居心地の良い住まいにするために、物を減らす。

暮らしをもっと良い物にしたいから物を買っていた。でも私が管理できる物の量は想像の100倍は少なかった。と、物を減らして気付いた。

「文明の発達」と「人間の進化」のペースは大きく異なる。人間の脳は1万年前から進化していないそう。それなら私が何百個もの物を管理ができないのは当たり前だ、と今は開き直っている。

様々な広告やメディアは「無くても問題ないもの」を「必ず必要なもの」のように見せるのがとてもうまい。
生活で何か不都合があったとき、物で解決するのは一見手っ取り早くて簡単。そのラクをしたい気持ちを売り手は刺激する。それに対してモノを買わずに解決策を考えるのは頭を使う。

でも考えることを止めて、物を買って簡単に解決しようとすると、後でツケが回ってくる。

まず手持ちのお金が減る。
そしてモノは持っていれば何かしらメンテナンスは必要だ。大事にしまっていても、定期的にメンテナンスしてないもの、使っていない物は劣化が早い。(使っていないのに劣化が早まるなんて、いまだに不思議に思う。)

あと、モノは必ず最後は手放さなければいけないときが来る。

コイル入りのマットレスを手放そうと思った時は粗大ゴミも対象外で途方に暮れた。物を買う時は手放す時のことも考えなくてはいけないことを痛感した経験。

使い捨てならメンテの手間がないからラクなのではと思った時期もあったけれど、使い捨てということは頻繁に買い続けなければいけないし、手放す手間が増える。
使い捨ては手間を減らすのではなく、手間を後回しにしているだけなのではと思う。

それに大事にしなかった物が使えなくなり捨てるときは後味が悪い。
物は手に入れた時点で無意識に自分の体の一部と認識していて、自分を大事にしていないように感じているからかもしれない。

沢山の物を手放して学んだことは、メンテや手放す手間を考えると、買う物は自分の体の一部になることが確信できる物でないと割に合わないということ。
「これから使う」は信用できない。使う頻度の少ない「オシャレ」「可愛い」「便利」は、集まるほど家の快適さから遠のく。

家は安らげる巣穴にしたい。なので今後は必要な物は慎重に見極めていきたい。

読み返してみたら、なんだかくどい文章。でもこれは物欲モンスターで、三歩歩いたら忘れる自分に向けた戒めである。

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