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戦艦探偵・金剛~呪いの娘~①

 ウェルカム! 金剛探偵事務所へ!
 私は所長の金剛デース!
 皆さんは『呪い』についてどれだけ知っていマスカー?
 いかがわしい魔女がステッキを振り回して、
「アブラカタブラホイホイホイ」
 と唱えると、可憐な美少女が前触れもなく倒れてしまう。
 おおかた、そんな感じだと考えているのではないデスカ?
 まぁ、だいたい正解ネ。
 厳密な定義をするならば、人が何らかの方法で超自然的な力を引き出し、使うこととなるデース。しかしそれだと、人を守るためのおまじないや、祈祷もその範疇に含まれてしまいマース。
 呪いとは、前述の方法に加えて、それを『極度に利己的な目的』に使うことを意味するのデース。
『極度に利己的な目的』………言い方はややこしいデスガ、簡単に言えば『犯罪』ネ。
 つまり呪いとは超自然的な力を犯罪に使ったものと言えマース。
 今回、私と五月雨が遭遇したこの事件も、文字通りこの『呪い』が大きなキーワードとなるのデース。
 時代の波に飲まれて衰退しつつある港町。
 そこで対立する二つの家。
 さらに土地に伝わる伝説『呪いの娘』。
 果たしてその正体は何か?
 戦艦探偵・金剛~呪いの娘~、存分に楽しむネ!

 カン、カン、カン、とコンクリートの上に下駄の音が小気味よく鳴った。
 五月上旬の昼過ぎだった。嵐山悟郎は漁港から海沿いへ続く道を走る、走る、走る。網に入った二匹の鯛を肩掛けに背負って、気分は上機嫌だった。
 天気もすこぶるよかったし、この日は波も穏やかであった。魚も良く獲れた。悟郎は漁師である。今日は仲間たちと漁を終えて、収穫である二匹の魚を懇意にしている旅館の女将に差し入れをしようというのだ。
 旅館の女将は悟郎と同じで二十歳を少しばかり過ぎた程度であった。色白で長い髪をした美女である。ただし昔から視力が悪く、常に目を細めているから口の悪い人間からは狐女将とも呼ばれていた。
 そんなに目が悪いなら眼鏡を買えばいいじゃないか、と悟郎は言うのだが、本人は似合わないから、と首を横に振っていやいやする。
 悟郎は一度だけ、女将がネズミに驚いて目を大きく広げたのを見たことがあった。ぱっちりとした大きな目を開くと、女将はますます美人に見えた。それを思うにつれ悟郎は、
 やはり、眼鏡などかけさせたら更に競争相手が増えかねない。
 と思って、それ以来、女将に眼鏡をかけさせることを諦めた。そう、悟郎は女将のことが好きなのだ。
 港から海岸沿いへ南へ少し行って、坂を上ったところに旅館『檸檬』はあった。木造二階建てで、遠目からは長屋にも見える。聞くところによると、江戸時代から参勤交代へ向かう途中の旅籠として既に存在したらしく、以前はこの付近に、似たような建物が多くあったそうだ。
 しかしここらは観光名所でもなければ、温泉があるわけでもなく、参勤交代の無くなった幕末から明治、大正にかけて旅籠は次第に寂れて行き、この町に残っている旅館は今や檸檬しかなくなっていた。
 その檸檬でさえ、外壁はすっかり焦げ茶色に薄汚れていて、ところどころに亀裂が入っているのが見えた。窓ガラスもくすんでいて、屋根の瓦もところどころかけてしまっている。これで旅館をやっているのが、悟郎には何だか信じられないくらいであった。
 それでも何とかやっていけているのは、ひとえに女将の尽力に拠るところであるのだろう、と悟郎は信じて疑わなかった。さて、その女将はと言うと、今は旅館の前で日課の掃き掃除を行っているのが見える。
「千鶴さーん!」
 悟郎が手を振ると、女将である相沢千鶴も悟郎に気が付いたようで、手を振り返してきた。その姿を見ると、悟郎はここまで走ってきた疲れが一気に吹き飛んでしまうように思えた。
 悟郎が旅館の玄関までたどり着くと、千鶴はにっこりと笑って、
「こんにちわ、悟郎さん。今日はいいお天気ですね」
「ええ。波も穏やかでしたし、魚もたくさん獲れたんですよ」
「ふふっ、まさに台風一過ですわね」
 さすがに台風とまでは行かないが、一昨日から昨日にかけてこの辺りで凄まじい暴風雨が吹き荒れていたのだった。ラジオでは春の嵐と言っていたが、まさに言い得て妙だと悟郎は思った。
「ほら、千鶴さん。今日は鯛がいっぱい獲れたんです。是非、召し上がってください」
 悟郎が魚を網ごと差し出すと、
「あら、いつもいつも。いけませんわ、この前のお礼も出来てないのに」
「そんなの構いませんよ。健くんや、栄子もいるでしょう」
「そう言ってもらえるとありがたいですわ。特に今日は東京からお客さんが二人もお見えになられているから、食事の用意もどうしようかと考えていたところなんですよ」
「東京から?」
 はて、今の時期に、しかも東京からわざわざどんな奴がやってくるというのだろうか。夏に入って海開きになると、ここもそれなりに海水浴客が来るが、今の時期に来て一体何をするつもりだろう?
 首を捻る悟郎を他所に、千鶴は網の中の魚を見て、
「まぁ、鯛じゃありませんか? いいんですか?」
 千鶴が驚いたように言うと、悟郎ははにかんだように笑って、
「構いませんよ。今日は何だかいっぱい獲れたんです。別に大したことじゃありません」
「大したことない? それは嘘ネ!」
 突如、ガラガラと勢いよく旅館の玄関が開かれ、頭に変な飾りを付けて巫女服のようなものを着た女が現れた。女は悟郎に人差し指を突き付けると、
「その鯛はマダイ、しかも産卵期で脂が乗って桜色をした、通称『桜鯛』と呼ばれるものデース。マダイの産卵期は二月から八月にかけて。温暖な地方ほど早くなりマスが、この東北地域では産卵期にはまだ少し遠いネ。マダイ自体はそれなりに取れるかもしれませんが、桜鯛となるとそこまで収穫量は無いはずデース。更に、息が荒いのは港から走ってきたせいデース。それから、ふむ、瞳孔も大きい。これらを総合して考えるト! あなたはチヅル=サンに恋をしていマース!」
 あっけにとられる悟郎と千鶴を差し置いて、女の推理は続く。
「しかし交際には発展していまセーン。チヅル=サンのいつもいつもという言葉から、この関係が長いこと続いていて、あなたがずっと片思いをしていることがわかりマース。また、チヅル=サンもこの地方での生活が長いなら魚が桜鯛ということを知っているはずデース。あえてそれを指摘せず、喜んだりしないことで距離を置いているのデース。でも贈り物は受け取ることから、チヅル=サンの方でもまんざらではないネ。つまり彼女には他に男性と交際できない理由が―――」
「はい、ストーップ!」
 そう言って青い髪をした別な女が現れて、先に現れた女の耳を引っ張った。
「金剛先生、これ以上はいけません。人の恋路を邪魔するものは、馬に蹴られて死んじゃいますよ?」
「アウウウ! 何するネ、五月雨! 馬に蹴られるとはどういうことネ!」
「さぁ、遠山さんの家に行きますよ」
 女はそのまま先生と呼ばれた女の耳を引っ張って旅館を出て行く。
「アアア! 分かった! 分かったから耳を離すネ五月雨!」
 二人の女が去った後、悟郎と千鶴の間には気まずい沈黙が流れた。

 話は二日前にさかのぼる。
『………というわけなんですよ金剛先生。新聞紙にくるまれた遺体の部位は、谷底に投げ落とされたあげくに水分をすったりなんやらで、全く死亡推定時刻が掴めんのですよ』
「あー」
 金剛は受話器を耳にあてがったまま、両足を机の上に載せ、死んだ魚の様な目をして、やる気のない返事を返した。
 事務所は軽い騒音に包まれていた。昼を過ぎたばかりの外の景色は夕闇のように薄暗く、鉛色の雲からは無限の雨粒が降り注いで窓ガラスを叩いていた。
『こっちだって馬鹿じゃありませんからね。死斑や腐敗の状況、遺体に産み付けられた蛆の生育具合を確かめましたよ』
「いー」
『でも相手は大学教授です。しかも専攻は生化学と来たもんだ。血を抜いて、防虫加工をした上で、妻の遺体を切断して谷底へばら撒いてやがる。離婚でもめて別居状態なのに、被害者面して泣いてやがるんです』
「うー」
『どうにかしてください先生! 死亡推定時刻さえわかれば奴のアリバイを崩せるんですよ! 聞いてます?』
「新聞」
『はい?』
「遺体を包んでいた新聞の日付は確かめたのかネ? 何月の何日か、朝刊か夕刊か? 調べたのかネ?」
『いえ………ああ、そうか、そうかなるほど!』
「それじゃ、シーユー」
 金剛は受話器を置くと、ため息をついて、
「どいつもこいつも馬鹿ばかりネ!」
 と叫んだ。
「どうかしましたか?」
 給湯室から五月雨がティーセットを持ってやってくる。
「さっきの、ええと、警察からの電話でしたっけ?」
「法医学者からの電話ネ。もう解決したヨ。あほらしい」
 金剛は椅子から立ち上がり、来客用のソファーに腰を下ろした。
「まったく、紅茶を淹れる方がよっぽど頭を使うネ」
「そこまで言わなくてもいいじゃないですか。頼られている証拠ですよ」
 そう言って五月雨は紅茶を金剛に任せて、自分はスコーンを皿に取り分ける。
「まったく、どいつもこいつも。私の知性を満足させるスマートな犯罪者がどこかにいないものかネ」
「そんなこと言って、この前の『蘇る忍者伝説』の後じゃ先生だって少し落ち込んでたじゃないですか」
「『蘇る忍者伝説』?」
「この前の、根尾村の連続殺人事件ですよ。ほら」
 そう言って、五月雨は金剛の机の上に乗った三つの兎の折り紙を指さした。
「ああ、あの事件ネ。確かにあの事件は中々、面白かったヨ」
 金剛はティーポッドに茶葉を淹れ、お湯を注いで蒸らし始める。
「まぁ、後味は良くなかったケド」
「平和が一番ですよ」
 そう言って五月雨は紅茶を蒸らし終えるまでスコーンを食んだ。
「確かにそうネ」
 息を吐いて、金剛はまるで血のようにお湯へ溶け行く紅茶を見ながら、
「いや、やっぱりこの耐えがたい退屈よりはマシネ!」
 と、立ち上がった。
「こうなったらバカンスだヨ、五月雨! バカンスに行くデース!」
「バカンス? 旅行、ですか? どこか旅行へ行くんですか? 一体どこへ?」
「どこでもいいデース! 釣りでも鹿撃ちでも、とにかくストレスを発散するデース!」
「そんなこと言ったって、今は四月の終わりでもうすぐ五月ですよ? 桜って時期も過ぎちゃったし、海で泳ぐにはまだ早いし。釣りはともかく鹿撃ちはまず、猟銃の所持に関する許可が………」
 そこへ、トントンと事務所のドアをノックする音が響いた。
「あっ、お客さんですよ!」
 五月雨が立ち上がると、
「追い返しなサーイ! 私たちはこれからバカンスの相談をするのデース! もう仕事は終わりデース!」
「そういうわけにも行かないですよ」
 そう言って五月雨が立ち上がってドアに手をかける。するとそこにはこのビルのオーナーである大淀が立っていた。
「私を追い返すですって?」
 そう言って大淀が眼鏡の位置を直すと、
「いやいやいや! 今のは言葉のあやネ! 五月雨、何してるネ! すぐにティーカップを持ってくるヨ!」
 金剛が慌てて命じると、
「はっ、はい!」
 と、五月雨も慌てて給湯室へ駆け込んだ。
 そんな二人の様子を見て、
「くっくっくっ」
 と、大淀は笑いながら、
「じゃあ、お邪魔させてもらおうかしら」
 来客用のソファーへと座った。

「それで、今日はどうしたネ?」
 大淀の分の紅茶を淹れながら金剛がたずねると、
「別に大した用じゃないわ。あなたたち宛の手紙が、うちに間違って届いてたの」
 そういって大淀は一通の封筒を金剛の前に置いた。このビルの一階は、大淀の自宅兼書店、三階は金剛と五月雨の自宅となっていた。当然、郵便受けもそれぞれ別々になっているのだが、しばしば郵便局員が間違った方へ投函することがあった。
「それでしたら、わざわざ来なくとも郵便受けに入れてくれればいいのに」
 五月雨が言うと、
「店は閉めたわ。だって、この天気でしょう?」
 大淀が窓の外を指す。雨足は今朝から弱まるばかりか、大淀の声に反応するかのように勢いを増した。
「この事務所だって暇じゃない? 客が上がってくるのが見えなかったし。それに、こうしてあなたたちと、のんびりお茶を飲むのも久しぶりだしね」
「確かにこんなときに外を出歩くような奴は馬鹿か自殺志願者のどちらかネ。ふむ、どれどれ」
 金剛は封筒をいったん手に取ってから、五月雨に差し出す。
「五月雨、読みあげるネ」
「何で私が」
「さっきの警察の電話で知能指数が下がったデース。日本語が読めまセーン」
「そんなこと言って、面倒くさいだけでしょ?」
「私、ここにいていいのかしら? 依頼の手紙じゃないの?」
 大淀が言うと、金剛は、
「構いまセーン。どうせ大した依頼じゃないネ。差出人は遠山幸成。住所は宮城県竜巻市とあるが、その方面で事件が起きたという話は新聞でもラジオでも聞いてないデース。封筒は文房具屋で適当に買った安物だし、そもそも第三者に聞かれたくないような依頼をするなら、詳しい話は証拠が残る手紙ではなく電話か直接会ってするものネ」
 金剛は推理を披露している間に、五月雨は封筒を開けて手紙を取り出す。
「いいですか、読みますよ?」
「オーケー」
「えー、拝啓、戦艦金剛様。あなたのご活躍はここ、宮城でも聞き及んでおります」
「挨拶の部分は結構。要点だけ抜き出すネ」
「分かりました。えーと………私たちの住む町では最近、変な人影を見ます。夜中や霧の深い日に、歩いているのです。小さな町ですから、その人影が誰かしら分かるものですが、翌日に聞いて回ってみると誰もそんなところを歩いていないそうです。これはおかしい、何か変だ。そう思って警察へ行ってみましたが、特に物を盗まれたり、怪我をさせられたりしたわけでもないので取り合ってくれません。そこで新聞で埼玉県の殺人事件を解決したというあなたの記事を拝見したので手紙をお出しした次第です」
 そこまで聞いたところで、金剛は大淀へ向かって、
「だから言ったネ?」
 と、両手を広げて呆れたようなジェスチャーを行った。すると五月雨は続けて、
「単なる人影に、どうしてわざわざあなたへ手紙を送ったのだろうと、不思議に思われるかもしれません。根尾村であなたが解決したような事件に比べれば、確かに取るに足らないものでしょう。ですが、こうして手紙を送るには理由があるのです。私たちの村では、妙な伝説があります。この話は町の中でも、いわゆる禁忌の一つであり、他所様に言うのははばかられるのですが、何か事件が起こってからでは遅いと思い切ってここに書き記します。伝説では、海を敬わなくなった人間に対して海の神様が『呪いの娘』を遣わし―――」
「待った!」
 突然、金剛が大声を張り上げるので、五月雨も大淀も一瞬、肩をびくっと震わせた。
「五月雨! 今の部分をもう一度読むネ!」
「伝説では―――」
「もっと後!」
「海の神様が―――」
「次!」
「『呪いの娘』―――」
「それ!」
 金剛が五月雨を指さす。
「何なの?」
 大淀が怪訝な顔で問うと、金剛はまるでおもちゃを与えられた子供のような笑顔で、
「『呪いの娘』! 興味深いじゃなイカ!」
「何がです?」
 五月雨も首を傾げた。
「気が付かないのかネ! 『呪いの娘』! 『呪われた娘』でもなく、『呪う娘』でもなく『呪いの娘』とそいつは言っているネ!」
「それこそ言葉のあやじゃないですかぁ?」
「いや、気になりマース! よし、早速時刻表を調べるネ! 荷造りも!」
「ちょっと先生! この暴風じゃ山手線も止まってますよ! 落ち着いてください!」
 思い立ったら止まらない、とばかりバタバタしだす金剛、それを諫める五月雨を横目に見ながら大淀は平然と紅茶をすすった。


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