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戦艦探偵・金剛~サーバルの濡れ衣~④

 金剛が調査の依頼を受けてから三日後、六月六日午前十二時のこと。
 二十年ほど前に北多摩郡武蔵野町に出来たこの学校、日本畜産大学にその男は六日前から用務員として勤務していた。
 男は今、マスクと帽子を被り、作業着を着て薄暗い廊下を掃除道具を持って歩いていた。今の時間帯、この辺りはほとんど人は通らない。教室が遠いのもさることながら、ここにあるのは解剖室だった。そんなところの近くで昼食をとるなんて、慣れた学生でもやはり気分が良くないのだろう。血や臓物には慣れることが出来る。ただ、生臭い血の臭いや動物独特の獣臭、宿便から発生する糞尿の臭いはいくら換気してもしばらく体にまとわりついて残るように思えた。いわんや、動物の解剖実習室などはなおさらであろう。
 男は解剖実習室へ入る。ここには今朝、多摩動物公園から薬殺されたサーバルの死骸が黒い袋に入って運び込まれていた。普通、掃除は解剖された後に行うものだが、そうもいかない。学生共に先に見つけられては困るのだ。
 用務員という肩書から、掃除のために鍵を借りてくるのは容易だった。男はもどかし気に解剖実習室の部屋を開ける。
 解剖実習室は広く、飛び散った血を掃除しやすくするために床は一面タイル張りで、中央には三つの金属の台があった。通りに面した窓からは、さんさんと日の光が入っていて、そのせいかひんやりとした薄暗い廊下に比べて蒸し暑く感じられた。サーバルの入った黒い袋は、三つの内の中央にあった。傍らにはメスや鉗子が並べられた台もある。
 男は掃除用具を壁に立てかけて、素早く黒い袋の、サーバルというタグの結び付けられたジッパーを開けた。
 すると。
「シャー!」
 オレンジ色の猫が男へ威嚇する。
「うわっ!」
 男は飛びのき、その拍子に足がメスの並べられた台へぶつかった。ガチャガチャとメスの何本かがタイル張りの床へ落ちて鋭い音を立てた。その音に驚いて、猫は素早く台から降りて、部屋の隅へと逃げ去った。
「くそっ、何だ!」
 男が言うと、
「彼女はフーちゃんデース! どうか解剖するのは止めて下サーイ!」
 と後ろから声がした。再び男が驚いて振り向くと、解剖器具の入った戸棚の影から巫女服の様な服を着て、頭に金の飾りをつけた女が出てきた。
「何だお前は!」
「私は戦艦探偵・金剛デース。多摩動物公園から依頼されて、アンジロー・セルリに関する事故の調査をしていマース。ああ、仰らないでネ! あなたの名前は知っているネ、アンジロー=サン」
 金剛がそう言うと、解剖実習室の扉が開かれ、なだれ込むように拳銃を構えた警官が入って来た。
「アンジロー=サン、あなたはかなり面白い人デース。三人組で強盗を起こし、仲間の一人を身代わりにして殺した後は、ほとぼりが冷めるまで別人として潜伏する。何せ、警察が似顔絵で追っている人物は顔を剥がされて死に、もう一人は死んだことになっていマース。五月三十一日、どこで何をしていたか、どんな人間と交流があったのか、気にする者はいまセーン。更にどうやったかは分かりませんが、サーバルに金剛石を食べさせてその体内に隠しました。動物園の動物は、そう簡単に火葬したりはしまセーン。まして日本において希少なサーバルは、調査のために確実に解剖されマース。あなたはそれに乗じて金剛石を回収するつもりだったデース」
 安次郎は、自分の全てが白日の下にさらされて、観念したように俯いてため息をつき、そして言った。
「お酒でしょう? あいつが全然飲めないなんて、飲ますまで知らなかった。あいつ、ウィスキー一杯でぶっ倒れちまうんだもんなぁ。辻褄合わせに居酒屋に行ったのは失敗だったかな。家に酒瓶でも転がすんだったぜ」
「それは違いマース」
 金剛は言う。
「あなたの正体を暴いたのは、カバンチャンと加古園長デース! 警察の調査員に納得せず、私に調査を求めた二人のバーニング・ラブを見くびった、それがあなたの敗因なのデース!」
「連行しろ」
 扉から刑事課長が現れて命じると、警官の一人が安次郎に手錠をかけ、大勢の警官と共に解剖室を後にした。それから五月雨が解剖室へやってきて、
「フーちゃーん」
 と、猫なで声で呼ぶと、猫は尻尾をピンと立てて五月雨の方へ走ってくるのだった。

 その後の警察の調べで、瀬留里安次郎は全ての犯行を自供した。それに加えて、警察は彼の驚くべき正体を知ることになる。
 瀬留里安次郎は中国で両親を亡くした後、似たような境遇にあった安瀬竜太郎と知り合って二人で強盗団を結成し、中国で様々な悪事を働いていたのだ。しかしあるとき、安次郎は竜太郎に裏切られ、強盗団を追われて逃げるように日本へ帰国した。
 帰国した安次郎はそれまでの生活を忘れて真面目に働いていたが、東京へ戻ると何と思いがけず竜太郎と再会した。竜太郎も安次郎と同じく、仲間から報奨金と引き換えに密告されて日本へ落ち延びてきたのだ。
 再開した竜太郎は、当時、仲手川義彦の家で働いていた女中、成瀬リルを情婦にして、仲手川氏の所有する金剛石『サンドスター』を盗み出す計画を立てていた。当初、安次郎は計画への参加に難色を示していたが、
「参加しなければお前の過去をばらすぞ」
 と、脅されてやむなく参加した。その際に安次郎はこう思ったという。
「この男を殺さなければ、俺は生涯、こいつに食い物にされる………」
 そこで安次郎は、もし、強盗が成功して警察に追及されても逃げやすいようにお互いの名前と住所を交換して生活を始めるころを竜太郎に提案した。
 五月三十一日、強盗を成功させた安次郎は祝杯と称して自宅で竜太郎に料理と酒を勧めた。本来なら、充分酔いが回ったところで殺害を決行しようと思ったが、竜太郎が酒に弱いと断った。それでも無理に飲ませると、わずかウィスキー一杯で昏倒した。昏倒した竜太郎の首を、あたかも肉食動物にやられたかのように圧迫して窒息せしめた安次郎は、首と顔の皮膚をズタズタに切り裂いた上で剥ぎ取った。その上から包帯を巻いて血が出ないようにし、バッグへ入れて夜の動物園へ運び込んだというわけである。
 しかしその間に竜太郎の家へ文房具をとりに行くなどして想定よりも時間を食い、その間に竜太郎の死後硬直が進んでいった。結果、ドアノブに竜太郎の手をあてがった際に小指を折ってしまった。さらにサーバルの檻へ死体を運び、顔の包帯を取って小屋へ引き返した際に、包帯から血が滴ってコンクリートの床に付着して慌てて拭き取ることになった。金剛と五月雨がドアの近くで発見したのはこの血痕である。
 全てが終わったあと、竜太郎の顔の皮膚と、それを剥がすのに使った器具、包帯一式を強盗に使った偽パトカーにしまい込んで東京湾へ放り込んだ。これについては警察が安次郎の証言をっもとに東京湾をさらったところ、確かに車と、内部に血痕の付着した包帯、器具を発見した。
 そして安次郎は、犯行前にあらかじめ偽名で日本畜産大学に用務員として潜り込み、サーバルの検体が到着次第、金剛石を取り出すつもりだったのである………。
 一方、そのサーバルはというと、その後、無事に肛門から糞と共に金剛石を排泄した。それ以来、例の、
「ケッ、ケッ」
 という妙な動作はしなくなったという。
 この事件は新聞で大々的に報じられ、
「サーバルってなんだ?」
 と思った東京の人々はサーバルを一目見るために檻の前に押し掛けて、大盛況であると、金剛と五月雨はあとでかばんちゃんから聞いた。
 金剛もサーバルを救った上に、無事、仲手川氏の金剛石を取り戻したことから直々にお礼の言葉が屋敷の前で言い渡され、その写真は全国紙の一面を飾ることになった。

『戦艦探偵・金剛、金剛石を奪還する!』
 新聞の見出しを読んで、金剛は少し眉をひそめた。何だか自分の名前がダジャレに使われているような気分になったからだ。
「それに何だか読みにくいデース!」
 金剛がそう言うと、五月雨が給湯室からティーセットを持って現れた。
「また新聞ですか先生。全くナルシストなんですから」
「ナルシズムとは違いマース。私の場合は厳然たる事実デース!」
 五月雨は金剛の言葉を無視してティーセットを机の上に並べていく。
 すると、カリカリという音がドアの向こうから聞こえた。
「あら」
 五月雨がドアを開けると、オレンジ色の猫が事務所の中へ入ってくる。その首には赤い首輪と鈴が付いていた。
 事件の後、あのエジプシャンマウの雑種フーちゃんは、無事に大淀によって飼われることとなった。本当なら五月雨が飼うところであったが、
「あなたたちはしょっちゅう事務所を空けるでしょ」
 との一言で親権はあっけなく大淀へ移った。それでもフーちゃんは五月雨に懐いているらしく、紅茶の時間になると決まって五月雨を求めて事務所に来るようになった。
「もー、フーちゃんたら可愛いんだから」
 五月雨がフーちゃんを抱くのを見て金剛も、
「私もフーチャンを抱っこするネ!」
 と、手を伸ばす、が、
「シャー!」
 猫は威嚇して金剛の手を叩いた。
「何するネ!」
「袋に入れられたことをまだ根に持ってるんですよ。全く、犯人の居場所が分かってるんだったらさっさと警察に言えばいいのに、劇的な逮捕を演出しようとするから」
 そう、サーバルの代わりにフーちゃんを袋に入れて大学の方に手配したのは他ならぬ金剛であった。
「いいじゃないかネ、それぐらい許してよ。ネ?」
 そう言って金剛はフーちゃんの顔に自分の顔を近づけると、
「シャー!」
 手を振りかざしてくるのだった。
「ウウウウウウ」
 しまいにはバイクのエンジン音じみた唸り声まで上げ始める。
「あはは、嫌われちゃいましたねー」
「うるさいネ!」
 すると事務所の電話がなった。金剛が不機嫌そうに受話器を取る。
「はい、金剛探偵事務所デース」
「あの、実は金剛石さんに折り入ってご相談があるのですが………」
「ノー! 私は金剛石じゃありまセーン! 戦艦探偵・金剛デース!」

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