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戦艦探偵・金剛~蘇る忍者伝説~⑥捜査編

「ふむん、それでは君たちが昨日の昼に展示室へ入った時には、ちゃんと鉤縄の先端はあったんだね?」
 再び関係者を食堂に集め、中島警部は五月雨、貴子、礼二、千波の顔を見回して確認した。
「はい、間違いありません」
 礼二が答えると、後ろで田子が、
「千波を展示室に入れるなと言っておいたのに」
 と、小声で呟く。
「まぁまぁ奥さん、よいではないか。事件の手掛かりになったのだから」
 そう言って羅尾本がとりなした。
「確かに。鉤縄の先端は、昼から夜の間に盗まれたのだと思われる」
 警部が顎を撫でながら言って、
「しかし、誰か物音を聞いた者はおりませんか?」
 警部にそう言われて、全員が顔を見合わせた。やがて、健二が皆を代表するように、
「展示室は奥まった場所にあるし、なるべく部屋の環境を保つためにドアも厚めに作っております。ガラスが割れたとしても、聞こえないのではないでしょうか?」
「それよりも、他にも屋敷の中で壊された部分があるかも」
 柴田が言うと、警部も頷いて、
「はい。今、屋敷の中から外まで、部下がくまなく探させております」
 すると。
「警部!」
 警官の一人が、袋を持って食堂に入ってきた。
「庭の草むらにこれが」
 中島警部は袋の中を覗き込み、
「ふむ」
 それを礼二に差し出して、
「君、展示室にあった鉤縄の先端と言うのはこれかね」
 五月雨も礼二の横から一緒に袋を覗き込んだ。風雨にさらされて錆が剥げている部分もあったが、確かにそれは展示室にあったそれと、同じもののように思えた。
「たぶん、そうだと思います」
 礼二が答えると、
「それじゃあ、犯人は展示室で鉤縄を盗み、それを使って窓から富士夫さんの部屋に忍び込んだということっすかね」
 貴子が言うと、それに対して健二が、
「だが、それでは部屋から出るときにどうします? 登る分にはいいけれど、帰るときにどうやって鉤縄を窓から外したのでしょう? そもそも、窓は割られていませんでした。富士夫くんが都合よく窓を開けていればいいが、犯人は風雨の中でどうやって窓を開けさせたのでしょうか?」
 すると、中島警部は、
「窓に小石でも投げて開けさせたのではないですか? よく恋人同士の密会であるでしょう。それに鉤縄は、登りときに使って帰りはそのまま飛び降りればいい」
「それは少し無茶です」
 五月雨はそう言って、
「富士夫さんが自分から窓を開けたとすると、彼は犯人が部屋に登ってくるのを黙って見ていたのでしょうか? それに三階から飛び降りたら、いくらなんでもどこか怪我をしてしまいますよ」
「素早く登って、怪我をしないように飛び降りたのかもしれません。軍隊での訓練では、かなりの高さから飛び降りても無傷で着地する訓練があります」
 中島警部が言い返すと、
「それではまるで忍者です!」
 と寿が言った。すると今度は益荒田が、
「そうじゃ。そこの女中さんが昨日、忍者を見たっていってたじゃねーか」
「確かに、彼の言う通りだ。そっちの方はどうなってるんです?」
 柴田が言うと、警部は、
「それに関しては、麓の村の方に怪しい奴がいないか聞き込みを行っているところです。では、展示室の事実確認に関してはこの辺にして、取り調べの方へ戻りましょう。次は益荒田さん、あなたです」
 羅尾本をはじめとした関係者は、口々に文句を呟きつつも、どこかほっとした様子で部屋を出て行った。鉤縄と寿の見た忍者が結びつき、富士夫を殺した犯人が外部にいるような、そんな雰囲気にが濃厚になったからであろうか。
 しかし外部の犯行だとすると、犯人は一体どうやって鉤縄の先端が展示室にあるのか、そもそも展示室の存在をどうやって知ったのかが分からない。そもそも屋敷の扉にだって鍵がかかっているはずである。
 五月雨はそのことを寿にたずねようとして彼女の方を向くと、彼女はぼんやりとした顔で部屋から出ていく益荒田を目で追っていた。その手には、薄汚れた兎の折り紙が握られていた。
「寿さん?」
 五月雨に声をかけられて、寿は我に返って、
「は、はひっ?」
 素っ頓狂な声で返事をした。
「だいじょぶですか?」
「え、ええ」
「一つお聞きしたいのですが、屋敷の玄関の鍵は誰が管理しているのですか?」
「へっ? 玄関の鍵は皆様にお渡ししてありますよ?」
「え?」
 今度は五月雨が驚く晩だった。
「あ、ああ、すいません。金剛様には説明したのですが。ちょっと鍵を見せてもらってもよろしいですか?」
 五月雨は寿に鍵を渡す。鍵には部屋の番号が書かれたキーホルダーが付いていて、そこには部屋の番号が書かれてある。寿はそのキーホルダーを手に取って、なんと真ん中から割ってしまった。するとその中から違う鍵が飛び出したではないか。
「えー!」
 この仕掛けに五月雨は驚きの声を上げる。
「これが玄関の鍵です」
 寿は再びキーホルダーを元の形に戻すと、内側にばねでも付いているのか、パチンという音と共にキーホルダーは再び元の形へと戻った。
「う~、それじゃあ昨日、玄関の鍵は誰でも開けられたということですかぁ」
「五月雨様以外は、ですね」
 寿が悪戯っぽく笑った。

「はえ~」
 警察の取り調べが終わって、五月雨は部屋に帰るなり息を吐きながらベッドの上に倒れこむ。時刻は午後五時を指していた。
「疲れたぁ」
 ベッドの上であおむけになり、花柄をあしらった天井の模様を見つめた。
 事件の聴取自体は簡単に終わったものの、金剛の名前は埼玉県警にも轟いているようで、中島警部は五月雨が金剛の助手と知って、
「何、君はあの金剛先生の助手なのかね!」
 と大変驚くと共に感心した様子だった。おかげで今回の事件に関係ない、これまでに解決した色々な事件の話を聞かせる羽目になった。それで取り調べのだいぶ長引いてしまい、五月雨は疲れ切ってしまったのだ。
 しかし怪我の功名と言うべきか、五月雨が健二の警護を頼むと、
「うん、言われずともそのつもりだったけれど、金剛先生直々のお達しとあれば、さらに褌を引き締めてかからなければなるまい。もちろん、君の力もお借りさせてもらうよ」
 と、五月雨の事件協力をあっさりと了承してくれた。既に健二には話を通していて、今晩は中島警部と共に洋館隣の屋敷で頑張ることになった。
 ただ五月雨が、現場に残された『忍殺』の二文字について中島警部に質問すると、警部も困った顔をして、
「うん、私の方もそれについて何人かにたずねたんだが、全員が知らないの一点張りでね。どうも怪しいんだが、全員が地元の名士だろう。さらに健二さんに至っては、日本有数の大会社の副社長、いや社長が亡くなられたから実質、彼が社長だと言ってもいい。それに容疑者と決まったわけでもないから、強く追及も出来なくてね」
「そういえば、マスコミ関係はどうなっています? 奈落氏が亡くなった直後にこんなことが起こっては………」
「うん、ここは埼玉県の山奥だし、昨日の停電もあって情報の拡散が遅れているようだ。しかしそれも時間の問題だろう。既に県警の方では地元の勘の鋭い記者連中から問い合わせがあったというし、あと二日もすればどっと押し寄せ来るんじゃないかな? そうなる前に、我々としてはなるべく早く、犯人の手掛かりを見つけて捕まえたいところだね」


 夜になった。五月雨はその間に十分な仮眠を取って、夕食後は健二が寝泊まりする隣の屋敷へ向かった。五月雨たちが泊まる洋館と屋敷では生垣を挟んでいるものの、そんなに距離は無い。しかし二つの建物を繋ぐ小道には街灯も無く、五月雨は懐中電灯を頼りに気を付けて進まねばならなかった。
「ウェー、暗いっすねぇ」
 貴子が面倒くさそうな口調で言った。五月雨が夜の警護の話をすると、貴子も、
「私もついていくっす!」
 と言うのだった。警護に当たる女性が五月雨一人だと寂しいだろうと思ったのだろうか、貴子が警護に付くことも中島警部は了承してくれた。これには貴子が事件との関連が薄いせいもあったのだろう、礼二が同じことを言うと、
「いや、君は屋敷で田子さんへ付いていてくれ給え」
 と、やんわりと断られていた。
 生垣を抜けると、屋敷の明かりが見えてきた。洋館よりは少し小さいが、近くで見るとより城っぽく見えた。屋敷の周りを漆喰で固めた塀が立ち並び、門のところには二人の警官が番をしていた。
 中島警部から話が通っているらしく、警官は二人をすんなりと通した。
 洋館がホテルと言った風情なら、屋敷はまるで旅館と言ったところだった。広い玄関を上がると、あとは襖と畳の迷宮と言ってもいいくらいの空間が広がっていた。どうも部屋には決まった用途がないらしく、状況に応じて個室にしたり、宴会場にしたりといった汎用性を持たせているらしい。その証拠に襖をはめる敷居には、何度も付け替えた後があった。
 中島警部はその中の一つにちゃぶ台を置いて、部下と共に様々な資料を広げて額に眉を寄せていた。五月雨と貴子に気が付くと、
「ああ、ようこそ」
 と、座布団をすすめてくれた。
「調子はどうです?」
 五月雨がきくと、
「今のところ異常はありませんな。ただ、いくつか分かったことがあります」
 中島警部は書類を五月雨と貴子に示して、
「まず片倉富士夫氏の死亡推定時刻ですが、司法解剖の結果、胃に残っていた夕食の消化状況から午後十時頃と推定されます」
「礼二さんが物音を聞いた時刻と一致しますね」
 五月雨の言葉に中島警部は頷き、
「はい。ちなみに、その時間は健二氏も寿さんもまだお互いこの屋敷にいたそうです。田子さんは千波くんと一緒に部屋へいたようですが、柴田さんと羅尾本さん、それから礼二くんにはアリバイを証明するものは無いようですね。まぁ、それを言っては五月雨さんと式部さん、秋元さんも同様ですがね。それから死因は首をロープのようなもので絞められたことによる窒息死です」
「支配の面頬は?」
 貴子がたずねると、
「どうやら、絞殺された後で括り付けられたもののようですな。紐は普段、富士夫氏が持ち歩いているものらしいです。どうも民俗学が趣味のようで、行く先々でこれと言う本があると紐でくくって大量に購入するそうですな」
「それが凶器ですか?」
「いえ、凶器のロープとはまた違うようです。首に残った痕と太さが合わない。また、忍殺と書かれたインクも彼の持ち物で、研究ノートに注訳を書き入れる際に使っていたようです。いずれも犯人特定の手掛かりにはなりません。ただ、妙なことが一つ」
「妙なこと? 何ですかそれは?」
 五月雨がたずねると、
「爪ですよ」
 中島警部が答えた。
「富士夫氏は精一杯抵抗したのでしょう、爪が剥がれる程、首、あるいは紐を掻きむしったようです。しかし剥がれた爪の一つが、部屋から見つかっていないのです」
「ウェー」
 貴子が気持ちの悪そうな顔をして、
「犯人が持ち去ったってことっすか? 何のために?」
「それは分かりません」
 中島警部は首を横に振って言う。
「それから、寿さんが見たという忍者ですが」
「何か手掛かりでも?」
 五月雨の言葉に中島警部は首肯して、
「実は三日前にフードを深く被って顔を隠した男が、麓の宿に泊まったというのです。宿帳には和門太栄と書かれていて、住所を調べましたところ、それが全くの出鱈目なんですよ」
「その男は今どこに?」
「それが昨日の夜、宿を出たきり行方が分からなくなっているそうです。今、我々は全力でその男を最重要容疑者として捜索しているところですよ」
 中島警部が言い終わったそのとき、
「よろしいですか?」
 という健二の声がふすまの向こうから聞こえてきた。
「ああ、どうぞ」
 中島警部が答えると、ふすまから健二と、人数分の茶を乗せた盆を持った寿が現れた。
「ああ、すみませんな、わざわざ」
「いいえ、とんでもない。正直、あんなことがあった直後ですから、寿くんと二人だけだと私も少し心細く思ったところです」
「そう言って頂けると、こちらとしてもありがたいですな」
 中島警部は寿からお茶を受け取って言った。
「ところで健二さんは、屋敷のどこで寝ていらっしゃるのですか?」
 五月雨がたずねると、
「二階に登ってすぐの座敷です。ちなみに寿さんには台所横の部屋を宛がっています。何か御用があればそちらへ」
 そう言って健二は、
「では失礼します。会社の方から、少し仕事が送られてきましてね」
「ああ、それでしたお邪魔になってはいけませんね。どうぞ、警備の方は我々に任せておいてください」
 中島警部がそう言うと、健二は頭を下げて、寿ともども部屋から出て行った。


 ボーン、ボーン、と廊下の時計が鳴った。時刻はちょうど午後十一時になった頃である。午後に十分な仮眠を取った五月雨と、元々徹夜慣れしているのか貴子は平気そうだったが、中島警部は次第にこっくりこっくりと船をこぎ始めた。
 見かねた部下の刑事が、
「警部、すこしお休みになられたらどうですか?」
 と中島警部にたずねた。
 すると中島警部は被りを振って、
「ああ、いかんいかん。私は大丈夫さ」
 と、強がりを言うのだが、またすぐに船をこぎ出す。
「中島警部は朝にここに来てから、ずっと捜査や取り調べをしてきたのでしょう。何かあったら起こしますから、少し休んだらどうですか?」
 五月雨に言われると、ようやく中島警部は折れて、
「それじゃあ、健二さんが用意してくれた仮眠室へ行こうか。何かあったらくれぐれも起こしてくれよ」
 と言って部屋を出た。するとすぐに隣の部屋から大きないびきが聞こえてくるのだった。
「大きないびきっすねぇ」
 貴子が言うと、刑事も含めて部屋の全員が和やかな笑いに包まれた。それで張りつめていた緊張感も、いくぶん緩和されたようだった。
「もう、中島警部に悪いですよ」
 五月雨がそう言って薬缶から湯飲みにお茶を汲もうとすると、お茶はいつの間にか無くなっていたようだ。
「お茶が無くなったようなので、寿さんに貰ってきますね」
 五月雨は薬缶を持って部屋を出る。
 えーと、寿さんの部屋は台所の隣だっけ。
 五月雨が奥へ行くと、厨房と言ってもいいくらいの大きさの台所があった。その隣には障子で閉ざされた部屋があった。五月雨は薬缶を持ったまま、
「もしもし、寿さん」
 と呼びかけるが返事は無い。
 寝てるのかなぁ。起こすのも悪いけど、勝手に台所を使うのも失礼だし………。
「ごめんください」
 障子を開けると、寿の部屋は畳まれた布団が隅にあるままで誰もいなかった。
 もしかすると、洋館の方へいるのかな?
 薬缶を台所へ置き、玄関で番をしている警官にたずねると、寿は一時間ほど前に屋敷を出て洋館へ向かったという。
「屋敷の戸締りと見回りを行うそうです。だけど、少し遅いですね」
 警官が言うと、五月雨が、
「私、少し様子を見に行って来ます」
「それでしたら、自分が」
 と、もう一人の警官は言うが、
「いえ、引き続き、藤木戸さんの警護をお願いします」
「でも、一人では」
「貴子さんも連れて行きますよ。何かあれば大声を出しますから」
 五月雨は屋敷へ戻り、貴子に事情を説明して洋館まで付いてきてもらうことにした。
 再び生垣を越えて洋館へ辿り着く。健二の屋敷同様に、洋館にも警備の警官が配備されていて、寿のことをたずねると、
「ああ、彼女な一時間ほど前にここへ来られましたよ」
 と言って、屋敷の玄関を開けてくれた。
「やっぱり、まだ洋館にいるんすかね」
 貴子が言うと、五月雨は、
「でも、何だか時間がかかり過ぎじゃないですか?」
 五月雨と貴子は廊下と食堂を見回ったが、寿の姿は見当たらなかった。
「おかしいすね」
 二人はやがて、屋敷の裏口へとたどり着く。試しに五月雨がドアノブを回してみると、
「あっ」
 ドアはあっけなく開いたではないか。
「ここって、いつも開いてましたっけ?」
 貴子が言うと、
「そうは思えないけど」
 五月雨は、反対側の鍵穴から、玄関の鍵を宛がってみる。すると、鍵は穴へ上手く入らない。どうやら裏口の鍵と、玄関の鍵は違うものらしい。
 ということは、誰かが内側から開けたのかな。
 すると。
「五月雨さん、あれを」
 貴子が声を潜めて遠くを指さす。すると、屋敷の裏に生えた木々に隠れるように、月明かりに照らされて益荒田と寿の姿が見えた。二人は何事かを話しているようだったが、遠くて聞こえなかった。
「な、何してるんすかね?」
 貴子が言うと、
「さ、さぁ?」
 五月雨はそう言いつつも、昼間に見た、寿の益荒田に対する熱視線を思い出していた。貴子もそんな事情を知らないにせよ、五月雨と同じ乙女の想像を働かせているようだった。
「近づいてみましょう」
 貴子がそう言うと、五月雨もその後に続き、木から木へ、ゆっくりと密会する二人へ迫っていった。
 やがて、二人が寿と益荒田の会話が聞こえる位置まで近づくと、
「益荒田様、あなたは本当に益荒田様なのですか?」
 寿の涙を讃えた問いかけが、五月雨と貴子の耳に届いてきた。五月雨は、
 どうもおかしい。
 という風に貴子と顔を見合わせ、盗み聞きを続けます。
「先日、お会いした時からまるであなたは、私と初めて会ったようなそぶりをなさいます。根尾村があなた方にした仕打ちを思えば、それも当然かもしれません。私のことなど忘れてしまったかもしれません。ですが、これを見て下さい!」
 そう言って寿がポケットから取り出したのは、五月雨も見たあの古くなって汚くなった、あの兎を象った折り紙ではないか。
「これは昔、あなたが村八分となる前に、私のために折って下さったものです。あなたが益荒田様なら、再び同じものを折れるはずです。それとも、折り紙の折り方も忘れてしまいましたか?」
 益荒田は何も言わず、ただ寿の折り紙を見つめていたが、やがて肩を震わせて、
「ははは、そねーな折り紙が何だとゆーんだ!」
 と笑ったかと思うと、いきなり寿を抱き寄せた。
「ああ、嫌っ!」
「なにょー嫌がることがあるんだ。俺は益荒田家の当主ゆーんだて。たかが女中風情に、情けをくれてやるんだ」
「いけない!」
 そう言って五月雨と貴子が木の影から飛び出すよりも早く、黒い影が屋敷の裏庭を横切ったかと思うと、
「ぐあーっ!」
 したたかに益荒田の頭に鋭い手刀を打ち付けた。
「ああっ!」
 寿があまりのことに腰を抜かしてへたり込み、五月雨と貴子も固まった。
 そこにいたのは、黒装束の忍者だった。
「忍者? 忍者なんで?」
 頭を押さえながら益荒田が朦朧とした様子で言うと、忍者はあたかも寿を守るように身構えて、立ちはだかった。
 すると。
「どうした!」
 裏口から騒ぎを聞きつけた二人の警官がやってくる。二人は忍者の姿を認めると、一瞬、ぎょっとしながらも警棒を抜いて、
「つ、捕まえろ!」
 と走ってきた。
 一方、忍者は警官を見ると、すぐさま物凄い速さで庭を走って逃げていった。
「寿さん!」
 五月雨と貴子は腰を抜かした寿へ駆け寄ります。
「え、ええ」
 寿は震える声で何とかそれだけ言うと、益荒田の方を見た。益荒田はばつが悪そうに、地面に唾を吐いて立ち上がり、裏口の方へ戻っていきます。
「寿さん、これ」
 そう言って貴子が草むらからつまみ上げたのは、例の兎の折り紙だった。
「あっ、返してください!」
 寿が言うと、
「ええ」
 と、貴子は折り紙を渡した。寿は折り紙を奪い取るようにして胸に抱えると、ポロポロと涙を流すのだった。
「寿さん、あなたと益荒田海の関係を―――」
 五月雨がたずねようとしたとき、遠くから、
「火事だー!」
 という声が上がった。
「え?」
 貴子が声を上げると、五月雨は素早く、
「貴子さん、寿さんをお願いします」
「は、はい!」
 寿を頼んで、自分は声のする方へ走った。
 どうやら火事があったのは、健二の屋敷の方だった。屋敷の裏手から、もくもくと煙が立ち上っているのが見えた。
「水だ! 水を持ってこい!」
 中島警部の大声が夜空へ響き渡る。
 しかし、五月雨が現場へ辿り着いたときには煙ばかりが立ち上っていて、あとは懐中電灯を持った警官たちと、中島警部、それから焼け焦げた壁があるばかりだった。
「どうしましたか!」
 五月雨がたずねると、中島警部は息を切らして、
「いや、屋敷の裏手でボヤ騒ぎがありましてな。もう大丈夫です。ところで、五月雨さんと貴子さんはどちらへ?」
「寿さんを探しに洋館へ行ったところ、例の忍者が現れたのです!」
「何ですって!」
 中島警部の顔色がさっと変わる。
「それで今、二人の警察官が追っているところですが」
「だったらこんなところでグズグズしちゃおれん。お前ら、すぐさま敷地内の捜索に当たれ!」
「はい!」
 消火に当たっていた警官が四方へ散っていく。
「さて、我々もすぐに―――」
 捜索へ行こうとする中島警部を、
「待ってください!」
 五月雨が止めた。
「健二さんの安否はどうなっているのですか?」
「ああ、そういえば」
 中島警部は二階を見る。健二の部屋の明かりはまだついていた。
「変だな、起きているなら様子を見に来るくらいするものだろう」
 そこまで言って、中島警部は顔色を悪くして、
「まさか!」
 屋敷の玄関へと走った。五月雨もあとに続く。二階へ上がり、健二の部屋の襖を開けた。
「藤木戸さん!」
 しかしそこには誰もおらず、会社の資料らしき書類がそこら中に散らばるばかりであった。
「中島警部、私は藤木戸さんを探します。警部は警官たちを集めて藤木戸さんの捜索へ当たらせて下さい」
「し、しかし忍者は?」
「藤木戸さんの安否が優先です!」
 そう言って、五月雨は屋敷の階段を駆け下りて外へ飛び出した。
「藤木戸さん! 藤木戸さーん!」
 嫌な予感を振り払うように、五月雨は夜の闇中へ声を振り絞ります。
「藤木戸さーん!」
 やがて、五月雨は屋敷の敷地の隅の方まで来た。そこは丁度、切り立った岩肌があって、上の方から滝とは言わないまでもちょろちょろと水が流れ込んで、下の池へ流れ込むようになっていた。
 池は岩で縁取られているものの、敷地の奥にあるせいかあまり顧みられてはいない様子で、水は濁り草が生えて荒れ放題であった。
 五月雨はふと、池の中に妙なものがあることに気が付いた。それはどうやら木の棒らしく、正八角形に加工されていた。
 なんだろう?
 五月雨が懐中電灯でその部分を照らすと、その木の下には白いものが沈んでいるようだった。
「ああっ!」
 五月雨は驚きの声を上げる。その白いものは、どうやら人間の手であるらしいからだ。
 そうと分かると、五月雨は素早く駆逐艦だった頃の能力を発揮して、池の表面へ飛び込み、水の表面を走った。それから懐中電灯を脇に挟み、手を掴んでUターンして、岸へ向かった。だがやはり五月雨には重すぎて、上半身を引き上げるのがやっとだった。
 すると水の底へ沈んでいたのは、
「藤木戸さん!」
「どうした!」
 五月雨の声を聞きつけて、向こうから警官たちがやってくる。彼らは五月雨と共同で、健二を完全に池から引っ張り出した。健二は両手を縛られ、何故か小さな八角形の棒が結び付けられていた。一方、両足には二つの鉄の棒が結び付けられていて、それがどうやら重しになっていたらしい。
 どうやら頭を殴られたようで、額からは血が流れていた。浴衣のはだけた胸には痛々しい傷があり、どうやらそれは字になっていて、右胸と左胸で『忍殺』と彫られているようだった。
 またこの文字!
 五月雨が、まるでその二文字を犯人の如く睨みつけていると、
「息がないぞ! 脈もだ!」
 警官の一人が声を上げました。すると、もう一人の警官が、
「顔を横に向かせて心臓マッサージだ!」
 すぐに健二の蘇生処置が行われた。すると三十秒後、
「ごほっ、ごほごほ!」
 健二が水を吐いて息を吹き返した。
「藤木戸さん、大丈夫ですか藤木戸さん!」
 警官が呼びかけるも、健二は、
「うう」
 と唸って再び気絶してしまった。
「早く病院へ運ぼう、救急車だ!」
「こんな田舎では時間がかかり過ぎる。パトカーに乗せろ!」
「誰か、車を回せ!」
「君は大丈夫か?」
 五月雨は警官に声をかけられて、自分の姿を見た。健二を引き上げるときに着いたのだろう、池の緑色の水が、白い服にべったりとついている。
「私は大丈夫です。それより藤木戸さんを早く!」
 こうして健二は意識不明のままパトカーに載せられ、そのまま麓の病院まで運ばれて行った。
 また『忍殺』だ。
 健二の胸に掘られた二文字、そして富士夫の面頬に書かれた同じ二文字、一体、これにはどんな由来があるのだろうか。
 こうなったら、柴田さん、羅尾本さん、お二人にはなんとしても話してもらわなきゃ!
 黒い水面を見つめながら、五月雨は固く決心するのであった。

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