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戦艦探偵・金剛~比叡の悲劇~⑦

 結局、比叡の事後従犯の容疑は、宗助に騙されていたこともあって無罪放免となり、すぐに釈放されることになった。
 野々江はともかく、宗助は情状酌量の余地があるとして、刑はうんと軽くなるらしい。今後の裁判次第ではあるが、少なくとも一、二年は刑務所の中で過ごすことになりそうだった。
 珍授荘の経営は田島に移って今も続いている。ただし事件がマスコミで広まってしまったため、名前を変える必要に迫られた。
 さて、比叡はというと―――。

 「本当に行くのかい?」
 田島ががっかりしたような顔で言った。それを見ると比叡は少し心が揺らぎかけたが、歯を食いしばって、再び決心を固めるように、
「はい、もう決めましたから」
 と、鞄を片手に靴を履き、玄関ロビーから立ち上がった。比叡の服装は、ここへ来た時と同じ、艦娘の装束へと戻っていた。
「あんなことがあったから無理も無いし、こっちも本当は引き留めちゃいけないんだろうけどねぇ」
 田島は俯きながら、
「あんたは、結構みんなから好かれていたんだよ。女将さんだって、あんたを若旦那の嫁にしてやろうと思ってたくらいなんだ」
「ヒエッ、それじゃあ、みんな私と宗助さんが付き合ってたこと知ってたんですか!」
「隠し通せていると思ってたのかね。あんたも若旦那も鈍いねぇ」
 比叡は顔を赤くして俯いた。
「その顔だと、まだ未練があるようだね?」
「ええ、まぁ」
「だったら………」
「それでも、やっぱり行かなくちゃ。やっぱりここは、私にとって旅の途中だったんです。こういうことが起こったのも、そうした縁なのでしょう」
「そうかい」
 田島はため息をついて、
「じゃあ、体には気を付けるんだよ」
「お世話になりました」
 そう言って、比叡は頭を下げた。覚悟を決めたはずなのに、最後は涙声になってしまった。田島も涙ぐんで、
「元気でねぇ」
「田島さんこそ、お達者で」
 比叡は玄関へ向けて歩き出す。今日も照り付ける程の日差しが地面へ降り注いでいた。セミの鳴き声が洪水のように森の中をこだましている。ふと、遠くの方で太鼓の音が聞こえた。
 ああ、そういえばもう夏祭りの季節だっけ。
 数日前に神社の前で思ったことと、そっくり同じことを比叡は思い返す。
「最後に旅の安全を祈願しておきますか」

 神社へと辿り着く。そこは数時前に来たときよりも、祭りの飾り付けが進んでいて、大工が境内の中に大きなやぐらを組み立てていた。毎年、あのやぐらを中心に、みんなで盆踊りをやっていたことが思い出される。
 でもこの夏は、その中に私の姿はない。
 そう思うと切なさで胸が締め付けられるような思いになった。
 いけない、こんなことじゃ駄目だ。
 神社の本堂へ向かい、賽銭箱に小銭を投げて鈴を鳴らし、二礼、二拍手、一礼する。
「祓い給え、清め給え、守り給え、幸え給え………」
 三度唱え、旅の安全を祈って後にする。ふと、絵馬掛けに奉納された絵馬が目についた。
「あら?」
 比叡はその中に、何だか見慣れた筆跡を見つけたのだ。
 これは………。
 近づいて手に取ってみると、それは金剛の筆跡だった。そこにはこう書かれてあった。
『比叡が自分の幸せを見つけられますように』
「ううっ、ああっ………」
 比叡は大粒の涙を流して、絵馬を握りしめた。
「お姉様、ありがとう………ごめんなさい………」

 同時刻、東京都、金剛探偵事務所にて。
「ん?」
 金剛は口に運びかけたアイスティーのコップを止めて、自分デスクの後ろ、晴れ渡った青空を振り返った。
「どうしましたぁ? 先生」
 五月雨は飼い猫のフーちゃんを膝にのせて、自分とフーちゃんをうちわで扇いでいた。
「いや、比叡の声が聞こえたような気がしてネ」
 比叡の名前を出すと、五月雨の顔に暗い陰がよぎったが、あえてそれを吹き飛ばすように明るい調子で、
「もう、暑さのせいで幻聴が聞こえてるんじゃありません?」
「そうかもしれないデース」
 そう言って金剛はアイスティーを飲んだ。
「そろそろエアコン、いえ、扇風機くらい買いましょうよ」
「そうだネ。そうすれば熱い紅茶が夏でも飲めるデース」
「恐ろしいことを言わないで下さい」
「にゃーん」
 同意するようにフーちゃんが鳴くと、アイスティーの中に入れた氷がカランと音を立てた。

 戦艦探偵・金剛 ~比叡の悲劇~ 了

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