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「ママ友」は友達ではなかった。

*これは私の経験とその時の考えによる文章です。読んでくださる方に、自分の考えを押し付けるつもりはありません。こんなことやこんな人もいるんだなーくらいの気持ちで読んでいただけたら嬉しいです。

人間関係はドラマのテーマになるほど、複雑で難しく、定まった答えがない。初見で相手方の本性がわかっていたら、こんなことにはならずに済んだのに、と後悔までする。(私はいまこの段階)

噂話が好きな人は多い、息をするように悪口をいう人もいる、それに合いの手を打ち助長させる人もいる、いろんな人がいて、いろんな 意見があって、世の中そういうもんだ。キレイごとだけじゃない。だけど、何ごとにも原因と対策があるから大丈夫だと思っていた。

自分がその悪意の対象になるまでは。

その人はママ友の一人だった。最初は(自分の)子どもを大切にするお母さんだな。くらいにしか思ってなかった。しかし月日がたって気づいた時には、その人は”トゲトゲした人”に変わっていた。
(ひらたくいうと、常に誰かを攻撃している。常に誰かに敵意を向け続ける。悪口を子どもの前でも平気で言う。)
私は今日も明日もニコニコ過ごしたいと希望(目標)を思って生活している(毎日怒ってばかりだけど)うまくいかない日だってあるし、自分の時間が欲しいと嘆く日もある。でも、ニコニコ過ごしたいという希望は持ち続けている。(希望は自由だ!)

育児中は、なぜかママが担っていることがまだまだ多いと感じる。ママだって、もっと大人の人と話したい瞬間もあるし、いろんな場所に行ったり、一人の時間だってほしい。そんなの当たり前のことなのに、できない状況のママは多いと思う(これは社会や制度がまだ追いつけてないからだと思っている)
だから、不平不満を言いたい日もあるよねと私は思っていて。ママ友同士で話す数分でうまく息抜きして、みんなで子育て頑張ろうという気持ちでいた。

話を戻すと、そのママ友は順々に周りの誰かや何かを攻撃していて、今回その対象が、”私”になったのだ。
いろいろとあったのだが、要は私のことが気に入らないという内容だった。

純粋に、人から悪意を向けられるということはつらい。苦しい。胸が重い。けど、私にも改善したほうがいいことがあったんだと反省の気持ちで過ごしていた。何度も言われたことを振り返り、原因や対策を考えていた。
数日の間に、見てわかるほど痩せていったらしい。その変化をみて、ほかの友人が心配して話をしに来てくれた(本当に有難かった)。そして友人は考えを私に教えてくれた。それは私の考えとは違い、人間関係のこじれの根幹だと知った。

「うらやましいんだよ」

隣の芝は常に青いものだ。
周囲と自分を比較して得るものはないけど、過去の自分と今の自分を比較して得るものは大きい。その変化は”成長”という宝だと思う。これはわが子には、子どもの時から備えて大人になってほしい。

自分の下世話な好奇心を満たすために噂話をしたり、他人のプライバシーにズカズカ入ってそれを当然のように思って勘違いしている人、断片的な情報だけで、その人生に無関係な人を傷つける人が多いんじゃないかと嘆きたくなる。でもこれらは根幹に“他人と比較したり、人をうらやむ 気持ち”から始まるのだと思う。

隣の芝は隣の人のものであり、見えない所に悩みや思いがあるものだ。自分の芝をしっかりとみて、人と比較する必要なんてない。そもそも目に見えるものがすべてではない。
自分の家族の幸せを考えたり、自分の子がどんな気持ちでそんな母の姿を見ているのかを考えたほうがよっぽど良い。無意味なあら探しはだれもニコニコしない。

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