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29「詩」古い一冊のノート

古い一冊のノートがある
ノートにはひとつの付箋がある
なんどもなんどもページをめくり
その付箋のページに辿り着く

こどもの頃もそうだった
長い時間を生きてきた今もそうだ

ノートに書いてあるのは母の言葉


「他になんにも取り柄が無いけれど
 おまえは
 素直で真面目なことだけが取り柄なの。」

2年ぶりに実家に里帰りする母は
小さなわたしの手を引きながらそう言った

母は滅多に実家に帰らなかった

夜明け前に起き竈門に火を起こし
学生だった義理の弟たちの弁当をつくった
事業に失敗した父の代わりに
内職で家族を養った

母は時折お嫁入り道具の着物を箪笥から出した
「この着物はね
 お祖父ちゃんの家で育てた蚕の糸を紡いで
 作ったの。
 この着物が仕上がった時
 お母さん、それはそれは綺麗だったのよ。」
着物を肩に当てて楽しそうな笑顔を見せた

お嫁入りに祖母が持たせたよそ行きの服は
解いて私の通学服に縫い直した
苦労ばかりしてきた母
運はどちらかというと悪かった
それなのに
「お母さんは幸せだよ。」
母は口癖のように言った

自分が嫌いになって
自信をすっかり無くしたまま
立ち止まってしまった時
私はノートをめくり
付箋のあるページの文字を読む

文字の裏から
ずっと前に亡くなったはずの母が
私に語りかける 

「おまえは素直で真面目なことだけが取り柄なの」
だからまだ生きていけるよ
とページの余白の部分で母は私の背中を押してくれる


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