方を見てため息をついた。
「ところで、由香乃さんのお寺も、やっぱり昨夜から停電したままなのでしょうか?」
 五月雨の問いに、由香乃は、
「はい、そうみたいですね。私は昨日は戸締りをして、早めに寝てしまったものですから、気づいたのは今朝、台所の明かりを点けようとしたときなのですけど」
「もしかすると、電話を借りられればと思ったのですが」
「ごめんなさい。うち、電話は引いてないのよ」
 すまなそうに由香乃が言う。どうやら健二の言ったことは本当のようだった。
「そうですか」
「由香乃さん、何かあったら屋敷まで逃げて来て下さいね。僕が守って差し上げますから!」
 礼二が勇ましい声で言うと、由香乃は笑って、
「ふふっ、それじゃあ、いざと言うときはお願いしますね」
 と、微笑むのだった。

 屋敷に戻ると、食堂には貴子だけがいた。健二と柴田はまだ戻っていないようだった。
「ウェー、おかえりなさーい」
 眠い目をこすりながら、貴子は五月雨と礼二を迎えた。
「みなさんはどちらへ?」
 五月雨がたずねると、
「日も高くなってきたし、特に異常も起きてないので、皆さんはそれぞれ、仮眠を取りに部屋へ戻りました。秋元さんがお二人の分の食事をテーブルの上に用意してます。あとで寿さんが片づけるので、食器はそのままでいいそうです」
 そう言って貴子がテーブルを指さすと、二つの銀のクロッシュがその上に並んでいた。それを説明するためにも、わざわざ貴子は頑張っていたらしい。
「すみません、貴子さん。我々のことはいいですから、もう部屋に戻って休んでいてください」
 礼二が言うと、
「ウェー、そうします」
 と、貴子はフラフラと食堂を去っていった。
 五月雨がクロッシュを取ると、そこにはローストビーフとレタス、トマトを挟んだ簡単なサンドイッチが二つに、卵焼きがあった。冷めてもおいしいものを、と秋元が気を使った結果らしい。
 朝食を終えると、満腹感と共に五月雨と礼二を急激な眠気が襲ってきた。
「ふぁ~、お腹いっぱいになったら何だか眠くなってきちゃった。じゃあ、五月雨さん。僕はこれで失礼するよ」
「あっ、ちょっと待ってください」
 五月雨が引き留めた。
「昨日、富士夫さんの部屋で物音を聞いたと言っていましたが、具体的な時刻は覚えていますか」
「そうですね、あれは確か夕食を終えて少し先生のお手伝いをして、部屋に戻ってしばらくしたときだから、十時と言うところかな」
「富士夫さんのお手伝いが終わった時刻は?」
「だいたい九時ごろだよ」
 五月雨が床に着いたのが十時ごろだから、礼二の話が本当だとすると富士夫の死亡推定時刻は九時から十時と言うことになる。
 礼二はあくびをして、
「悪いけど、ちょっと眠くてね。これ以上は………」
「あっ、すいません。では、おやすみなさい」
「いや、構わないよ。君も少し休むといい」
 二人は食堂の前で別れ、五月雨は自分の部屋に帰ると歯を磨いて、仮眠を取ることにした。

 五月雨がベッドに入ってどれくらいの時間が経ったであろうか。ドアがノックされ、
「五月雨様、五月雨様」
 と呼びかける寿の声が聞こえてきた。
 五月雨が眠い目をこすって時計を見ると、既に午前十一時を指していた。
 起き上がって扉を開ける。
「何ですかぁ」
「警察の方がお見えになりました。いったん、食堂へ集合して欲しいと」
「わかりました」
 五月雨が答えると、寿は、
「失礼します」
 と、二階へ続く階段を上っていく。
 五月雨が食堂へ行くと、健二を始め、既に何人かが食堂へ集められていた。やがて、残りの人間も続々と食堂へ集まって、最後に寿が刑事らしい背広をきた若い男に、
「これで全員です」
 と言うと、男は頷いて、
「みなさん、私は埼玉県警の刑事課で警部をしております中島というものです。お手数をかけますが、これから皆さんの取り調べを行うので、それまで外出を控えて頂けますか?」
「取り調べ? 我々を疑っておるのか!」
 羅尾本が威圧的に声を上げると、中島警部は多少気おされながらも、
「い、いえ、あくまで形式的なものです。そういう決まりなんですよ」
 そう言うと、羅尾本も少しばつが悪そうに、
「そうか、そりゃスマン」
 と、頭を下げた。
 それで多少、気を取り直した中島警部は健二に、
「健二さん、取り調べのために部屋をお借りしたいのですが」
「それなら、二階の会議室がいいでしょう」
「結構、では最初の取り調べですが」
「でしたら、是非、私が最初でどうでしょう」
 と、健二が提案する。
「どの道、会議室のカギは私が預かっていますので」
「分かりました。では、こちらへ。残りのみなさんは、屋敷から出なければ、ゆっくりお休みになられて構いません」
 そう言って、中島警部は数人の警官を連れて、健二と共に食堂から去っていった。残った人々も、食堂で今後の話をするもの、食堂を出て部屋に戻る者と様々だった。
 そこへ。
「五月雨様」
 と、寿が声をかけた。
「はい?」
「実は二時間ほど前に電線が復旧しまして。ちょうどそのとき、金剛様からお電話があったのです」
「え? そうなんですか? 起こしてくれればよかったのに」
「申し訳ありません。ですが、金剛様より無理に起こさなくてもよいと言われましたので」
「そうでしたか。それで、金剛は何と言っていましたか?」
「今日は一日、旅館にいるのでこの番号にかけて欲しいと」
 そう言って、寿は五月雨に電話番号の書かれたメモを手渡しました。
「分かりました。では、電話をお借りしたいのですが」
「こちらです」
 寿に案内され、五月雨は玄関近くにある電話室へ入った。電話のダイヤルを回し、番号を入力する。すると。
『はい』
 と、旅館の従業員らしき男の人が出たので、金剛の名前を上げて、呼んでもらった。
『ハーイ!』
 すぐに例の甲高い声が受話器から響いた。たった一日傍にいないだけだったが、五月雨にはその声が懐かしく思えた。
『コトブキ=サンからだいたいのところは聞いたヨ。随分と大変な目にあってるようネ? 大丈夫デスカー?』
「はい。でも、色々と不可解でして」
『ほう、それは是非聞きたいネ』
 それから五月雨は金剛が去ってから屋敷に起こったことを細かく説明していった。
『なるほど』
 金剛はそう言うと、
『五月雨、ユーは今日の夜、シキベ=サンと共にフジキド=サンを見張るネ』
 と命令を下した。
「何か分かったんですか?」
『いや、まだ情報が足りないネ。五月雨にはさっき言ったことと並行して、もっと情報収集を頼みマース』
「分かりました。ところで、そちらの調査の方はどうですか? 何か進展は?」
『それがガンドー=サンがついて早々、食あたりを起こしてネ。昨日はその世話に付きっ切りで、調査が進んでないのヨ………』
「何ですかそれは」
『わっ、私のせいじゃないネ! とにかく、そっちもよろしく頼むネ!』
 そういって電話は一方的に切れた。
「もう!」
 受話器を置いて電話室を出て、五月雨は一階ホールから犯行現場の三階を睨んだ。富士夫の死んだ現場では、今、警察の鑑識官たちが一生懸命に証拠を探しているのだろう。ここからでも激しい人の出入りが見えた。二階の会議室では今頃、健二が取り調べを受けているのだろう。自分もやがてはそれを受けることになる。
 でも、契約上、私の仕事は益荒田海が本物かを調べることだから、犯人探しなんてやってていいのかな?
 そう考える五月雨だったが、
「ま、いっか。ウダウダ考えてても仕方ないし」
 と、あっけらかんとしで手を叩くのだった。
「何が仕方ないのかね?」
「ひゃっ!」
 驚いて後ろを振り返ると、そこには柴田がいた。
「ああ、ごめん。驚かしてしまったかな?」
「いえ、別に。柴田さんこそ、私に何か用ですか?」
「いや、電話室の前で何か思いつめてたようだから。しかし、大変だろう。君みたいないたいけな少女が殺人現場と出くわすなんて。いや、失敬。むしろ、昨晩は君が一番しっかりしていたね。全くお恥ずかしいよ」
 笑って頭をかく柴田に、
「いいえ、そんなことは」
 と五月雨は首を振る。
「そうだ、柴田さん。富士夫さんを殺した犯人について何か心当たりがありませんか?」
「え?」
 柴田が暗い顔になるのを見て、
 あっ、直球過ぎたかな?
 と思う五月雨だったが、
「うーん、分からないな。第一、犯人がどうやって柴田くんの部屋から出たのか。状況的には健二くんだろうけれど、密室にしてしまったらむしろ、自分が犯人だと言っているようなものじゃないか。それに健二くんは―――」
 と、柴田は何かを言いかけて、
「いや、しかしどうだろう」
「ん? どうしたんです?」
「うん。健二くんは殺人を犯す人間では無いと思うんだがね。一つ、理由があることを思い出してね」
「それは、遺産のことですか?」
「ははっ、健二くんはそんな理由で人を殺すとは思えないよ。だいたい彼の普段の暮らしぶりと言ったら、昔から慎ましいものだからね。ただ、彼には奥さんとまだ赤ん坊の子供がいたんだが、交通事故で亡くなってしまってね」
「え、そうなんですか?」
 柴田は頷いて、
「ええ、冬子さんと、栃木くんと言って、それは傍から見ても幸せそうな家族だったよ。まるで田子さんと千波くんのようにね」
「そうだったんですか………。でも、それが富士夫さんとどういう関係が?」
「実は、交通事故の際、冬子さんと栃木くんが乗っていた車というのが富士夫くんの車だったんだよ。事件の当日、富士夫くんは冬子さんと栃木くんを乗せて、仕事の忙しい健二くんの代わりに保養地としてこの屋敷まで連れてくることになっていたんだ」
「なっていた、とは?」
「ところが当日になって、富士夫くんにも予定が入ってしまった。だから、友人の益荒田家当主、つまり海くんのお父さんだね。その方が運転手となってここまで車を運転してきたんだ。ところが車は急カーブで崖下へ転落。全員、亡くなってしまったんだ」
「なるほど、でも、それだけで富士夫さんを恨むのは、ちょっと動機が弱い気がしますが………」
「いいえ、この話にはまだ続きがあるのです。先ほど、当日になって富士夫くんに仕事が入ったと言いましたが、後になって富士夫くんを別の場所で見たという噂が広まりましてね。そこからあの交通事故は、彼が仕組んだものじゃないかという話がどこからともなく出てきたのです」
「えっ!」
「もちろん証拠はありません。ですが、健二くんと富士夫くんは、何といいましょうか、子供のころからの好敵手同士でして。同じ村の生まれで、同じ学校、同じ企業と、常に競い合っていました。実は奈落氏の養子候補として、富士夫くんが上げられたこともあったのです。ですが結果的に養子になったのは健二くん。一方、富士夫くんは京都で子会社のポストを与えられ、実質、左遷されてしまいました。ですから、こういう噂が立つのも仕方のないことなのでしょう。しかし、仮に富士夫くんが本当に交通事故を仕組んでいて、健二くんがその証拠を掴んでいたとしたら、もしかすると………」
 柴田はそこまで話して、首を横に振り、
「いや、私は健二くんを信じよう。そもそもこの屋敷にいる誰かが犯人だなんて、そんなことを考えること自体、悍ましいよ」
「申し訳ありません」
「ああ、いや、五月雨さんが謝る必要なんて無いよ。私は気の小さい、ただの村の村長というだけさ。私から言えるのは以上だけど、参考になったかな?」
「はい、ありがとうございます。ですが、もう一つだけ」
「何です?」
「『忍殺』という言葉に心当たりはありませんか? 富士夫さんの持っていた支配の面頬に書かれていたんですけど」
「『忍殺』ですって!」
 その言葉を聞いた瞬間、柴田の顔が驚愕に変わると共に、脂汗が額から滲むのを五月雨は見逃さなかった。
「何か知っているのですか?」
 しかし柴田は、
「いえ、何も。申し訳ないが、気分が悪いのでこれで失礼するよ」
 と、逃げるように階段を上って行くのだった。
「おっと」
 上るのに夢中だったせいか、階段を下りる礼二とぶつかりそうになるも、柴田は慌てた様子で、
「失礼」
 とだけ言って駆け上がってくる。
「一体どうしたんだ柴田さんは」
 礼二は階段を下りて、
「もしかすると五月雨さん、何かまずいことを言ったのかい?」
「いえ、私はただ昨日、富士夫さんの面頬に書かれた『忍殺』の言葉をたずねただけで」
「ふぅん、なるほどそうか」
「礼二さん、何か心当たりが?」
「実は僕の方でもその言葉が気になっていてね。羅尾本さんにもたずねたけれど、その途端に用事を思い出したと言って逃げるように行ってしまった。その様子だと、柴田さんにたずねても同じだったようだね」
「はい」
「そうですか。ああ、そういえば富士夫先生の密室殺人ですがね」
 礼二は急に真剣な顔つきになって、
「僕も少し考えてみたんです」
「何か分かったんですか?」
「いえ、そうじゃなくて、まだ思い付きの段階なのですがね。もしかすると犯人は、鉤縄を使ったんじゃないかと思うんです」
「鉤縄、ですか」
「はい。ロープの先にフックがついたものでしてね。忍者はそれを使って、高いところへよじ登ることが出来るのです。五月雨さんも、昨日、展示室でご覧になったかと思いますが」
 そう言われて五月雨は、展示室のガラスケースに収められた、表面が赤くさび付いた船の錨のようなものを思い出す。
「ああ、あれですか」
「はい。あれならもしかすると、地面から三階の窓までよじ登れるかもしれません。展示室には先端しかありませんが、倉庫からロープを取って来て一つ、実験してみましょう」
「え? まさか展示室の鉤縄でですか?」
「なぁに、あのようなものは、近所の家の蔵にいくらでも転がっていて、この村では珍しいものでもないんです。それに見た目はボロボロでも、いい鉄を使っているから滅多に壊れるものではありません」
「しかし、警察の方から今日は屋敷から出るな、と」
「敷地内なら問題は無いでしょう。さぁ、行きますよ」
 若者特有の強引さで五月雨を引っ張って、礼二は展示室へ向かう。扉を開けて、中に入った礼二は、
「ああ!」
 と、思わず叫び声を上げた。
「どうしたんです礼二さん」
 礼二に続いて五月雨が中に入るとそこには割れたガラスケースがあった。
「ああ!」
 二人の叫び声に、
「どうしましたか!」
 警官たちが押し寄せる。彼らもまた、割れたガラスケースを前にして顔色を変えた。
 札を見ると、ガラスケースの中には鉤縄の先端が収まっていたようだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?