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戦艦探偵・金剛~蘇る忍者伝説~⑧解決編

 ハロー! みなさん。ようやくお待ちかね、私は戦艦金剛ネ!
 私のいない間に、まんまと犯人は面頬、ヌンチャク、手甲の三つの見立て殺人をコンプリートさせたネ。
 オーマイゴット!
 え? どうしてさっさと岡山から帰ってこなかったのかって?
 まぁ、これには深い理由がありマース。その理由はすぐに話すから楽しみにしててヨ。
 しかしながら、忍者というものは、こうも残虐な存在なのかネ?
 徳川時代に大成した、忍術技術書『万川集海まんせんしゅうかい』には、忍者の持つべき心構えとして、『正心』という言葉が詳しく記されていマース。
 それによると、忍者の仕事は陰謀や相手を騙すことにあるネ。だから正しい心を持ち、相手の気持ちが分からないと、相手を騙すことは出来まセーン。
 そして、正心とは仁義忠信を守ることにある、とも書かれていマース。
 いわば忍者と言うものは、卑劣な謀略を行いながら、同時に清廉な心を求められる矛盾した存在といえるネ。もし、忍者が正義や大儀を捨てれば、それは盗賊と同じことと万川集海は説いてマース。
 更に万川集海にはこんなことも書かれているヨ。
 私欲のために忍術を行い、悪い殿様のために陰謀をたくらんでも、その陰謀は必ず露見する、と。
 この犯罪計画を立てた犯人は、まさに怨念ともいうべき、凄まじい復讐の情念を持ってマース。計画が絶対に露見することは無いと、信じていたに違いありまセーン。
 ですが、万川集海にある『正心』の記述通り、私欲のために立てられた陰謀は、必ず暴かれる運命にあるのデース!
 戦艦探偵・金剛~蘇る忍者伝説~、怒涛の解決編をお楽しみくだサーイ!

 もはや恒例となった朝の食堂における関係者の集会は、通夜の席もかくやと言う程の、鉛の様な重苦しさに包まれていた。羅尾本も柴田も、中島警部ですら目元に黒い隈を作って、その疲労を隠すことが出来ないでいた。
 ただ珍しいことに、今日は寿や料理人の秋元、更には由香乃も食堂にいて、憔悴しきった田子の代わりに千波のおもりをしているのだった。
 朝になっても、金剛は屋敷に姿を見せることは無かった。五月雨は昨日の夜、金剛に最後の報告の電話を入れ、必ず明日の朝に帰るように念を押したが、眠そうな声で、
『わかったヨ………』
 と答えるばかりであった。
 もう、先生ったら。今こそ先生の、お力が必要なのに。
 推理力ばかりではない。金剛の朗々とした声こそ、この屋敷に立ち込める暗雲を吹き飛ばしてくれる。五月雨にはそう思えてならなかった。
「詳しいことは司法解剖の結果を待つことになりますが、みなさんのお話を総合すると、益荒田海氏は昼食を取り終えた午後一時以降、誰もその姿を見ていないということになりますね」
 中島警部が確認するように言ったが、返事をするものは誰もいなかった。
「中島警部」
 柴田が疲れた声で言った。
「富士夫くんも死に、益荒田くんも死んでしまった。遺言状にある通り、投票をするまでもなく遺産は全て、健二くんへ相続されるだろう。もう私たちがここにいる意味は無い。いい加減、仕事にも戻らにゃならん。それに持ち主の健二くんには悪いが、こんな気味の悪い屋敷、さっさと出て行きたいんだよ」
「柴田さんの言う通りだ。正直、明日は我が身と言う気がして、昨日は全く眠れんかったよ」
 と、羅尾本も彼には珍しく、しょんぼりとした声で言うのだった。
 ただ一人、重苦しい雰囲気を何とか跳ね除けようと、礼二が努めて快活な声で質問を投げかけた。
「昨日、捕まえたという例の忍者ですが結局、何者なんでしょうか? 何か聞き出せたことはあるのでしょうか?」
「いいえ、残念ながら」
 中島警部が力なく首を横に振ると、そこへ女性の大きな声が響き渡った。
「それに関しては私から説明するネ!」
 食堂の扉が開け放たれると、そこには金剛と龕灯、それから数人の警官が立っていた。
「金剛先生!」
 五月雨が言うと、中島警部が、
「え? では、彼女が?」
「始めまして、中島警部。私立探偵の金剛デース!」
「あ、ああ、埼玉県警の中島です」
「さて、早速ですが皆さんにご紹介したい人物がいマース。カモン!」
 金剛がパチン、と指を鳴らすと、おお、なんということであろうか。昨日、鉱山跡地で逮捕された忍者が、二人の警官に左右を固められて食堂に入って来るではないか。
「ひっ!」
 田子が小さな悲鳴を上げ、千波の手を引いて後退った。他の関係者も、田子程では無いにせよ、みな、顔を引きつらせ、忍者を中心に円を描くように広がるのだった。
 それを見て金剛は、
「はっはっはっ」
 と、さも可笑しそうに笑うと、
「みなさん、怯えることはないネ。それどころか、みなさんは彼をよくご存じのはずデース。なぜなら彼こそ、正真正銘、本物のマスラダ・カイ=サンなのデース!」
「ええ!」
 そう声を上げて驚いたのは寿でした。
「で、では、今までの益荒田くんは?」
 柴田が言うと、
「奴はタキという、岡山市のイタリア料理店で、マスラダ=サンと一緒に住み込みで働いていた男ネ」
「しょ、証拠はあるのだろうな?」
 羅尾本がふるえる指で、金剛に名を明かされてもなお一言も発さずに、項垂れたままの忍者を指さして言った。
「もちろん」
 金剛は自信ありげに答えるが、
「しかし、生家も記録も何も無いんです。排除の手甲を調べましたが、あの手甲からはあなたと、あなたがタキと呼ぶ男の指紋しかありませんでしたよ?」
 中島警部が言うと、金剛は彼を一瞥し、
「ところが、それが一つだけあるネ。一人の可憐なガールがずっと大切に持っていた証拠がネ」
 すると金剛は寿へ近づいていき、
「コトブキ=サン、ユーが持っているという兎の折り紙、もしやマスラダ=サンが折ったものではありませんか?」
「へ? は、はい」
 寿の答えに金剛は満足そうに頷くと、
「では、それを私に貸してくれませんか」
 恐る恐る、寿が例の古びた兎の折り紙を金剛が差し出した掌に乗せた。すると金剛は無慈悲にも、兎を折り紙を素早く、元の一枚の折り紙に伸ばしてしまったのだ。
「きゃあああ!」
 あまりのことに悲鳴を上げる寿。
「先生!」
 五月雨も非難の声を上げるが、
「まぁまぁ、落ち着くネ」
 それから金剛は一枚の紙をポケットから取り出し、折り紙とその紙を見比べると、
「これを見るネ!」
 と、一枚の紙を全員の前へ晒した。それは忍者の指紋を写し取った紙である。
「それからこれネ!」
 と、次は折り紙の、そこに付いた一点の汚れだった。
「この折り紙に付いた親指の指紋、そしてこれが昨日、そこの忍者から取った指紋デース。寿さんの証言が正しければ、そこのニンジャとこの折り紙を折った人物は同一人物、つまり彼こそ、正真正銘本物のマスラダ・カイとなりマース!」
「ああああああ!」
 項垂れていた忍者が、初めて声を上げて崩れ落ちた。すると寿が彼に近寄って、
「海様、ああ、あなたなのですか? あなたが、あの夜、兎の折り紙を折ってくださった、近所のお優しい海様なのですか! 私は寿です! あなたの妹と仲の良かった、折り紙動物園の飼育員です!」
 寿の切実な叫びに、忍者は微笑みを浮かべて、
「俺は園長………だったね」
 その言葉を聞いて、寿は顔を押さえて崩れ落ち、
「アアーン!」
 むせび泣き始めるのだった。
 あまりの言葉に一同が言葉を飲む中で、
「しかし、彼はどうして今までずっと黙っていたんだね?」
 龕灯が質問した。
「それは―――」
 金剛が口を開こうとしたとき、
「家宝である排除の手甲を奪われ、身の証を立てる術を失ったからです」
 と、益荒田が説明した。
「俺は馬鹿な男です。滝を親友だと思って、身の上話を打ち明けあった仲でしたが、奴は新聞広告を見てすぐに俺から排除の手甲を盗み出して部屋を出て行ってしまったのです。俺は正直、遺産には興味ありませんでした。忌まわしい、この根尾村のことなんか、すっかり忘れて生まれ変わってやろうと思っていたのです。だけど、もし奴が寿くんに偶然、会って、何か悪さをするんじゃないかと考えると、いてもたってもいられなくなったのです」
「それで遠くから見守っていた、というわけネ」
 益荒田はゆっくりと首肯した。
「だ、だが、どうして彼は富士夫くんや、健二くんを殺さなければならなかったんだね?」
 どもりながらも、柴田が何とか疑問を口にし終えると、金剛は、
「いいえ、マスラダ=サンは誰も殺してないネ」
「え? じゃあ、誰が?」
 金剛はふふん、と笑って、
「まず、最初の密室殺人についてお話しするネ。犯人はいかにしてカタクラ=サンの部屋に忍び込み、かつ抜け出したのか? 答えは単純だヨ。カタクラ=サンが犯人を自分で部屋に招いたのデース!」
「ええ!」
 食堂にいた全員が驚きの声を上げた。
「そこまでサプライズことは無いと思いマース。屋敷の外から侵入してきたのなら、雨に濡れて絨毯に足跡が付くデース。それに、風雨の中でカタクラ=サンに窓を開けさせ、鉤縄でよじ登るのもナンセンスネ」
「では、犯人はどうやってあの部屋から出て行ったのです? あの部屋にはロープをひっかけられるような柱も無いし、唯一括り付けたとしてもロープが残るのではありませんか?」
 富士夫が言うと、金剛は人差し指を振って、
「ところが一つだけあるデース」
 そう言って、金剛はいったん、食堂を出ると何やら袋を抱えて戻ってきた。
「これは事件当時、カタクラ=サンの顔に括りつけられていた支配の面頬ネ」
 ゴトン、と重い音を立てて、透明なビニール袋に入った支配の面頬が食堂のテーブルに置かれた。面頬には未だ、赤いインクで『忍殺』の、恐怖を煽る二文字が書かれており、関係者を威圧した。
「きゃっ!」
「見ちゃいけません!」
 と悲鳴を上げる千波の目を、田子が隠す。
「おお、ソーリー」
 金剛はそう言って、支配の面頬を裏向きにした。
「まず私は、面頬がどうしてカタクラ=サンに、あんなにしっかり結び付けられているのか不思議だったネ。それにこの頬にはちゃんと、後ろに紐を縛り付けるための左右の穴がありマース」
 中島警部を始め、皆がその穴へ注目するが、
「しかし、だから何なのです?」
 柴田が言うと、金剛は一本の細いロープをポケットから取り出しました。
「これは登山に使われるザイルデース。直径はわずか八ミリ程度で、登山ではちょっとした坂道などで用いられマース。しかし、屋敷の三階から体重の軽い人間が下りるには、十分な強度を持ってマース」
 すると金剛は袋から面頬を取り出し、ザイルを左右の穴に通して輪を作った。
「アンダースタンド? 犯人はカタクラ=サンの面頬にロープを通して、窓際へひっかけ、地面まで下りて行ったネ。そして地面でロープの輪を切って、たぐりよせ、ロープを回収したんだヨ!」
 関係者にどよめきが走る。だが、それでは謎はまだ半分しか解けていない。
「でも先生、富士夫さんはどうして犯人を自ら招き入れるような真似をしたのです? それに、先生の推理ではそもそも犯人は、屋敷のどこかに潜伏している必要があるじゃないですか!」
 五月雨が言うと、
「そう、この犯行は一人では出来ないネ。共犯者が必要ヨ。犯人はその共犯者の部屋に犯行時刻まで潜んでいたネ。その共犯者こそ、昨日、死んだニセマスラダであるタキデース。彼は犯人と共謀して、カタクラ=サンとフジキド=サンを亡き者にして、遺産を独り占めするつもりだったネ。でなければ投票制の話を聞いた途端にさっさと逃げ去ってるはずデース。庭先に鉤縄が放置してあったのも、おそらくは事件後に彼が置いたものネ。共犯者の存在を知られまいとするトリックデース! 結局は口封じに殺されてまったようデスガ」
「な、なるほど。では、どうして富士夫さんは犯人を部屋に? というか、一体、犯人はどなたなのですか? もしかすると、まさか、この中に―――」
 中島警部が汗を流してたずねると、金剛は真剣な表情を作って、
「イエス、カタクラ=サンとタキを殺し、フジキド=サンの胸に『忍殺』の二文字を刻んで池に沈めた犯人はこの中にいマース!」
 その一言には、まるで雷のように食堂にいる一同を打った。
「そ、それで犯人は? いったい誰なんすか!」
 興奮した口調で、貴子が続きを促すと、金剛は、
「その前に、レイジ=サン」
「は、はい!」
 金剛に名前を呼ばれた礼二は、まるで教壇に建つ教師に名指しされたかのように、背筋をピンと伸ばして答える。
「チバ=サンを部屋へ連れて行って、一緒にいてあげて欲しいネ。いいカナ?」
「は、はぁ?」
 肩透かしを食らったような顔になる礼二に対して、
「いえ、それなら私が」
 と、由香乃が言った。
 だが、
「ノー、ユカノ=サン。ユーはそこへいてもらうヨ。さぁ、レイジ=サン」
「わっ、分かりました………」
 礼二が千波を連れて食堂を出て行くのを見届けると、金剛は固唾を飲む一同の前を右へ左へ歩きつつ、
「さて、タキと共謀し、カタクラ=サンを絞殺、フジキド=サンを溺死させようとした上に、共犯者であるタキをも殺した犯人。それはユーネ、ユカノ=サン!」
 金剛のその言葉に、関係者一同がこの日最大の驚きの声を上げた。
「ばっ、馬鹿な! どうして由香乃さんが、そんなことをせねばならんのだ! 健二の奴ならともかく、由香乃さんに富士夫くんを殺す動機があるはずなかろう!」
 羅尾本が全員の意見、そして心情を代弁するように言うも、
「それがあるのネ………」
 金剛は、金剛自身も残念そうに言うと、
「ユカノ=サンとカタクラ=サン、そしてあるいはタコ=サン。そこには他に知る者のない、大きな秘密があるのです。チバ=サンは―――」
「やめてぇ!」
 そう叫んで一同の前に出て、金剛の足に縋りついたのは田子であった。
「それ以上はおっしゃらないでぇ!」
 そう言って泣き叫ぶ田子を見やって、金剛が黙ってしまうと、
「千波くんは、田子様の子ではありません」
 由香乃が、今まで誰も聞いたことの無い昏い声で言った。
「千波くんは、私の息子です」
 関係者に動揺の声が上がる。しかしその声も、
「ああああああああああ!」
 と泣き叫ぶ田子の声にかき消されるのだった。
「おそらく六年前、フジキド=サンとカタクラ=サンは、ナラク=サンの養子候補として争っていたネ。でも形勢はカタクラ=サンに不利だった。ケンジ=サンの竜宮家にはユカノ=サンという後継ぎがいたけれど、片倉家にはカタクラ・フジオ=サン以外の後継ぎがいなかった。ナラク=サンはそれを懸念したネ?」
「ええ」
 由香乃は頷くと、
「病気になった祖父の治療費がかさんで、借金でどうにもならなくなったときに、あの男は私のところへ現れました。寺の借金を肩代わりする代わりに、自分の子を産めと言われたのです。それでも、私は祖父の後を継いで尼僧になる身です。そんなことは出来ませんと断ったにも関わらず、富士夫は私を押し倒し―――」
「もう充分ヨ………」
 金剛は由香乃の話を止め、
「結局、そうまでしてもカタクラ=サンはナラク=サンの養子にはなれなかったということネ」
「でも金剛さん。確かに私には片倉富士夫を恨む動機もあります。竜宮家と決別し、私の純潔を失わせる原因ともなった、藤木戸健二が憎い! だけど、それだけで私を犯人扱いするなんて心外です! 証拠は? 何か証拠でもあるのですか! それに、どうしてタキのようなヤクザ者が、いきなり私を信用するというのでしょう!」
「いきなり、ではありませんヨ。あなたは最初からタキ=サンと通じていたのです」
「え? どういうことですか、金剛さん」
 そう声を上げたのは、益荒田であった。
「マスラダ=サン、村八分にされたあなたの、村外への逃亡を支援したのはナラク=サンじゃないかネ?」
「はい、岡山の料理店を紹介してくださったのも奈落さんです。若者は、こんな村に縛られてはいけないと。森田一郎という名前も戸籍ごと用意してくださいました………」
 益荒田がそう答えると、金剛の顔に何となく影が差したように五月雨には思えた。先ほどから事実を一つ、一つ、確認していく毎に金剛の顔は、何故か曇っていくのだ。
 普段の先生なら生き生きと犯人を追い詰めるのに。
 そう思う五月雨をよそに、金剛の推理は続いていく。
「ユカノ=サン、あなたはナラク=サンからこっそりとマスラダ=サンの居場所を聞かされたのではありませんか? もし村に帰って来るようなら支援して欲しいと言われてネ。あなたは、それを復讐に利用したのデース。村の連中を恨んでいるマスラダ=サンと共謀して、今回の犯行を行うつもりだったネ。ところが、マスラダ=サンにはそこまでの恨みが無かったデース。だから代わりにマスラダ=サンのルームメイトである、タキをそそのかし、神器の一つである手甲を盗ませてニセ・マスラダ・カイとしてこの洋館に潜入させたデース。豊満なバストの美女とタキが会っているという目撃証言を、私はガンドー=サンと共に岡山で得ていマース」
 金剛の後ろに控える龕灯が、それを裏付けるように首肯した。
「そんな!」
 益荒田は友人の裏切りが、衝動的なものではなく入念に計画されたものと知って、崩れ落ちた。慌てて左右の警官が、それを支える。
「結局、タキを信用できなかったのか、最初からそのつもりだったのかは分からないケド、あなたは口封じにタキを殺したね。崖の下の川辺には、殺し切れなかったフジキド=サンについての相談、などとでも言って呼び出したのでしょう。そして、あなたが犯人である直接的な証拠ダケド」
「あるのですか?」
 由香乃が不敵に、しかしどこか怯えたように視線を泳がせて笑うと、
「ユカノ=サン、あなたはとても賢い女性デース。あなたは入念に犯行プランを練り、実行し、証拠のロープや装束も今頃燃やしてしまっているはずネ。でも、悪いことは出来ないものデース。
 事件当日、あなたはまずカタクラ=サンの部屋に入ったヨ。きっと、遺産を手に入れた際に、いくらか口止め料を貰いたいとかなんとか言ってネ。それからカタクラ=サンの隙をついてロープで首を絞めたね! 
 しかしそのとき、カタクラ=サンは爪が剥がれる程の必死な抵抗をしたデース! 自分の首元だけじゃなく、ロープを持つあなたの手元も引っ掻いたんじゃないかネ。そのとき、停電が起こった! 部屋が真っ暗になり、自分の手元も見えなくなったあなたは、興奮状態だったこともあり、カタクラ=サンが引っ掻いたとき、爪が肌に突き刺さったことも気が付かなかったネ。爪を腕に突き刺したまま、面頬にロープを通して地面に降りたネ。
 するとそのとき、突き刺さった爪が着地の衝撃で地面に落下したデース。あなたはそれに気が付かず、ロープを回収し、急いで屋敷から離れたネ!」
 言い終わると、金剛はポケットから小さなビニール袋を取り出して由香乃の前に突き出した。そこには、痛ましく剥がれ落ちた爪の一つがあった。
「さきほど、カタクラ=サンの部屋の真下に当たる地面に落ちていたのを見つけたヨ。ユカノ=サン、どうか手元を見せて欲しいネ。もし、あなたの手に傷があって、もし傷が爪の形と合ったら、それが何よりの証拠ダヨ」
 由香乃は一瞬、躊躇して、それからため息をつくと憑き物の取れた顔で、右手を裾をまくって見せた。その手首から下には痛々しい包帯が巻かれ、それを外して見せると、
「ああ、なんてことだ!」
 柴田が頭を抱え、羅尾本ががっくりと項垂れ、
「そ、そんな!」
 五月雨が涙を浮かべた。由香乃の、包帯が撒かれた手の下にははっきりと痛々しいひっかき傷があったのだ。
「礼二くんの言う通り、本当にえらい探偵だわ。一体、いつから私のことが怪しいと疑っていたのかしら? 岡山で滝と私が密会しているのを聞いたときから?」
「ノー、あなたがカタクラ=サンを殺した翌朝、落ち葉に火をつけていたことを聞いたときヨ。雨に濡れた落ち葉を燃やそうとするなんて、普通はあり得ないネ。きっと、証拠を燃やすため焦ってやったのデース」
 それを聞くと、由香乃はうふふ、と笑って、
「さすが、としか言いようがないわね。でもいいわ。富士夫さんは殺してやったし、藤木戸健二は胸に刻まれた文字を見るたびに、私を思い出すのでしょうね」
「ユカノ=サン、あなたはこんなことをするべきじゃ無かったネ………」
「どうして? 実の肉親には見捨てられ、好きでもない男の子供を無理やり産まされ、それでも復讐をするなとおっしゃるの?」
「それでも、あなたはやるべきじゃ無かったデース!」
 金剛が大声で怒鳴ると、その凄まじい声量に思わず由香乃が後退った。
「………今から約七十年前、根尾村で一人の男が凄まじいリンチにあった末に殺されたネ。その男の妻は、赤ん坊を身ごもったまま、山梨のとある村まで落ち延びたヨ。妻は藤木戸家、片倉家、益荒田家、この三家のみならず自分を裏切ったモリタ・イチローをも憎悪して、子供にこうささやき続けたネ。『ニンジャ、殺すべし』と。
 やがて成長した子供は軍隊に入り、第一次世界大戦の際に大陸(今でいう中国)へ出兵。現地では工兵をしていて、発電所建設などの仕事にも関わったそうネ。そして復員後は、何食わぬ顔で、自分の父親を殺し、母親を村から追い出した故郷に帰って鉱山会社へ就職したヨ。電気技師として鉱山会社の所有する発電機やポンプを直し、それらの独自開発をも手がけるようになり、やがて独立して会社を興したデース。
 そして地元の名士である藤木戸家の娘に取り入って婿となり、資金援助を受けて根尾埼玉製作所という会社を興したネ」
「ま、待ってください。それはどういう話ですか? その子供とは?」
 柴田がたずねると、
「子供の名前はモリタ・ジロー。またの名を、フジキド・ナラク!」
 食堂に再び驚きの声が上がる。果たして彼らは、あと金剛の言葉に驚愕すればよいのだろうか。
「ナラクは母親から受け継いだ恐ろしい復讐の情念と、類まれな能力を持って恐るべき計画を立てマース。すなわち、藤木戸家、片倉家、益荒田家を一挙に滅亡させる計画でデース。
 まず腎虚を患ったナラクは、そのときの高熱により精巣の機能を失って子供が作れません。そのような婿を取った時点で、藤木戸家の滅亡はほぼ確定しマース。更に、養子の座を巡って、ケンジ=サンと、カタクラ=サンを競わせるネ。そこでナラクはケンジ=サンに妹ユカノ=サンがいることに着目し、彼女に犯罪の実行犯に仕立てることを思いついたデース」
「ちょっと………待ってください………」
 金剛の言葉を聞いて、由香乃は震え出す。それに構わず、なおも金剛は話を続ける。
「だいたい、おかしいと思いませんかネ? どうしてあのケンジ=サンが養子候補になったとたん、竜宮家の縁を絶ったのか? まだ養子にも入ってないにだヨ? 
 それにカタクラ=サンがあなたを襲った直後に、ナラクがケンジ=サンの養子入りを決めたというのも変デース。カタクラ=サンはナラクがいつ、二人を養子するのかを聞いてなかったのでしょうか? 一般的に人間の妊娠期間は十か月間、その間にナラクが養子を決めることをカタクラ=サンは考えて無かったのかネ?
 おそらくナラクはカタクラ=サンに子供の話をけしかけて、追い詰めたんデース。思い余ったカタクラ=サンはユカノ=サンに子供を産ませてしまいマース。しかし、そのような行為をあざ笑うかのように、ナラクはケンジ=サンを養子に選んだネ。
 さらにナラクは前もって、ケンジ=サンに実家との接触も禁じマース。さらに、十分な援助を竜宮家に与えると言って安心させマース。実の父親が死にそうになったら、死に目に会わせないようにどっさりと仕事と出張をさせマース。
 それによって、カタクラ=サンは左遷され、ユカノ=サンもケンジ=サンを恨むようになったデース。そこでナラクは再びカタクラ=サンに、犯罪計画を持ち掛けマース。母親が一番恨んでいた藤木戸家に止めを刺し、益荒田家を破滅させるためにネ。
 これによってフユコ=サンと、トチノキ=サン、更には益荒田家の当主は殺され、益荒田家を村八分にされマース。
 仕上げが今回の相続投票デース。自分の死後、関係者を一堂に集め、フジキド・ケンジ=サン、カタクラ・フジオ=サン、マスラダ・カイ=サンを、彼らの先祖がかつてモリタ・イチローに行ったように面頬、ヌンチャク、手甲になぞらえて殺していくのデース!」
「やめてぇ!」
 由香乃が泣き崩れる。
「唯一の誤算は、ここに現れたマスラダ・カイ=サンが、偽物であったということデース。おそらくナラクは、復讐に人生を捧げるあまり、マスラダ=サンが復讐することをしないという選択を選ぶことを、考えなかったネ。
 ………以上が、私が岡山県と山梨県を巡り、ケンジ=サンの秘書であるナンシー=サンから貰った資料を調べた結果だヨ」
「あああああああ!」
 由香乃は頭を抱えて、半狂乱になりながら叫び声を上げた。五月雨は、彼女の周りにしわくちゃの老人の、あざけるような笑顔が万華鏡のように見えるような気がした。
 それにしても奈落の、いや、森田次郎の、なんと恐ろしい執念だろうか。富士夫の面頬、健二の胸、タキの手甲、それらに書かれた『忍殺』の二文字は、やはり七十年前の怨念によって書かれたと言っても過言ではあるまい。
 由香乃さんは、きっとそれによって狂わされたのだ。
 五月雨はそう思えてならなかった。いや、由香乃だけではない。富士夫も、滝も、益荒田も、健二も、全員が狂わされたのだ。
「由香乃!」
 そう言って突然、食堂に現れたのは頭に痛々しく包帯を巻いた藤木戸健二であった。どうやら扉の外で、全て話を聞いていたようだった。
「ここに来る前に、ケンジ=サンにも確認を取ったデース。何としても付いていきたいと言って聞かなくてネ」
 金剛が説明した。
「すまない由香乃! 俺が、あんな男に傾倒したばっかりに!」
 健二が床に突っ伏す由香乃に手を差し伸べると、
「嫌ッ!」
 由香乃はその手を振り払い、立ち上がると、髪を振り乱し、鬼気迫る表情で食堂にいる全員を睨みつけると、
「嘘よ! 嘘よ! みんな出鱈目よ!」
 と、荒い息を吐いた。
「警部、彼女を」
 金剛がそう言うと、それを合図に中島警部は食堂にいる警官に目配せした。警官の一人が手錠を手に、由香乃に迫る。
 すると。
「動くな!」
 由香乃が懐から筒状のものを取り出した。
「あっ、いけない! あれはダイナマイトだ!」
 健二が叫ぶと、柴田たちが悲鳴を上げて由香乃から離れた。由香乃が僧衣を脱ぎ捨てると、その体には更に複数のダイナマイトが巻き付けられている。
「近づくと、爆発させるわよ!」
 そう言って由香乃はいつの間にやら取り出したライターを、左手に掲げた。
「馬鹿なことは止めなさい!」
 中島警部が拳銃を抜き、銃口を由香乃に向けて行った。すると由香乃はダイナマイトをこちらに向けたまま、後ずさりして、食堂の裏口のドアを蹴って通路へ飛び出した。
「追いかけろ!」
 中島警部が部下と共に由香乃を追いかける。
「由香乃!」
 健二も走った。それに金剛と五月雨も続く。龕灯と貴子、それから残った警官は万一に備えて、屋敷の人々を避難させる。
「一体どうしてあんなにダイナマイトが!」
 走りながら五月雨が言うと、
「ここらの炭鉱跡地の奥には、回収されずにそのままになったダイナマイトが未だ残っていることがあるのです!」
 と、健二が答えた。
 由香乃が以前、自分が健二を沈めた池まで走った。それを金剛たちは、全員で遠巻きに囲んだ。
「馬鹿なことは止めるネ! それもナラクの計算の内かもしれないヨ!」
 金剛が叫ぶと、由香乃は涙を流して、
「それなら、それでいい!」
 と、ライターの火を点けた。
「自暴自棄になるのは止せ!」
 健二が叫ぶ。しかし由香乃は、
「兄さん」
 ダイナマイトに火をつけて、
「さよなら」
 水の中へ飛び込んだ。
「由香乃ー!」
 由香乃のもとへ走り出す健二を、中村警部と金剛が必死に抑えつけた。
 直後、池の水が爆発し、緑色の水が噴水のように飛び上がった。池の周りを囲んでいた石が砕けて破片が飛び散ったが、幸い、怪我人はいなかった。
「うああああああああ!」
 健二は泣きながら、突っ伏して地面に拳を叩きつけた。
「健二さん………」
 その姿に、五月雨も涙ぐんだ。彼は今、最後の肉親を目の前で失ったのだ。
「ケンジ=サン」
 金剛が健二の肩にそっと手を添えた。
「金剛さん、俺は、俺はどうやって償えばよいのでしょう………妻も、子供も、祖父も、妹も失ってしまった! 俺が、藤木戸家の養子に入ったばっかりに!」
「あなたは何も悪くないネ。償う必要もないヨ。それにナラクの計画は半分も達成できなかったデース。あなたは生きてマース。それに―――」
 金剛が門の方を見やると、手錠をかけられた益荒田海と、それに寄り添う寿の姿があった。
「マスラダ=サンには、きっとあなたが必要デース」

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