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ネオン

5月ももう下旬。このところパッとしないのは梅雨が始まったからか、それとも靄がかった心地があるからか定かでない。
トウキョーの街は関西で育った自分にとってはやはり異世界で馴染みのない街だと思っていた。憧れもとりわけあるわけではないし、落ち着かないとさえ思っている。しかし、今日はトウキョーの夜景に飲み込まれたい気持ちになった。空の暗さにぼやけるネオンに惹き込まれたかった。

何度目かの緊急事態宣言で、休みの日は誰にも会わずひとりでカフェに行ったり、スーパーに食材を買いに行ったりして、あとは部屋に引きこもる日々だ。諦めることへのハードルがこの一年で下がったように思う。あぁまた今回もね、を繰り返す。そして大きく期待をしないほうが、揺さぶられることも少ない。リスクを最小限に抑える術を身につけてしまったのかもしれない。リスク回避能力は社会人として働くようになってよく身についたと思う。それと同時に好奇心や思い切りがだんだんなくなって、保守的になっていくことが哀しいとも思う。あの頃はもっと何も考えずに動けたのに、と。休みを満喫したくても、翌日の出勤へのリスクを考えながらスケジュールを立てることは窮屈だ。


カフェインを取る。お腹の調子を崩す。もう飲まないと思う。ほとぼり冷めるとまたカフェインを取る。先日頭痛がしたときに、無水カフェインの入っていない頭痛薬では痛みが治まらなかった。単純なもので、カフェインを身体が欲していたのかもしれないなと思った。カフェインもミルクも私の身体には毒なのに、味は好みであるのは皮肉だ。嗜好品くらい受け入れられる身体でありたかったと思う。

スキンケアがおそろかになって、肌にごわつきがあらわれた。毎日あんなにケアしていたのに、手を抜いてもいい場所を間違えてしまったのか。完璧にしなくてもいいと言い聞かせ、眠くなったら寝ればいいを繰り返していたら、肌は崩れていく。どこを抜けばよかったのだろう。


キラキラしているネオンは、隣の芝生は青いみたいなものかもしれない。街灯の少ない住宅街に住みながら思う。トウキョーの夜景は広くて、鮮やかに彩られる。灯台もと暗しと言うが、どこまで近づいてしまったのか、それとも離れすぎてしまったのか。距離感の掴めないまま、25歳の日々は過ぎていく。トウキョーの夜景は遠くから見ても全体が輝いていて、羨ましかった。



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