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戦艦探偵・金剛~蘇る忍者伝説~⑦捜査編

 こんにちわ、五月雨です。
 警察と私たちの警備もむなしく、富士夫さんに続いて、とうとう藤木戸さんまで襲われてしまいました。
 そしてついに、寿さんだけでなく、私と貴子さん、更には益荒田さんや二人の警官も、黒づくめの忍者を目撃することになりました。
 一連の事件は、果たしてあの忍者の仕業なのでしょうか?
 富士夫さんの面頬、それから藤木戸さんの胸に刻まれた『忍殺』の二文字。そこには、柴田さんや羅尾本さんが口にすることさえ憚られる、どんな由来があるのでしょう?
 それから益荒田さんと寿さんには、どのような因縁があったのかも気になります。
 捜査編・二では、登場人物の更に意外な人間関係が明かされます。
 戦艦探偵・金剛~蘇る忍者伝説~、引き続きお楽しみ下さい!
 ………それにしても金剛先生はいつ戻ってくるのでしょう?

「藤木戸健二氏の容体は今のところ安定しています。意識は戻っておりませんが、命に別状はありません。その点に関してはご安心ください」
 会議室に集められた柴田を始めとする関係者は、一斉に胸を撫で下ろすも、
「警察は何をしていたのだ。警官で固めた屋敷から、まんまと健二くんを誘拐されるとは! 五月雨くんがいなければ、健二くんは今頃、死んでいてもおかしくは無かったんだぞ!」
 羅尾本が叱るように声を張り上げると、その他の人間も無言でそれに同意するかのように、中島警部を睨みつけた。
「だいたい、海くんを打ちすえたという忍者も取り逃がしてしまったそうじゃないか」
 柴田も、彼には珍しく語気を強めて言った。
「ええ、おっしゃる通りです。そこで皆様にお聞きしたいことがあるのですが………」
「何だ?」
「藤木戸健二氏は、頭部を鈍器で一撃され、気絶した後に鋭い刃物のようなもので『忍殺』という文字が彫られていたのです」
『忍殺』という言葉が出た途端、柴田、羅尾本、それから田子に動揺の色が走った。
「さらに藤木戸健二氏を池に沈めるために、犯人が足に巻き付けた二つの文鎮の様なものですが、どうやら藤木戸家に伝わる三種の神器の一つ『破壊のヌンチャク』のようです。みなさん、一体、『忍殺』とは何なのですか? いい加減、お答え願えませんかね」
 すると今度は羅尾本たちが顔を見合わせて、気まずく押し黙る番だった。だが、やがて田子が彼らの前から進み出て、
「礼二さん、千波さんを部屋に連れて行って」
 と言って二人を会議室から出して、
「私から説明しましょう。始まりは七十年程前、森田一郎という男でした」

 その当時、根尾村を支配するものはまだ、法律ではなく忍者の掟であり、森田一郎の一族も掟を守って忍者の修業をしつつ、畑を耕して生活をしていたそうです。
 ですがあるとき、彼は妻のある身ながら、さるご婦人と密通してしまったのです。しかもそのご婦人はただのご婦人でなく、そのとき村を治めていた藤木戸家の妻だったのです。
 あるとき、それを知った藤木戸家の当主は、直ちに森田一郎を捕らえ、その妻を村から追放した後、一族の掟を破った罰として凄まじい刑罰を彼に科しました。面頬の刑、ヌンチャクの刑、手甲の刑です。
 面頬の刑は、特殊な面頬を顔に装着して息を詰まらせる刑、ヌンチャクの刑は両手両足を縛ってヌンチャクとし水の底へ沈める刑、手甲の刑は両腕を肘の先から切断する刑。
 ………森田一郎は、この三つの刑を同時に執行されたそうです。
 刑を執行される直前、森田一郎はこう言ったそうです。

「呪ってやる! お前ら全員を呪ってやる! この世の忍者を全員呪ってやる! 忍者、殺すべし! 忍者、殺すべし!」

「それで『忍殺』ですか」
 重々しい空気の中、中島警部が口を開いた。
「ですが、七十年前の話でしょう? どうしてそう怯えているのです?」
「実はその直後から、藤木戸家、片倉家、益荒田家、主な忍者の一族が次々と不幸に見舞われているのです」
 そう言ったのは柴田だった。
「面頬の刑を執行した片倉家は、子宝に恵まれず子孫は先細った。ヌンチャクの刑を執行した藤木戸家は火災で家や財産を失い、益荒田家は流行り病で衰退した。今も村の人間は、森田一郎の祟りとして、口に出すことすら恐れているのです」
「もしかすると、昨日現れたという忍者は、森田一郎の末裔では無いですか? 彼の妻は殺されることなく、村を追放されているのです。その妻が実は一郎の子供を身ごもり、今になって子孫が復讐を果たしに来たのかも」
 礼二の言葉に、田子も、
「私も今、それを考えておりました」
 と、頷いた。
「そうすると、次に狙われるのは………」
 中島警部が言うと、全員が益荒田の方を見た。しかし益荒田は、昨日のことがあるにも関わらず、平然とした顔で、
「なにょー言っとるんじゃみなさん。森田一郎やらなんやら、ただの伝説じゃ。昨日だって、ただ忍者の格好をした奴が入り込んだっちゅうだけのことではあらんか。健二氏があのような事態になったんは、警察の失態じゃろう。みなさんは、あの『忍殺』っちゅう言葉に翻弄されとるだけじゃ」
 そう言って本気か、あるいは強がりを言っているだけなのか、
「かっかっかっ!」
 と笑い飛ばすのだった。
「しかし、健二くんがああなってしまっては、相続投票を行うにしても彼の回復を待ってからではないと」
 柴田が言うと、羅尾本も、
「ああ、それに仕事の方もあまり長くは開けられない。富士夫くんの葬式の準備だってしなければ」
 と、田子の方を見るのだった。
 すると益荒田は、
「投票やらなんやら病院でも出来るじゃろう。や、恥ずかしーしーうちも旅費の持ち合わしぇがあまりあらんので、はあちーとここにいるなら、ここで仕事と住まいを探さのうてはならん」
「そんなことは知らんよ」
 柴田が言うと、それから彼らは口々に揉め始めた。
「みなさん、お静かに! 口論なら他所でやってください!」
 中島警部がたしなめるも、あまり効果は無いようだった。
「ウェー、どうなるんすかねー」
 貴子は心底うんざりした口調で言った。
 そこへ。
「五月雨さん」
 寿がドアから入ってきて、
「金剛様からお電話が入っております」
「わかりました」
「私もいくっす」
 五月雨と共に、貴子も逃げるように部屋を後にした。

「先生! 一体、どこにいるんですか!」
 五月雨は受話器に向かって大声を上げた。健二が襲われてから、彼女は金剛の宿泊する旅館へ電話をかけたのだが、従業員からはもう宿を発った後だと言われてしまったのだ。
『おお、ソーリー。今、私とガンドー=サンは山梨県のある村にいるネ』
「山梨県? どうして?」
『ま、理由は帰ってから話すヨ。それから、益荒田海のことだけどネ。昨日、岡山市の料理店に片っ端からアタックをかけたらビンゴ! 住み込みで働いていた従業員が二人も消えた店があったネ! その内の一人はやはり、手甲の様なものを持っていたそうヨ』
「二人ですか?」
『うん、一人は滝久弥、もう一人は森田一郎と名乗っていたみたいネ』
「森田一郎ですって!」
 五月雨は雷に打たれたような、驚きの声を上げた。
『アウー、今日の五月雨はうるさいネ。何か知ってることがあるネ?』
 五月雨は金剛に昨日、金剛の電話を受け取ってから今に至るまでの話を詳しく説明した。
『うーむ、なるほどネ』
 金剛はそう言って、
『とりあえず、フジキド=サンの命を救えたのは幸いと言うところかな。ユーはよくやったと思うヨ』
「はぁ」
 金剛に褒められはしたが、五月雨はあまりいい気分では無かった。彼女の脳裏には、健二に刻まれた『忍殺』の痛ましい二文字が今も鮮明に浮かんでいた。
「先生、犯人は森田一郎の亡霊なのでしょうか?」
 五月雨が問うと、金剛はいつになく真剣な口調で、
『亡霊に人は殺せないネ。今回の犯人は間違いなく生きた人間ヨ』
 と言うのだった。
『五月雨、ユーにミッションを課すネ。ユーが見たという、フジキド=サンの墓参りだけど、どの墓石に参っていたのか調べて欲しいネ。それから彼が、ナラク=サンに養子に貰われる前に、一体、どこにいたのかを詳しく知りたいヨ』
「分かりました………って、結局、益荒田海さんの件はどうなってるんですか!」
『ふふん、それは私たちが帰ってからのお楽しみね。明日の朝にはそっちへ帰るから、警部や皆さんによろしく言っておいてヨ』
「明日の朝ぁ?」
『うーん、この村、バスも一日一往復しか通ってないんデース………。明日の朝には這ってでも帰って来るから、何とかみんなを引き留めるネ! オネガイ!』
 五月雨は、
 むしろ、今まさに這ってでも帰ってきて欲しいんですが。
 という言葉を一生懸命に飲み込んで、
「分かりました」
 と受話器を置いた。
「金剛先生はなんて言ってたんすか?」
 貴子が聞くので、五月雨は金剛の言ったことをそのまま伝えたところ、
「ウェー」
 と、貴子は考え込むように唸って、
「だったら、手分けして調べた方が早いっすね。五月雨さんは竜宮寺へ行ってください。私は中島警部に言って、皆さんにもう一日だけここにいるように説得してもらってから、藤木戸さんの素性をそれとなく、柴田さんか羅尾本さんあたりから聞き出してきます」
「はい。よろしくお願いしますね」
 五月雨はそう言って屋敷の玄関を出た。
 富士夫が殺されて二日目、新聞記者やらテレビのレポーターやらが大勢押し寄せ来るものと思われたが、朝の内に二、三人がポツポツと写真を撮るのを見ただけだった。中島警部によると、どうもマスコミの大半は、健二の入院している病院へ押しかけているらしい。
 健二さんには悪いけれど、捜査の邪魔にならずにすんで助かっちゃった。
 五月雨は屋敷の門を出て、竜宮寺へと向かう。

 竜宮寺の桜は、相変わらず美しく咲き誇っていた。五月雨も二日前なら意気揚揚と登れた石の階段だったが、富士夫と健二のことがあったあとでは、その足取りは重いものだった。
 境内まで来ると、五月雨は由香乃の姿を探したが、留守にしているのかその姿は見えなかった。
 そこへ、墓参りの帰りなのだろうか、おじいさんと、若い男の親子連れらしい二人組が通りがかった。
「すみません、あの、由香乃さんを知りませんか?」
 五月雨がたずねると、若い男が、
「由香乃さんなら、村の方へ檀家参りへ出かけていますよ。戻ってくるのは夕方くらいになるんじゃないかなぁ」
「そうですか」
「由香乃さんに何か用でもあったのかい?」
「いえ、そういうわけじゃないんですが」
「ふぅん………」
 男が五月雨を奇異な目で見るので、
「あっ、あなたたちはところでお墓参りをしてきたところなんですか?」
 と、話題を逸らした。
「え? ええ、といっても身内の墓参りというわけではないんですが」
「今頃は、この寺の前の住職である竜宮現道さんの命日でねぇ」
 おじいさんが遠い目をして答えた。すると若い男が、
「本当は住職の命日は二日前だったのですが、大雨が降り続いていて道も滑りやすくなっているだろうから、今日になってしまったんです」
 若い男がそう言うと、おじいさんは笑いながら、
「わしなら大丈夫だよ。まったく我が息子ながら心配性だな。誰に似たんだか」
「お父さんこそ、そう言って何度も転びそうになったでしょう。もうお年なのですから、転んで骨でも折ったらどうするんですか」
 それは微笑ましい孝行息子と親の構図だった。思わず五月雨が顔を綻ばせると、若い男の方はそれに気づいて、先ほどの訝しむような目つきが消えて、照れたようになった。
「もしかすると、あなたも誰かの墓参りとか?」
「え? ええ、そうです」
 五月雨はとっさにそう答えて、
「友人の大切な人の墓なので、ぜひ、私もお参りしたくて。だけど、うっかりお墓の場所を聞くのを忘れてしまって困っていたんです。友人は二日ほど前に参ったようですが、真新しい花やお酒が供えられた墓はありませんでしたか?」
 若い男は少し考え込んで、
「いえ、そんな墓はありませんでしたけれど………強いて言えば、我々が先ほど参った現道さんのお墓ぐらいですが」
「じゃあ、きっとそれです!」
 若い男がえ? という顔をすると、おじいさんは、
「ほう、あんたも現道さんの墓参りかい。いいともいいとも、ほれ、一理ひ、案内してあげなさい」
「え? でも」
「わしはここで花見でもして待ってるわい。いいから行っておいで」
「はぁ、それでは」
 と、一理と呼ばれた男は五月雨を現道の墓へ案内するのだった。

「ここが、現道さんのお墓です」
 一理が案内したその墓は、確かに二日前、五月雨が健二を見た場所と一致しているようだった。少し背伸びをして由香乃の家の方を見ると、礼二と千波と共にお茶を飲んだ、あの座敷が見えた。
 やっぱりここだったんだ。
 五月雨は竜宮家と彫られた墓石の前で手を合わせて、
「現道さんは、どんな方だったんですか?」
 ときいた。
「公平で真面目で、優しい方でした。顔は怖かったですけどね」
 一理はそう言って笑った。
「そうですか。立派な方だったようですね」
 五月雨はそう言って、
「そういえば由香乃さんも同じ苗字ですよね。二人はどういったご関係なんですか?」
「ああ、由香乃さんは現道さんの孫娘なのですよ。由香乃さんのご両親は流行り病でなくなりましてね。現道さんも同じ病で奥さんを早くに亡くしていますから、住職と並行して男で一つで二人の孫を育てたことになりますね」
「へぇ………え? 二人? 現道さんにはお孫さんがもう一人いらっしゃったんですか?」
「はい。由香乃さんの兄で、健二さんというのです」
「ええ!」
 健二と聞いて、五月雨は金剛との電話に引き続き、驚きの声を上げた。
「健二さんって、あの、藤木戸家の」
「ああ、ご存知でしたか。そう、あの藤木戸健二ですよ。彼は元々、竜宮家の人間でしてね。現道さんも、彼を跡継ぎにするつもりだったようですが、まぁ、結果は御存じの通りですよ。健二さんは藤木戸奈落氏の養子候補になるにあたり、竜宮家とは決別したのです」
「決別、ですか?」
「全てが彼のせいとは言えないでしょうが、寺を継ぐはずの孫が、藤木戸家に入って、現道さんはたいそう落胆したようです。無理も無いでしょうが。その直後に、現道さんは体調を崩して、あっという間にこの世を去ってしまいました。あの男は………失礼、健二さんは実の祖父であり育ての親である現道さんの死に目にも立ち会わず、六年前に由香乃さんが病気で臥せっていたときでさえ、ここに顔を出すこともしなかったのです!」
 そう言う一理さんは拳を固めて震わせ、目にはうっすらと涙を浮かべていました。しかしすぐに、
「すいません。つい、熱くなってしまって」
 と目頭を拭って、
「い、いえ」
「お金とは恐ろしいものですね。人を、血も涙もない怪物にしてしまう」
 一理はそう言って、
「新聞を見ましたか? この先の屋敷で、片倉富士夫さんが殺されたそうですよ。きっと、殺したのは藤木戸健二か、益荒田海の手によるものでしょう。遺産の分配を投票で行うなんて、奈落氏も気の利いたことをするものです。あのまま投票が行われて、片倉さんが遺産を相続すればよかったんだ」
 どうやら健二が襲われたことはまだ報道されていないようだった。
 それよりも一理の富士夫の肩を持つような発言に五月雨は疑問を感じた。
「富士夫さんが相続すればよかったとは、どういうことですか?」
「別に、私個人の意見ですよ。しかし少なくとも、羅尾本は片倉さんの人間性を高く評価していました。現道さんが死んだときも、由香乃さんが臥せっていた時も、彼は自腹を切って彼らの医療費や生活を支援していました。羅尾本さんの会社の経営が苦しかった時も、神社の階段や建物の修復を依頼させて助けたこともありましたからね。きっと彼なら、遺産だってより意味のあることに使えたはずです」
 一理が言い終えると、遠くから、
「おーい、まだかー」
 というお爺さんの声が聞こえてきた。
「ああ、つい話し込んでしまいました。それでは、私はこれで」
 一理はペコリと頭を下げて墓地を足早に去っていった。
 一方、五月雨はというと、あまりのことに呆然として、乾いた風が吹きすさぶ墓地の中で動けないでいた。
 ああ! 探偵とはなんて嫌な仕事なのだろう! あんなに好人物だった藤木戸健二さんに、そんな一面があっただろうとは!
 五月雨は救いを求めるように天を仰いだ。空は二日前の嵐など忘れ去ったように、雲一つない快晴を、五月雨の髪と同じ澄み切った水色をしているのだった。

 屋敷へ戻ると、五月雨を真っ先に出迎えたのは貴子だった。
「ああ、五月雨さん。凄いことが分かったっす。健二さんって、由香乃さんのお兄さんだったらしいんすよ」
「うん、私も聞いたよ」
 五月雨と貴子は自分たちがきいてきたことをそれぞれ確認し合うが、どうもお互いに聞いてきたことは間違いなさそうだった。
「あと、みなさん、とりあえず明日、金剛先生と龕灯先生が帰って来るまで待ってくれるそうです。それからですね」
 貴子は続けて、中島警部から聞いた話を五月雨に伝える。
 それによると中島警部は警察官や、根尾村の人々から応援も募って大規模な山狩りを行うのだという。
「中島警部はあの忍者を捕まえるつもりのようっすね」
 貴子の言う忍者とは、言うまでもなく昨夜、寿の前に現れたあの忍者のことである。
「でも、あの忍者が本当に犯人なのかな? あの忍者が寿さんに乱暴する益荒田さんを打ちすえて、警察官に追われながら屋敷に火を点けて、健二さんを担ぎ出して池に沈めるなんて時間的に不可能なように思えるけど」
 五月雨がそう言うと、
「まぁ、事件に関係なくとも不審者には変わらないっすからね。それに直接、事件に関わりが無くとも共犯と言う可能性もあるじゃないっすか」
「共犯、か」
 貴子に言われて、五月雨は今更ながらその可能性に気が付いた。
「でも、そうなると益荒田さんは容疑者からはずれるね」
「思いっきりあの人にチョップしてましたっすからね。でも確かに、そうなると動機で分からなくなるっすね。富士夫さんも藤木戸さんも、片方だけ襲われたのなら、まだ分かりやすいんですけど」
 と、そこへ。
「あの………」
 という小さな声が聞こえた。
「ん?」
 五月雨と貴子が振り返ると、そこには寿がいた。
「まだ、ちゃんとお礼を言っていなかったことを思い出しまして。昨日は本当にありがとうございました」
 寿が深々と頭を下げると、
「いいえ、お礼を言われるほどのことではありませんよ」
 と、五月雨は言った。一方、貴子は、
「それなら、寿さん。あなたと益荒田さんの関係をお聞かせ願いたいところっすね。藤木戸さんの件でうやむやになってしまったっすけど、あなたたちはどうして昨夜、あんなところで密会を行っていたんっすか?」
「ちょっと貴子さん」
 五月雨が言うも、寿の方は既に覚悟が決まっていたようで、唇を一文字に引き締めたのちに、
「ここでは何ですので」
 と、二人を食堂の方へ案内した。
 食堂には誰もおらず、替えの途中なのであろう、テーブルの上にいつもあるテーブルクロスが無くなって、琥珀色のニスで塗られた木がそのままになっていた。
「さぁ、寿さん。話してもらえるっすね?」
「はい」
 寿は頷いた。

 私と益荒田海様は、益荒田家が村八分となる前は家が隣同士だったのです。それでちょくちょく、お互いの家に入り浸っていました。
 特に海様には、三つ年下で私と同い年の歩様という、私から見ても大変可愛らしい妹がいらっしゃいました。
 しかし歩様は、普段からあまりお体が丈夫ではなく、よく床に臥せっておられました。
 それで海様はよく、歩様のために折っておられました。
 始めは病気回復のための千羽鶴を、私も手伝って折ったのですが、それがきっかけで歩様のために色々な動物を折るようになりました。兎やたぬき、猿など、それはそれは見事なものでした。
 その内、歩様も私も、夢中になって海様に、
「あれを折って、これを折って」
 と、ねだるようになりました。そうすると海様は優しく笑って、折り紙を折ってくださいました。歩様の枕元が、紙で出来た動物で埋まると海様は、
「ほら、ここは歩のためだけの動物園だよ。園長は僕で、ルリちゃんは飼育員さ」
 と言ったりもしました。
 でも、歩様は十歳になられたとき、肺炎であっけなくこの世を去ってしまいました。折り紙に包まれた小さな棺を、私は今も忘れることが出来ません。
 その直後に益荒田家は自動車事故がきっかけで村八分にされ、海様がもといた屋敷も取り壊されて、私たちはそれきり疎遠になってしまいました。

「ですが、私が十二の時、病気で床に臥せっていた際です。どこからかそれを聞きつけたのか、真夜中に海様が私の部屋へ忍び込んできて、こう言いました。『ルリちゃん、しっかりするんだよ。これを上げるから、元気をお出し』と、この」
 そう言って、寿は例の兎の折り紙をポケットから取り出して、
「この折り紙を枕元に置いて下さったのです。それが、うう」
 昨日の顛末を思い出したのだろう、寿は涙をポロポロとこぼして、
「私、海様にもう一度会えると思って、藤木戸家の女中の仕事を始めたのです。それが、それが………」
「寿さん!」
 見かねた貴子が寿を抱きしめて、
「あの益荒田海は、きっと偽物っす! 私たちの先生が、きっと本物の益荒田海を連れてくるっすよ! だから、泣いてはだめっす!」
 貴子の言葉は全く根拠のない、無責任なものであった。しかし五月雨は、それを分かっていながら、寿を抱きしめてそう言ってのける貴子と同じく、
「貴子さんの言う通りです! なんたって、金剛先生は東京一、いえ、日本一の名探偵なんですから!」
「ありがとうございます、貴子様。ありがとうございます、五月雨様」
 そういって寿が貴子から離れると、
「五月雨さん! 貴子さん!」
 と、廊下から二人を呼ぶ礼二の声が聞こえた。
「ここです!」
 五月雨が食堂の扉を開けると、そこには何事か慌てた礼二の姿があった。
「どうしたんですか、礼二さん!」
「それが大変なんだよ五月雨さん!」
「だから何が?」
「捕まったんですよ! あなたたちが昨日見たという、あの忍者が!」

 その男は短髪で、年は二十代前半といったところだろうか。ろく日に当たっていないためか白い肌をしていた。しかし身長百八十センチ近い体格といい、顔つきいい、まさに精悍そのものといった雰囲気を醸し出していた。ときおり部屋に走らせる視線には、どことなく野性味がある一方で、そのたたずまいには紳士的な落ち着きがあった。首から下は黒い忍び装束を身に着けていたが、所々薄汚れていて、黒と言うよりかは灰色に近いものとなっていた。
 五月雨と貴子は、マジックミラー越しに警察の捕まえた忍者と対面しながら、昨夜現れた忍者の記憶と、目の前の男の姿を必死に参照させていた。二人は礼二から、警察が例の忍者を捕まえたとの知らせを受けた後、すぐさま代表として警察署へ来たのだった。中島警部から直々に、面通しの要請を受けてのことである。
「昔、鉱山だったところの洞窟へ潜んでおりました」
 二人の後ろで、中島警部が説明した。
「大勢の警官に取り囲まれたと知ると、正座したまま、抵抗もせずに捕まったそうです。どうですか、やはり昨日の忍者ですか?」
「そう言われましても」
 五月雨は首を傾げ、
「相手は頭巾で顔を隠してましたっすからねぇ」
 貴子が腕を組んだ。
「それじゃあ」
 中島警部は隅にいる刑事へ目くばせすると、刑事は頷いて部屋を出た。すると取調室に警官が二人現れ、男に無理やり頭巾を被せた。
 すると。
「ああ!」
 思わず五月雨と貴子は二人揃って取調室の中を指さして、
「こいつです!」
 と声を揃えて言うのだった。
「警部」
 ドアが開いて、先ほどの刑事が頭を出す。中島警部が頷いて、
「奴だ」
 と言うと、再び刑事はドアを閉めて取調室へ入り、忍者の頭巾を取った。
「取り調べはどこまで進んでいるのですか?」
 五月雨がたずねると、中島警部は疲れたため息をついて、
「それが全然なのですよ。鉱山跡地で逮捕してここまで、奴は一言もしゃべらんのです。音に反応することから、こちらの声は聞こえているようですが、もしかすると聾唖(発話障害)なのかもしれないと思うくらいでして」
「彼と、今回の事件を結びつける証拠は見つかってるんすか?」
 貴子が弁護士助手らしい視点でたずねると、中島警部はこれに関しても首を横に振り、
「それもありません。指紋や血液型、足跡まで採取して見ましたが、今のところどれも現場のものと一致しません。発見された彼の手荷物らしき雑嚢の中には、普通の着替えと麓で買ったとみられるいくつかの保存がきく食料、現金、それくらいしか入っておりませんでした」
「でも、事件に全然関係ないとなると、どうしてあんな格好で屋敷の周りをうろついていたのでしょうか?」
 五月雨が言うと、中島警部は、
「そうなのです」
 と、大きく頷いて、
「犯人なら犯人でないと、すっぱり言い切るでもなく、ああして黙り込んでいる。鉱山跡地であいつを逮捕したと聞いたときは、これで事件解決と思ったもんだが、中々どうして難しいもんですな。これはもしかすると、いよいよ明日の朝帰って来るという、金剛先生のお力添えが必要になってくるかもしれません」
 中島警部は五月雨と貴子に、あの忍者から何としても証言を引き出す努力を約束して、警官の一人に二人をパトカーで屋敷まで送らせた。警察署を出るころには、既に辺りは暗くなり始めていて、屋敷に着くころにはすっかり夜になると思われた。
 しかしこのとき、屋敷ではちょっとした騒動が起きていたのだった。

 五月雨と貴子が屋敷に辿り着いたときには、もう午後七時を回ったところであった。運転手の警官が、屋敷の門のところへパトカーを付けようしたときである。すると念のために屋敷を警護するために残っていた警官の一人が、門の前で合図でもするかのように両手を振っているのだった。
「どうしたんだね、君」
 運転手の警官が言うと、警護に残っていた警官が慌てた様子で、
「大変だ! 益荒田海氏がいなくなったんだ!」
「何だって?」
 その一言で、長いこと車に乗せられてうつらうつらとしていた五月雨と貴子も、それを聞いて一気に車のシートから飛び起きた。
「益荒田さんはいつからいなくなったんです?」
 五月雨がたずねると、警官は困惑した様子で、
「それが、女中が夕食の準備が出来たと呼びに行ったときには、既にいなくなっていたようで………今、屋敷の者も含めて、みんなで探しているところなのですよ」
「部屋に荷物は?」
「あります。だから、逃げ出したってわけでもなさそうなんですがね。もしかすると、散歩している間に、道の脇にある崖へでも落っこちたんじゃないかとも思いましね」
「警部には知らせたのかね?」
 運転手の警官がたずねると、
「もちろんだとも。君たちとは入れ違いになったようだが、すぐに電話をして、応援を連れてこちらに向かってくるそうだよ」
「よし、ならば邪魔にならないようにパトカーを門の中へ入れよう。誘導を頼むよ」
「うん」
 五月雨は屋敷の敷地内でパトカーを降り、
「私たちも協力します!」
 と言うと、警官は少し躊躇った後で、
「うん、五月雨さんは健二さんも助け出したことだしね。だけど貴子さんと二人で探すんだよ。危ないところには入って行かないように、何かあったら大声で人を呼ぶことを約束してくれ」
 そう言って警官はパトカーから予備の懐中電灯を出して、五月雨に渡した。

「おーい、益荒田くーん!」
「益荒田さーん!」
 屋敷の外では、益荒田を呼ぶ何人もの声がこだましていた。
 屋敷の門の前には、草木の生えた緩い崖が、川を流れる谷底まで続いていた。また、屋敷の裏手は岩肌がむき出しになった高い岸壁のようになっていて、その上にも鬱蒼とした森が生い茂っている。屋敷の人々と警官は二手に分かれ、谷底の水辺と、崖の上の鬱蒼とした森を懐中電灯で捜索しているのだった。
 五月雨たちも、谷底の水辺へ向けて、車で来た坂道を少し戻ってから森に入り、川沿いヘ進んで捜索隊へ合流しようとしていた。
「益荒田さーん!」
 五月雨も大声で暗闇の中へ呼びかけるも、傍らを流れるざぁざぁという大きな川の音にかき消されんばかりであった。それにあまり射さない谷底と言うこともあって、忘れかけていた冬の冷気が、未だに漂っているように思われた。
 それでも五月雨と貴子は負けじと、
「益荒田さーん!」
 と声を張り上げながら、がけ下を捜索する人たちと合流するべく、突き進んでいった。
 やがて、先行する捜索隊の懐中電灯の光が見えるようになったとき。
「いたぞ!」
 時の声が上がって、懐中電灯の光が一斉にそちらへ向いた。五月雨と貴子も、足早に彼らの方へと進んでいく。
 やがて、捜索隊はある一点に集結したのちに、石像のように固まってしまった。
「どうしたんですか? 益荒田さんは?」
 五月雨と貴子も彼らの横へ立った途端に、
「あっ!」
 と口を押さえて固まるのだった。
 益荒田海は木によりかかったまま、足を前に放り出して座り込んでいた。その頭には深い傷があって、草むらに赤黒い染みを投げかけていた。しかし捜索隊が何より驚いたのは、益荒田海の両手が、肘から無くなっていたことであった。そして無くなった肘から先は、益荒田家の家宝である『排除の手甲』に納められ、遺体の右と左に揃えて置かれていた。そして手甲の、手の甲にあたる部分には、血であの忌まわしい『忍殺』が、右と左で一文字ずつ記されていたのであった。
 ああ、なんということであろうか。警察が鉱山跡地で捕まえた忍者は、犯人では無かったのか。それとも彼は遠くにいながら、人を殺す術でも持っているのか。いずれにせよ、森田一郎の怨念を騙る恐るべき犯人は、ついに面頬、ヌンチャク、手甲の見立て殺人をここに完遂してしまったのだ。
 果たしてこのような悍ましい犯罪は誰に、どのようにしてなされたのであろう? この謎を解けるのは、名探偵である金剛の他にありえない。
 故に五月雨は、足元で起きた凄惨な殺人事件など知らぬように輝く満点の星空を、きっと睨みつけ、早く朝になれと願わずにはいられなかったのである。

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