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戦艦探偵・金剛~比叡の悲劇~①

 ようこそ、金剛探偵事務所へ。
 私は金剛探偵事務所で助手をしている五月雨っていいます。
 深海棲艦との戦いも終わって、退役した金剛さんは、なんと女流探偵として東京に並ぶ者が無い名探偵として活躍しているんです。
 だけど八月に入ってからというもの、いくつかの事件がいっぺんに来て私も金剛先生もてんてこ舞い。もちろん、一番頑張るのは先生ですから、一番疲れるのも先生と言うわけで、最後の事件を終えた直後に倒れてしまいました!
 これには私も、事務所のオーナーである大淀さんも大慌て。急いでお医者様を呼びました。すると、わざわざ事務所に来てくれたお医者様は一通り先生を診た後でこういいました。
「単なる過労じゃな。しばらく静養せい」
 というわけで、しばらく私たちは事務所をお休みしたわけですが、あの先生がおとなしくじっとしているわけもなく、
「退屈ネー!」
「事件が欲しいネー!」
 と毎日喚きます。憂さ晴らしに私たちが飼っている猫、フーちゃんと遊ぼうとするのですが、先生とフーちゃんは相性が悪いらしく、喧嘩ばかり。フーちゃんが、
「シャー!」
 と威嚇すれば先生も、
「シャー!」
 と威嚇し、最後には取っ組み合い。まるで猫が二匹、事務所の中にいるようです。
 こんなことでは今度は私が倒れそう!
 そんな折に、事務所へ比叡さんからあのハガキが届いたのでした。
 比叡さんは海軍を除隊した後、
「自分探しの旅に出る」
 と言ってプラリと消えたのが最後でした。しかしどうやらこのハガキによれば、今は富山県の温泉宿『珍授荘』で女中として働いているようです。わざわざ『良かったらお姉様と遊びに来てください。値段も少しサービスします』という一文が添えられていました。
 渡りに船とはこのことです。静かな山間にひっそりと佇む温泉宿で静養すれば、金剛先生もリフレッシュ出来ることでしょう。特に値段も少しサービスしますという一文には、抗いがたい魔力があります。
 金剛先生も二つ返事で了承し、私たちはハガキを受け取ったその日のうちに、早速荷造りと旅館の予約を行いました。フーちゃんをオーナーの大淀さんに預けて、珍授荘へ向かいました。
 しかし、ああ、何ということでしょう!
 ゆっくりと静養するはずだった温泉宿で、私たちはまたしても事件へ遭遇することになったのです!
 しかもその事件に、私たちを温泉宿へ誘った比叡さんが大きく関わることになるとは、誰が予想できたことでしょう?
 それでは戦艦探偵・金剛~比叡の悲劇~、お楽しみください!

 比叡は朝食の載った配膳盆を抱えて二階を上がっていた。この程度の作業、深海棲艦と比べるまでもないのだが、はたから見ると膂力と足腰に感嘆を覚えるらしく、年増の女中からは、
「流石ねぇ」
 とよく言われた。実際には感心する振りをして、力仕事を押し付けられているだけかもしれないが、それならそれで構わない。気合い一発、どんな仕事でもやるだけだ。
 旅館の二階、五番の襖の前で声をかける。
「おはようございます伊藤様。朝食をお持ちしました」
「ああ、どうぞ」
 比叡は部屋に入り客へ向かってお辞儀をする。
 五番の部屋の客、伊藤高次郎は六十代くらいの年配の老人で、同じく妻の伊藤咲江と共に富山へ来たのだ。高次郎は元々、東京から妻とここへ疎開してきたのだという。戦争も終わってしばらくした後に、お世話になった富山の方々へ挨拶するためにここへ来たのだという。
 二日前に部屋へ通したときに、その話を延々と三十分ばかり聞かされたが、それも仕事の内だった。ときに客はいい人ばかりではない。ここへ来た理由や、人となりを知ることで、どのように接すればいいのかも分かってくる。それに、比叡の知らない人生の一端に触れたようで、面白かった。
 伊藤夫妻は既に着替えを終えてお茶を飲んでいた。予定では、もうすぐに発つことになっている。朝風呂は既に済ませたようで、二人とも髪の毛が少し濡れていた。
 比叡は正直、あまり広いとは言えないちゃぶ台に精一杯、料理を並べてお品書きを説明していく。高次郎が一々、うんうんわかったと頷くのが少し滑稽だった。
 その後、比叡は賄いの朝食を食べ、女将と一緒に伊藤夫妻を見送った。それから五番の部屋の食器を下げて、布団を畳んで干して、シーツを剥がしてクリーニングに出し、部屋を掃除する。それから部屋の内装を整えると、それで伊藤夫妻が三日間過ごした痕跡は跡形もなく消えた。
 今日の風呂掃除は別な女中の担当だから、午後の仕事まで暇になった。特に特別な用事のないものは、一端家に帰って家事仕事をしたり、育児をしたり、旅館のロビーにある囲炉裏でお茶を飲んだすることになった。
「くぅ~、今日もいい朝だ~!」
 比叡は旅館裏手、はるか遠くにそびえたつ飛騨山脈へ向かって、大きく伸びをした。日本アルプスと呼ばれるだけあって、遠くから見ても岩肌が、緑の布を破って突き出している感じが写真で見る外国っぽかった。八月の晴天の下、その姿はいつにも増して穏やかに思えた。
「その様子だと、今日も絶好調かい?」
「ヒエッ!」
 一人きりだと思い込んでいたので、比叡は右からいきなり声をかけられて驚いてしまった。すると藪の中から敷島宗助が、銀色に光るボウルを片手に笑って姿を現した。
「もう! 脅かさないで下さい!」
 真面目に怒ったつもりだったが、慌てたせいか最後の「さい!」が裏返って変な感じになってしまった。
「ごめんごめん」
 宗助が笑いながら謝った。彼はこの旅館の女将、敷島野々江の息子であり経理を担当している事実上の跡取りだ。終戦後、軍隊の方で手違いがあって帰国出来ず、そのまま東南アジアの方で復興の支援をしていたところを、去年になってようやく復員してきたのだ。
 年は二十三歳で、身長は比叡よりも少し低い。東南アジアにいたせいか、肌は健康的に日焼けしていた。元々軍隊では主計を行っていて、それで旅館へ帰ってからも経理を行っているのだが、現地では復興のための瓦礫除去や家屋の建設にも関わったそうで、体は思ったよりも筋肉質だった。
 復員して働き始めた当初は、
「和服が似合わない」
 という理由で背広を着ていたのだが、身長が低いからかえって子供っぽく見られてしまい、ボーイと間違えられることが多いので今ではみんなと同じく従業員専用の浴衣に袴を着ていた。比叡からみても、宗助は背広よりも、ずっとそちらの方が様になっているように思えた。
 そんな宗助が執心しているのが、旅館裏手の池に住む錦鯉だった。
 今は雑草と藪に覆われて、一見して分からないが宗助の話だと祖父が健在だったころは、それは見事な日本庭園だったそうだ。
 しかし祖父が死んで、時を同じくして父親が失踪した矢先に戦争がはじまり、宗助は徴兵されることになった。世間の人々の心の荒廃を映すかのように、祖父が作り上げた庭園も荒廃し、やがて現在のようになってしまったのだ。
 祖父の作り上げた庭園を、子供ながらに愛していた宗助は現状を見て少なからず落胆を覚えた。唯一の救いは、池にいる錦鯉が意外なほど大きく立派に成長していることであった。
「庭はちょくちょく手入れをしているつもりだけど、やっぱりこう忙しくっちゃねぇ。鯉の相手が精いっぱいだ」
「鯉に恋してるって感じですね」
「つまらないダジャレはよせよ。さっきの悲鳴と言い、比叡さんはそういう洒落が好きだよね」
「あれはダジャレじゃありません!」
 比叡が抗議すると、宗助はそう言って、ボウルからパン屑を池に向かって投げた。すると池の鯉たちは背びれを翻して、池の水を飛ばした。その水は、池のふちに座る比叡の顔にまで届いた。
「きゃっ!」
「鯉も君の洒落が気にくわないそうだね」
 宗助は笑いながら、ハンカチを取り出して比叡の顔を拭った。
「全く、泥が跳ねて綺麗な顔が台無しだ」
「うぐ」
 綺麗な顔と言われて、比叡は照れて固まってしまう。
「なぁ、比叡。さっきは僕に驚いたようだけど、君の方だって僕がこの時間、ここにいることはよく知ってるだろ?」
 図星だった。伸びのときの声が聞こえる程、近くにいることは予想していなかったが、宗助がここにいることは確かに期待していたのだ。
「ううー」
 宗助の顔が迫る。比叡が目を閉じると、唇を優しく吸われた。鯉の餌が入ったボウルが落ちる音が聞こえて、宗助の唇が比叡の首筋へと走った。
「あっ、駄目、駄目です。女中がこんな時間から、そんなところに新しいキスマークつけてたら、お客さんにだって変に思われちゃいますし、野々江さんにしかられちゃいますよぉ………」
 宗助は少々、不満げに鼻を鳴らして、
「それもそうか」
 と、身を引いた。
「いや、ごめんごめん。つい」
 先ほどとは打って変わって、本当にすまなそうに宗助が言うと、比叡の体の熱も冷めて、二人の関係は再び旅館の経理と女中へと戻った。
 比叡はチラリと鯉の方を見て、それから餌の入ったボウルを拾って宗助に渡した。
「鯉、やっぱり変わらないですね」
「ああ」
 と、宗助は残念そうに答える。
 彼が復員し、池の鯉の成長に安堵したことは先にも述べた。しかし池の鯉たちは、宗助の記憶にある姿よりもたいぶくすんだ色をしていた。
 最初は池が汚れているせいかと思ったが、清掃をしても鯉の様子は変わらなかった。むしろ水質が清らかになった分、余計に鯉のくすみが明確になった。宗助が帰って来るまで、鯉たちは池に沸いた虫や苔を食べていたようだが、餌を変えても結果は変わらなかった。
「これは新潟の方へ行って、専門家に見てもらわなきゃならないかもしれないなぁ」
「そのときは―――」
 比叡は宗助の肩に頭を乗せて、
「私もお供させて下さいな」
 二人の関係が再び恋人に戻ると、宗助は微笑んで、
「ふふっ、じゃあ、今から母さんに使う言い訳を考えておかなきゃな」
 と、言った。

 そんな二人のやり取りを旅館の二階から見つめるものがあった。
 宗助の母親であり、旅館の女将を務める敷島野々江である。野々江は宗助が比叡を押し倒そうとして、止めたところを確認し、ほっとしたような、残念なようなため息を吐いた。
 年齢は四十五であるが、傍目からはそれよりも一回り老けて見えるのは、それなりに苦労を重ねたせいだろうか。確かに終戦から数年、一向に復員してくる様子もなく、かといって戦死したという知らせもない息子の帰りを待つのは、並大抵の心労では無かった。
 だが自分がめっきりと年を取ったと実感したのは、むしろ宗助が帰った後のことだった。山で遭難した人間が、それまで生きていたのに救助の人間を見た途端に安心して死んでしまうように、自分も宗助が帰った後では、いつ死んでもいいような気がした。
 しかし人間、欲望は尽きないようで、今度は息子の嫁が気がかりになってきた。新聞を見ると、夫の財産をだまし取って新しい男とのうのうと逃げ去る悪女の記事がよく出てくる。宗助も旅館の跡取り息子で、家にもそれなりの財産があるから、それを聞きつけたどこぞの女が悪さを死に寄ってくるかもしれない。そう考えると、
「息子が帰って来るまで死ぬに死ねないわ」
 と思っていたところが、今度は、
「息子にいいお嫁さんを見つけるまで死ぬに死ねないわ」
 に変わってきた。
 すると、息子が結婚したら、やだ、私また老け込むのかしら?
 ガラス窓に反射する自分の顔を見て、野々江は思わす顔に手をやった。でも、それはそれでいいのかもしれない。きっと人間は、そうやって年を取っていくのだろう。
 比叡はいいお嫁さんになってくれるだろうか?
 窓の下にいる二人を見て、野々江は考える。二人はあの藪に囲まれた庭にいれば誰にも見られないと思い込んでいる。確かにあの場所は二階からもそう簡単には覗けない。だが、トイレ脇にあるこの窓からは、木の枝の隙間を縫って、池の周辺がくっきりと見渡すことが出来た。
 こんなデバガメみたいな真似、はしたない………。
 自分でもそう思って自己嫌悪に駆られてしまうが、やはりこうして二人きりで会っているところを見ると心配でついつい見てしまった。結局はごめんなさいね、と心の中で舌を出し、最後まで覗いてしまう。
 野々江が比叡を雇ったのは宗助が戻ってくる三年前、終戦から半年ほど経ったころのことだ。
 当時、ここ珍授荘は傷病兵の慰労施設に指定されており、たくさんの兵士が傷を癒したり湯治に来ていた。
 そこへひょいと顔を出したのが、比叡だった。何でも以前は海軍の艦娘だったが、戦争が終わって退役してからは貯金を食いつぶして全国を放浪していたらしい。ここへ来たのも、慰労施設に指定されていることを知らずに宿を求めてやって来たということだった。
 当時の珍授荘は、毎日やってくるたくさんの傷病兵相手に、猫の手も借りたいくらいの忙しさだった。兵士の中には、精神を止んで粗暴な振る舞いをする者も多く、腕っぷしのある比叡はまさにうってつけの人材だった。そこで一ヵ月の間だけ手伝いをお願いしたのだが、なんやかんやと引き伸ばしになり、とうとう珍授荘が慰労施設指定を解除されて元の旅館に戻っても働いてもらうことになった。
 比叡は器量もいいし、よく働く。女だらけの艦娘で働いていたせいか、節々に女性にしてははしたない面があったが、それを補って余りある明るさと、不思議な気品があった。野々江は自分が生んだのがもし、娘だったのならという感情を比叡に抱くほど、彼女が好きになっていた。
 そこへ待ちに待った宗助が帰ってきて、不思議と比叡に女らしさが身につくようになっていた。もしやと思ってこっそりと、宗助を見張っていると、案の定、二人は野々江に隠れてこっそりと逢引きを重ねていたのだった。
 自分に隠れてこそこそしているのは気にくわないが、二人が好き合っていることに野々江は満足していた。比叡の立ち振る舞いからして、間違いなく処女であろう。宗助の影響で女性らしさを身に着けた今となっては、女中としての振る舞いも堂々たるものであった。何より性格に裏表がないのがいい。少なくとも宗助を陥れたりするようなことはないはずだ。
 あとはいつ、野々江に結婚を切り出してくるかだった。だがどうも二人とも、肝心なところで何だか煮え切らないところがある。それはそれで青春の初々しさがあって微笑ましいのだが、もう十分な齢を重ねた野々江にしてみれば、無駄に遠回りをしているような気がしてならない。
 やっぱり、こちらから話を切り出してみようかしら。
 中庭の二人からようやく視線を離し、野々江は廊下を歩き始める。
 私が二人の仲を認めれば、あとは押すなり引くなりあるでしょうよ。
 野々江が目を閉じる。するとそこには、紋付袴を来た宗助と、白無垢に身を包んだ比叡の姿が浮かぶようだった。
 その様子を想像すると、自然と野々江の口元に笑みがこぼれた。
 息子が結婚したら、今度は初孫か。
 そうなれば自分はいよいよおばあちゃんと呼ばれるようになる。
 だが、そんな幸せな想像もすぐに立ち消えた。予期せぬ客が、彼女の前に現れたのだ。

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