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「勉強しなさい」の代わりに

私は、記憶にある限り、「勉強しなさい」と言われたことがない。

我ながら、お勉強は大好きだった。
進学校に通い、そこそこの大学を出た。
学校での成績はいつも上位だった。

興味のあることはどんどん深掘りしたくなるから、いろんなジャンルの本を読むし、ほとんどSNSはやらない私が見る数少ないYouTubeチャンネルは、『中田敦彦のYouTube大学』や、『ピース又吉直樹の【渦】』のインスタントフィクションという国語の授業。

テレビ番組も、『ホンマでっか?!TV』や『カズレーザーと学ぶ。』のような新しい知識が身につくようなものや、『東大王』のようなクイズ番組が好き。


日常の中でも、なんでだろうって一度思ったら、すぐにググってしまう。

小さいときにずーっとなんでだろうと思っていたのは、
「赤ちゃんが産まれてもおっぱい出ないのに、どうして男の子にも乳首があるの?」だった。
たぶん、そんなことを聞かれた母は困っていたと思う。

私が勉強好きになった理由は、きっと一つじゃないけれど、でも、母の「私、人が机に向かっている姿見るの好きなんだよね」という忘れられない一言があったからだと思っている。

それは、1人部屋が与えられたばかりの頃、机を買ってもらったのが嬉しくて、その机で漢字ドリルか何かの宿題をしていたとき、食事の支度がととのったことを伝えるために来た母が、私を見て言った言葉だった。

母自身もよく机に向かう人だった。私の家は商いをしていて、母は家で経理や事務などをしていた。
机に置いてあるパソコンや、たくさんのメモ、カラフルな付箋とそこに並ぶ綺麗な文字。
一見乱雑に見えるその書斎が、幼い私からはすごくかっこよく見えた。
だから、机を買い与えられたときは本当に嬉しかった。

私に、机に向かう姿を見せてくれたのは母で、母が好きだと言ったから、たくさん机に向かう姿を見せた。
そうしているうちに、学ぶことの楽しさが自然と身についたし、がんばればいい点数が取れることも嬉しくて楽しくて夢中になった。

今の家に引っ越してきて、彼に一つだけ頼んだことは、「テーブルと椅子が欲しい」だった。
彼が元々住んでいた部屋には、ソファとローテーブルしかなかったのだ。
高いものじゃなくていい、簡易的なものでも構わないから、椅子に座って書き物がしたかった。

私にとって、小さい頃から染み込んだ「机に向かう」という習慣は、欠かすことのない生活の一部になっていたことに、机のない部屋に越してきて初めて気づかされた。

すぐにシンプルなダイニングテーブルを買った。
安物だし、自分専用のデスクというわけではないけれど、初めて自分で買い求めたテーブル。

今は特に何かの勉強をしているわけではないけれど、私はそのテーブルで本を読み、忘れたくない言葉を書き留める。
その向かいで、彼がパソコンを広げて資料を作る。

机に向かう姿ってなんて美しいんだろう。
気づくと私は手を止めて、
机に向かう彼をうっとり眺めてしまう。

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