生花の違い
たまたま縁あって10年ほど前から草月流の生花を学んでいます。
Facebookでは草月流の世界中の作品がアップされています。よく観察してみると、ヨーロッパの人たちの作品と日本人の作品の違いがあるように感じます。どちらも美しく、優劣つけられるものではありません。優劣を超えて特徴的な違いに気づくのです。
生花は引き算の美学、フラワーアレンジメントは足し算の美学だと私の先生に伺いました。長く生活に溶け込んだ美学はDNAに乗り受け継がれていくのではないでしょうか。
ヨーロッパの方々の作品を見ると、これでもかこれでもかと思うくらいぎゅうぎゅうに花材が詰め込まれていることが多いのです。おそらくフラワーアレンジメントを日頃よく目にする文化の中で生きてきたからではないかと思っています。
そして、葉っぱを規則通り形作り並べるような作品もよく目にします。
自然は克服すべく立ち向かうものだ、という言葉をドイツで聞いたことがありました。山間地に真っ直ぐに続くアウトバーンを目にするとその言葉を思い出します。
生花にもそんな気質みたいなものが現れているように思うのです。花材がもともと持っていた性質を自分の描いた規則正しい模様に作り変えていく。
もちろん草月流の生花は造形美術だったりします。もとの花材がなんだったか一見して分からないくらいに形作ることがよくあります。それでも、日本人の生けた作品には不規則さの美しさや水面や風を感じる空間が残されているのです。
どちらが良いとか悪いとかではありません。四季のある日本の気候。吹く風や水の温度に季節の違いを感じ楽しんできた文化がDNAに組み込まれているのでしょうか。
日頃なんにも感じませんが遠い昔から受け継がれてきたものがちゃんと身体の中にあるのだ、と不思議な気持ちになります。自分で気づいていなくても、ちゃんと宝物を持って生まれてきたのだ。
そんなことをあれこれ考える朝のひとときです。