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戦艦探偵・金剛~サーバルの濡れ衣~①

 ようこそ、金剛探偵事務所へ。
 私は金剛探偵事務所で助手をしている五月雨っていいます。
 深海棲艦との戦いも終わって、退役した金剛さんは、なんと女流探偵として東京に並ぶ者が無い名探偵として活躍しているんです。
 私も金剛先生に付き合って、様々な事件に出会いました。
 ところで皆さんは『冤罪』というものをご存知でしょうか?
『冤罪』とは、『無実にも関わらず犯罪者とされてしまう』という意味の言葉です。
 恥ずかしながら、私は金剛先生と仕事をするようになってから、はじめてこの言葉を知りました。
 金剛先生が扱ってきた事件の中でも、こうした『冤罪』事件は頻繁にあります。金剛先生が真犯人を見つけてくれなかったら、彼らはいったいどうなっていたことでしょう。当事者でない私ですら、そう考えると気が遠くなるのに、『冤罪』をかけられた本人にしてみればまさに死ぬような思いに違いありません。それだけに、この『冤罪』を、私は許すことが出来ません。
 今回の物語も、そんな『冤罪』が絡んだ事件なのですが、特筆すべき点が一つだけあります。
 何と『冤罪』をかけられたのは物言わぬ動物なのです!
 ある意味で、これ以上に『冤罪』をかけるに相応しい存在がいるでしょうか? 動物は自身の潔白を主張することも、また、裁判で弁護士をつけることも適いません。
 果たしてどんな動物が、どんな『冤罪』を着せられたのでしょうか?
 金剛先生は、いかなる方法で『冤罪』を晴らしたのでしょう?
 さらに、事件の奥深くに潜む驚愕の事実とは?
 戦艦探偵・金剛~サーバルの濡れ衣~、お楽しみください!

 五月下旬から大きく上がった気温は、二十二日をピークに再び下がり始めると、六月に入ってまた、何かの間違いのように一気に上昇を始めた。二十二度から一気に三十度、そして再び二十三度まで下がるような、あたかもテニスのボールを右へ左へと打ち返しているような気候変動に、金剛はもとより世の人々もうんざりしていた。ラジオでは五月病ならぬ六月風邪というものが流行っているらしい。要するに、誰も彼もが温度の上がり下がりに、体も付いていけなくなっているのだ。
 こうなったらさっさと梅雨に入って、寒かろうが熱かろうが温度計の針に一服してもらいたいところである。体の調子もそうだが、着る服にしたって冬物を仕舞うタイミングが見つからない。
 六月三日、その日も金剛は何だか疲れたような、だるい体を三階から引きずって二階の事務所へ出勤し、所長の机の椅子にどっかりと腰を下ろした。日差しは快晴で、今日は少し汗ばむ陽気になりそうだった。六月に入ってまだ三日、梅雨の足音は未だ遠い。
 机の上には今日の新聞が置かれていた。毎日の朝刊を金剛の机に置くのは、助手である五月雨の役目であったが、彼女だけはこの気候変動に対して無関心を貫いて、平常運転を行っていた。起きても最近の金剛のようにぼんやりすることも無く、テキパキと朝食とモーニングティーを淹れて事務所周りの清掃を済ませたようだった。姿が見えないことから、給湯室にでもいるのだろうか。
 五月雨の名前は梅雨の別名であるそうだが、この天気を見る限り、気候の方でも彼女のことを無視しているようだった。
 ま、とりあえず朝刊でも読むネ。
 そう思って金剛が新聞の一面を開くと、
『金剛盗まれる』
 という文字がデカデカと踊っていたので、彼女は大いに驚いた。
 盗まれる? 私、誘拐でもされたのデスカ?
 しかし冷静によく見てみると、それは、
『金剛盗まれる』
 ではなく、
『金剛石盗まれる』
 であった。
「はぁ~、びっくりさせるネ」
 大きく息を吐いて、金剛は新聞を置いた。どうもこのよく分からない気候の変化のせいで、金剛の鋭敏な観察眼も若干、陰りが生じているらしい。改めて記事を要約すると以下の通りである。

 資産家の仲手川義彦氏の自宅から三十カラットの金剛石が盗まれたことが判明した。
 五月三十一日、南米へ長期の出張へ赴くことになった仲手川氏は、かねてより自宅の金庫に保管してあった金剛石を用心のためにN銀行へ預けることにした。
 午後二時にN銀行の職員と二名の警備員が専用の輸送車両で到着し、金剛石を受け取って銀行へ向かった。
 しかしその途中、サングラスとマスクで顔を隠し、拳銃を持った女が現れ、信号で停止した輸送車両へ襲い掛かった。女はリヴォルヴァ―拳銃を三発、輸送車の車体に発射した後で金剛石を要求したが、通りがかった二人の警官とパトカーによって取り押さえられた。
 その後で二人の警官は、女に手錠をはめてパトカーの後部座席に押し込めた後に、銀行職員と警備員に、金剛石の輸送計画が強盗団によってばれていることを告げた。念のために自分たちが金剛石を預かって、輸送車両は後から別のルートを走るように地図を渡した。その際、警官の一人は終始、車の中にいて顔は見えなかったが、もう一人は目撃者の証言から似顔絵を得ることが出来た。
 銀行員は言われた通り、そのルートを辿って銀行へ到着したが、果たして警官は到着しなかった。道が混んでいて遅れているのだろう、と思った銀行員はそのまま夜まで待ったところで異変に気が付き、警察署に問い合わせたところで事件が発覚した。二人の警官は偽物であり、女の仲間であったのだ。
 現在、警察は総力を挙げて三人の身柄を捜査中である。
 なお、盗まれた金剛石は通称『サンドスター』と呼ばれ、一八五八年に原石が南アメリカのプレミア鉱山で発掘され、値段は少なくとも一千万円(現在の貨幣価値で約二億円)はするという貴重なものである。この宝石は、元々イギリスのシーザーウッド伯爵が所有していたものであった。しかし一九三五年に伯爵が、彼の投資していた南米における石油事業において、会社を倒産させかねない大きな損失を被ったことがあり、その際に仲手川氏が損失を肩代わりしたことから、引き換えに譲り受けたものである。

 同じ『金剛』の字が冠せられた宝石に対し、金剛はどこかシンパシーを感じながらも、一方で強盗のユニークな手法に関心もしていた。かなり計画的な犯行であるから、犯人自らが言うように輸送計画がどこからか漏れていたのだろう。仲手川氏がどの銀行に預けるかは予測しずらいから、スパイを放つとすれば銀行側ではなく、仲手川氏の側にいるのだろう。女中の一人が事件後に姿を隠していたら、まさにそれだ。
「ふーむ、三十カラットの金剛石ネ………一体、どれくらいの大きさカナ? 五月雨はどれくらいだと思いマース? ちなみに一カラットの重さは二百ミリグラムデース!」
 給湯室へ呼びかけるが返事は無い。そもそもさっきから給湯室にいるにしては、何の物音も気配も無かった。
「五月雨ー?」
 金剛は立ち上がって給湯室の中を覗き見る。
 いない。
 トイレを探す。
 いない。
「五月雨ー!」
 金剛が机の後ろにある窓から下を見下ろすと、果たして五月雨はそこにいた。建物のオーナーであり、ビルの一階で書店を経営する大淀も一緒である。通勤ラッシュも一段落したのか、道行く人影も少々、まばらになっていて、道端では靴磨きの少年が暇そうにあくびをしていた。
「はーい?」
 金剛の声を聞いて五月雨が返事をしながら上を向いた。
「そんなところで何してるネ?」
「フーちゃんに餌を上げてるんですよ」
「フーちゃん?」
 五月雨が立ちあがって体をずらすと、五月雨の小さな影から、更に小さい影が出てきた。そこにいたのは、燃えるようなオレンジ色の地毛に、虎の様な黒い模様を浮かべたネコであった。毛の長さは短く、前脚からしっぽの先至るまで美しい曲線美をしていることから、毛並みと合わせてエジプシャンマウの雑種らしい。首輪がないところを見るとどうやら野良猫で、五月雨が離れるとすぐにまた近づいて足へスリスリと体を擦り付け、尻尾を絡ませるのが愛らしかった。
 なるほど、最近、五月雨の足元にオレンジ色の毛が付いているのはそういうわけだったんデスネー。
 金剛が納得していると、五月雨は手を振って、
「先生、先生もフーちゃんと遊びませんか? 可愛いですよ!」
「何言ってるネ五月雨。もう仕事の時間ヨ。早く事務所に上がってくるデース」
「どうせお客さんが来るまで新聞読むか、紅茶飲むかしかしてないでしょう。フーちゃんと遊んでた方が、やや建設的ですよ」
「ここで待つ人間がいなかったら客が来ても分かんないデース! とにかく仕事の時間になったら、暇でも事務所にいるのデース! それが社会の歯車たる社会人の勤めなのデース!」
「社会の歯車………先生の口からそんな言葉が出るとは………」
 五月雨がそう言うと、大淀も笑って、
「明日は槍でも降るのかしら?」
 と言った。
「うぐぐ………」
 正論を言われているのにあの二人の態度はなんなんデース! 仕事している時間に事務所の前で猫と戯れてたら、普通の会社だったら怒られるヨ! 大淀も真面目に店番するデース! こんなんじゃ来る客も来なくなるネ!
 金剛が歯ぎしりをしながらそんなことを考えている時だった。一人の女性が五月雨と大淀のところへ近づいてくる。服装は赤いシャツに短パン、髪はウェーブがかったボブカットで、その上にクリーム色の探検帽をかぶっていた。背中には大きなかばんを背負っていたが、大きさの割に入っているものは少ないようでブカブカに背中から垂れ下っている。格好もそうだが胸もあまり大きくなく、そのせいで遠目には男性か女性か判断が迷う部分があったが、歩き方や細かい仕草を見る限りは女性らしさが見える。金剛の位置からは表情が見えないが、近づいてくる前に意を決するような間があったところを見ると人見知りな感じがした。
「あの~」
 頼りない、か細い声で彼女は五月雨たちに声をかけた。すると直後に、五月雨の足に絡みつく猫を発見して、
「うわぁ、可愛いですね!」
 と、黄色い声を上げた。
「でしょう? フーちゃんって言うんですよ」
 五月雨が自分のことでもないくせに自慢げに言うと、猫は、
「にゃーん」
 と媚を売るような声を出して、早速女性に人懐こく擦り寄っていった。これが野良猫のしたたかさである。愛想がよくなければ、人間の町で生きていくことは出来ない。
「わー」
 女性は夢中で猫を撫でる一方、金剛は女性が言いかけた、
「あの~」
 の続きが気になってしょうがない。直接聞こうにも単に道を聞いただけだったら、と考えると階段を降りるのが何だか面倒くさい。かといって上から声をかけたら、びっくりさせてしまうかもしれない。
 早くたずねるネ五月雨!
 と心の中で檄を飛ばすが、そんな金剛の心中を知ってか知らずか五月雨は子供を見守る母親のように、猫に暖かな眼差しを向けるばかりであった。
「ところで、何か御用があったようにお見受けしましたが」
 結局、質問の端緒を開いたのは大淀であった。大淀に言われると女性は、
「ああ、いけない。えーと、この近くに金剛探偵事務所というものがあると聞いてきたのですが………」
「ここデース!」
 女性の一言を聞いて、金剛は我慢できずに大声を出して、上から大きく手を振った。それを聞いた女性はびっくりして尻もちをつくと同時に、金剛を見つけた。金剛はそんな女性の様子などお構いなしに、
「金剛探偵事務所はここデース!」
「すいません」
 と、代わりに謝って女性を助け起こしたのは五月雨だった。
「うちの先生、ちょっと変わってて」
 そうしている間にも金剛は、
「何してるネ! カモン!」
 と騒ぐのであった。

 女性は五月雨に連れられ、おずおずといった様子で事務所の中に入り、ソファーへと腰を下ろした。金剛も同じく女性の前にあるソファーへテーブルを挟んで腰を下ろす。五月雨は紅茶を淹れるために給湯室へ入り、改めて女性と金剛は一対一で向き直ることになった。
 改めてみると、女性は童顔で年齢は二十歳を超えていないのではないかと思われた。胸は無いが、体格は痩せぎすと言うわけではなく、手足にしっかりとついた筋肉から、それなりに体力がありそうだった。
「あの~」
 無言のまま観察を続ける金剛に、女性が恐る恐る声をかけると、それで金剛は自分の癖から我に帰った。それから女性がまだ帽子とかばんを背負ったままであることに気が付いて、
「帽子とかばんくらい横に置いたらどうかネ」
 と言った。
「す、すいません。失礼でしたよね!」
 金剛の言葉を叱責ととらえた女性は、慌てて帽子と鞄をとってソファーの横に置いた。
「ああ、いや、別に怒っているわけではないデース。ただ、暑いだろうと思ってネ」
「そ、そうですか、すいません!」
 うう、会話の歯車がズレてマース………。
 そこへティーポットを持った五月雨が現れた。五月雨の姿を見ると、女性も少しほっとした様子になったので、金剛は少しだけ悔しく感じた。
 やっぱり、一緒に猫と遊んだ方が好かれるのかネ。
「今日はアッサムですよ」
 と、五月雨は紅茶をカップに注いで女性に差し出す。
「はい、どうぞ。えーと、そういえばまだお名前を伺っていないですよね?」
「ありがとうございます。あ、僕は佐原今子って言います。でも、みんなからは『かばんちゃん』って呼ばれています」
「それは何故デース?」
「実家がかばん屋なので」
 と、言ってかばんちゃんはカップを受け取る。
「そうですか、私は五月雨って言います」
「所長の金剛デース。一つよろしくお願いするネ、カバンチャン!」
「もう、先生ったら、それはあだなの方ですよ」
 五月雨が言うと、かばんちゃんは、
「いえ、いいんです。僕も本名よりそっちの方が慣れてるんで。五月雨さんも、そう呼んでも構いませんよ」
 自己紹介が終わったところで、金剛は早速本題を切り出した。
「さて、多摩動物公園の飼育員が、我々に一体どんな相談をしようというのデース?」
 そう言われてかばんちゃんはギョッとした表情を作る。
「驚くことじゃありまセーン。特徴的な帽子と半ズボンの服装は、真新しいがサイズがぴったりと言う感じではない、恐らくは既製品の制服デース。その赤いシャツは自前のもののようですが、すると帽子と半ズボンの整合性が取れません。おそらくは普段はその上にもう一枚作業着を着用するが、今日は出向くのに暑いから取ったのデース。さて、探検帽を制服として用いる可能性がある職業とすれば、東京では上野公園か、探検家を除けば最近オープンしたばかりの多摩動物公園以外にありえまセーン。更に多摩動物公園は上野公園の四倍もの敷地面積を生かした無柵放養式展示を採用しており、サファリパークのイメージを押し出していることを考えると、従業員に探検家のような制服を指定していることは十分考えられマース」
 金剛はここぞとばかりにかばんちゃんを飼育員と判断した根拠を述べていくが、かばんちゃんはその半分も頭に入っていないような顔をして、
「す、すごいですね」
 と、引き攣った顔で感想を述べるにとどまった。
「動物園の飼育員さんなんですか?」
 五月雨が念のために確認すると、かばんちゃんは首を縦に振って肯定した。
「それで、要件は何ネ?」
「それは………」
 かばんちゃんはためらいがちに視線を右左に泳がせて、口ごもった。金剛と五月雨は焦らずにじっと、かばんちゃんの次の言葉を待つ。やがてかばんちゃんは意を決して言った。
「うちの動物園で死亡事故が起きてしまったんです。昨日まで警察が調べていて、このことはまだ新聞にも出ていませんが」
 開園したばかりの動物園で死亡事故とは穏やかな話ではない。かばんちゃんを口ごもらせるには、十分な説得力がある。
 しかし。
「動物園の死亡事故は珍しくないネ。ゾウに踏みつぶされる、クマに引っかかれる、ライオンに噛まれる、ありふれた話デース」
 金剛が言うとかばんちゃんは頷いて、
「はい。ですが、何と言うかこの事故は、ちょっと妙なんです」
「妙?」
 金剛はソファーから背中を放してかばんちゃんの方へ身を乗り出す。
「詳しく話して下サーイ」

かばんちゃんが二人に語って聞かせた内容は以下の通りである。
 六月一日、早朝の午前六時二十五分、多摩動物公園へ出勤してきたかばんちゃんは、担当であるチーター、ライオン、サーバルの世話をするためにそれぞれ順番に檻を回っていた。無柵放養式展示を取り入れている多摩動物公園とはいえ、肉食動物はさすがに他の動物園と同じく、檻に入れての展示を行っていた。肉食動物は来園客が普段、動物を目にする檻と、閉演した後で動物が眠るための寝室の小屋に分かれている。かばんちゃんはまず小屋にいる動物に餌をやり、来園客が動物を見に来る檻の清掃をし、それから各動物たちの健康状態をチェックをして小屋から出すのだ。
 ところがこの日、中央管理棟で管理しているはずのサーバルの鍵が無くなっていたのだ。かばんちゃんは首を傾げた。昨日、確かに鍵をフックにかけたのを覚えていたからだ。
 もしかすると、それは単なる気のせいで昨日、サーバルの小屋へ忘れて来たのだろうか。そう思ってかばんちゃんがサーバルの寝室であるコンクリートの小屋のドアを確かめると果たして鍵はかかっていなかった。中へ入ると果たして敷き詰められた寝藁にサーバルはいなかった。よもや脱走したかとかばんちゃんがサーバルの檻へ足を踏み入れると、そこにはサーバルと、檻の中で倒れ伏す男性飼育員の姿があった。
 かばんちゃんはすぐさまサーバルを運搬用の檻に入れ、園長に報告。それから警察と救急車が到着し、檻の中で倒れている男性の死亡を確認した。
 死亡した男性は状況から見て飼育員の瀬留里安次郎とされた。状況、と言うのはかばんちゃんが発見した際には血まみれで分からなかったが、遺体の顔面はサーバルによってかじり取られて判別が付かなかったからだ。
 そこで警察が動物園で働く従業員を確認したところ、飼育員の男性では唯一、安次郎の身元が判明しなかったこと、従業員の証言から安次郎と背格好が似ていることなどから、遺体が彼であると断定されたのだった。
 最終的に警察は安次郎の死が、サーバルの手によるものと判断した。

「しかし、あなたはその判断に疑問を感じているネ?」
 金剛が言うと、かばんちゃんはこくりと頷いて、
「はい、僕はサーバルちゃんが人を襲って殺すなんて、とても出来るとは思えないんです。僕だけじゃなくて、園長やみんなもそう思っているんです。もしかすると、別の可能性があるんじゃないか、って。そう警察に言ったら『そんなに言うんなら、こちらに頼んで見たらどうです』と言われて、この事務所を紹介されたんです。それで僕が代表でこちらへ………」
「あの~すいません」
 五月雨が手を挙げて言った。
「そもそもサーバルって、どんな動物なんですか?」
「ふむ、確かに聞きなれない動物デース」
 金剛は立ち上がって本棚から百科事典事典を取り出し、さ行のページをめくった。しかし『サーベル』という単語はあっても『サーバル』という動物は載っていなかった。
「うーん、この百科事典には載ってないデース」
「サーバルはあまり有名な動物ではありませんから」
 かばんちゃんは少し残念そうに言って、
「サーバルというのは、体長百センチほどの、少し大きい猫だと思って下さい。毛皮はヒョウに似て黄色い地毛に黒いつぶつぶがあって、大きい耳が付いているんです」
 かばんちゃんの説明を聞かされても、正直なところ金剛と五月雨にはあまりピンと来ない。だが体長百センチというと、大きさは五月雨よりも小さくなる。大きさからすると、確かに人間を襲って殺すのは難しいように思えた。
 だが、いくら体が小さいとはいえ狼だって大型の獲物を襲って殺すくらいのことは出来る。動物の膂力を侮ることは決して出来ない。ところがかばんちゃんの話によれば、サーバルはそれに加えて子供のころから人と暮らしているから人にとても慣れているのだという。
「なるほど」
 金剛は頷いて百科事典を本棚へ戻すと、再びソファーへ腰を下ろした。
「ところで、安次郎さんは何故、サーバルの檻へ入って来たのデース? 一体いつ? どうして? 何故、サーバルは寝室から解き放たれて檻へいたネ?」
「はい、そこも釈然としないんです。安次郎さんはオランウータンとシロテナガザルの飼育担当をしているはずなのに………飼育員は担当外の動物とは基本的にあまり関わらないんです」
「警察はそれに対してどう考えているんです?」
 五月雨がたずねると、
「はい。安次郎さんは、どうやらだいぶお酒を飲んでいたらしくて、その、単純に酔っ払って檻の中へ入ったんじゃないかと」
「動物園のセキュリティはどうなってるんデース?」
「セキュ―――?」
 かばんちゃんが金剛の言葉に首を傾げると、
「動物園の警備体制のことです。サーバルの檻の鍵は、どのように管理されていたとかですよ」
 と、五月雨がフォローした。するとかばんちゃんは納得したように頷いた。
「動物の小屋の鍵は、入り口近くにある中央管理棟で一括管理しています。事件が起こる前日も、僕がサーバルを寝室へ移して小屋に鍵をかけて、鍵を管理棟まで預けたんです。でも、管理棟に入れる従業員なら、誰でも鍵は持ち出せるので、そういう点ではあまり警備は厳しくないかもしれません。動物の檻に入ろうって泥棒はそういませんから」
「動物園の閉園時間は?」
「午後五時です。だから僕も五時には小屋の鍵を閉めて、管理棟で日誌を書いて、打ち合わせをして六時には帰りました」
「すると、夜になると完全に無人となる?」
「はい、いえ、そういうわけじゃありません。例えば、動物が病気になったり、妊娠して出産となると夜まで付き切りになって看病しなくちゃいけませんから。あの日はトナカイに赤ちゃんが生まれそうだったので、担当の夏目未来さんと獣医さんが徹夜で頑張っていました。未来さんの話では、簡単な夕食を摂るために一旦、管理棟戻ると、サーバルの鍵は確かに午後七時まで中央管理棟の鍵箱に下がっていたのを見たそうです」
「どうしてミライ=サンは鍵なんかみたネ?」
「鍵箱は管理棟の事務所の入り口のすぐ真横に合って、みんなつい癖で見てしまうものなのです。それに未来さんの担当であるトナカイの檻の鍵は、サーバルの鍵の真下にあるので、それで分かったんです」
「そうですか。あの、ちょっとお訊ねしますけど、多摩動物公園は無柵放養式展示をしているんですよね? 放し飼いとは違うんですか?」
「ああ、はい。柵が無くて、大きな堀で仕切ったりしているんです。ですから、トナカイのエリアに入るには管理者用通路を使って裏に回らないといけないんです」
 かばんちゃんの説明で五月雨は納得する。
「つまり、酔っ払った瀬留里安次郎は午後七時以降に職場に戻ってサーバルの鍵を取り、檻の中へ侵入してサーバルに襲われた、ということネ?」
「はい、警察はそう思っているみたいです」
「安次郎の直接の死因は何デース?」
「さすがにそこまでは教えてもらえませんでした」
「ふーむ」
 金剛は腕を組んで天井を睨んだ。
「お願いします金剛さん!」
 かばんちゃんはテーブルに擦り付けんばかりに頭を下げ、
「このままだと、サーバルちゃんは保健所の指導で殺処分されてしまいます! どうかサーバルちゃんを助けて下さい!」
 その声には涙と血が滲んでいた。それを聞いて金剛はただ一言、五月雨に告げる。
「五月雨、契約書を持ってくるネ」

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