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四国大戦 一番札所 霊山寺1

「行って参ります」
 ジョンはゼロの母たる老婆に深々と頭を下げた。
「気を付けんだよ。必ず帰っておいで」
「はい」
 そう言ってジョンと腕白大師は四国へと旅立った。
「ジョーン!」
 老婆が弱い足腰を奮い立たせ、玄関で手を振った。その言葉にジョンは一度だけ振り返って、手を振り返す。次に前を向いたとき、ジョンは歯を食いしばって涙をこらえていた。こらえきれなかった分が、頬を伝って流れ落ちた。
 もう会えぬかもしれない。八十八の寺を破壊で来たとして、どれくらいの時間がかかるのか。それまでに老婆は生きているのだろうか?
「うぐうう!」
 ジョンは一歩一歩、覚悟という名の足跡を付け、今はもう見慣れた田んぼ道を歩く。峠を越えたところで、何人かの僧侶が荷物と馬の番をしているところに出くわした。腕白大師の付き人たちだった。用意周到な腕白大師は、あらかじめジョンの装備を用意していたのだ。
 僧侶たちは腕白大師に敬礼し、ジョンに装備を差し出した。
 強靭さと透湿性を兼ね備えた白装束、防弾性の袈裟、対仏ライフル用の弾丸が納められる輪袈裟、鉄が裏打ちされた傘に、般若心経。
「かつて君が使っていたものだ」と、腕白大師が差し出すはジョンの対仏ライフルと刀だ。
「線香手榴弾は?」
「あるとも。自動着火蝋燭もだ」
「準備は万端というわけか」
「さぁ、馬に乗れい! 四国は遠いぞ!」
 ジョンと腕白大師は馬に乗った。
 かくして彼らの四国へ至る旅が始まった。二人は常陸国から武蔵国を抜け、海沿いに富士山の麓を過ぎて駿河国では伊勢湾を船で渡って伊勢国へ上陸、平城京を抜けて浪速を通り抜け、大輪田泊へ辿り着いた。ここから船で淡路島を迂回し、徳島へ入るのである。
 港へ辿り着いたのはジョンと腕白大師だけであった。付き人の僧侶は連絡と言う方便で、平安京に返した。尋常の僧侶では、四国へ近づくことさえ出来ないであろう。
 ジョンは大和田泊の港から、淡路島を抜けて遠くに見える四国を睨んだ。睨み殺さんとばかりに睨んだ。弘法大師が八十八の機動寺院を建立する以前から、四国はある種、僧侶にとって試練の地として有名である。半端な僧侶では、上陸した瞬間に即死するであろう。
 かつてある調子こいた僧侶が「四国一周? 余裕余裕、行けますって!」と徳島に上陸した途端、周辺の砂浜を縄張りにした原住民に槍で突かれ、食い殺されたという記録が風土記に残っている。
 腕白大師は天気を見た。晴れてはいるが、雲が多い。しかし、どんな高波が来ようとも行かねばならなかった。常陸からここまで来るのに、もう三ヵ月も経っている。今、この瞬間にも四国の民が寺に食い殺されているのだ。
「自分ら、本当に徳島へ行くんでっか?」
 腕白大師の雇った船頭が、鰹節をナイフで削りながら二人に訊いた。
「ああ」
 ジョンが力強く答えると、船頭は削った鰹節を食べつつ「あそこじゃ今、寺が人を食っとるってさ。まぁ、ありえへん話やないがな。四国やもんなぁ」と言う。
「それよりも確実に我々を徳島に送り届けて欲しいのだが」
 腕白大師が言うと、船頭は「ふん」と、鼻を鳴らして「心配すんな。人食い渦潮を抜けて、確実に送り届けてやるよ。まぁ、上陸した後は保証しまへんが」再び鰹節を削り始めた。
「準備は?」
「出来ている」
 ジョンが言って、腕白大師が頷いた。
「じゃあ、乗んな」

 船頭の船は風を受けて順調に進んでいく。この分なら、夕方には徳島へ上陸できそうだった。
「いい風がふいとるのお!」
 船頭は巧みなロープさばきで船をコントロールしていく。船頭、ジョン、腕白大師の三人で定員の小さな船が、ガレオン船すら飲み込んでしまいそうな渦潮をギリギリのところで回避していくのは見事というほかない。
「いい腕だな」
 ジョンが言うと「いや、自分らも中々のもんだ。普通の坊さんなら、今頃げえげえ吐いて真っ青になってるところですぜ」と、船頭が感心したように言った。
 破壊僧の訓練カリキュラムには、不安定な船上での破戒活動も想定されている。ジョンと腕白大師にとってはこの程度の揺れは、穏やかな湖畔に等しい。
 天候は曇っていたが、雨の降る気配はない。風は強いが波はそれほど高くなく、帆船にとってはこれ以上ないコンディションの海だった。
 ゆえにジョンと腕白大師は警戒したのである! この世の一つとっても、思い通り行くものは一切ない! 破壊僧にとっては茨の道こそ安全な道であり、平易な道こそかえって恐ろしく感じられるものなのだ!
 突如、「ひゅるるるる……」という奇天烈な音がジョンの耳に聞こえて来た。刹那、船の近くの海が飛沫と共に弾けて、一瞬遅れて爆発したのである。
「なんだぁ!」
 船頭が帆へしがみ付いた。船が転覆するかの如く大きく揺れた。
 腕白大師の持つ弘法大師空海がインストールされた金剛杖が青く光った。
「これは霊山寺の砲撃だ! 君たちの反仏質を感知して、攻撃してきたのだろう!」
 次の瞬間、世界が無音になってジョンの視界が傾いた。船が転覆する――そう思った瞬間、彼の意識はブラックアウトし、次に意識を取り戻したとき彼は砂浜に打ち上げられていた。
「うぐっ」
 口の中が砂でジャリジャリした。唾液に絡めて吐き出すと、ジョンは上体を起こして自分の身体を確認した。
 幸い、大きなけがは無さそうだった。両手の指のちゃんと五本揃っている。装備も無意識のうちに両腕に抱えて保持していた。訓練のたまものである。しかし全体的に海水で湿っていて、砂だらけではあった。特に対仏ライフルと線香手榴弾は、しばらく使えそうにない。
 周囲は朱に染まっている。夕方だ。不意に、人の気配がした。遠くで数人の人だかりが見えた。
 地元の漁師か?
 ジョンは立ち上がって、未だ混乱する三半規管に構わず人だかりに近づいた。ところが近づくうちに妙なことに気が付いた。彼らの身なりは裸同然で、腰みのしか纏っておらず、肌は汚れていて浅黒く、髪は櫛を通したこのが無いのかボサボサで伸び放題である。
「もし……」
 声をかけると、人だかりがその血走った目をジョンへ向けた。血走っているのは目だけではない、その口も、手も、血に塗れていた。彼らが囲んでいたのはジョンと腕白大師を運んできた船頭であった。船頭は頭を割られ、腹を裂かれ、砂浜に横たわっている。
 こいつら、人を食っているのか!
 何という恐るべき反仏性であろう! ジョンは刀を抜き、自分がどこにいるかを確信した! ここは四国徳島の砂浜、人食いの四国蛮人が縄張りである。
「うぎゃあ!」
 三人の四国蛮人が一斉にジョンへ飛びかかる。
「南無!」
 ジョンは彼らを横薙ぎに一閃した。蛮人共の下半身と上半身が分離して、六等分された体が砂浜に不条理な絵をかいた。
「ウボオオオ!」
 恐慌を来たした残りの蛮人が蜘蛛の子を散らすように砂浜の方々へ逃げていく。
「ちっ!」
 ジョンは舌打ちして刀の血糊を拭った。
 それから船頭の死体を見た。見開かれた目を閉じて、ジョンは彼を埋葬するべく地面を探した。
 海に流せ……。
 不意にジョンは船頭の声を聴いたような気がした。なるほど、船乗りは海に帰る。それも道理だ。
 ジョンは船頭の死体を海に流し、波打ち際に正座して経を読んだ。自分をここまで運んできたことに対する、ジョンが出来る精一杯の返礼である。
 そこへ「ジョン、ジョン!」という機械音声が響いた。
「弘法大師!」
 ジョンは立ち上がって辺りを見回すと、流木に紛れて青い光を放つ金剛杖を見つけた。
「無事だったか」と、ジョンがいうと「お前もな」と、金剛杖は言った。
「腕白大師はどうした?」
「わからん」と、金剛杖は言う。しかしここに金剛杖が転がっているなら、腕白大師も近くにいるはずだ。人食い蛮族におとなしく食われるような僧ではない。
 そう思ってジョンは海岸線を探したが、残念ながら腕白大師の姿を見つけることは出来なかった。
「ウボオオ!」
 代わりに再び蛮人たちが、ジョンに向かって走って来たので、ジョンは再び一刀の下に切り伏せた。先ほど怯えて逃げたはずの蛮人である。どうしてまた向かってきたのだろうかと訝しんでいると「蛮人の記憶は平均して十分しか持たない」と、金剛杖が説明した。
「ゆえに機動寺院の仏性感知センサーも働かず、食われもしないということだ。信仰の意味も理解できぬものを食っても、しかたがないからな」
 ジョンは刀に付いた血糊を拭って、海岸線から陸の方へ上がることにした。もしかすると腕白大師は、先にどこかの町なり村なりに辿り着いているかもしれない。
 しかし先ほどの蛮人を思い出すと、ジョンの顔も曇った。
「まさか四国民全員が、あのような蛮人ではないだろうな?」
「安心しろ、私も四国の出身だ。ちゃんと話の通じる奴はいるさ」
「じゃあ、あの蛮人共は何なんだ?」
「四国タイムの産物だ」
「いったい何なんだ四国タイムってのは」
「まぁ、それはいずれ話す。とにかくここを離れよう」
 ジョンは砂浜から荒れた草原を進む。遠くを見回しても、腕白大師どころか人の影すらなかった。
「くそっ、ここはどこだ?」
「待て、周囲をスキャンする」
 金剛杖から周囲へ向かって青い光が放たれる。
「わかったぞ、ここは岡崎海岸だ」
「そんなことも出来るのか?」
「機動寺院の休眠地点を決めるために、四国の地形は三次元データとしてマッピングしている。そのデータを金剛杖にあらかじめダウンロードしていたのだ」
「それで、どっちへ行けばいい?」
「こっちだ」
 空中に青い矢印が投影される。
「こっちの方向に鳴門の町がある」
「便利なものだな」
「密教の教えだ」
 ジョンは金剛杖の指し示す方向へ三十分ほど歩くと、町が見えてきた。
「あれが徳島の玄関口、鳴門だ」と、金剛杖が説明する。
 鳴門の町は木造の家々が立ち並び、竪穴式住居など見当たらない快適な場所であった。田舎の町らしく、夕方を過ぎては人影が見当たらない。
 ジョンは町へ足を踏み入れる。海に投げ出されたときに海水を飲んだのか、無性に喉が渇いていた。この規模の町なら公共の井戸の一つや二つあるだろう。そう思っている内に大きな川に出た。撫養川である。ジョンは川の水を飲み、海水でべたつく服を洗った。
 ふんどし一丁で、服や装備をすすいでいると、背後から「蛮族だ!」と声が上がった。
「蛮族がいるぞ!」
 振り返ると、土手の上に人影がいて、ジョンを指さしていた。
「違う、俺は―――」
 弁解しようとした瞬間、後頭部を一撃される。目から火花が散って、ジョンは川原に倒れ込んだ。
「捕らえろ」
 男の冷徹な声が響く。誰かがジョンの腕を掴んだ。
 しかしジョンは掌に石を握りこんで、掴んできた男の顎を撃ち抜き、取り押さえようと近寄って来た男の腹部を殴り、右ストレートを叩き込んだ。
 しかし抵抗で来たのもそれまでだった、二人、三人と囲まれ、ジョンは頭を棒で殴られた隙に袋を被せられて取り押さえられてしまった。疲労もあったのだろう、ジョンはやがて意識を失った。


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