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290【人とのつながりは当たり前じゃない】

自分がココに居てもいいんだなんていう安心は、がんばらずに、流されてもいいなんて思ってたら、なくなっちゃう。安心に、感謝しなきゃだし、感謝されるようなことを続けたい。揺るぎない感謝の気持ちと絶え間ない努力。

木のいのち 木のこころ(西岡常一)

木の癖というのはなにも悪いもんやない、使い方なんです。癖のあるものを使うのはやっかいなもんですけど、うまく使ったらそのほうがいいということもありますのや。人間と同じですわ。本当なら個性を見抜いて使ってやるほうが強いし長持ちするんですが、個性を大事にするより平均化してしまった方が仕事はずっと早い。性格を見抜く力もいらん。でもこれなら昨日始めた大工でもできる。本来持っている木の性質を生かして、無駄なく使ってやる。これは当たり前のことです。この当たり前のことを今はしなくなったのです。

雌伏という言葉があります。雌伏とは?将来活躍する機会がくるのを力を養いながら我慢して待っていること。一方、至福とは?この上もない幸福。

人の世の幸不幸は人と人とが逢うことからはじまるbyみつを

「よき出逢いを」とまとめる。自分がイヤなことを言われた時は、知らぬうちに他の人に同じようにイヤなことを言ってしまうかもしれないと、自分の心を何かで整えるようにしている。勢いにまかせて叱ったり、落ち着いた口調で諭したり、改善しようとした過程をほめたり、その場その場でいろんな指導にせまられる。一見、どこにでもありがちで、うまくいっているようなことでも、子ども達が心の扉を閉じていると、叱った後、次の日にはうざがられ、見てない所で、けんかやいじめ、酷いときには物隠し。自分が諭しているつもりでも、話が長いとうざがられ、何も理解しておらず、いい格好をして、ただいい返事をする。「はい!!」と。。。「ほめられた!!」そのことだけが一人歩きし、また調子にのって、悪さをする。

こんな日々のくり返し。

子育てをしていて、「幸福」を感じることなんて、ほんの一瞬、あるかないかです。つくってはこわれ、つくってはこわれのくり返し。子ども達は、自分を映し出す鏡。
「子どもは叱って育てる」
「みんな仲良くしよう」
「元気よくあいさつしよう」
言葉だけの鏡は、しっかり自分を映し出すことは出来ません。どういう考え方で教壇に立つか、本気で子どもと向き合えるか、指導なんてうまくいかないのが当たり前、でも一瞬の幸福があるかもしれない。そんな自己矛盾と折り合いをつけながら、いかにして生き抜いていくか?大人も子どももよき出逢いを☆

大人を相手にしても、同じことのように思う。世界は変わると信じて、また辛い航海に出る。常に笑顔で、謙虚に、全てに感謝して、がんばります☆
雌伏の時は、まさに至福の時だ。もっと手伝い、少しでも力になりたいと
思うには十分な内容と、子ども達の姿。ただその機会があるのか?子ども達はそんなに思ってないかもしれない、というのもありますが、もっと自分自身ががんばろうと思います。


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