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戦艦探偵・金剛~蘇る忍者伝説~③事件編

 その後、男性陣は二班に分かれて屋敷の周りを捜索、金剛や五月雨を含めた女性陣は食堂で報告を待つことになった。弁護士の龕灯と、料理人の男性も一応、食堂に残って警護に当たった。料理人は秋元と言って、昔は一流ホテルのシェフとして働いていたそうだが、今は引退して地元の尾根村に帰って来ていて、屋敷に客があるときだけこうして住み込みで働いているのだという。
「母様、忍者が出たの?」
 幼い千波くんが田子さんに言うと、田子さんは、
「おお、よしよし。だいじょうぶですからね。お父様も強い忍者なのですから、心配はいりませんよ」
 と、笑ってあやした。
 その光景を見て、思わず五月雨も緊張の中、顔をほころばさせずにはいられなかった。
 一方、寿は食堂の隅で憔悴しきった様子で項垂れていた。
「それにしても先生、寿さんは本当に忍者を見たのでしょうか?」
 五月雨が質問すると、何事かを考えていた金剛は、我に返ったように、
「あっ、うん。そうネ。本人に聞いてみようかしら」
 と言って、五月雨を連れて寿のところへ向かった。
「大丈夫ネ? コトブキ=サン」
 金剛にそう呼びかけられた寿はビクッ、と肩を震わせてこちらを見た。この怖がりようだと、よほど忍者を見て驚いたのだろうか。
「あ、はい」
 そう答える寿だったが、その顔色はすごく悪かった。
「コトブキ=サン、あなたが見たという忍者のことを詳しく教えるネ」
 金剛がそう言うと、寿はためらいがちに説明を始めた。
「皆様の食器を下げて食堂に戻る途中でした。食堂に入ろうとして、ふと、窓の外をみたら、何か黒いゴミの様なものが窓にへばりついているのが見えたんです。何だろうと思って、目を凝らしてみると、それは頭巾をかぶって額宛をして、目を血走らせた忍者だったのです」
「それで、忍者はどうしたのデス?」
「わかりません。腰が抜けて廊下に倒れたら、次の瞬間にはいなくなっていました」
「ふむ」
 金剛は少し間を置いて、
「その忍者に心当たりは?」
「え?」
 寿は驚いた様子で金剛へ振り返り、それから力なく項垂れて、
「ありません」
 とだけ答えた。
 すると食堂の扉が開いて、健二を筆頭とする男たちが帰ってきた。
「どうでしたか?」
 と、田子がたずねると、
「屋敷の周りには誰もいなかったよ。こんな山奥に泥棒が入り込むとは思えないが、みなさん、念のために今日は戸締りをしっかりとして下さい」
「あの、警察に知らせた方が良くないですか?」
 五月雨が言うと、富士夫が首を振って、
「この辺に警察官というと、駐在所に登瀬という年寄り警官が一人だけさ。麓の警察署から応援を呼ぶにしても、ここまで一時間もかかる。特に物を盗まれたり、襲われたりしたわけでもない。そもそも呼ぶ理由にしたって、女中が忍者を見ただけというのはね」
 そう言われて、気まずそうに寿が縮こまるのを見て、富士夫は慌てて、
「ああ、いや。別に寿さんを疑っているわけじゃないんだ。でも、我々だって忍者の一族の端くれさ。先祖直伝の空手がある。警察がいなくたって大丈夫だよ」
 と、付け加えた。
「ガハハ、富士夫さんの言う通りだ。心配するな、我々には少なからず空手の心得がある。賊が入ってこようとも、返り討ちにしてくれるわ!」
 羅尾本がそう言って豪快な笑い声を上げると、屋敷の中に立ち込めた不安が一瞬にして霧散していき、五月雨も何だか心強く思えるのだった。
 それがら全員が食堂から解散し、金剛と五月雨も自室へ戻ってシャワーを浴び、歯を磨いてベッドへ潜り込んだ。しかしそうしてからも、五月雨の脳裏には寿が見たという血走った目の忍者の顔が浮かんでは消え、浮かんでは消えていくのだった。
「先生、起きてますかぁ」
 五月雨は暗闇の中、金剛へ呼びかけるが、金剛は既に眠ってしまっているようだった。
 嫌だなぁ。眠れないなぁ。うーん………。
 そんなことを思いつつも、五月雨は次第に深い眠りの中へ落ちていった。

翌朝。
「ヘーイ! 起きるネ五月雨!」
 五月雨は金剛に揺すられて目を覚ました。
「あれぇ? 先生、もう起きたんですかぁ? すいません、昨日は何だかよく眠れなくてぇ」
 そう言いながら五月雨は寝返りを打ち、壁にかかった時計を見る。時計の針はもう午前八時を指していた。
「何言ってるネ。今の今までぐっすり眠ってたじゃない。さぁ、早くしないと朝食に間に合わなくなるネ!」
「うーん………」
 唸りながら五月雨は、寝間着から普段着へ着替えて既に支度を終えた金剛と共に食堂へ向かった。
「そんなことでは先が思いやられマース」
 金剛が額に手を当てて言うと、五月雨は、
「あのベッドの寝心地が良すぎるんですよぉ」
「よく眠れないとほざいていたのは、どこのどいつデース!」
 食堂に辿り着くと、既にみな、朝食を始めているようだった。健二が二人の姿に気が付くと、礼儀正しく席を立って、
「ああ、金剛先生、五月雨さん、おはようごさいます。どうでしたか? 何か変わったことは?」
 金剛と五月雨も挨拶を交わした後、
「グッモーニン。フジキド=サン。変わったことなんて特にないデース。気持ちよく眠れたヨ」
 と、金剛が笑って答えた。
「それは良かった。他の皆さんも今のところ、特に変わったことは無かったようですよ」
「それは何よりネー」
 金剛と五月雨はテーブルに着いて、昨日の夕飯と同じく山菜中心のおかずと粥の朝食を摂った。するとそこへ龕灯が若い女性を連れて現れた。女性はサスペンダー付きの黒いズボンに、白いワイシャツを着ていた。身長は五月雨より少し高い程度で、黒縁眼鏡をかけ、頬にはそばかすが浮いている。
「おはようございます。どうです? 昨日はよく眠れましたか?」
「ああ、ガンドー=サン。グッモーニン。」
「おはようございます。ところで、そちらの方は?」
「昨日お話した、私の助手の式部貴子です。朝一番の電車に乗って、今、来たところでして」
「ウェ~」
 貴子は生あくびをかみ殺して、
「式部貴子っす。よろしくお願いします」
 と、頭を下げる。口を開くと汚い歯並びが見えた。確かに昨日、龕灯が言った通りに何だか冴えない感じの女性である。
「すいません所長。私、車酔いしちゃって」
 貴子がそう言うと、
「全く仕方ないな。寿さん、貴子を部屋へ連れて行ってくれ」
「はい」
 寿は昨日の怯えた様子とは打って変わって、元気に返事をして貴子を食堂から連れ出した。
 それから龕灯は五月雨の隣に座って、
「まぁ、見てくれはあんなだが、どうか一つよろしく頼むよ」
 と、囁いた。
「はぁ………」
 五月雨が煮え切らない返事をする一方で、金剛は、
「うむ、中々しっかりした助手ね」
 と言い、寿が再び食堂へ入るのを見て、
「コトブキ=サン。紅茶をお願いできますカー?」
 紅茶を注文するのだった。
 もう、適当なこと言って!
 腹を立てた五月雨は粥を三杯お替りした。
 それから金剛は荷物を背負って、龕灯と共に屋敷を出て、岡山へ向かって出発した。五月雨は貴子と共に出発する彼らを見送った。
「あとは頼んだネ! 五月雨~!」
 タクシーの窓から身を乗り出して、金剛は手を振る。
「分かりました~! 危ないから車の中に入ってて下さ~い!」
 五月雨も大声でそれに応えると、タクシーは木の陰に入って、それっきり見えなくなってしまった。
「はぁ、行っちゃった………」
 五月雨がつぶやくと、貴子も、
「行っちゃったっすね~」
 と気だるげに言った。
「私たち、これからどうすればいいんでしょう?」
「別にどうもする必要は無いんじゃないすか? 私たちがここにいるのは、まぁ、いわばクライアントへ『依頼を投げ出してませんよ』っていう意思表示みたいなもんでしょ。とりあえず何かあれば電話で報告すればいいし、それまでは好きにしてていいんじゃないすかね~」
 そう言うと貴子は再び生あくびをして、
「あー駄目だ。タクシー見てたらまた酔ってきちまったっす。昨日は結構遅くまで書類整理やら決算処理やらで寝てないんすよ。五月雨さん、悪いけど私は部屋で寝てますんで。所長から連絡あったらよろしくお願いします」
 と、洋館へ帰ってしまった。
「あうう」
 そんな、好きにしろって言われても………。
 空を仰ぎ見ると、雲一つない快晴だった。気温も高く、なんだか部屋に閉じこもるのはもったいない気がする。
 するとそこへ。
「こんにちわ」
 と五月雨に声をかける人物が現れた。
「ひゃっ!」
 驚いた五月雨が振り返ると、そこには信永礼二と片倉千波が立っていた。
「ええと、確か五月雨さんですよね? 龕灯さんから聞いてます。僕、信永礼二っていいます」
 礼二が言うと、千葉も、
「僕は千波です」
 と、こちらも礼儀正しく挨拶した。お金持ちの家柄のせいだろうか、やはり中々に躾が行き届いている。
「あっ、えーと、私は五月雨です。こちらこそ、よろしくお願いしますね」
 五月雨も深々と頭を下げた。
「それで、こんなところで何をしてるんです?」
 礼二が問うと、
「ええ、先生の見送りに。龕灯さんと岡山へ調査へ行くんです」
 そう言うと、礼二は、
「ははぁ、なるほど」
 と、頷いて、
「もしやあなたは、龕灯さんが呼びに行ったという、東京の名探偵である金剛さん、その助手ではないですか?」
「あっ、はい! そうです!」
「やはり。すると目的はあの男の調査でしょう?」
 あの男、というのは言うまでもなく益荒田海のことである。
「僕も富士夫先生も、何だか胡散臭いと思ってたんです。でも、東京の名探偵が来たんじゃあの男も一巻の終わりだな。でも、どうして岡山へ? あの男は広島から来たと言っていましたが」
「それはですね」
 五月雨が昨日、金剛が益荒田を尋問したときのことを聞かせると、礼二は感心した様子でしきりに頷きながら、
「方言から出身を言い当てるなんて流石だな。まぁ、誰もあんな男には投票しないとは思うけれど、身元がはっきりしないとやっぱり不気味だからね」
「礼二兄さん」
 千波が礼二のズボンを引っ張ります。
「まだ行かないのかい?」
 どうやら二人の話はまだ難しいらしく、千波が退屈してしまったようだ。
「ふふ、ごめんなさい」
 五月雨が謝ると、
「いや、僕が悪いんだ。ごめんよ、千波くん。そうだ、五月雨さん。僕と千波くんはこれから、近所にある龍宮寺へ参拝に行くところなんです。今頃だと、きっと桜も満開で見ものでしょう。東京と違って花見客もいないから、無粋な酔っぱらいに絡まれることもありません。よかったらご一緒にどうですか?」
 やることもなく途方に暮れていた五月雨にとって、礼二の提案は実に魅力的だった。
「はい、是非」
 五月雨は、二つ返事で礼二の提案を了承し、三人はのんびりと傾斜の緩い山道を散策しながら龍宮寺へと向かった。

 龍宮寺へ向かう山道は本当に気持ちのいいものであった。道は狭く、舗装もされていなかったが、車通りは無く傍らには野花が咲いて、蝶々が舞っていた。左手のがけ下には川が流れているようで、鬱蒼とした木々の向こう側からときおり、キラリと光るものが見えた。
 ただ、全く車通りが無いわけではないようで、道にはタイヤの跡が付いていた。つい先日雨が降ったと見えて、泥がタイヤの形に乾燥していた。
 千波が崖の下を覗きながらよたよたと歩いていると、すかさず礼二がその手を引いて、
「ほら、千波くん。あまり崖の方によるんじゃないよ。落ちたら大変なことだからね」
 と声をかけるのだった。
 都会ならこういった場所にガードレールがあるものだが、やはり山奥ではそうもいかないらしい。
「ところで、このタイヤの跡はどこまで続いているのかな?」
 五月雨がなんともなしに言うと、
「ああ、それはバスの通った後ですよ」
 と、礼二は説明する。
「この先にも、根尾村とはまた別な、ちょっとした村がありましてね。一日一回、往復のバスが通るんです」
「へぇ、詳しいんですね」
 五月雨が言うと、礼二は少し恥ずかしそうに苦笑して、
「何を隠そう、その村こそ僕の故郷なのです」
「え? じゃあ、礼二さんも忍者なのですか?」
「いえ、僕の一族は三代前の爺さんの代以来ですかね。僕自身、特に修行などした記憶もありませんし、手裏剣に触ったこともありませんよ」
 そう言って礼二は爽やかな声で笑った。
 それから五月雨は、ふと気が付いて、
「そういえば、富士夫さんと田子さんは、どうしましたか?」
「ああ、富士夫先生は羅尾本さんに誘われて、車で近くにある温泉へ遊びに行っているのです。奥様は千波くんの面倒を見るために残ろうとしていましたが、僕が千波くんの世話を引き受けることを提案したので、二人と一緒に温泉へ行かせたのです」
「へぇ、温泉ですか? いいなぁ」
「はい、特に女性の方には不妊治療に効果があると言われています。実際に田子さんも中々子宝に恵まれず苦労されたのですが、その温泉に通い詰めたおかげで千波くんを授かったんですよ」
「僕も母様と行きたかったなぁ」
 千波がそう言うと、
「そう言わずに千波くん。たまには夫婦水入らずで過ごさせてあげなよ。まぁ、羅尾本さんもいるから水入らずとはいかないか。でも、龍宮寺には君の大好きな由香乃ゆかのお姉さんがいるんだ。うんと美味いお菓子をきっと出して下さるよ」
 礼二がそう言うと、千波は顔を輝かせて、
「うん、僕、由香乃お姉さん大好き!」
 と言うのだった。
 それから少し歩くと、上り坂の頂上に綺麗な桜が見えてきました。
「わぁ、あれですか? 礼二さん!」
 五月雨が指さして言うと、礼二は頷いて、
「うん。でも、あんなのは序の口さ。境内にある桜の木は、もっと立派で大きいんですよ。さぁ、千波くん。もうちょっとだからね」
 三人は見事に咲き誇った桜の花道となった階段を、一歩ずつ登っていった。風が吹くと、花びらが舞い上がって美しい桜吹雪となって、三人を歓迎しているかのようだった。淡い香りに包まれて、五月雨は吹きよせる風と共に、自分の心の洗われるような気持ちがした。
 しかし階段を上って境内へ行くと、更にそこには一本の幹の太い、空へ縦横に枝を伸ばした堂々とした桜があって、満開の花びらをちょっとした山のように咲かせていた。鮮やかな桃色の花びらは、年月を経たらしい古びた御堂を背景に、とても印象に残る光景である。
 その桜の前で、一人の女性が石畳を箒で掃いていた。女性は黒い僧服を着て、長い髪を後ろでまとめていた。その胸は豊満であり、それが和服の線を崩して、すこし不格好になっていた。女性の方も苦心しているのか、帯の位置を少し上げて工夫を凝らしているが、残念ながら上手く行ってはいないようである。女性はこちらへ気が付くと、笑顔で手を振った。
「由香乃さん!」
 礼二が手を振ってそれに応える。どうやらあの女性が、先ほどチラリと話題に上った、由香乃いう人らしかった。三人は由香乃の下へ歩いていく。
「あら礼二くん、千波くん、こんにちわ」
「こんにちわ、由香乃お姉ちゃん!」
 まず千波が元気よく挨拶を行った。それに対し、微笑みで返した由香乃は、五月雨へ目を向けて、
「えーと、こちらの方は………」
「五月雨さんです。東京で探偵をやってらっしゃる金剛という方の、助手をしているのです」
「よろしくお願いします」
 五月雨が頭を下げると、由香乃も箒を桜に立てかけて、
「竜宮由香乃と申します。どうぞお見知りおきを」
 と、挨拶を返すのだった。
「さて………とりあえず、中へお上がりなさいな。冷たいお茶を淹れてあげますから」
「はい」
 礼二が顔を輝かせているのを見て、五月雨は、
 どうやら礼二くんの目当ては、千波くんと同じで桜より由香乃だったようね。
 と、微笑ましい気持ちになるのだった。

 五月雨たちは御堂の傍にある、由香乃が普段生活するのに使っている家へ上がって、座敷に通された。小さいながらも家は片づけられていて、遠くにあの美しい桜が見えるように障子は開け放たれていた。ただ同時に隅の方で墓場が見えたが、春の陽気に照らされると墓石の群さえも、どこか和やかなものに見えた。
 するとそこに、
 あれ?
 墓石の一つに向かって合掌する健二の姿が見えた。
 藤木戸さん、一体どなたに手を合わせてるんだろう?
「ごめんなさいね、嫌なものまで見えてしまって」
 五月雨が墓場の方を向いていると、お茶と茶菓子を載せた盆を持ってきた由香乃がすまなそうに言った。
「いえ、別に」
 五月雨がそう言ってちゃぶ台へ向き直ると、千波はお菓子に、礼二は由香乃さんへそれぞれ熱中した眼差しを向けていた。もう一度、墓の方を振り返ってみたが、既に健二の姿は見えなくなっていた。
「はい、どうぞ」
 そう言って由香乃は三人へお茶を差し出した。茶菓子はお皿に山盛りになった、ひなあられである。
「ひな祭りで作ったものが、たくさん余っちゃってね。これしかなくてごめんなさい」
 由香乃が言うと、礼二は、
「いえ、何の連絡もなしに押し掛けたのですから。それに僕も千波くんも、ひなあられには目がないんです」
「あら、でもいつかのときは、ひなあられは女のお菓子だと言ってませんでしたっけ?」
「あれ? そうでしたか?」
 座敷に笑い声が響いた。
「それで、お屋敷の方はどうなっているのかしら? もう相続の件は済んだの?」
 由香乃が聞くと、礼二は首を横に振って、
「いえ、まだです。昨日の夜、やっと羅尾本さんが来たところです。それに例の、益荒田海を名乗る男ですが、どうも胡散臭い奴でして。そこで龕灯さんが、東京からえらい探偵を連れて来たのです。きっと、今日、明日にでも奴の化けの皮を剥いでくれますよ」
「ああ、それで五月雨さんがいらしたのね。五月雨さん、調査の方はどこまで進んでいるのかしら? あの方は本当に益荒田海さんなのでしょうか?」
 五月雨は、
「さぁ、まだ何ともわかりません。私も昨日来たばかりでして。金剛先生は龕灯さんと共に遠くへ調査へ出かけてしまって、私は何かあるまでこの辺りの留守番を命じられているんですよ」
 と、頭をかいたが、そこへ礼二が、
「いえいえ、金剛という探偵は中々凄い人ですよ。あの自称・益荒田と言う奴は広島から来たと言っておりましたが、金剛さんは奴の訛りから岡山県で生活していたこと、料理人であることまで看破してしまったのですから」
「それはすごいですね。でも、そういった調査には守秘義務があるのではなくて?」
 由香乃にそう指摘されて、五月雨はあっ、と口を押さえた。
「うう、そうでしたぁ………」
 五月雨がしょぼんとすると、礼二が慰めるように、
「いや、僕が少し強引に聞きすぎたかもしれない。僕のほうこそごめんよ」
「ふふっ、ならこの話は三人だけの秘密にしておきましょうか?」
 由香乃が悪戯っぽく笑うと、
 すると、
「僕もいるよ!」
 と、千波が不満げに机を叩いた。
「ああ、そうだった。ごめんごめん」
 礼二があやまると、座敷は再び賑やかな笑顔に包まれるのだった。

「ごちそうさまでした」
 五月雨が代表して、玄関で由香乃に礼を述べた。
「いえいえ、お構いも出来ませんで」
 と、由香乃も笑って言った。
「でも、何でしたらお昼も食べていったらいいのに」
「いえ、女中さんには、昼までに帰ると伝えてしまったので。それに千波くんも、くたびれてしまったようですし」
 礼二が言う。その背中には楽しいひと時に、すっかり疲れて眠ってしまった千波がいた。
「じゃあ二人とも、帰る前にもう一回くらい、いらしてくださいな」
 由香乃が言うと、五月雨と礼二は声を揃えて、
「ええ、是非!」
 と答えるのだった。


「それにしても、由香乃さんはお屋敷の事情に詳しいようでしたけれど、どうしてでなんですか?」
 山道を下りながら五月雨が礼二へ質問すると、
「はい?」
 と礼二は息を切らせて、千波を背負いなおしていた。
「そろそろ交代しましょうか?」
 五月雨が提案すると、
「いえ、なに」
 と強がりを言うが、その足はもうフラフラだった。
「そんなことを言わずに、ほら、千波くんを寄越してください。これでも昔は駆逐艦だったんですよ」
 そこまでいうのなら、と礼二が千波を預けると、五月雨は軽々と彼を背負って元気に歩き始めた。それを見た礼二は、
「へぇ、やっぱり流石だなぁ」
 と感心するのだった。
「ところで、何お話でしたっけ? ああ、由香乃さんが屋敷の事情に詳しいという話か。彼女は剃髪こそしていませんが、あれでも立派な尼僧でしてね。毎年、お彼岸の時にここらで行われる降魂祭こうこんさいを取り仕切っているのです」
「降魂際?」
「はい、何でもここらの忍者の里は、死んだ先祖の魂を自分の体に迎え入れて力とする、そんな伝承がありましてね。毎年、お彼岸になると、藤木戸、片倉、益荒田、柴田、羅尾本の一族と周辺の住民が集まって瞑想を行うのです。もちろんその後は、飲めや歌えやの騒ぎになりますがね。由香乃さんたち、竜宮の一族は代々、その祭りを取り仕切っておられるのです。その他にも古い古文書によると、満開の桜の下で皆伝の儀式をする習わしなども、あったそうなのですよ」
「へぇ、忍者ってみんなそうなんですか?」
 五月雨が質問すると、礼二は笑って、
「いいえ。根尾村独特の風習です。同じ忍者といっても、実は地方によって風習が全然違ったりもするのです。そもそも忍者と言う言葉も近代になって出来たものでしてね。それまでは、忍者も地方独特の呼び名があったものです。例えば、十七世紀に書かれた楠流の忍術書『当流奪口忍之巻注とうりゅうだっこうしのびのまきちゅう』には、奪口だっこうの他に、風間かざま、透波すっぱなんて表現が書かれています。特に透波なんてのは、よく『すっぱぬく』なんて言い方をするじゃありませんか」
「ああ、確かに。なるほど、忍者は情報を掠めとる存在ですからね。ちなみに、ここらでは、忍者は何と呼ばれていたんですか?」
「さぁ? 片倉家に限っては単に忍とだけ呼ばれたそうですが、古文書や一族ごとにまちまちなので、あいにくと本当のところは分かりません。その他の伝承にしたってそうです。そもそも忍者の一族と言うのは秘伝を口頭で伝えるものでして、現存する信頼性の高い文献と言うのが、どうにも数少ないのです。おかげで、学会では忍者非実在論なんてのも、あるくらいなのですよ」
「ふぅん。それにしても礼二さん、お詳しいんですね」
「ええ、富士夫先生は、趣味で民俗学の研究もおやりになられてますから、僕も時々手伝わされるんです。実は今言ったことも、全部、先生の受け売りでして」
 二人はうふふ、と笑いあった。
「それでもすごいと思いますよ」
 五月雨が言うと、礼二は素直に、
「ありがとうございます」
 と、礼を述べた。
「それにしても、こうして考えてみると探偵こそ、現代の忍者と言うのに相応しいと思いませんか? きっと金剛さんがもっと昔に生まれたいたら、もしかしたら素晴らしい忍者になっていたかもしれませんよ?」
「うーん、どうでしょう。忍という文字があそこまで似合わない人もいませんからねぇ」
「そうだ、洋館には、昔の忍者が使った手裏剣や鉤縄、刀が展示されている場所があるんです。案内しますから、昼食の後にどうですか?」
「そんな場所があるんですか? じゃあ、是非、お願いしますね!」

 約束通り、礼二は昼食を終えた後、五月雨と千波を洋館の展示室へと案内した。そこに一眠りして昼食を終え、退屈していた貴子も加わって、四人で展示品を見て回ることになった。
 特に大はしゃぎしていたのは千波で、聞くところによると田子の教育方針によるものらしかった。変な影響でも受けて、刃物で遊ぶようになったりしたら大変だというのだ。
「でも、五月雨さんには約束してしまったし、千波くんの面倒を見ると奥様には約束してしまったからね。千波くん、くれぐれも黙っているんだよ」
 確信犯的な笑みを浮かべて、口の前で人差し指を立て合う礼二と千波を見て、
「何だか微笑ましいっすね」
 貴子が優しい笑みを浮かべると、
「そうですね」
 五月雨も笑ってそれに同意した。
 洋館の展示室だが、五月雨は薄暗い倉庫程度しか想像していなかったが、中々どうして美術館のような、本格的なギャラリーであった。広さはだいたい五月雨が止まっている部屋の、ゆうに十倍はあろうかと言う広さがある。展示品は刀から手裏剣、まきびしに至るまでガラスケースの中で保管されていて、照明で照らされていた。
 武器の他にも、忍者とは直接関連がないような奈落氏の趣味らしい古美術品や、掛け軸などもあって実に見ごたえがあるものばかりだった。
 礼二はほとんど全ての展示品について適切な解説を挟み、その知識に五月雨も貴子も感嘆するばかりだった。そしてどうやら、礼二は五月雨たちに展示品を見せるというよりも、解説がやりたかったらしく、生き生きとした顔で、
「これは手裏剣ですが、実際のところ重量もあり何枚も持ち歩けるものではないので、武器としての使用にはあまり使われてはいないようです。もっぱら、相手に投げつけて逃亡の時間を稼ぐ意味で用いられました」
 などと次々と説明していくのだった。

 展示室での鑑賞を終え、四人が休憩がてら食堂でお茶を飲んでいた。解説でしゃべり過ぎた礼二は、よほど喉が渇いていたらしく、一人でやかん一杯分のお茶を飲んでいた。
 するとそこへ温泉へ出かけていたという羅尾本と片倉夫妻が入って来た。
「ああ、ほら、やっぱりここにいたよ」
 富士夫が笑って言うと、
「おかえりなさい先生」
 立ち上がって、礼二が挨拶する。
「いつお戻りになられたのですか?」
「たった今さ。千波を押し付けて悪かったね」
「構いません。千波くんはいい子だし、五月雨さんとも一緒でしたから」
「そうかい。では、五月雨さんにもお礼を言わなければな。ありがとう五月雨さん」
 富士夫に礼を言われて、五月雨も、
「構いませんよ。私も楽しかったです」
 と微笑んだ。
「ほら、千波さん。お母様のところへおいでなさい」
 田子がしゃがんで両手を広げると、千波が椅子から降りてトタトタと走り、その胸へ飛び込んでいった。
 こんな風にして、屋敷について二日目の一日は幸せに過ぎ去っていくように思えた。
 しかし、まさにこの日の夜より、あの悪夢のような出来事は始まっていくのである。あの暖かな春の日差しも、満開な桜も、千波のあどけない笑顔でさえ、これから巻き起こる惨劇の序曲に過ぎなかったのだ。


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